歴史

関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因1(秀吉の死後、派閥争いと家康の台頭) 歴史

関ヶ原の戦、勝敗を分けた要因1(秀吉の死後、派閥争いと家康の台頭)

  関ヶ原の戦い   1600(慶長5)年9月15日、天下分け目の「関ヶ原の戦い」がおこなわれた。 一つは、五大老「徳川家康」を中心とした東軍と呼ばれる軍勢。 もうひとつは、五奉行「石田三成」を中心とした西軍と呼ばれる軍勢。   両軍が美濃国関ヶ原に相まみえ、雌雄を決し…
戦国時代きっての極悪人、アクの強い男「松永久秀」 歴史

戦国時代きっての極悪人、アクの強い男「松永久秀」

戦国時代の蝮(マムシ)と云えば、おそらく「斎藤道三」を思い浮かべるのではなかろうか。 もう一人の梟雄を挙げるとすれば、「松永久秀」を思い浮かべるかもしれない。   道三が蝮であれば、久秀は「サソリ」と云う言葉が当てはまるのではないか。 今回は戦国時代、あまり評判が宜しくない松永久秀と取り挙…
源頼朝は平家滅亡後、何故源義経を討伐したのか 歴史

源頼朝は平家滅亡後、何故源義経を討伐したのか

1185(文治元)年、長門の壇之浦で平家が滅亡。 平家滅亡後、源頼朝と源義経の対立。兄頼朝が弟義経を討つかたちとなる。 何故、兄弟同士が争う羽目になったのか。今回はその経緯を述べたい。   平家滅亡 1185(文治元)年、平清盛出現後に栄耀栄華を誇った平家一門は、源義朝の遺児「源義経」を総…
啄木鳥戦法、武田信玄と上杉謙信の一騎打ち。第4次川中島の戦い 歴史

啄木鳥戦法、武田信玄と上杉謙信の一騎打ち。第4次川中島の戦い

戦国時代、甲斐の武田信玄・越後の上杉謙信は、川中島で度々対峙した。凡そ5回ほど対峙。 中でも最も激しく干戈を交えたのが、1561(永禄4)年に行われた第4次の合戦。   此の戦いでは珍しく、大将同士の一騎打ちもあったと伝えられている。 川中島の戦い迄の流れ そもそも戦国時代で有名な戦いの一…
一世一代の大博打『中国大返し』を成功させ、天下を取った男『豊臣秀吉』 歴史

一世一代の大博打『中国大返し』を成功させ、天下を取った男『豊臣秀吉』

1582(天正10)年6月2日未明、当時の英雄「織田信長」が京都の本能寺にて、臣下「明智光秀」の謀反に遭い、あっけない最後を遂げた。   同じ頃、信長の臣下「羽柴秀吉」は中国の雄「毛利氏」と備中高松城で対峙していた。 突然主君の横死の報を受け、秀吉は直ちに毛利氏と和を講じ、居城の姫路城に帰…
織田・徳川軍が武田騎馬隊を撃破 戦法の転換期となった「長篠の戦い」 歴史

織田・徳川軍が武田騎馬隊を撃破 戦法の転換期となった「長篠の戦い」

1575(天正3)年5月21日、奥三河の長篠城の攻防を巡り、織田・徳川連合軍と武田軍との戦闘が行われた。有名な「長篠の戦い」である。 この戦いで織田・徳川連合軍は、当時最強と言われた武田の騎馬隊を撃ち破り、勇名を天下に轟かせた。   長篠の戦いは今までの戦法に変化を齎し、以後の戦いに大きな…
豊臣家滅亡の戦い「大坂の陣」、遅れて来た悲劇の英雄「真田幸村」 歴史

豊臣家滅亡の戦い「大坂の陣」、遅れて来た悲劇の英雄「真田幸村」

今回は豊臣家滅亡の戦いとなった「大坂の陣」、戦国の世の最後を飾るに相応しい遅れて来た悲劇の英雄、「真田幸村」について述べたいと思います。 真田幸村の死をもって、戦国時代が終了したと言えるでしょう。   関ヶ原後の豊臣家   関ヶ原の合戦は別の機会に詳しく述べる為、今回は関ヶ原以後…
奇襲の大勝利『桶狭間の戦い』織田軍が何故、大軍の今川軍に勝てたのか 歴史

奇襲の大勝利『桶狭間の戦い』織田軍が何故、大軍の今川軍に勝てたのか

「桶狭間の戦い」。それは織田信長が、歴史の表舞台に踊り出た瞬間。 以後の信長の活躍は言うまでもない。 今回、織田信長が全国に名を轟かせた桶狭間の戦いを述べたい。 今川義元の上洛 1560(永禄3)年5月12日、駿河・遠江・三河を治める「今川義元」は京にて天下を号令せんと欲し、約2万5千人の兵を率いて…
「織田信長」を本能寺で抹殺 三日天下で終わった男「明智光秀」 歴史

「織田信長」を本能寺で抹殺 三日天下で終わった男「明智光秀」

来年のNHK大河ドラマは、「明智光秀」が主人公として放映される予定です。今回それに因み、明智光秀をとり挙げたいと思います。   謎の多い武将「明智光秀」 以前ブログにて、本能人の変での黒幕が誰かをテーマに描きましたが、その時に実行者は明智光秀で間違いないと書きました。 今回はその、明智光秀について述…
稀代の英雄『織田信長』を葬った明智光秀。背後の黒幕は? 最終編 歴史

稀代の英雄『織田信長』を葬った明智光秀。背後の黒幕は? 最終編

信長を葬った実行犯は光秀。背後にいた黒幕は? 最終編   本能寺の変、直前 信長が京都で茶会を催していた時、光秀は出陣の準備をしていた。 戦勝祈願の名目で愛宕神社に参籠する。その時、連歌会を催した。 その時の有名な初句が    「時は今雨が下しる五月哉」   ここ迄読ま…
稀代の英雄『織田信長』を葬った明智光秀。背後の黒幕は? 続編 歴史

稀代の英雄『織田信長』を葬った明智光秀。背後の黒幕は? 続編

信長を葬った実行犯は光秀。背後にいた黒幕は? 続編 それでは前回述べたように、一つ一つ検証していきたいと思う。   各動機の検証 ①光秀怨恨説 これは昔からよく言われていた動機。事実信長の人遣いは厳しいものだった。気性も激しく、人を人と思わない処があった。 しかし此れは何も光秀に限ってた事…
稀代の英雄『織田信長』を葬った明智光秀。背後の黒幕は? 歴史

稀代の英雄『織田信長』を葬った明智光秀。背後の黒幕は?

信長を葬った実行犯は明智光秀。背後にいた黒幕は?   織田信長を本能寺で葬った実行犯は、明智光秀に間違いない。では、その犯行を唆した人間(達)がいるのでは?  そんな疑問が頭をよぎる為、此れまで述べられてきた数々の論を吟味したい。   既に様々な人物が各論議を展開し、語り尽くされ…