邦画の名作、松本清張『砂の器』 

今回は松本清張『砂の器』の映画版について述べたい。原作と映画の違い・見所などを中心に述べてみた。

 

・題名         『砂の器』

・製作・配給       松竹株式会社

・公開          1974年

・監督          野村芳太郎

・脚本          橋本忍、山田洋二

・音楽          芥川也寸志

・演奏          東京交響楽団

・指揮          熊谷弘

・原作          松本清張

出演者

 

◆今西栄太郎 : 丹波哲郎     ◆吉村弘   : 森田健作

◆和賀英良  : 加藤剛      ◆高木理恵子 : 島田陽子

◆田所佐知子 : 山口果林     ◆三木謙一  : 緒方拳

◆本浦千代吉 : 加藤嘉      ◆捜査一課長 : 内藤武敏

◆新聞記者  : 穂積隆信     ◆捜査本部刑事: 丹古母鬼馬二

◆その他、山谷初男、春川ますみ、浜村純、夏純子、野村昭子、松山省二、菅井きん、笠智衆、渥美清など多数。

 

原作との相違点と見所

 

◆今西栄太郎

この作品の主人公と言える。苦労を重ね最後に犯人を追い詰めるベテラン刑事。若手の吉村刑事とコンビを組み、事件解決に尽力する。劇中後半、合同捜査会議での独演は最高の見処・名シーンとなっている。

今迄の捜査の経緯、犯人が何故犯行に至ったのか。その動機が詳細に語られている。

 

最終の逮捕のシーンでは、今西刑事の人間味の溢れた人柄が描かれている。吉村刑事との掛け合いもなかなかの印象的。

原作では犯人が渡米寸前の空港で逮捕されるが、劇中では犯人がリサイタル終了後、逮捕される設定となっている。

 

今西刑事を演じたのは、丹波哲郎。丹波哲郎の刑事役と云えば、TVドラマ「Gメン75」を思い浮かべる人も多いと思う。私もその一人。

 

Gメンでは渋いボス役を演じていたが、今回の映画では、ただの一介の老刑事役。とりたて派手な役柄でない。何処にでもいるありふれた只の刑事。

 

清張作品全体に言えるが犯人、それを追い詰める刑事はごく普通のありふれた人物である事が多い。それは普通の人でも犯罪を犯し、犯人になる可能性があると言うメッセージなのかもしれない。

 

◆吉村弘

今西刑事とコンビを組み、事件解決を図る若手刑事。演じたのは、森田健作。今では政治家、森田健作と云った方が的確かもしれない。嘗ては熱血俳優として数々の作品に出演していた。往年のスターとも言えるだろう。

 

若手刑事の役の影響もあったのか、原作では血染めのシャツを発見するのは今西だった。映画では暑い中、必死で線路脇で地面を這いつくばり、血染めのシャツを探すのは、吉村刑事に変更されている。

逆に此方の方が、違和感がなかったかもしれない。

 

事件を通し今西を信頼、今西を手本として一人前の刑事に育っていく。最後の逮捕場面にて、今西との会話がとても印象深い。

 

◆三木謙一

演じたのは、緒方拳。謂わずとしれた大御所。出演した作品は数知れず。書ききれない程。若い方であれば、俳優「緒方直人」の父親といった方が分かり易いかもしれない。

 

劇中では実直・真面目な人柄で、心の優しい巡査を演じている。謙一の優しさが逆に災いし、犯人に殺される要因となる。

殺害された謙一の優しさとは、山陰地方の亀嵩で巡査をしていた頃の善行に起因する。三木は退官後、岡山で雑貨商を営んでいた。その後養子を貰い、晴れて隠居した。

隠居した謙一は、念願の伊勢参りをする。旅行中、偶然立ち寄った映画館の写真の中に、昔の顔見知りの人物を発見する。

 

昔の顔見知りの人物が生きていた事実を喜び、且つ懐かしさを覚える。そしてある思いを胸に秘め、懐かしい人物に会う事を決意、予定を変更して上京する。

 

謙一のある思いとは。此処は原作と全く違う処。原作では犯人の父親は、死亡と云う設定になっている。劇中では、存命という設定。

劇中にて謙一が犯人と面会し、生存している犯人の父親に必死に会わせようとするシーンが盛り込まれている。

 

犯人は現在、他人の戸籍を拝借。全くの別人になりすまし、社会的成功を収めつつある立場の人間。病気の父に会えば、自分の触れられたくない過去に繋がり、自分の正体がバレてしまう。

犯人は自分の過去を隠し通す為、やむなく殺人(謙一を殺害)を犯してしまう。此処が原作と違う点。しかし殺人を犯す動機として、大変重要なシーンかもしれない。

 

◆和賀英良

新進の音楽家。過去にハンセン病の父を持ち、山陰の亀嵩から出奔。大阪に行き、戦災の混乱に乗じ他人になりすます。苦難の末、成功をおさめつつある人物。

 

大物政治家の娘と婚約する一方、愛人をもち、相手を妊娠させてしまう。劇中では、愛人の処遇に苦慮する。自分が目を離したすきに相手が遁走。そのまま相手は流産、出血多量で死んでしまう。

愛人の死が事件解決の手がかりとなり、逮捕の遠因となる。最後に逮捕される迄、コンサートでのピアノ演奏は印象的。曲の題名は「宿命」。まさにこの映画、犯人の運命を象徴するかの様な題名。

栄光を掴みつつある人間が、演奏後に逮捕されるコントラストが見事。最後の演奏になる為、演奏を待ち逮捕しようとする刑事達の粋な計らいが素晴らしい。

 

演じたのは、加藤剛。加藤剛と云えば「大岡越前」が有名。私には大岡越前の印象が強い為、犯人役の加藤剛がしっくりこなかった。意外と云った印象だろうか。

丹波哲郎と同様、第一印象の役が強ければその役に影響され、なかなかイメージを払拭できないという事かもしれない。少なくとも私にはそう思えた。

 

◆本浦千代吉

演じたのは、加藤嘉。往年の俳優。初めて見た時、知識がなかったが、かなりのベテラン。調べてみれば、過去に数々の映画作品に出演していた。燻し銀といった処だろうか。

「金田一耕助シリーズ」の『悪魔が来りて笛を吹く』、古谷一行主演の作品に出演していた。

 

劇中ではハンセン病を患い、故郷を離れ子供と一緒に、お遍路の姿で放浪する役。劇中の放浪シーン、映像中流れる曲が何とも言えず、切ない。

いたたまれないと言った方が良いかもしれない。映画の業を象徴するシーンかもしれない。この過去があるが故、子供の「和賀英良」こと「本浦秀夫」は、恩人とも言える「三木謙一」を殺さねばならなかった。

 

原作では死亡扱いだが、激中では存命となっている。今西が居場所を突き止め、千代吉の許を訪ねるシーンが存在する。

 

今西は千代吉に、成人した和賀の写真を見せる。千代吉は見てすぐに、昔生き別れた我が子であると確信する。しかし我が子の将来を案じ、必死に自分の子でないと否定する。その涙ながら否定するシーンが、熱く胸を打つ。迫真の演技だった。

 

◆高木理恵子

和賀英良の愛人。演じたのは、島田陽子。劇中では、か弱く儚い女性を演じている。

和賀の事を必死に思うが叶わず、和賀の子を身籠ってしまう。和賀に堕胎をすすめられるも、その意に従わず、和賀が目を離したすきに遁走。そのまま流産、絶命してしまう。まさに薄幸の女性とも言える役。

 

記憶では、よくサスペンスものに出演していた印象。前述した「金田一耕助シリーズ」の「犬神家の一族」、石坂浩二版に登場。機会があれば、又詳しく述べたい。

 

原作では2人の薄幸な女性(和賀の恋人と評論家関川の恋人)が登場するが、映画では理恵子(和賀の恋人)のみ。原作の和賀の新進グループ仲間達である評論家、関川重雄の愛人は登場しない。

 

他の出演者・演技の場面

 

◆渥美清

今西刑事が、伊勢の映画館を訪ねた時の主人。あの有名な「寅さん」。例の寅さん口調で、今西刑事と会話を交わす。ほんの数分間の登場だが、犯人逮捕の重要な役割を果たす。此処での発見が、犯人逮捕の決め手となる。

 

◆笠智衆

今西刑事が亀嵩を訪れた時、話を聞いた人物。後に手紙で今西に、捜査の重要な手掛かりを齎す。この方も「寅さんシリーズ」では、有名な和尚役を演じている。小津安二郎監督作品の「東京物語」、「晩春」、「麦秋」等の好演は、あまりにも有名。

 

◆丹古母鬼馬二

捜査本部の会議に出席する刑事の一人。この役者さん、名前を見ても印象は薄いが、おそらく顔を見れば記憶している方も多いと思う。かなり特徴のある顔の方で、よく刑事番組で犯人役・悪人役として登場する。

悪役商会の一人。劇中では犯人役ではなく、刑事役で登場するのが面白い。或る意味、貴重かもしれない。

 

◆菅井きん

今西刑事が石川県山中町を訪れた際、千代吉と秀夫の話をした人物。ハンセン病を患い、千代吉と秀夫が放浪の旅にでた話をする。黒澤明の映画、「必殺仕置き人」など数々に出演するアクの強い名脇役。

 

◆春川ますみ

伊勢旅館の女中役。三木謙一が伊勢に逗留していた際、お世話をした女中役を演じる。出演シーンは短いが、三木が映画館に通った事実を今西刑事に伝える。

その出来事が事件の突破口となる。時代劇などによく出演されていた名脇役。TV時代劇「暴れん坊将軍」では、「め組」の女将さん役を務めていた。TVドラマ「赤かぶ検事」フランキー堺版の奥さん役も務めていた。

 

◆その他

その他、今西刑事・吉村刑事が「羽後亀田」に出張した際、羽後亀田の署長役を務めていたのが、山谷初男。

今西が山陰の亀嵩にいった時、亀嵩の巡査役が、浜村純。新聞記者役に、穂積隆信など。他にも沢山の名脇役が出演している。

 

要点

 

繰り返すが、激中の合同捜査から犯人逮捕までのシーンが、最高の見せ場。またその途中に流れる曲がこの映画に何といえない味を添えている。

「哀愁・切なさ・悲しみ」、人間の業とでも言うのであろうか。まさに題名の如く「宿命」。

 

その宿命故、犯人は犯罪に手を染めてしまう。清張作品の結末は、あまりハッピーエンドではない。どちらかと云えば、「悲しく・切なく・やるせない」とでもいうのであろうか。

 

しかしその結末故、人を引き付けて止まない何かがあるのかもしれない。それは人間誰もが持ち合わせている心の闇であり、誰もが共感しうる心の一部なのかもしれない。

今回作品を読み返えし、改めて気持ちを深く認識した。

 

尚、松本清張の作品には暫し鉄道がよく登場する。他の名作「ゼロの焦点」「点と線」等が有名。今は「JR」だが昔は「国鉄」。

そして今では殆ど見かける事がなくなった「夜行列車」。昔の刑事は出張する際、必ず夜行列車が登場する。これも時代の名残かもしれない。

 

清張作品に暫し列車・汽車・電車が登場するのは、清張は作家生活を始める前に生活苦の為、箒の等の仲買人をして、全国を飛び回っていた時期があった。きっとその時の名残と経験が、作品中に現れたのではないかと思われる。

 

監督・スタッフ・出演者、そして劇中に採用されている音楽等、全ての要素が重なり、最高の作品として仕上がっている。

犯人が音楽家という事もあり、文字では表現しきれない音という存在が、劇中にて表現されている点が大きいと思う。原作と多少異なる点もあるが、それはご愛敬といった処であろうか。

 

追記

 

松本清張が福岡生まれという事実が関係しているのかもしれないが、何故か頻繁に東北、北陸、山陰などの雪国が登場する。福岡生まれで何か雪に対して特別な思い入れでもあったのだろうか。

作品で登場する雪国は何か、鈍より澱んだ鉛色をした空を想像させる風景・描写に感ずる。あまり雪の降らない県で生まれ育った作者には、雪国がその様に見えたのであろうか。

今回の作品も東北、北陸、山陰が登場している。同じ清張作品でも評価が高い『ゼロの焦点』に至っては、殆ど北陸の石川県が舞台となっている。

何か清張自身の強い拘りが感じられる。

 

映画の冒頭で幼い頃の「本浦秀夫」が海の砂浜で遊んでいるシーンがある。その時、砂で器の様なものをつくる。砂で作った器だから脆い。波風に晒されればすぐ崩れてしまう。

脆いのは人間も同じ。冒頭をみた時、そんな意味を込め清張は小説の題名をつけたのではないかと、自分なりに想像した。

 

原作者の松本清張が映画の試写会で、「この映画は原作を超えている」と呟いた。それだけ秀逸で、日本映画史上に残る名作とも言え様。

(文中敬称略)