★歴史

義に拘り、上洛の夢が果てた武将 『上杉謙信』 ★歴史

義に拘り、上洛の夢が果てた武将 『上杉謙信』

戦国時代は、日本史上もっとも私利私欲が顕著に表れた時代であった。しかし稀に大義名分を基本として生きた武将がいた。 その人物は「越後の虎」とも呼ばれ、真面に戦えばおそらく、戦国時代最強だったのではないかと言われている。その軍団とは、「越後の上杉軍」と言われている。 今回、最強と言われた軍団を率いた「上…
下剋上の代表的な男『北条早雲』 ★歴史

下剋上の代表的な男『北条早雲』

戦国時代では、下剋上があたり前。力量一つで一国一城の主になる事が可能だった。今回、その典型的とも言われる人物を紹介したいと思う。   ・名前    伊勢新九郎長氏、北条早雲、早雲庵宗瑞 ・生涯    1432年(生)~1519年(没) ・主君    今川氏親    ・家柄    伊勢氏(後…
愚直で、融通が利かなかった奉行『石田三成』 ★歴史

愚直で、融通が利かなかった奉行『石田三成』

戦国時代、天下を統一した太閤秀吉。秀吉の側近に内政実務に長けた人物がいた。 その人物の名は『石田三成』。1600年関ヶ原の戦いでは、実質的西軍(豊臣方)のリーダーであったのは言うまでもない。 今回は、石田三成を取り挙げてみたいと思う。   経歴 ・名前    石田佐吉、石田三成 ・生涯  …
戦前教育で、必ず教えられる忠臣の代表 『山中鹿之助』 ★歴史

戦前教育で、必ず教えられる忠臣の代表 『山中鹿之助』

戦前の日本は皇国史観が主流であり、学校での授業では「修身」という科目が設定されていた。その授業で必ず教わる人物が二人いる。 一人は鎌倉幕府滅亡、建武の新政を成し遂げた後醍醐天皇を補佐した『楠木正成』。もう一人忠臣として紹介される人物が存在する。 戦国時代、中国地方で勢力を誇り、後に台頭してきた毛利元…
戦国時代、義を貫いた武将 『大谷吉継』 ★歴史

戦国時代、義を貫いた武将 『大谷吉継』

戦国時代、それは離合集散を繰り返した人間の欲が明確に浮き出され、裏切り等当たり前の時代であった。 そんな時代の中、稀に見る義を貫き命を果てた者も存在した。 今回はそんな一人である、大谷刑部吉継にスポットを当ててみたい。   ・名前    大谷吉継 大谷紀之介 ・生涯    1565年(生)…
陰謀将軍暗躍 『足利義昭』 ★歴史

陰謀将軍暗躍 『足利義昭』

★決して傀儡ではなかった陰謀将軍 『足利義昭』   第15代室町幕府将軍、足利義昭 足利義昭は「抜刀将軍」と言われた第13代室町幕府将軍、足利義輝の弟(次男)として生まれた。 名は「覚慶」と言い、その下の弟(三男)は「周暠」と言った。   1565年(永禄8)阿波国の有力大名三好…
戦国時代、数奇な運命を辿った悲劇の女性 『お市の方』 ★歴史

戦国時代、数奇な運命を辿った悲劇の女性 『お市の方』

戦国時代きっての美人の云われた『お市の方』。しかしその生涯は、決して幸せとは言えなかった。 今回は、『お市の方』を取り挙げて見たいと思う。   ・名前    お市の方、小谷の方 ・生涯    1547年(生)~1583年(没) ・配偶者   浅井長政、柴田勝家 ・家柄    織田信秀(父)…
優柔不断の将軍とエゴの塊の天皇 「足利尊氏 X 後醍醐天皇」の争い ★歴史

優柔不断の将軍とエゴの塊の天皇 「足利尊氏 X 後醍醐天皇」の争い

1192年、源頼朝が創設した鎌倉幕府は、嘗て平家滅亡の如く、あっけなく滅びた。1333(元弘3)年の出来事。 滅亡後、後醍醐天皇を中心として、「建武の新政」と呼ばれる政治が始まる。 始まって間もなく、鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏と後醍醐天皇が対立。建武の新政はあっけなく挫折。僅か2年で崩壊する。 今回…
意外に知られてないが、織田信長が何故、歴史の表舞台に躍り出たのか ★歴史

意外に知られてないが、織田信長が何故、歴史の表舞台に躍り出たのか

戦国時代の魔王と云われた「織田信長」。戦国時代の中心的人物となり、戦乱の世を終結に向かわせた英雄。 信長軍が天下統一の主導権を握った理由は様々だが、今回は意外に当たり前すぎて、あまり意識されていない事象を述べたい。   信長の天下統一の動き   以前ブログで何度も信長の天下統一の…
武田信玄、三方ヶ原で鎧袖一触、徳川家康を蹴散らす ★歴史

武田信玄、三方ヶ原で鎧袖一触、徳川家康を蹴散らす

1572年(元亀3)10月3月、武田信玄は上洛の途に就いた。兵力約2万5千人と云われている。武田軍は北遠江に侵攻。徳川家康の領土に侵入した。武田軍は12月上旬、家康の居城「浜松城」に迫るが、何故か浜松城を素通り。そのまま西進。武田軍が素通りした後、家康軍が浜松城から出陣。両軍、三方ヶ原と呼ばれる場所…
関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因 完結(戦後、大名の処遇と天下情勢) ★歴史

関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因 完結(戦後、大名の処遇と天下情勢)

  関ヶ原後の動き   関ヶ原の後の家康と各大名の動きを見てみたい。   ◆石田三成、安国寺恵瓊、小西行長 捕らえられ六条河原にて斬首、三条橋にてさらし首。領地没収。   ◆島津義弘 中央突破をはかり伊勢道を通り堺に着き、船で薩摩に帰還。責任をとり隠居。島津は…
関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因3(各大名の思惑が入り乱れ、決戦へ) ★歴史

関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因3(各大名の思惑が入り乱れ、決戦へ)

  大垣城の軍議にて   大垣城では決戦を前に、軍議が開かれた。石田三成、宇喜多秀家、島津義弘、小西行長、大谷吉継、毛利秀元、安国寺恵瓊などが参加。 軍議にて島津義弘は、家康が赤坂に着陣した14日、家康本陣に夜襲を提案した。 しかし三成はあっさり島津の案を拒否してしまった。島津と…
関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因2(決戦前の各大名の動きと人間関係) ★歴史

関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因2(決戦前の各大名の動きと人間関係)

  小山評議後、各大名の動き   小山評議の後、各大名はそれぞれ各方面に散り、今後の成り行きに備えた。この評議後の各大名の動きを記しておきたい。 ◆真田一族 正確に言えば、25日の小山評議の約1週間前の17日、大坂方の三成から書状が届く。非常に有名な一家。一番有名かもしれない。 …
関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因1(秀吉の死後、派閥争いと家康の台頭) ★歴史

関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因1(秀吉の死後、派閥争いと家康の台頭)

  関ヶ原の戦い   1600年(慶長5)9月15日、天下分け目の「関ヶ原の戦い」がおこなわれた。 一つは五大老「徳川家康」を中心とした東軍と呼ばれる軍勢。もうひとつは五奉行「石田三成」を中心とした西軍と呼ばれる軍勢。 両軍が美濃国関ヶ原に相まみえ、雌雄を決し、後の歴史を決定づけ…
戦国時代きっての極悪人、アクの強い男「松永久秀」 ★歴史

戦国時代きっての極悪人、アクの強い男「松永久秀」

戦国時代の蝮(マムシ)と云えばおそらく「斎藤道三」を思い浮かべるのではなかろうか。 もう一人の梟雄を挙げるとすれば、「松永久秀」を思い浮かべるかもしれない。   道三が蝮であれば、久秀は「サソリ」と云う言葉が当てはまるのではないか。 今回は戦国時代、あまり評判が宜しくない、松永久秀と取り挙…