定年後、新生活を始めようとした男の悲しい末路 松本清張『駅路』
★短編小説:松本清張シリーズ
・題名 『駅路』
・新潮社 新潮文庫 【駅路】傑作短編集(六)
・昭和40年 7月発行
目次
登場人物
◆小塚貞一
地方の商業高校を卒業後、銀行に25年勤続。めでたく定年を迎える。
定年後、趣味だった旅行にでかけ、そのまま行方不明となる。
◆小塚百合子
小塚貞一の妻。小塚が地方の支店長代理の時、結婚。
二人の子を持ち、近々一人の子供が結婚予定。
夫が定年後、旅行に出かけたまま戻らず、捜索願を出す。
◆福村慶子
小塚貞一が広島支店の単身赴任時代、小塚と深い関係になる。
貞一が異動後も、関係を続ける。
◆呼野刑事
小塚貞一の妻百合子から捜索願を出され、貞一の行方を調査する。
一緒に調査する北尾刑事より、年上。貞一と年齢が近い。
◆北尾刑事
百合子から捜索願を出され、呼野刑事と一緒に貞一の行方を調査する若手刑事。
独身で若い為、小塚貞一や呼野刑事の心情が理解できない。
◆福村よし子
福村慶子の従妹。東京在住。
東京にいる為、福村慶子に変わり小塚貞一との連絡係を務める。
◆山崎
福村よし子の情夫。
あらすじ
小塚貞一は銀行に25年勤め、目出度く定年を迎えた。
小塚は地方の商業高校卒だったが、元来真面目な性格で仕事もできた。
定年後は役員の勧めで、傍系会社の重役として再就職も斡旋されていた。
しかし小塚は暫く、ゆっくりしたいと再就職の話を断り退職した。
退職後、以前から趣味だった気儘な小旅行に出かけた。
普段と何も変わらない出発に見えた為、別段家族も気に留める様子もなく、そのまま小塚を見送った。
しかしそれは、家族が見た小塚の最後の姿だった。
小塚は旅行に出たきり、二度と家に戻らなかった。
幾日経っても小塚が帰宅しない為、妻の百合子が捜索願を出した。
捜索願を受理した警察は、二人の刑事が調査を担当した。
二人の刑事が小塚の失踪を調査するに連れ、小塚の失踪は単なる失踪ではなく、事件性を帯びた複雑な要素が絡んでいる事実が判明する。
事件が解決した時、その結末は、定年を迎えた一人の男の非情な運命が待ち受けていた。
要点
定年まで銀行勤めをした男(小塚貞一)は、目出度く第二の人生を始めようとしていた。
しかし第二の人生は、男が定年退職をする約1ヶ月前に破綻していたという話。
小塚は第二の人生を、新しい女とやり直す心算だった。
女は小塚が広島支店の単身赴任時、支店にいた女性。名を「福村慶子」と云った。
小塚は異動後も、福村慶子と関係を続けていた。
二人の関係は全く周囲にバレず、10年近く続いた。
会社の人間はおろか、家族の誰にも感づかれなかった。
小塚は暫し、小旅行に出かけていた。
おそらくその時、福村慶子と落ち合っていたものと思われる。
小塚は写真が趣味だったが、写真は何故か、常に観光名所ばかりだった。
ベテラン刑事の呼野は、小塚の写真に注目した。
小塚の性格ならば一人の旅行の際、あまり大勢が行く観光地は行かないと推理した。
しかし小塚は人物は写っていないが、何故か観光名所ばかり撮影している事に、呼野は疑問を抱いた。
呼野には、何か心当たりがあったのであろう。
小塚の家を訪問した際、小塚は「ゴーギャン」の絵を好んでいた事に気づいた。
呼野は小塚は男として仕事面・年齢的に晩年を迎え、
「人生に、もう一花咲かせたい」
と云う気持ちに駆られたのではないかと推測した。
若い時には分からないが、歳を重ねるにつれ、誰もが訪れる心境なのかもしれない。
小塚は定年を待ち、実行に移した。
満を持し小塚は実行に移すが、小塚が待ち受けていたものは、残酷な結末だった。
定年後、一緒に暮らそうとしていた広島時代の愛人「福村慶子」は、小塚が定年になる約1か月前、既に病死していた。
福村慶子は小塚の定年前に死亡していたが、小塚は福村慶子の死を知らなかった。
何故、小塚が福村慶子の死を知らなかったのか。
それは小塚が福村慶子との関係が発覚するのを恐れ、東京在住の福村慶子の従妹「福村よし子」を間に挟み、福村慶子と連絡を取り合っていた為。
つまり福村よし子が中継点となり、二人の橋渡しをしていた。
小塚が福村慶子の死を知らなかったのは、福村よし子が慶子の死を伝えなかった為。
何故福村よし子は、慶子の死を伝えなかったのか。
福村よし子は、小塚から慶子に渡る金の横取りを企んでいた。
よし子は慶子の手当の他、小塚が定年後、必ず持参してくるであろう大金も奪う目論見だった。
よし子には、山崎と云う情夫がいた。
よし子と山崎が共謀し、慶子の生存を小塚に信じ込ませ、小塚を誘き出し殺害。
死体を信州の山奥に埋めた。
小塚は二人の自供により、失踪から約2ヶ月後、死体となり発見された。
小塚が我慢して定年まで勤め上げ、第二の人生を歩もうとした矢先、小塚は殺害されてしまった。
会社と家庭に我慢し続け、漸く自由が訪れた男の哀しい末路だった。
追記
読書後、何やら得も言われぬ侘しい気持ちに襲われた。
男なら一度や二度、会社を辞め家庭を捨てたいという衝動に駆られる。
今回の作品は、社会で働く男の気持ちを代弁しているのかもしれない。
作品中で清張は、小塚の趣味である絵画作者「ゴーギャン」に言及している。
ゴーギャンの言葉に因れば、
「人間は絶えず子供の犠牲になる、それの繰り返しだと」。
当にその通りかもしれない。それは生きとし生ける者の宿命かもしれない。
作品中に登場する妻百合子は、何か冷めた雰囲気を漂わせる。
夫が失踪しても取り乱す様子もない。夫が支店に転勤になれども、一緒に付いていく訳でない。
何か殺伐とした家庭の雰囲気が伺える。
一見どこにでもある家庭の姿だが、いつ起こってもおかしくない話。
晩年を迎えた、哀しい男の末路とでも云うのだろうか。
同じ清張作品で『薄化粧をする男』も、主人公の男は迫りくる身の衰えを否定。
衰えを誤魔化す為、薄化粧をする。その振る舞いが、身の破滅を招く話。
人間、誰にも訪れる衰え。
衰えを認める辛さは、男女間にあまり変わりがないのかもしれない。
(文中敬称略)