強いチームが必ずしも勝つとは限らない 歴代のサッカーWCを眺めた際

サッカー欧州の主なリーグが全日程を終え、前回のWCロシア大会から約一年が経とうとしている。

歴代のWC大会の歴史を振り返ってみた処、年々思いを強くする事がある。

今回、その思いを述べたいと思う。

 

歴代の優勝国を眺めて

以前、一度は見てみたかった「94年アメリカ大会でのユーゴ代表」と言う記事を挙げた。

今回は歴代優勝国を振り返り、感じたままを述べたい。

 

いきなり結果を述べるが、タイトルに記した通り「優勝したチームが必ずしも当時の最強チームとは限らない」と云う事。

あくまで、私が記憶にある大会に限定するが。

あまりにも古い大会は記録のみで想像もつかない為、除外させていただく。

 

因みに去年の優勝国を、皆さんは覚えているだろうか。

私もあまり印象はないが、優勝は「フランス」だった。

 

何故あまり印象が薄いのかと云えば、やはり圧倒的な強さで勝ったというイメージがないからと思われる。

実際に戦前のフランスの予想は、決して高いものではなかった。

何となく、あれよあれよという間に勝ってしまったと言った印象だと思う。大会を通じ、一番大崩れがなく、まとまっていたチームだった。

卒のない戦い方だったといえる。それ程、98年の地元フランス大会優勝に比べ、印象が薄かった。

98年大会は、それなりに豪華なタレントが揃っていた。

 

因みに98年大会の優勝メンバーに、前回大会の優勝監督「デシャン」がいた。

デシャンは監督でも選手でも、優勝を果たした。此の名誉は、ドイツのベッケンバウアーと同じ。

しかし98年大会も、フランスが当時もっとも強かったとは言い難い。

当時の優勝候補は、「無敵艦隊」と云われたスペインだった。

しかしスペインは、予選の第一戦で当時「スーパーイーグルス」と呼ばれていたナイジェリアに負けた。

スペインは調子が戻らないまま、予選で姿を消しました。

 

2002年日韓大会の優勝候補は、フランス・イタリア・スペイン・アルゼンチン・ポルトガルだった。

処がイタリアは決勝トーナメント1回戦で、韓国に敗退。

スペインは同じく決勝トーナメント2回戦で、韓国に敗退。

アルゼンチン・ポルトガル・フランスは、グループ予選で敗退。

 

フランスなどは優勝候補でありながら、グループ予選で1点もとれず、大会を去っている。

チームにはプレミアムリーグの得点王アンリ、セリエAの得点王トレセゲ、フランスリーグの得点王シセがいながら、無得点で大会を去る。

皮肉の何物でもない。

 

優勝は、前評判があまり高くなかったブラジル。

ブラジルは南米予選では最後のギリギリで本大会行きを決め、南米予選敗退もあり得た状態。決して下馬評は高くなかった。

一方、準優勝ドイツも、欧州予選でかろうじてプレーオフで本大会行きを決めた。

因ってブラジルと同じく、決して前評判は高くなかった。大会に入り両チームとも、調子を上げたと言える。

 

近年のブラジルは、94年大会では前評判が高くないが優勝。ブラジルは前評判が高い時は、本戦で成績が悪く、前評判が高くない時、本戦では成績が良い。

90年大会、2006年、2010年の優勝候補の時、意外にあっさり負けている。

 

2006年ドイツ大会の優勝候補は、当時ロナウジーニョがいたブラジル。

しかしブラジルは予選リーグ突破に苦しんだフランス相手に、準々決勝で負けている。

ブラジルを倒したフランスは、決勝まで進む。延長でも決着がつかずPK戦の末、イタリアに負けている。

一方、優勝したイタリアも大会前の下馬評は決して高くなかった。

 

2010年大会の優勝候補はブラジル、イタリアだろうか。

しかし両チーム、決してズバ抜けていた訳でない。イタリアなどはグループ予選で一勝も出来ず、大会を去った。

ブラジルも南米予選を無難なく勝ち進み本大会行きを決めていたが、本戦では前回と同じく、ベスト8で準優勝したオランダに負けている。

優勝はスペイン。2年前の欧州選手権で優勝している為、実力はあったのは確かだった。

 

2014年ブラジル大会では当然、地元ブラジルが優勝候補。

ブラジルは確かに予選リーグを勝ち抜き、決勝トーナメントに駒を進めた。

しかし予選リーグ、トーナメントでも危うい勝ち方が多かった。その懸念が、準決勝のドイツ戦で現実となった。

試合前半で早々にドイツに大量リードを許し、終わってみれば1-7の歴史的大敗。

後に「ミネイロンの惨劇」とまで言われた。

 

優勝はドイツ。前回大会の若手が成長、そのまま円熟期を迎えたといえる。卒なく大会を乗り切ったと言えよう。

しかしドイツも予選で、ガーナ相手に2-2で引き分けている。圧倒的と言う訳ではない。

2018年は前述した通り。

敢えて言えば、圧倒的優勝候補だったドイツが、グループ予選最下位で敗退。

前回優勝国が、予選敗退の大波乱だった。

準優勝のクロアチアは、98年大会以来の快挙を成し遂げた。

 

唯一の例外

唯一の例外とすれば、1970年メキシコ大会であろうか。この大会でブラジルはイタリアを破り、3度目の優勝を飾る。

メキシコ大会は、「ジュール・リメ杯」の永久保持国を決めた記念すべき大会となった。

大会のブラジルは大会参加チーム中、文句なしのナンバー1だったと思われる。

ペレを筆頭にタレントが揃い過ぎてた。「ペレの大会」だったと言えるだろう。

 

ペレを筆頭に、ジャイル・ジーニョ、リベリーノ、トスタン、ジェルソン、カルロス・アウベルト、クロドアウドなど、タレントが揃い過ぎていた。

ジャイルは、全試合得点の達成。

因みにブラジルは南米予選から本戦の決勝まで、引き分けなしの全勝を達成している。

 

全試合得点を達成したジャイルだが、何故か大会得点王は爆撃機と云われ、10得点を叩き出した「ゲルト・ミューラー」だった。

ジャイルは7点。ペレは4点。

話が1970年メキシコ大会になったので、1970年以降も見てみよう。

 

1974年以降の大会

1974年西ドイツ大会。優勝は、地元西ドイツ。決勝でオランダを下し、見事優勝。

前回大会、ボロボロになるまで戦ったベッケンバウアーが、地元で優勝を飾る。

ベッケンバウアーにより、「リベロ」という言葉が実現化した。

しかし西ドイツは予選一次リーグで、当時の東ドイツに0-1で負けている。

 

74年大会で敗れこそしたが準優勝のオランダは、クラブチームアヤックスの選手を中心としたチームを編成。

「ヨハン・クライフ」を中心に、流れる様なサッカーを展開。「トータル・フットボール」という言葉を生んだ。

クライフはたった一度のWCだったが、全世界に衝撃を与えた。

二次リーグのブラジル戦での「ジャンピング・ボレー」は、今でも語り草。

 

1978年アルゼンチン大会、地元アルゼンチンが初優勝。

決勝延長戦の末、前回準優勝のオランダを破る。オランダは2大会連続で決勝で涙をのむ。

因みに2010年の南アフリカ大会でも、オランダは延長の末、決勝でスペインに敗れている。

3度の準優勝。或る意味、悲劇のチームかもしれない。

 

優勝候補はブラジルだったが、二次予選でブラジルはアルゼンチンと同組。同国直接対決は、引き分け。

あとは両国とも全勝であったが、得失点差でアルゼンチンが決勝進出。優勝を飾る。

 

アルゼンチンが予選最後のペルー戦で、6-0で勝ったことで疑惑を持たれた。

遺恨を残したと言えようか。

只でさえブラジル、アルゼンチンはサッカー大国同士。互いにあまり仲が良くない状態だったが、此れで益々険悪な関係になった。

 

余談だが後のスーパースター「マラドーナー」は大会直前、代表から外された。

これが尾を引き、4年後の大会で監督と確執を起こす。

 

82年スペイン大会。優勝候補は当時「黄金のカルテット」と云われ、ジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾを擁するブラジル。

当時「華麗なる中盤」とも言われた。私も断トツの優勝候補だと予測した。

 

同じく「シャンペンサッカー」と云われ、プラティニ、ジレス、ティガナの「三銃士」を擁するフランスもなかなかのチームだった。

しかし優勝したのは、一次予選全試合引き分け。かろうじて二次予選に進んだイタリア。

二次予選でブラジル、アルゼンチンと同組となったが、一次予選の不調が嘘の様に両チームを撃破。

ブラジル戦では、大会得点王となる「パウロ・ロッシ」がハットトリックを達成する。

 

アルゼンチンには当時22歳のマラドーナがいたが、イタリアに負け、ブラジル戦では、マラドーナは相手DFに報復行為を行い退場。マラドーナにすれば、さんざんな大会だった。

前回の地元大会で直前に外された為、監督と確執があったのも事実。

 

今回のブログは、「82年スペイン大会のブラジル」の為にあると思う。それ程、ブラジルは理想のチームだった。

 

幼少の頃、優勝は此のチームしかないと思っていた。当時、ブラジルが負けた事が衝撃だった。

 

一方、フランスは準決勝で西ドイツと死闘を演じ、延長戦で3-1でリードしていながら、3-3に追いつかれ、最後にはPK戦で力尽く。

 

決勝で西ドイツは準決勝の疲れが残っていたのか、イタリアに3-1であっさり負けた。

 

繰り返すが、この大会が最も印象的。参加チームで、最強と云われたチームが敗退。WCは決して強いチームが勝つのではない。82年大会は、その考えを強く認識した大会だった。

 

因みに地元スペインは、二次予選で敗退している。

 

1986年メキシコ大会。1970年大会がペレの大会であれば、86年大会は「マラドーナの大会」と言えるだろうか。

優勝はアルゼンチン。

準優勝はボロボロになりながらも、何とか決勝まで這い上がってきた、西ドイツ。

 

西ドイツは決勝でアルゼンチンに0-2とリードされながらも、2-2に追いついたのは、流石。しかし最後はマラドーナの絶妙なパスで、ブルチャガが決勝ゴールを決める。

前回大会に比べマラドーナは26歳。精神的・体力的にもピークを迎え、優勝した。

 

前回と同様、ブラジル・フランスは優勝候補でありながらブラジルのエース「コ」は、ケガで本調子でなく、途中からチームに合流。

フランスも大会に入り、何故かあまり調子が上ず終いだった。

 

両チームは、決勝トーナメントのベスト8で激突。死闘を演じる。

試合は同点で迎えた後半、ブラジルはPKを獲得。ブラジルの選手誰もが、勝利を確信した。

蹴るのは勿論、ジーコ。

しかし前述したが、ジーコはケガで途中からチームに合流。本調子とは言えず、PKを外してしまう。

 

これが尾を引き、同点のまま延長。延長でも勝負がつかず、PK戦。

PK戦の末、フランスが勝利を収める。

フランスのエース「プラティニ」も、クラブチーム(ユベントス)のリーグの疲れからか、本来の動きとは程遠かった。

プラティニもPKを外している。

 

フランスは準決勝にて前回大会で死闘を演じた同じ西ドイツが相手だったが、ブラジル戦で力を使い果たしたのか、何の見せ場もなく、0-2で敗退する。

点差こそ0-2であったが、それ以上差がついた印象の試合だった。

結局フランスの悲願の優勝は、12年後の地元フランス大会までお預けとなる。

ジーコもプラティニも失意の中、選手としては最後のWCを終えた。

 

1990年イタリア大会。優勝は西ドイツ。準優勝のはアルゼンチン。

この大会はゴールが少なく、近年最もつまらない大会と云われた。

決勝の得点も1-0で、PKでの得点のみ。まさに90年大会を象徴するかのような試合だった。

 

地元イタリアは、準決勝でアルゼンチンにPK負け。

アルゼンチンも決勝まで駒を進めるも、初戦のリーグでは、カメルーンに0-1で負けている。

決勝トーナメントのベスト8では、ユーゴにPK戦での勝利。まさに薄氷を踏む思いの決勝進出だった。

 

地元イタリアは、選手と監督の間で確執があった模様。しかし3位と云う事で、最低限の結果は残した。

尚、大会得点王はイタリアで控え扱いだったスキラッチが、6点で獲得。

ロベルト・バッジョもいたが、起用法で、監督との確執があった模様。途中出場が多かった。

 

大会前の優勝候補は、オランダ・ブラジルだった。

オランダは2年前の欧州選手権を制し、チームの要、フリット(グーリット)、バロンドールのファンバステン、R・クーマン、E・クーマン、ライカールト等のタレントを擁し、断トツの優勝候補ナンバー1だった。

しかしオランダは、予選リーグで未勝利。3分けで、かろうじて決勝トーナメント進出。

トーナメントの初戦、1-2で西ドイツに負けている。下馬評に比べ、あまりにもあっけない敗退だった。

 

一方、ブラジルも同じ。南米予選を危なげなく勝ち進み、本大会行きを決め、本戦に臨んだ。

しかし決勝トーナメント初戦。マラドーナの一発のパスによるカニージャの得点で、大会を去る事になった。

カレッカ、ロマーリオ、ドゥンガ、アウダィール、ブランコ、マジーニョ、べべトがいたが、あっけない幕切れだった。

 

1994年アメリカ大会は以前も述べたが、もしユーゴ代表が出場していればの感が拭いきれない。それ程、魅力のあるチームだった。

大会前の優勝候補は、南米のコロンビア。

南米予選でブラジルを5-0で破り、一躍優勝候補に踊り出た。

バルデ・ラマ、アスプリージャ等のスター選手を揃えていたが、グループ予選で最下位。決勝トーナメントすら進めなかった。

尚、大会地元のアメリカ戦で「オウン・ゴール」を献上したDFのエスコバル選手がコロンビア帰国後、地元マフィアに襲われ死亡している。

 

大会直前、アルゼンチン代表に復帰していたマラドーナは、決勝トーナメント進出を果たした後、ドーピング検査にひっかかり大会追放処分。

アルゼンチンはその影響もあってか、トーナメント初戦で敗退した。

 

優勝は大会を通じ、最も安定していたブラジル。

しかし前回大会より前評判は高くなかった。大会が進むにつれ、徐々に調子を上げていったと言える。

 

準優勝のイタリアも、グループ予選の初戦でアイルランドに0-1で負けている。予選は苦しんだが、決勝トーナメントに入り、ロベルト・バッジョの復調もあり、決勝まで進んだ。

決勝では延長でも決着がつかず、WC史上初のPK戦での優勝争い。

 

PK戦でイタリアは1人目のバレージ、4人目のマッサーロ、5人目のロベルト・バッジョが外している。

イタリアの中心選手が外したといっても良いだろう。

5人目のロベルト・バッジョが外した時、一瞬の静寂が訪れたのは、今でも記憶している。

おそらく足が限界まで達していたのだろう。

何か86年メキシコ大会、ジーコがPKを外したシーンがオーバーラップした。

 

余談だが日本は、アメリカ大会最終予選の最後の試合、2-1で勝利をつかみかけた寸前、コーナーキックから同点に追いつかれ、本大会出場を逃す。

「ドーハの悲劇」と呼ばれた。

 

最後に

記憶にある限り大会を振り返れば、やはり当時ベストと云われたチームがあまり優勝していないのが分かる。

当時のコンディション、チーム事情も影響していると思われる。

しかしファンとしては、大会の最強と云われるチームが勝って欲しいと改めて思う。

 

嘗てジンクスに南半球で開催されていた大会は必ず、南米チームが優勝していた。

逆に北半球開催では、1958年スウェーデン大会でペレを擁し、初優勝したブラジルを除き、全てヨーロッパのチームが優勝していた。

そのジンクスが破られたのが、2010年南アフリカ大会のスペイン優勝。

更に2014年ブラジル大会でのドイツ優勝。

 

序にもう一つ。

2010年迄、グループ予選の初戦で負けたチームに優勝はなかった。

しかしスペインは初戦スイスに0-1で負けたが、見事優勝を果たした。

 

最近南米チームが久しく優勝から遠ざかっているが、考えられる原因の一つとして、クラブチームの存在が大きと思われる。

私がサッカーを見始めた時代は、漸く南米選手の欧州クラブチーム移籍が解禁された頃だった。

その為ジーコはセリエAに移籍した時、既にピークを過ぎつつあった。所属チームは「ウディネーゼ」だった。

 

今では有望な南米選手は、幼少期から欧州のチームに移籍。

早くからクラブチームの戦術に溶け込んでいる。その為、徐々に南米特有の個人技主体としたサッカーは失われつつある。

現在メジャーな選手を見れば、全て欧州の有力チームに所属している。

南米も個人技から組織型に変化していると思われる。それが南米チームが勝てなくなった理由の一つかもしれない。

 

更に南米各国のクラブチームに比べ、ヨーロッパのクラブチームの方が遥かに報酬が高い。

当然有名なクラブチームで活躍して、大金を得ている。人間、大金を得れば、自ずとハングリー精神も失せる。

まだ若く将来性のある選手であれば、更なるレベルアップを目指す為、自己宣伝を兼ね大会で活躍する事もあろう。

大会はより条件の良い移籍を考えている選手にとり、絶好の宣伝・アピールの場。

結果として、ダークホースのチームが躍進するのも、決して無関係ではない。

何れにしても、4年に一度の大会。選手もファンも最高のコンディション、最高のパフォーマンスを見たいと思う。

人生において、あと何回見れるか分からないが、いつの日か日本がベスト4あたりまで進む大会を見たい。

 

(文中敬称略)