古今東西、何処にも存在する話 松本清張『カルネアデス』の舟板

★松本清張短編小説シリーズ

 

・題名       『カルネアデス舟板』

・新潮社       新潮文庫  

・昭和40年     12月発行    傑作短編集(五)『張込み』内

 

序説

紀元前2世紀、ギリシャでの話。

一艘の船が難破した。ある船員が溺れまいと、必死に一枚の舟板にしがみついた。

其処にもう一人の人間が助かろうとして、舟板にしがみつこうとした。

先にしがみついていた船員は、もう一人が板を掴めば板が沈むと考え、しがみつこうとした人間を海に蹴落とした。

後に裁判にかけられたが、男は無罪となった、有名な話。(一時緊急避難)

 

「カルネアデスの舟板」を題材とした清張作品

今回、松本清張の短編小説で有名な「カルネアデスの舟板」を取り上げてみたいと思います。

最初に記しましたが、原作はかなり有名な話です。おそらく皆さんに中にも、一度は見聞きされた方がいらっしゃると思います。

清張もこれを題材として、小説を書いています。内容はいかにも清張らしい、権威・出世・学界などによく見られる風見鶏的な変節漢を皮肉る作品に仕上がっています。

モデルは戦前、戦後で変節を遂げた嘗ての大学教授の師弟をモデルとした作品です。

内容は現代社会でも、十分通じる話と云えます。

 

現代社会でも一人や二人、直に名前が浮かぶと思います。政治評論家、社会評論家、芸術評論家、御用学者等の輩など。

皆さんの周りにも、何人か思いつくでしょう。日和見的に自らの主義主張を、コロコロ変える人間が。

よく言えば「機を見るに敏」、悪く言えば「風見鶏的人間」とでも表現すれば良いのでしょうか。

それでは内容を見てみましょう。

 

物語は戦後、昭和23年から始まる。この頃は日本が戦争に負け、アメリカGHQが日本を統治し、進駐軍がいた頃。

GHQが当時、日本社会を徹底的に支配、戦前の軍国主義・国家主義を極力排除した時代。

その為、戦前、軍に協力・関係していた人間は、公職追放という憂き目にあっていた。

政界、官界、言論界、思想界、文化人などの人間が。

 

今回のモデルは言論・思想であろうか。戦前、大学教授が国家的歴史観・書物を発行した科(とが)にて、公職から追放されていた。

現在追放の身である元大学教授には、戦前若くて優秀な弟子がいた。

その弟子は戦後、新進思想の「売れっ子」教授となっていた。

 

何故売れっ子となったのかと言えば、戦前師事していた元教授の教えを踏襲せず、いま流行りの進歩的な思想(左寄り的な考え)に転向した為。

転向も明確でなく、世間の風潮に合わせ、恰も以前から現在の位置にいたかのように振る舞いながら、徐々に自分の立ち位置を変えていった。

その為、世間の非難を浴びることなく、上手く立ち回る事が出来た。

 

自らにも経験があると思う。昔は違う立場にいた人間が、いつの間に同じ立場になり、逆に味方だった人間が、いつの間に敵対する側にいる人間が。

 

清張は文中にて、この狡賢い行為を独特の言い回しで皮肉り、作品を描いている。

 

占領当初GHQは、戦前の日本の国家主義的なものを排除する為、やや左翼的傾向が見られた。

作中では公職追放を喰らった師匠の元大学教授が、過去自分の弟子だった人間が戦後勝手に転向。

人気を博している元弟子の教授に擦り寄る、醜い人間の姿を描いている。

 

追放が解けた際、嘗ての弟子に教授職に復帰をする為、大学側に働きかけを依頼。

弟子の蔵書などを借りて研究したりする等、自分も流行りの説にのり、甘い汁を吸おうとしている姿が描かれている。

 

要するに元師匠も戦前は右寄りの考えが流行りだった為、だだ当時の流れに沿ったのみ。然したる深い考えはない。戦後左寄りの考えが流行れば、受けが良い考えに移行。平気で自説を曲げる人間だったに過ぎない。

 

戦後米ソの対立が激しくなり、その影響で日本に対する米国の占領政策も変化を遂げた。

更にGHQ中でも、内部抗争が激しくなった。

今までの占領政策があまりにも左翼的すぎたとの批判も噴出。米国は、対日占領政策の変化を迫られた。

 

冷戦は遂に熱い戦争に変化した。「朝鮮戦争」である。

これを境に戦後、追放されていた多くの政治家・経済界・思想界の多くの人間が復権を果たした。

学界も然り。

 

多分に漏れず、歴史分野でも多くの公職復帰が図られた。

それに従い以前、知らぬ間に「右寄りから左寄りに、人知れずこっそり転向した」進歩的歴史教授は、また同様に、さりげなく「左から右の転向」を画策していた。

 

処が自分が実行する前に、恥も外聞もなく同じ事を計画している人間がいた。

その人物は嘗て師匠として従事。追放解除後、自分の働きで大学教授に復帰を遂げた元師匠だった。

元師匠は何の躊躇いもなく、又風の吹くままに元の学説に戻ろうとしていたのである。

 

自分がやろうとして、先を越された様な感覚。以前は取るに足らない存在で、自分より目下と思い、何かと力を貸したり面倒をみていたが、相手が自分と対等か、それに近いポジションになれば、急に疎ましくなる感覚とでも言おうか。

 

戦国時代、「羽柴秀吉」が信長の草履とりの身分だった時、譜代の家臣は「サル」と囃子たて小馬鹿にし、優越感に浸りながら秀吉の面倒をみていた。

しかし秀吉が徐々に出世。次第に自分と対等、それ以上の地位に昇りつめた。

人間は他人が自分の地位を脅かす存在なった途端、急に相手を疎ましく、また憎らしくなるのと同じであろうか。

 

このままでは自分は没落すると思った進歩的教授は、罠をかけ元師匠の教授を貶めた。

「カルネアデス」の様に。

本人は自分の身に危険が迫った際、一時的な緊急避難と勝手に理解。相手を蹴落としても構わないと、自分に都合よい判断を下した。

 

罠にかけたまでは良かったが、誤算が生じた。

罠をかける為、協力を依頼した相手(愛人)に対し、事が終わった後、何か急に疎ましく感じ始めた。

 

その為相手を自らの手で殺めてしまう。

作品の最後で殺人を犯してしまった教授の言葉が、見事に世の中の矛盾を言い当てている

 

「いつも、生きるために、力が強い者が勝ちなのである。それを非難するのは、没落者の資格である」

 

追加で

 

「どうせ現代は、不条理の絡み合いである」

 

と締めくくられている。

 

(文中敬称略)