★歴史

戦国時代、もう一人の悲劇の女性 『細川ガラシャ』 ★歴史

戦国時代、もう一人の悲劇の女性 『細川ガラシャ』

以前、戦国時代の悲劇な運命を辿った女性として、信長の妹『お市の方』を紹介した。 今回はもう一人の戦国時代の悲劇の女性、『細川ガラシャ』を取り上げたい。   ・名前     明智玉、細川玉、細川ガラシャ ・生涯     1563年(生)~1600年(没) ・配偶者    細川忠興 ・家柄  …
秀吉に仕えた、強かな軍師 『黒田官兵衛:如水』 ★歴史

秀吉に仕えた、強かな軍師 『黒田官兵衛:如水』

戦国時代、細川藤孝と並ぶ遊泳術に優れた武将がいた。 武将と言うよりも寧ろ、君子の側近としての参謀と言った方が的確かもしれない。 今回は、参謀(軍師)として活躍した『黒田官兵衛』について述べたいと思う。   経歴   ・名前    小寺官兵衛、小寺孝高、黒田官兵衛、黒田如水 ・生没…
義に拘り、上洛の夢が果てた武将 『上杉謙信』 ★歴史

義に拘り、上洛の夢が果てた武将 『上杉謙信』

戦国時代は、日本史上もっとも私利私欲が顕著に表れた時代であった。しかし稀に大義名分を基本として生きた武将がいた。 その人物は「越後の虎」とも呼ばれ、真面に戦えばおそらく、戦国時代最強だったのではないかと言われている。その軍団とは、「越後の上杉軍」と言われている。 今回、最強と言われた軍団を率いた「上…
下剋上の代表的な男『北条早雲』 ★歴史

下剋上の代表的な男『北条早雲』

戦国時代では、下剋上があたり前。力量一つで一国一城の主になる事が可能だった。今回、その典型的とも言われる人物を紹介したいと思う。   ・名前    伊勢新九郎長氏、北条早雲、早雲庵宗瑞 ・生涯    1432年(生)~1519年(没) ・主君    今川氏親    ・家柄    伊勢氏(後…
愚直で、融通が利かなかった奉行『石田三成』 ★歴史

愚直で、融通が利かなかった奉行『石田三成』

戦国時代、天下を統一した太閤秀吉。秀吉の側近に内政実務に長けた人物がいた。 その人物の名は『石田三成』。 1600年関ヶ原の戦いでは、実質的西軍(豊臣方)のリーダーであったのは言うまでもない。 今回は、石田三成を取り挙げてみたいと思う。   経歴 ・名前    石田佐吉、石田三成 ・生涯 …
戦前教育で、必ず教えられる忠臣の代表 『山中鹿之助』 ★歴史

戦前教育で、必ず教えられる忠臣の代表 『山中鹿之助』

戦前の日本は皇国史観が主流であり、学校での授業では「修身」という科目が設定されていた。 その授業で必ず教わる人物が二人いる。   一人は鎌倉幕府滅亡、建武の新政を成し遂げた後醍醐天皇を補佐した『楠木正成』。 もう一人、忠臣として紹介される人物が存在する。   戦国時代、中国地方で…
戦国時代、義を貫いた武将『大谷吉継』 ★歴史

戦国時代、義を貫いた武将『大谷吉継』

戦国時代、それは離合集散を繰り返した人間の欲が明確に浮き出され、裏切りが当たり前の時代だった。 そんな時代の中、稀に見る義を貫き、命を果てた者も存在した。 今回はそんな一人である、大谷刑部吉継にスポットを当ててみたい。   ・名前    大谷吉継 大谷紀之介 ・生涯    1565年(生)…
室町幕府最後の将軍。又の名は、陰謀将軍『足利義昭』 ★歴史

室町幕府最後の将軍。又の名は、陰謀将軍『足利義昭』

★決して傀儡ではなかった陰謀将軍 『足利義昭』   第15代室町幕府将軍、足利義昭 足利義昭は「抜刀将軍」と言われた第13代室町幕府将軍、足利義輝の弟(次男)として生まれた。 名は「覚慶」と言い、その下の弟(三男)は「周暠」と言った。   1565(永禄8)年、阿波国の有力大名三…
戦国時代、数奇な運命を辿った悲劇の女性 『お市の方』 ★歴史

戦国時代、数奇な運命を辿った悲劇の女性 『お市の方』

戦国時代きっての美人の云われた『お市の方』。 しかしその生涯は、決して幸せとは言えなかった。 今回は、『お市の方』を取り挙げて見たいと思う。   ・名前    お市の方、小谷の方 ・生涯    1547年(生)~1583年(没) ・配偶者   浅井長政、柴田勝家 ・家柄    織田信秀(父…
優柔不断の将軍とエゴの塊の天皇 「足利尊氏 X 後醍醐天皇」の争い ★歴史

優柔不断の将軍とエゴの塊の天皇 「足利尊氏 X 後醍醐天皇」の争い

1192年、源頼朝が創設した鎌倉幕府は、嘗て平家滅亡の如く、あっけなく滅びた。 1333(元弘3)年の出来事。   滅亡後、後醍醐天皇を中心として、「建武の新政」と呼ばれる政治が始まる。 始まって間もなく、鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏と後醍醐天皇が対立。 建武の新政はあっけなく挫折。僅か2年…
意外に知られてないが、織田信長が何故、歴史の表舞台に躍り出たのか ★歴史

意外に知られてないが、織田信長が何故、歴史の表舞台に躍り出たのか

戦国時代の魔王と云われた「織田信長」。 戦国時代の中心的人物となり、戦乱の世を終結に向かわせた英雄。 信長軍が天下統一の主導権を握った理由は様々だが、今回は意外に当たり前すぎて、あまり意識されていない事象を述べたい。   信長の天下統一の動き   以前ブログで何度も信長の天下統一…
武田信玄、三方ヶ原で鎧袖一触、徳川家康を蹴散らす ★歴史

武田信玄、三方ヶ原で鎧袖一触、徳川家康を蹴散らす

1572(元亀3)年10月3月、武田信玄は上洛の途に就いた。 兵力約2万5千人と云われている。   武田軍は北遠江に侵攻。徳川家康の領土に侵入した。 武田軍は12月上旬、家康の居城「浜松城」に迫るが、何故か浜松城を素通り。そのまま西進。   武田軍が素通りした後、家康軍が浜松城か…
関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因 完結(戦後、大名の処遇と天下情勢) ★歴史

関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因 完結(戦後、大名の処遇と天下情勢)

  関ヶ原後の動き   関ヶ原の後の家康と各大名の動きを見てみたい。   ◆石田三成、安国寺恵瓊、小西行長 捕らえられ六条河原にて斬首、三条橋にてさらし首。領地没収。   ◆島津義弘 中央突破をはかり伊勢道を通り堺に着き、船で薩摩に帰還。責任をとり隠居。 島津…
関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因3(各大名の思惑が入り乱れ、決戦へ) ★歴史

関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因3(各大名の思惑が入り乱れ、決戦へ)

  大垣城の軍議にて   大垣城では決戦を前に、軍議が開かれた。 石田三成、宇喜多秀家、島津義弘、小西行長、大谷吉継、毛利秀元、安国寺恵瓊などが参加。 軍議にて島津義弘は、家康が赤坂に着陣した14日、家康本陣に夜襲を提案した。   しかし三成はあっさり島津の案を拒否して…
関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因2(決戦前の各大名の動きと人間関係) ★歴史

関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因2(決戦前の各大名の動きと人間関係)

  小山評議後、各大名の動き   小山評議の後、各大名はそれぞれ各方面に散り、今後の成り行きに備えた。 この評議後の各大名の動きを記しておきたい。 ◆真田一族 正確に言えば25日の小山評議の約1週間前の17日、大坂方の三成から書状が届く。 非常に有名な一家。一番有名かもしれない。…