自分が背負った宿命故、道を踏み外してしまう話 松本清張『砂の器』

 今回は、松本清張の名作の一つに数えられる作品を紹介したい。

 

・題名         『砂の器』

・【砂の器 上・下】   松本清張原作

・(新潮社 新潮文庫   上・下  昭和48年3月発行)

 

登場人物

 

◆今西栄太郎

警視庁捜査一課に勤めるベテラン刑事。年齢、45才。

被害者が発した「カメダ」と言葉に拘り、捜査を進める。

艱難辛苦の末、遂に犯人を突き詰める。

 

◆吉村弘

ベテラン今西刑事のコンビを組む、若手刑事。

今西と「カメダ」という言葉を頼りに東北地方を調べるが、手掛かりが掴めず捜査は難航。

捜査本部は、一度解散する。

しかし今西の粘り強い捜査で、再び捜査本部が設置され、再び捜査に加わる。

 

◆和賀英良

新進の音楽家。苦学の末、才能を認められ、今では大物政治家の娘をフィアンセを持つまでに至る。

しかし和賀には、決して人には言えない過去があった。和賀の人に言えない過去とは。

 

◆三木謙一

今回の事件の被害者。むかし山陰地方の山奥で、巡査を拝命していた。

巡査時代、村に流れてきた親子を保護した過去あり。

 

巡査退官後、岡山に移り雑貨商を営んでいたが、養子の息子に代を譲り、隠居。

晴れての旅行中、被害にあう。

 

◆本浦千代吉

故郷の北陸でハンセン病を患い、息子と供に出奔。

放浪の末、三木謙一が巡査をしていた山陰の村に辿り着き、保護される。

施設に移送後、死亡する。その時一緒にいた息子は、行方不明となる。

 

◆高木理恵子

和賀英良の特殊関係人。

和賀の子を身籠もり、和賀の必死の堕胎の説得にも応じず、出産を決意する。

しかし和賀の巧妙な策略で、不幸にも命を落とす。

 

◆田所佐知子

大物政治家の娘であり、和賀の婚約者。

佐知子の存在が、和賀が高木恵理子を殺める動機となったとも言える。

 

作品経過・要点

 

「カメダ」という言葉

事件の始まりは、国鉄蒲田駅操車場で初老の男性の轢死体が発見された。

男は死ぬ直前、近くのトリスバーで連れの男と話をしていた。

被害者は会話中、「カメダ」という言葉を発していた。

 

女給の話では、何処か東北訛りであったと証言する。

これが事件の発端であり、後も重要な手がかりとなる。

 

事件は身元が割れず、難航する。

捜査を担当するベテランの今西刑事、若手の吉村刑事がいた。

二人はコンビを組み、被害者が口走った「カメダ」という言葉と東北訛りであった事を頼りに、東北を奔走する。

 

いろいろ現地で聴き込みをしたが、目ぼしい手がかりも見つからず、虚しく帰京。

やがて捜査は膠着状態に陥る。

 

捜査は行き詰まるかと思われた、その時

何の進展もなく捜査が難航していた時、事件は急転換を見せた。

被害者の身元が割れた。

 

被害者の名前は「三木謙一」。以前、山陰地方で駐在の巡査を拝命していた。

退官後岡山に移り住み、雑貨商を営んでいた。

養子の息子に代を譲り、隠居。念願の伊勢参りの旅行中、行方不明になった。

 

養子の息子が、「もしかしたら行方不明の父ではないか」と申し出てきた。

確認後、三木謙一に間違いなかった。

 

息子の話では、何故父が東京にいったのか分からないと。

身元が割れたのは一歩前進だが、それ以外は全く進展なしだった。

 

今西刑事の「カメダ」という言葉の拘り

今西刑事は、被害者が発した「カメダ」という言葉が、どうしても事件に関係していると睨んだ。

言葉の意味を調べる為、専門家に相談した。

今西刑事は専門家の話を聞きいた後、東北地方と山陰地方では言葉の音韻が似ているとの収穫を得た。

それを切っ掛けに山陰地方には「カメダ」ではなく、「カメダケ」:漢字表記で「亀嵩」という地名がある事を突き止めた。

 

被害者は嘗て巡査時代、亀嵩の駐在にいた事が判明。

今西は被害者は訛りがあった為、初めて聞く人には「カメダケ」ではなく「カメダ」に聞こえたのだと予測した。

 

参考

私はこの話を聞き、森鴎外の小説「山椒大夫/安寿と厨子王」を思い出した。

あの作品中に、日本海を往航する船頭達が色々な港に立ち寄る為、言葉・方言・歌などが各地に伝播されていくという項目を思い出した。

因みに、この小説は映画化され、伝播された小唄がヒントとなり、厨子王は生き別れとなった母と佐渡で再会した。

 

今西刑事、手掛かりを求め亀嵩に行く

今西刑事は被害者の過去を調べる為、亀嵩に出かけた。

調べが進むに連れ、三木元巡査はとても人徳の厚い巡査で、決して人から恨みを買う人間でない。

寧ろ、模範的な巡査であった事が判明する。

 

今西の調査は、空振り。何も目ぼしい手掛かりは見つからず、虚しく帰京した。

しかし無駄に思えた出張も、後に重要な手がかりを得る事となる。

 

東京に戻った今西刑事

帰京後、今西刑事は週刊誌の記事を基に、一つの物証を探していた。

それは一枚の布地。事件に関係があると思われる布地だった。

 

今西は、布地は被害者を殺害時、おそらく返り血を浴びたと思われる服の一部だと推測した。

軈て今西の努力が実り、とうとう布地を発見する。布地は死体と犯人を結びつける重要な証拠となる。

尚、参考までに映画版では、布切れを見つけたのは、若手の吉村刑事に変更されている。

 

偶然ある女性と知り会った事から

帰京した今西は、偶然知り会った女性から朧気ながら犯人の手がかりを得た。

原作では二人の女性が登場、それぞれ不幸な死を遂げる形となるが、今回は割愛する。

 

映画版では不幸な死に方をするのは、犯人の特殊関係人(愛人)一人に変更されている。

皮肉にも女性の不幸な死に方をした事に因り、犯人を割り出す結果となる。

 

亀嵩の老人、被害者の息子から二通の手紙

捜査がなかなか進展しない或る日、以前亀嵩に出張した時、三木元巡査の話を聞いた老人から贈り物と手紙が届いた。

 

今西は老人に、お礼の手紙書いた。

それと同時に被害者の息子に対し、三木謙一に関する問い合わせの手紙を書いた。

 

間もなく二通の返事が今西に届いた。二者の手紙は其の後の捜査方針を大きく変化させるものとなった。

だがまだその時、今西自身も手紙の重要性に気づいていなかった。

 

二通の手紙を糸口に、捜査が進展

二通の手紙を受け取り、今西は疑問を感じた。

 

被害者の三木謙一は何故、急に旅行先を東京行きにしたのか。

その理由を探る為、今西は休暇を取得。自費で伊勢に行き、事件を調べた。

 

調べを進める中、どうやら被害者は伊勢に滞在中、映画を見に行き、その後急に東京行きを決めた事が判明する。

今西は謎は映画にあると睨んだが、なかなか進展しない。

しかし苦労の甲斐あり、漸く謎は「映画にあるのではなく、映画館にある物」と突き止める。

 

亀嵩からの手紙で被害者「三木謙一」は巡査時代、亀嵩に放浪してきた親子を保護した経緯があった。

親の名前は「本浦千代吉」。子供の名前は「本浦秀夫」

 

親子は、石川県の加賀出身。

親は当時、不治の病と云われた「ハンセン病」を患っていた。

 

親子は治療を兼ね、故郷を出立。お遍路の旅に出た過去があった。

その詳細を確かめるべく今西は、石川県山中温泉に飛んだ。

 

※注意

誤解がないように申し上げますが、ハンセン病は当時の社会状況では不治の病と認識されていましたが、今では特効薬も治療もでき、不治の病ではなく、社会復帰も可能である事を付け加えておきます。

 

亀嵩で保護された親子の本籍地にて

今西は亀嵩からの手紙で知った、被害者が巡査時代に保護した親子の事を調べる為、石川県山中温泉に出向いた。

 

親は病気を患い出立。その後亀嵩で保護、父親は治療施設に入園その後死亡。

その時、一緒にいた息子「本浦秀夫」とは生き別れになった模様。

子供の「本浦秀夫」、彼は果たして何処にいったのであろうか。

 

新進の若者たち

原作では新進の評論家、音楽家が登場する。

評論家の名前は「関川重雄」音楽家は「和賀英良」

 

いつの時代でもそうだが、古きものを押しのけ、新しい風を起こそうとする新進の鼻息の荒い、出世主義者達がいる。

彼らもその輩の一人。

 

今西が事件を調べるにつれ、この若者たちの存在が、事件の背後に浮かび上がる。

一体、この者達の正体は。

 

その他にも新進グループのメンバーはいるが、主に此の二人が中心となり話が展開する為、話はこの二人に絞る。

その仲間たちは表向きは仲良く、励ましあうが、実はその裏では互いに相手を嫉妬。

こき下ろしているのが内情。

 

何故、被害者「三木謙一」は東京に向かったのか

被害者「三木謙一」を東京に呼び寄せたモノ。

前述したが、その動機は映画ではなく、映画館に存在した。

 

謙一の上京の動機は、映画館に飾ってあった一枚の写真だった。

写真の中に写っていたものを見た為、三木謙一は急遽予定を変更。東京に向かった。

写っていたのは、それは或る人物の姿。

 

或る人物とは。

以前被害者「三木謙一」が亀嵩で巡査をしていた当時、亀嵩にお遍路をして流れついた親子の片割れ。

父親は保護されたが、その後生き別れて行方不明になっていた子供「秀夫」の姿だった。

 

写真に写っていた人物を確認

写真に写っていた人物、その人物は「三木謙一」の古い記憶を蘇らせ、東京行きを決意させた人物。

幼い頃、巡査をしていた三木謙一が保護した、「秀夫」が成長した姿だった。

 

秀夫は亀嵩を出奔後、大阪に移り住み、戦中・戦後のどさくさ紛れに他人の戸籍を取得。

他人に成りすまし、全く別の人間に生まれ変わっていた。

苦難の末、漸く世間に認められ、新進の音楽家をして頭角を現し、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの人物「和賀英良」の姿であった。

 

捜査本部再結成、合同捜査会議

今西・吉村刑事のその後の裏付け捜査で、犯人身柄拘束の証拠が固まった。

一度解散した捜査本部が再び結成され、合同捜査会議が開かれた。

 

捜査会議で今西刑事は、今迄の捜査の経緯、犯人逮捕迄の根拠を、会議の場に居た他の刑事に説明する。

この場面は原作・映画供に最高の見せ場であり、作品中のクライマックスとなっている。

 

今迄の今西刑事の苦労が報われた瞬間であり、今西刑事の功績を披露する場面でもある。

この場面が、事件の全容を物語っている。

 

何故、和賀英良は

「何の深い考えもなく、只懐かしさのあまり会いに来た」

昔の恩人とも言える「三木謙一」を殺さなければならなかったのか。

その動機・経緯が、捜査会議での今西刑事の言葉にて詳細に述べられている。

 

長い苦難の末、事件に幕

合同捜査会議の後、音楽家「和賀英良」こと、本名「本浦秀夫」に対する逮捕状請求、発行された。

原作では和賀英良は、音楽の才能が海外の財団に認められ、渡米する寸前だった。

 

和賀が渡米する為、空港にて見送り人が賑わう中、逮捕状を携えた今西刑事、吉村刑事が訪れる。

和賀がまさに飛行機に乗り込もうとする寸前の待合室で逮捕状提示、逮捕となる。

 

身送りに来た人々は、彼が逮捕された事をまだ知らず、最後まで飛行機に乗込む和賀の姿を待ち続けた。

しかし和賀英良は最後まで現れず、作品は幕を閉じる。

 

原作では今西刑事が紆余曲折、苦労の末、漸く犯人まで辿り着いた。

今迄の努力が報われ、最高の見せ場である逮捕状を提示する晴れの舞台を、今西刑事は若い吉村刑事に譲った。

その理由として、今西刑事が呟く。

 

「ぼくはいいんだ。これからは、君たち若い人の時代だからな」

 

※(砂の器下巻 松本清張作 新潮文庫刊)引用

 

此の今西刑事の粋な計らいは、映画には盛り込まれていない。

しかし此れは、最後の最高の名シーン。作者清張の価値感が垣間見られた、一面かもしれない。

 

最後に

 

松本清張の作品は人間臭く、人間の弱さ、脆さ、切なさを表した作品が多い。

何か人間の心の襞を抉るような気持ちに駆られる。弱さ故、犯罪を犯さなければならなかった人間の宿命。

今回の作品中にも随所にみられる。

 

作品中に当時の社会世相が複雑に絡み合い、上手くまとめられている。

不朽の名作と云われる所以かもしれない。

 

(一部敬称略)