日常の関連から、一切の線が切断された時間 松本清張『分離の時間』
★松本清張 小説シリーズ
・題名 『分離の時間』
・新潮社 新潮文庫
・昭和49年 6月発行
目次
登場人物
◆土井俊六
広告代理店に勤めるサラリーマン。
偶然乗り合わせたタクシーの運転手から、殺害された八木沢代議士の話を聞き、独自に調査を始める。
◆山岸定一
土井俊六の同級生で、雑誌編集の取材記者をしている。以前は作家志望だった。
土井から話を聞き、積極的に八木沢殺害事件を調べ始める。
◆吉田庄治
共立タクシーの運転手。土井が偶然乗り合わせたタクシーの運転手。
土井を乗せる直前、殺害された八木沢代議士を乗せ、その事を土井に話す。
◆八木沢喜巳治
保守系国会議員。横浜のホテルの一室で、絞殺死体となり発見される。
東方石油社長、上杉惣一郎と親しい間柄。
◆高橋逸朗
東京京橋にて、洋品店「三条」を経営する30過ぎの男性。
殺害された八木沢が代議士が、明和会館を訪れた際、度々ネクタイを購入していた。元バーのボーイだった。
◆上杉惣一郎
東方石油の社長。九州福岡出身の立志伝中の人物。
殺害された八木沢代議士とは、以前から献金をしている仲。
八木沢代議士がしばし訪れていたとされる、旭クラブのオーナー。
◆大杉
殺害された八木沢代議士の秘書。八木沢代議士の地元の有力者の息子。
八木沢代議士の後釜として地盤を引き継ぐ事を、虎視眈々と狙っている。
◆塚本精造
八木沢代議士の運転手。素性は八木沢代議士の女房の知人の義弟。
八木沢代議士が殺害された後、行方をくらます。
◆毛利規久子
高橋げ経営する洋品店「三条」の従業員。買い物に来た土井と山岸に接客する。
あらすじ
広告代理店に勤める土井俊六は仕事柄、タクシーを使う事が多かった。
土井はタクシーに乗車した際、必ず会社名、車のナンバー、運転手の名前を記憶する事にしていた。
何故なら以前タクシーでトラブルに巻き込まれた過去があった。
その為タクシー会社、陸運局などに投書した事もあったが、返事は梨の礫であった為、警視庁交通部長宛に投書した事もあった。
トラブルに巻き込まれた際、防止策として習慣になっていた。
4月末の或る日、土井は麻布狸穴からタクシーに乗った。
いつもの様に運転手を観察していると運転手が土井の仕草に気付き、土井に話かけてきた。
運転手の話を聞けば、先程変わったお客さんを乗せた。
そのお客さんも土井のように自分をジロジロ眺めながら話かけ、挙句に自分を特殊な趣味が目的で誘ってきたとの事。
特殊な趣味と云うのは、同性愛の事。
土井が運転手をジロジロ見つめる為、同じ類の人間かと思い、思わず話しかけたとの事だった。
その時は単なる笑い話として聞き流し、やがて土井の記憶から薄れていった。
5月末、横浜のホテルにて、現役の国会議員が絞殺死体となり発見された。
土井は新聞記事を読み、殺人事件に興味を持った。
土井が興味を示したのは、以前タクシーの運転手から変わったお客さんの話を聞かされた為。
そのお客さんが降りた場所と、殺害された議員が降りた場所が同じだったから。
土井は以前、変わったお客を乗せたタクシー運転手に会い、確認した。
確認後、変わったお客さんは殺害された代議士との確証を得る。
確証を得た後、土井は独自で事件の調査に乗り出す。
要点
土井の協力者で、雑誌記者の山岸の取材方法が面白い。
知りたい相手の情報を知る時は、必ず相手と敵対する勢力から情報を取ってくるやり方が。
殺害された八木沢代議士、東方石油に関する情報の取得方法は、敵対する相手から取得したもの。
或る意味、取材の鉄則(常套手段)かもしれない。
何故なら敵対する相手ほど、相手の動きを不思議とよく知っている事の方が多い。
それは相手の動向・弱味を握る為、虎視眈々と相手を監視している為。
題名の『分離の時間』と云う意味が、土井と山岸との会話中で説明されている。つまり分離の時間とは、
日常的な関連から一切の線が切断された時間、逆にいえば、日常的に継続している時間がその時だけ分離され、断絶されたこと
と述べられている。
更に分離の時間とは、逆に人に知らせる事ができない空間にいる事とも述べている。
つまり個人の誰もが持っている、「秘密の時間」と言う事であろうか。
作中にて代議士秘書と運転手の関係は、そのまま現在でも存在する関係。
大概公設秘書(現在では3人可能)に自分の後釜を目的として、自分の子息・息女を秘書にしている代議士が多い。
代議士としては、帝王学と言う名の修業のつもりかもしれないが。
政治献金と企業との関係は、永遠のテーマ。決して無くなる事はないだろう。
事件は、八木沢代議士の個人的嗜好が絡んでいるものと思われた。
しかし八木沢代議士は同趣味を持つ他人に相手を宛がう事で、相手の弱味を握り、政治献金を確実なものとしていた。
つまり「強請」に近い行為とも言える。
ヒントになったのは、近所の料理屋からの出前の数と日取り。
八木沢代議士の相手と思われていた洋品店「三条」の経営者高橋は、実は東方石油社長「上杉惣一郎」の相手だった。
高橋のパトロンが上杉社長の為、優先的にテナントに入居できた。
更に赤字経営だったが、支店を含め3店舗も店を持つ事ができた。
しかし上杉は高橋に対し、徐々に興味を失っていた。
新しい相手が出来た事、高橋が上杉に金をせびった事もあるだろう。
上杉は高橋とは徐々に疎遠になっていった。
疎遠になった事で高橋は、八木沢代議士の誹謗中傷だと逆恨みした。
高橋と話合い中、殺害した。
高橋は殺害ついでに、上杉社長を脅した。
今までの経緯を世間に暴露するとでも言って、脅したと想像される。
高橋は失うものは何もないが、上杉社長は失うものが大きすぎる故、上杉は高橋の脅迫に屈した。
上杉と高橋の関係に気づいた山岸は、上杉社長に面会にいった。
面会の際、上杉社長は事の真相が世間にバレるのをおそれ、山岸を買収しようと試みた。
上杉は事件の経緯を書いた原稿を、大金で買い取った。
其の後、上杉社長・高橋のどちらかかは分からないが、山岸は監視され命を狙われた。
山岸の命をつけ狙った実行犯は、八木沢代議士の運転手。
八木沢の死後、行方をくらましていた「塚本精造」だった。
意外に塚本も同性愛者であり、高橋とは関係があった。
つまり上杉惣一郎、高橋逸朗、塚本精造の3人は同性愛者だった事になる。
追加で上杉の新しい相手、謡の師匠も同性愛者だった。
追記
作中にて作者は、殺された代議士の個人的な嗜好を描いているが、発表された時代ではおそらくタブーに近い話題ではなかったかと思われる。
今で云う、LGBT(性的マイノリティ)になるのだろうか。
その事を考えれば、かなり時代を先取りした内容の作品と思われる。
今はようやく、市民権を得られつつあるが。
作中では先天的なものと、後天的なものがあると述べているが、遺伝的要素が強いと書かれている。
しかし作者もその点は、詳しくは分からないと述べている。はっきり断定はできない。
何故なら、差別の恐れがある為。
作中の「東方石油株式会社」とは、おそらく「出光興産」がモデルと思われる。
理由として外資とは提携しない、民族資本の会社と明記されている為。
更に出光興産の「出光佐三」は、福岡県門司出身。
因って作中の「上杉惣一郎」とは「出光佐三」の事。
しかし現在では出光興産も2019年4月1日、昭和シェル石油と吸収合併している。
追加で長い間、非上場企業であったが、2006年10月株式上場している。此れも時代の流れかもしれない。
同じく作中の旧河原閥の「河原禄郎」は、「河野一郎」の事。
元政治家「河野洋平」の父であり、現政治家「河野太郎」の祖父に当たる。
作中にて登場する円筒型の洋裁学院とは、渋谷区代々木にある「文化服装学院」と思われる。
Iデパートは、おそらく「伊勢丹」の事。
(文中敬称略)