見知らぬ物に対する盲目の尊敬と権威主義 森鴎外『寒山拾得』

以前森鴎外の作品を紹介したが、今回は同じ鴎外作品『寒山拾得』を取り挙げたい。

バリバリの明治政府の高級官僚だった作者が、皮肉を込めて描いた作品と言えるかもしれない。

 

登場人物

 

◆閭丘胤(りょきゅういん)

唐の貞観の頃(627~649年)の官吏。人事異動で台州主簿に任命される。

台州とは、現中国の浙江省東部あたり。主簿とは地方長官ほどの位。

現在でいう県知事ぐらいだろうか。

 

◆豊干(ぶかん)

天台県の国清寺に住んでいた、托鉢僧。

閭が台州に赴任する前、閭の頭痛の治療をする。

その時、国清寺にいる寒山・拾得の話をする。

 

◆道翹(どうぎょう)

天台県国清寺に住む僧。豊干・寒山・拾得の正体を知らない。

 

◆寒山(かんざん)

天台県国清寺の近くの石窟に住む僧。正体は、文殊菩薩。

 

◆拾得(じっとく)

天台県国清寺に住む僧。正体は、普賢菩薩。

作品概要

 

中国唐の時代、元号が「貞観」の治世。閭丘胤(りょきゅういん)は、唐の都「長安」で官吏をしていた。

今回の人事で、台州の主簿に任命された。

今の浙江省東部あたりの地方長官とでも言えば、分かり易いかもしれない。

 

いざ台州に赴こうとした時、閭はリュウマチ性の頭痛に悩まされた。

なかなか治らず寝込んでいた時、閭の許に治療をしたいという見ずぼらしい僧が現れた。

 

閭はあまり興味はなかった。

しかし相手が僧の為、閭は何かしら自分が会得しないものに対する盲目的な尊敬の念を持った。

その為、閭はとりあえず会う事にした。

 

閭が僧に会えば成程、下女の報告通り、見ずぼらしい恰好をした僧だった。

僧は閭が頭痛に悩んでいるのを悟り、「頭痛を治してしんぜよう」と述べる。

 

閭は半信半疑であったが、僧にお願いする事にした。

僧は家の者に水を要求した。持ってきた水を口に含むと、いきなり閭に向かって吹きかけた。

 

閭はあまりに咄嗟の出来事に気を取られ、頭痛など忘れてしまった。

その為、閭はすっかり治ったものと思い込んだ。

 

帰ろうとする僧を、閭が呼び止めた。

話を聞けば僧は今度赴任する台州から来たと告げ、「豊干(ぶかん)」と云った。

 

閭は赴任する土地で縁もあり、きっと名のある僧と思い、僧に赴任先で参詣するに値する処はないかと尋ねた。

 

豊干は、自分がいた天台の「国清寺」があると答えた。

寺には「拾得」の云う僧がいて、正体は「普賢菩薩」。

同じく寺の近くの石窟に住んでいる「寒山」と云う僧は「文殊菩薩」だと告げた。

 

台州に赴いた閭は、新しい赴任地で仕事を熟した。

赴任した3日目にして、閭は豊干に教わった国清寺を訪ねる事にした。

 

従者を数十人ともない、輿を担がせ出発した。

途中、県の長官宅で一泊。2日をかけ、天台の国清寺に到着した。

 

国清寺に到着した際、道翹(どうぎょう)という僧が出迎えた。

閭は早速豊干について尋ねた。

 

話を聞けば、同僚の僧はあまり豊干に詳しくなく、豊干は或る日行脚に出かけた後、急にいなくなったとの事。

 

閭は次に拾得について尋ねた。道翹は訝し気に答えた。

拾得は寺で、他の僧と変わらぬ生活をしていると答える。

 

続いて寒山について尋ねた。寒山は、寺の西にある石窟に住んでいるとの返事。

拾得が庫裏で寺の食事の後片付けをしている時、残飯を貰いにくる様子。

 

閭が2人に面会を申し出ると、道翹はいつもの呼んでいる様に、ぶっきら棒に2人を呼びつけた。

呼びつけられた2人をみた時、閭は2人が見ずぼらしい恰好をしているのが目に付いた。

 

しかし閭は事前に豊干から2人の正体を知らされていた為、2人に歩みより、仰々しく2人に挨拶した。

 

「朝議大夫、使持節、台州の主簿、上柱国、賜緋魚袋、閭丘胤と申すものでございます」

 

と恭しく名乗った。

 

2人は同時に、閭を見て笑った。笑ったと同時に、厨をかけ出した。

自分達の正体がバレた為、逃げ出したのであろう。

他の僧達、道翹は未だに状況が呑み込めず、ただ呆然としていた。

 

要点

 

宗教を理解できない人間に、宗教の存在を教える事はなかなか難しい。

未知なものに対する、尊敬の念を説く為。

 

今回の「寒山拾得」も同じ。宗教的意義・価値を理解しなければ、そもそも尊敬の念すら起きない。

だが不思議な事に、人間は自分が未知なものに対し、関心と尊敬の念を抱くのも又、人間の持つ一面と言える。

 

人間が社会生活を営む上で、権威という存在も同じものかもしれない。

権威を理解していない者にたいし、権威を振りかざしても無意味である。

 

今回の話は、権威と自分の未知なる物に対する、盲目的な尊敬の念を抱く人間(閭)の話。

最後に普賢菩薩と文殊菩薩の化身に対し、閭が仰々しく自分の官職を述べる様子を、作者は皮肉を込め描いている。

 

人はありふれた日常生活を過ごしている際、何気に物事の有難さに気付かない事が多々ある。

寒山拾得が他の僧に交じり、普段通りの生活をしている為、他の僧は「寒山拾得」が自分たちと同じ僧だと認識している。

決して「文殊・普賢菩薩」だと気付かない。

 

作者は閭と他の僧を登場させ、両者を対比させる事で、私達が普段しがちな行動を皮肉を込め描いている。

寒山が文殊菩薩、拾得が普賢菩薩とすれば、差しあたり豊干は「釈迦如来」であろうか。

 

・参考文献

『寒山拾得』 森鴎外作 

(大正5年 1月発表)1916年

 

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