父親と娘の深い絆を描いた作品 小津安二郎監督『晩春』

★邦画名作シリーズ、小津安二郎監督

 

・題名     『晩春』

・公開     松竹 1949年

・監督     小津安二郎

・脚本     小津安二郎、野田高梧

・原作     広津和郎  

・製作     山本武

・撮影     厚田雄春

出演者

 

◆曾宮周吉  :笠智衆  (大学教授を務め、娘二人と鎌倉に住む)

◆曾宮紀子  :原節子  (曾宮周吉の娘。早くに妻を亡くした周吉の世話をする)

◆北川アヤ  :月丘夢路 (曾宮紀子の友人。紀子と違い、自由気ままに生きる)

◆田口まさ  :杉村春子 (周吉の妹、紀子の叔母。紀子に見合いの話を勧める)

◆服部昌一  :宇佐美淳 (周吉の助手。周吉は娘との結婚えお望むが、別の女性と結婚する)

◆三輪秋子  :三宅邦子 (叔母まさが周吉との再婚を薦める女性)

◆勝義    :青木放屁 (まさの子供、紀子とは従弟)

◆小野寺譲  :三島雅夫 (曾宮周吉の知人、紀子の小父)

◆小野寺美佐子:桂木洋子 (小野寺の再婚相手)

◆小野寺きく :坪内美子 (小野寺の娘)

◆茶湯の先生 :紅澤葉子 (紀子とまさが通う、お茶の先生)

 

あらすじ

 

大学教授を務める曾宮周吉は、早くに妻を亡くし、娘紀子と二人で暮らしていた。周吉は紀子が自分の為に婚期が遅れる事を心配し、娘に早く嫁にいくように仕向ける為、娘に態と再婚すると偽り、娘を嫁がせようと画策する。

紀子は父が再婚話を聞き、葛藤する。今まで父の再婚など、考えてもみなかった事で、何か今までの生活・価値観が壊れていく感情に襲われた。

一方自分とは全く違う生き方をしている友人「北川アヤ」に刺激され、紀子の心は揺れ動く。やがて叔母の「田口まさ」が持ってきた見合いの話を聞き入れ、結婚を決意する。

 

結婚決意後、紀子は父周吉と親子最後の旅行をする。宿泊先の夜、父と最後の会話を交わし、父との決別を決意。紀子は嫁いでいく。

無理やり嘘を付いて迄、紀子は嫁がせた周吉であったが、紀子が嫁いだ日の夜、一人になった淋しさを実感。一人でリンゴの皮を剥きながら悲しみにふけ、項を垂れる周吉だった。

 

見所

 

娘を思いやる父、父の再婚話を機に、父の人生と紀子の心の葛藤を表現した作品と言える。再婚話で、父が改めて異性であった事を確認すると供に、紀子のさりげない嫌悪感、そして揺れ動く娘の心情を表している。

伏線として周吉と紀子が所用で東京に出かけた際、紀子は偶然、小父の「小野寺譲」に出会う。小父は妻を亡くし、最近後妻を迎えていた。

小父と小料理屋での会話にて、小父に対し「なんだか不潔、汚らしい」と紀子が発言している。劇中では小父が、軽く聞き流していた。

 

劇中にて父が作った再婚話を聞き、紀子が露骨に嫌悪感を示し、父から遠ざかっていく姿が見られる。

一番初めは、父がまだ再婚話をする前、叔母から父の再婚の話がでた時。帰宅後、紀子が父を意識的にさり気なく避けようとするシーンが見られる。

後日、周吉と紀子が能を観劇中、叔母から話が持ち上がった父の再婚話の相手(三輪秋子)に偶然出くわす。その瞬間、紀子に何かもやもやした、割り切れない感情が心を過る。

紀子の表情は綺麗であるが、般若の面になっている様に見えるのは、気のせいであろうか。口元をきゅっと結んで、父と相手の女性を何度も見つめるシーンが印象的。

観劇の帰り、周吉は紀子を食事に誘うが、紀子が父を何気に拒否するシーンが見られる。紀子は父を避けるように立ち去る

。周吉は紀子の後ろ姿を見送り乍、そう遠くなく将来、紀子が自分の許を去り他家に嫁ぎ、自分が一人になる事を暗示するかの様なシーンに見られる。

 

紀子は帰宅後、周吉から縁談話(叔母からの見合い)を薦められる。周吉は紀子に見合いをさせるべく、無理やり自分の再婚話を切り出す。

父の再婚話を聞いた紀子は、父が何処か遠い処に行ってしまったように感じ、泣き崩れる。

紀子が泣き崩れるシーンが、この映画の最大の見所。映画の全てが凝縮されている。

 

見合い後、紀子は周囲に返事をせがまれ、何かふっきりない気持ちで、見合いを承諾する。承諾後、周吉の寂しそうな顔が前述の紀子と同様、深く印象に残る。

周吉のほっとしたが、何か心の何処かでポッカリ穴が開いてしまった様子が伺える。

 

紀子が嫁ぐ前、良吉と親子の最後に京都を訪れる。旅館で二人が床に入った際、良吉が先に寝静まる。

紀子がまだ目を覚めしている時、二度陶器の壺が映る場面がある。これは色々な解釈があり、論争となっている。

 

私としては前後の映像と会話から推測するに、一度目の陶器の壺は、父良吉であり、二度目は、これから嫁ぐ男性(佐竹)を表しているのではないかと推測する。自分の愛情を注がなければならない相手が、父から嫁ぎ先の男性に移る事を意味しているのではないかと思う。その時の一抹の寂しさをも表しているとも言える。陶器は硬くて冷たいイメージがあり、何となく男性を象徴させるものとして捉えた。

 

それを裏付けるものとして、旅館で帰り支度をしている二人の会話場面にて、ますます上記の考えが深まった。

因みにその時の良吉の言葉が大変奥深い。生きる人間の歴史の継承とでも云うのだろうか。

竜安寺で良吉と小野寺の会話が、良吉の今の心を代弁している。良吉を云うよりも、娘を持つ父親の心境とでも云うのだろうか。

 

何気に映画製作当時、日本がまだ占領下時代だった事実が伺える。紀子と助手の服部が自転車で遠出をしている際、時速制限の標識が漢字と英語が併記されている。

更にコカ・コーラの看板が映像に映るシーンが存在する。

 

自転車での遠出シーンは戦後解放された日本と、男女交際が公に自由になった事を象徴するものとして描かれたシーンかもしれない。戦前では、男女が自転車で遠出をするなど、考えられない時代だった。

意外にも紀子がお見合いをして結婚する相手は、一度も映像に出てこない。出てきたのは名前だけ(佐竹熊太郎)。内容上、全く必要ないのを強調したのかもしれない。

或る意味、結婚相手は戦後の日本を象徴するものとして描かれていると言える。

良きにつけ悪きにつけ、戦後日本は変化を遂げ、古き日本は確実に無くなりつつあるのを、表現したのかもしれない。

 

今作品の主な配役が、後の小津安二郎監督の名作『東京物語』と続く。

東京物語は当に戦後日本が次第にアメリカナイズされ、古き良き日本が壊れていく姿を描いた作品。

『東京物語』は今ではパブリックドメインの為、無料でYou Tube等で手軽に見れます。

 

追記

 

映像自体が古き良き日本を思い出させるように思われ、何か懐かしい気持ちになる。モノトーン調が人間の古い記憶を連想させる。

月日が経つにつれ人間の記憶は、あやふやで曖昧になる事が多い。モノトーンがそれを強調していているかの様に見えるのが、印象的。

 

題名の『晩春』は遅い春と云う意味。晩とは、婚期が過ぎつつあった紀子に漸く春が訪れたと言う事。つまり晩婚と言う事を表している。当時27歳は、晩婚と云われた時代。今では考えられないが。

 

参考までに、劇中にて「血沈」という言葉が出てくる。血沈とは「赤血球沈降速度」の略の事。

体の中で炎症が起こっているかどうかの指標となる検査の事で、肺炎、気管支炎、肺結核、心筋梗塞、膠原病等の発見に役立つ。

良吉と紀子が京都旅行に出かけた際、最初に訪れた場所は清水寺。当に京都を代表する場所と言える。

 

(文中敬称略)