芸術至上主義の極み 芥川龍之介『地獄変』

今回は芥川龍之介の代表作の一つである、『地獄変』を取り上げます。

代表作であるが、何故今迄紹介しなかったのか。それは作品を読んだ後、私としてはあまり善い感想を持たない作品の為。

どうしてあまりよい感想を持たないかと云えば、作品をしる人であれば読んだ後、何か後味の悪いモノが残るからと云えば的確かもしれません。

 

・題名        『地獄変』

・新潮社       新潮文庫  『地獄変・偸盗』内

・発行        昭和43年11月

・発表        大正 7年5 月 『大阪毎日』『東京日日』

・原作        『宇治拾遺物語』第三 及び 『古今著聞集』巻十一

 

登場人物

◆絵師良秀

朝廷の御用絵師。主に時の権力者、堀川の大殿様に仕える。

風貌は貧弱で、人柄もあまり宜しくない。良秀の容貌、立振る舞いが猿に似ていた為、周囲の者は良秀に「猿秀」と渾名した。

 

◆良秀の娘

絵師良秀の娘。年は15才。父良秀に似ず、悧巧で愛嬌もある。その為大殿様に見込まれ、堀川の屋敷にて働く。

 

◆堀川の大殿様

時の(平安時代)の権力者。京都の堀川辺りに屋敷があった為、こう呼ばれたと思われる。モデルは、藤原基径(836~891)ではないかと云われている。

 

◆丹波の小猿(良秀)

丹波国から大殿様に献上された小猿。

絵師良秀の渾名が猿秀の為、若殿は揶揄い半分で小猿を、「良秀」と名付ける。屋敷の皆も面白がり、小猿を良秀と呼ぶようになった。

 

あらすじ

平安時代で時の権力者である堀川の大殿様に仕える、一人の絵師がいました。絵師の名前は、良秀といった。

良秀は絵の才能は優れていたが、容貌は貧弱で頗る性格も周囲から評判がよくなかった。

良秀の立振る舞いが何処となく猿に似ていた為、皆の者は猿秀と渾名した。

 

良秀には15才になる娘がいた。娘は父良秀に似ず頗る愛嬌があり、悧巧者であった。その為大殿様の目に留まり、堀川の屋敷にて奉公していた。

 

何時ぞや丹波国から大殿様に、小猿が献上された。大殿の若殿は戯れに、猿に良秀と名付けた。屋敷の者も面白かり、何かと猿(良秀)を虐めた。

或る日娘は若殿から折檻を受けていた猿を助けた。小猿は娘に助けられたのを恩に思ったのか、それ以後娘に懐いた。

 

一方人間の良秀は、吝嗇(りんしょく)で突慳貪(つけんどん)、恥知らずで怠け者で強欲、更に横柄で高慢、世間の仕来り・慣習などを馬鹿にする傾向があった。

まさに傲岸不遜と云う言葉が当て嵌まるであろうか。それは時の権力者である、堀川の大殿様に対しても同じだった。

その為、屋敷内の人間はおろか、同じ絵師同士、比叡山の僧都(僧の位で、かなりの高位)でさへ、良秀の意卑しい風貌と人間性を非難していた。

 

そんな良秀にもたった一つ人間的な処があった。前述した我が子を良秀は、目に入れても痛くないほど、子煩悩で猫かわいがりした。

その為良秀は大殿様の屋敷に奉公するのさえ内心快く思っておらず、大殿様から絵の出来栄えが宜しく褒美を貰う際、大殿様に対し暇を頂くよう懇願した程、厚顔無恥ぶりだった。

 

そんな或る日、大殿様は良秀を呼びつけ、良秀に「地獄変の屏風」を描くよう命ぜられた。

地獄変の屏風を描くよう命じられた良秀は屏風を書く為、絵の参考として弟子に対し、あらゆる奇行を試した。

 

あまりに良秀の弟子に対する奇行が目立った為、弟子は次第に良秀に対し戦々恐々とするようになった。

いつ良秀に殺されるか分からない為、やがて弟子達は良秀の仕事部屋に近づかなくなった。

 

恐れ慄く弟子達だったが、仕事が進むにつれ良秀は何か次第に涙もろくなってきた。原因が何であるかは、はっきりとしない。

良秀が涙もろくなるにつれ、今度は良秀の娘が、日増しに憂鬱な面影になった。

 

或る春も近い夜の事、猿の良秀が大殿の奉公人に何かの危険を訴えるかのような行動をとった。

猿の良秀に縋られた奉公人は咄嗟に狼藉者が忍んできたモノと思い、猿が導く部屋に急行した。

 

部屋では何やら人が言い争うのが聞こえた。すると猿はその者に中に入るよう嗾けた。外の物音が聞こえたとみえ、中から人が飛び出してきた。

中から飛び出してきたのは、良秀の娘だった。

娘は日頃とは異なり、何か興奮した様子だった。中で誰かと争っていたのは模様。

 

奉公人は思わず娘に、誰かと尋ねた。尋ねたが娘から返事がなかった。暫くして娘は落ち着き、やがて部屋に戻った。

娘が部屋に戻った後、なんと小猿の良秀がまるで娘を助けてもらったお礼を述べるようかの如く、何度も奉公人に頭を下げた。

 

そんな出来事があった約半月後、絵師良秀は堀川の大殿様に面会を申し出た。良秀で申す事には、仰せつかった地獄変の屏風は大方仕上がった。

しかし詰の部分が、すっぽりと抜け落ちていると申し出た。

 

大殿は良秀に何が描けぬかと問うた。

良秀は大殿の問いに対し、「牛車が空から落ちてくる様子が描けません」と。

更に「その牛車には女官が乗っていて、火に塗れ悶え、その回りに怪鳥がうごめいている様子」と答えた。

 

大殿は良秀の答えを聞くや否や、妙に悦を含んだ顔になった。大殿は凡そ、良秀が申す事を察知していたのであろう。

良秀は大殿に対し、「私の目の前で牛車を焼いてみせて頂きたい」と述べた。

大殿はやはり、良秀の申し出を大方予測していたと思われた。大殿は良秀の申し出を、快諾した。

 

良秀が大殿に面会した2・3日後、大殿一行と絵師良秀の姿は、洛外の亡くなった大殿の妹君が住んでいた寂れた邸にあった。

大殿は良秀の申し出の通り、地獄変の屏風の描く為に参考となる牛車を用意、更には焼く為の手筈も整えた。

 

大殿は、良秀が申し出た状況をほぼ準備した。

更には、「此れから牛車に火をかける為、よう見て於け」と何か意味ありげに呟いた。

 

大殿の言葉を聞いた従者たちは、牛車の中にいた女を良秀に見せた。

いつもは傲岸不遜な良秀も、流石に今回は色を失った。

牛車の中に捕らわれの身となっていたのは、紛れもなく普段良秀が可愛がっていた、自分の娘だった。

良秀は咄嗟に牛車に歩み寄ろうとしたが、大殿に仕える荒武者に制止された。その瞬間、大殿の言葉で牛車に火をかけられた。

 

牛車は忽ち火に包まれた。良秀は一瞬牛車に歩み寄ろうとしたが、何を思ったのか急に足を止め、その光景を食い入るように見つめ始めた。

牛車の中の娘は地獄の責苦を浴び、惨たらしい様子で火に焼かれた。

するとその時、邸の屋根を伝い何やら動くもがあり、火に焼かれている牛車の中に飛び込んだ。

よく見れば日頃娘が可愛がっていた小猿の良秀だった。

 

ほんの一瞬の出来事だったが、小猿の良秀が確認された。しかし其の後牛車は業火に包まれ、娘と猿の姿は忽ち見えなくなった。

初めは娘と同じ地獄の責苦を味わっていた良秀だったが、今では何やら満身の笑みを浮かべながら、焼き爛れる牛車と娘の姿を見つめ始めた。

この時良秀の心の中には、既に娘をいと惜しむ気持ちはなく、ただ自分の仕事(屏風を描く作業)を全うする為によいものを見たという感情しかなかった。

 

やがて一ヵ月が経ち、絵師良秀は地獄変の屏風を完成させた。屏風絵は大殿様に献上された。

献上された地獄変の屏風を見た大殿様以下、全ての者はその出来栄えに感嘆した。

屏風絵があまりにも見事だった故、邸の者は誰も良秀の事を悪く云うものはいなくなった。

 

しかしその頃には良秀は既に、此の世の者ではなくなった。

何故なら良秀は、大殿様に地獄変の屏風を献上した翌日の夜、自分の家の梁に首を掛け、自らの命を絶ったのだった。

 

要点

タイトルにも書いたが、当に「芸術至上主義」の極みとも云うべきであろうか。

自分が大切にしている娘が眼前で焼かれる寸前まで良秀は、親としての心を持ち合わせていた。

 

しかし火が焼け牛車と娘が火に包まれた時、絵師良秀の心に何かしらの変化が生じた。

良秀は絵の題材となるものに出くわした為、自分の娘が業火に焼かれる惨たらしさを忘れ、絵に対して情熱を燃やしてしまった。

作者は良秀を見た者すべてが、何か良秀が神々しく達観した人物に感じられたと描かれている。

それは紛れもなく、作者芥川龍之介の人生観をそのものであろう。

 

作者は絵師良秀の風貌や人間性を、とても卑しい者として描いている。

しかしその卑しい人間に対してすら、何か尊敬の念を覚えた。

それは何か?

 

それは紛れもなく芸術(絵)の為であれば、譬え愛しい娘ですら犠牲にする精神。

 

良秀の芸術に対する飽くなき追求に、周囲の者は感動すら覚えたと描かれてある。

 

更には出来上がった地獄変の屏風絵を見た時、大殿様を始めとして普段は良秀を軽蔑していた横川の僧都、邸の殆どの者は、良秀が描いた屏風絵の余りの見事な出来栄えに思わず感嘆。

改めて良秀の才能を認めざるとを得なかった。

 

良秀の傲岸不遜な態度を窘めようとして、良秀の娘を焼いた大殿様も良秀が娘が焼かれる地獄の責苦を忘れ、絵師としての態度に没頭した事は、流石に計算違いだったと思わざるを得ない。

大殿様の目論見は、「半分成功、半分は失敗した」ような心境だったのではなかろうか。

 

理由として、絵師良秀が屏風絵を大殿様に献上した際、あまりに見事な出来栄えに大殿様は、

「出かしおった」と呟いた。

側近の言葉では、同時に「大殿様は苦笑なさった」と描かれている。

 

しかし絵師良秀を窘める為とは言え、本当に良秀の娘を焼いてしまった大殿様も異常、或いはやり過ぎと云える。

唯一、人間的なやさしい心を持っていたのは、皮肉にも小猿(畜生)の良秀だったのではなかろうか。

何故なら絵師良秀の娘が焼かれる時、何処ともなく現れ娘を憐れに思い、供に火に巻かれ焼け死んだ為。

 

絵師良秀が人間としての心を持っていたとするならば、地獄変の屏風絵を大殿様に献上した次の夜、自分の家の梁に縄をかけ、自ら命を絶った事であろうか。

 

流石に藝術の為とは言え、最愛の娘すら焼き殺した良秀だったが、良心の呵責に苛まれたのかもしれない。

それが人間の良秀の娘に対する、唯一の詫びの証なのかもしれない。

 

追記

絵師良秀が大殿様に、

「人間の女を乗せ実際に牛車を焼いている光景を見せて頂きたい」

と願い出るほぼ半月前、大殿様の奉公人が目撃した、邸の部屋にて、絵師良秀の娘と言い争っていた人物は誰なのか。

 

想像するに話の前後を読み取れば、娘と争っていた人物はどうやら、父良秀ではなかろうか。

何故なら、絵師良秀が屏風絵を進めていくうちに、次第に涙もろくなっていった事。

娘が気鬱になり、涙目になっていった事が証拠として挙げられる。

夜更けに娘を呼び出し、「屏風の描く為に力を貸してくれ」とでも説得したのではなかろうか。

 

しかし娘にしてみれば、仮令大殿様の命で屏風を描くとしても、まさか実の親から芸術(絵)の為、犠牲になってくれと云われたならば、どんな人間でも取り乱す筈。

そんな切羽詰まった状況を見るに見かね、小猿の良秀は娘を助ける為、外部に人間に助けを求めたのではないかと想像する。

そう思えば娘は助けに来た者に対し、決して名前を打ち明ける事が出来なかったのではなかろうか思う。

さて皆様は、どうお考えになりますでしょうか。

 

(文中敬称略)