学界の権威主義、嫉妬深さを皮肉った話 松本清張作『石の骨』

今回紹介するのは、松本清張作『石の骨』。

清張自身、市井の社会派小説家と云われただけあり、何か学界の権威主義・嫉妬を皮肉った作品。

 

以前、清張作品『カルネアデスの舟板』を紹介したが、あれも学界を上手く立ち回わろうとする大学教授の話。

今回の作品も同じ学界の話であり、何か通ずるものがあるかもしれない。

 

・題名    『石の骨』

・新潮社    新潮文庫   或る「小倉日記」伝 傑作短編集(一) 

・発行     昭和40年 6月

 

登場人物

 

◆黒津

旧石器時代の腰骨を発見。しかし権威主義・学閥等の壁に遭遇。

自分の研究が認められず、苦悩の日々を過ごす。

後に再考されるも、他人に手柄を横取りされ、再び不憫な日々を過ごす事になる。

 

◆黒津ふみ子

主人公クルツの妻。黒津が研究に没頭するあまり、生活苦で衰弱する。

最後には前後不覚になり、亡くなる。

 

◆黒津隆一郎

黒津の長男。戦争の為、学徒出陣して戦死する。

 

◆黒津(旧姓)多美子

黒津の長女。家庭を省みない黒津をあまり良く思っていない。

梲の上がらない男と結婚。あまり裕福な生活でなく、不満を持っている。

 

◆保雄

黒津の娘の夫。製薬会社に勤めるが、梲が上がらない様子。

 

◆岡田滋夫

T大の教授。黒津が持ち込んだ腰骨に興味を持つが、自分の恩師の竹中雄一郎の意向で、黒津の発見を否定する。

科学的根拠は一切なく、ただ恩師の名誉を守るのみの行為。

 

◆竹中雄一郎

T大の名誉教授で、岡田教授の師匠的存在。

自分の権威に傷が付くおそれがある為、弟子の岡田教授に黒津の発見を否定させる。

 

◆宇津木欽造

以前T大の教授であったが、ライバルの竹中教授と弟子の岡田教授の陰謀にあい、T大を追われる。

 

◆水田嘉幸

岡田教授が残した腰骨の標本に目を付け、黒津を利用。

黒津の発見を恰も自分の発見のように世間に発表する。

黒津の功績を横取りしようと企むが、学界の若手連中のクーデターにあい、目論見が外れる。

 

作品概要

 

考古学に興味を持つ、一般人の黒津は或る日、自宅近くの崩れた海岸の断層から、旧石器時代のものと思われる人間の腰骨を発見した。

 

黒津は権威の象徴で官学界のトップ、T大の岡田教授に鑑定を依頼する。

鑑定を依頼された岡田教授は、一見して瞬時に価値のあるものと判断。

吉報を待つよう、黒津に告げた。

 

或る日、岡田教授から鑑定の結果が届いた。

鑑定結果は黒津の予想に反し、価値のないものとして判断された。

黒津は失意に暮れた。

 

数年後、黒津は自分が岡田教授から受けた鑑定結果の真相を知った。

岡田教授は恩師の竹中雄一郎から黒津の発見と論文にケチをつけられ、恩師の圧力により鑑定の真偽も確かめず、黒津の発見を不可とした。

 

どうやら学界にありがちな、権威主義と学閥主義が働いた模様。

黒津の発見はその道の大家の逆鱗にふれ、世紀の発見とも思われた出来事は、世に埋もれる形となった。

 

学問の最高権威に否定された黒津だったが、黒津は自分の信念を曲げず、長年独自の研究を重ねた。

しかし、その間の暮らぶりは酷い有様だった。

 

戦争で長男を徴兵にとられ、戦死。

妻ふみ子は悲しみに暮れ、おまけに生活苦の為、黒津を詰る日々が続いた。

 

更に黒津に災難が襲った。

空襲で黒津が発見した腰骨の原型が、焼夷弾の火災で焼失してしまった。

これで益々、黒津の発見の証明が難しくなった。

 

黒津自身ですら忘れかけていた時、同じT大の水田嘉幸教授から、腰骨を発見した当時の話を聞きたいと知らせが来た。

 

黒津は息を吹き返した様に、水田嘉幸に説明した。

忘れられた自分の発見が、再び陽の目を見る事を願い。

 

岡田教授は表向きの鑑定では否定した。

しかし学者としての良心の呵責からか、岡田教授は石膏の型を採っていた。

水田教授は岡田教授が残した型を研究室の片隅で見つけ、黒津の発見に興味を持った。

 

黒津は水田教授に期待したが、期待は又もや裏切られた。

水田教授は黒津の発見を、恰も自分の発見のように世間に発表。

発表の際の学名も黒津の名前でなく、水田教授の名前で発表された。

 

水田教授の発表により、再び世間の注目が集まった。国からも予算が付き、正式な発掘調査が決定した。

しかし黒津本人は風の噂で聞いたのみで、水田教授から黒津への連絡は全くなかった。

 

疑問に思った黒津は水田教授に連絡した時、水田教授は色々言い訳をしたが渋々認めた。

おそらく事後承認と云う形で、黒津に知らせる心算だったのであろう。

更に驚いた事に、水田教授は黒津には何も権限のない、オブザーバーとしてのみ参加を許可すると告げてきた。

 

あまりに腹立たしい申し出だったが、黒津は受けた。

しかし発掘した結果、何も出てこなかった。

 

水田教授は世間の嘲笑を浴び、黒津の発見は再び闇に葬られた。

後日黒津は水田教授の発掘の失敗は、学界の若手連中が仕掛けた水田教授を追い落とす、クーデターだったと耳にする。

 

黒津は話を聞き、さもあらんと納得した。

 

学界とは権威・面子を重んじる世界。自分が世に出る為には、他人を蹴落とさなけらばならない。それだけ醜い、ドロドロした世界と黒津は認識していた。

 

黒津は学界の醜さを再認識すると同時に、「30年以上続けてきた独自の研究を只信じるのみ」と改めて自覚した。

 

まとめ

 

小説のテーマである旧石器時代の人骨の発見をめぐる問題は、実際存在した人物をモデルに描いたもの。

既にご存じのように「明石原人」を発見したとされる、「直良信夫」氏をモデルにしたものと思われる。

 

「発見したとされる」と書いたのは小説同様、直良氏は当時一介の市井の人であり、考古学の専門家ではなかった。

 

因みに明石原人と云うネーミングも、直良氏本人ではない。

 

自分の発見を世に問うたが、学界からは全く相手にされず、世に埋もれてしまった。

更に戦争で標本も原型が焼失、証明が益々困難となる。

 

発見した骨の石膏の型が他の教授に認められ、発掘調査となったが、発見した本人は、オブザーバーの地位しか与えられなかった。

小説では参加した事になっているが、実際の直良氏は参加すらしていない。

 

おそらく手柄を横取りされると思ったからであろう。

全くの素人が素晴らしい発見をしたにも係らず、以前からその世界に巣くっていた専門家たちが、自分達の権威・面子に懸けて、直良の発見を潰した

と云っても過言でない。

 

更には、他人に先を越されたという、嫉妬心もあろう。

ただでさえ教授同士のライバル心は外からでは想像もつかない程、激しい。

ましてや、発見の素人であれば猶更。潰しに掛かるのが当然。

 

大学などの研究室も全く同じ。

未だに師弟関係・徒弟制度が蔓延(はびこ)る狭い世界。

一介の市井の人間など、入り込む余地など全くない。

 

自分の論文を認めて貰う為、必ず重鎮と云われる人間の御墨付きを貰わなければ、認められなどしない。

認めて貰う為には、自ずと先輩教授に遜り、言いなりにならざるを得ない。

 

小説に登場するT大の岡田教授も、全く同じ立場の人間。

初めは主人公の功績を認めておきながら、自分の師匠である老教授の嫉妬と否定により、真偽も確かめず主人公の発見を否定した。

 

調査の結果、作品中で登場する人物は、実在の人物で誰であるのか当て嵌めるのも可能。

しかし今回は名前を晒すのが目的ではない為、控えさせて頂く。

 

つまり事実等はどうでもよく、ただ自分達の世界(学界)の面目・体面を保とうとした。

学問の進歩には寧ろ、後退したと云える。

 

今回の出来事は、実は古代の大昔からあった出来事。

人類が誕生して以来、永遠と続いてきた悪習と言って良い。人類の歴史は、所詮これの繰り返し。

 

芸術・科学の世界も全て同じ。

芸術などは認められても、大概本人が死亡している事が多い。

不思議な事に芸術の世界では、本人が死亡する事で希少価値が高まり、益々値段が高騰するのが実情。

 

画商などは才能ある画家を見つけ、まだ売れない時代に才能ある画家の作品をタダ同然で買い叩く。

死後才能を認め、値段を吊り上げる事例もしばし見られる。

 

逆説的に言えば、画商の評価次第で才能ある画家が世に埋もれ、才能ない画家でも画商などが持ち上げれば有名画家となる事が可能。

 

此の構図は、今回の作品と全く同じ。

1958年作:フランス映画『モンパルナスの灯』は、当に此の内容を描いている。

 

科学の世界で云えば、遺伝子で有名な「メンデルの法則」

メンデルも発表当初は全く相手にされず、半ば埋もれた状態になっていた。後世の人間が再発見した。

 

日本の歴史でも同じ事象がある。昔歴史の時間で習った「解体新書」

自分も解体新書と云えば、試験の暗記で咄嗟に「杉田玄白」と頭に浮かぶ。

 

後になり分かったが、実は杉田玄白より、「前野良沢」が解体新書の訳述では中心的人物だった。

何故杉田玄白が有名かと云えば、解体新書を訳している最中、杉田玄白は功名心にはやり、未完成でも良いから世の中に発表しようと言い出した。

 

しかし前野良沢は「更に突き詰め、完全なものにしてから世の中に発表しては」と反対した。

 

当然、二人の意見は対立した。

杉田は前野良沢の反対を押し切る形で、自分の名前をメインに推し出し、世間に発表した。

その為、歴史では解体新書と云えばパブロフの犬の如く、誰もが「杉田玄白」と唱える様になった。

 

作品中、主人公の手柄を横取りしようとする老教授(水田)が登場する。

この人物は日本史で喩えれば、関ヶ原の合戦における「山内一豊」のようなものだろうか。

 

山内一豊は関ヶ原の際、他人のアイデアを、ちゃっかり自分のアイディアとして発言。

口先三寸の活躍で合戦後、大幅加増。其の後、江戸時代を生き抜いた。

 

幕末には子孫(山内容堂)が先祖と同様、タイミングの良い処で最後の将軍(慶喜)に大政奉還を提案。

再び歴史に名を刻んだ。

 

一方、山内一豊にアイディアを盗まれた「堀尾忠氏」は、大した加増もなく早逝。

子が家督を継いだが、その子も早逝。無嗣だった為、御家断絶となっている。

なんと対照的な運命だろうか。

 

話を戻すが、清張自身も決して専門家ではなく、いち市井の視点から物事を捉えている。

それはおそらく、清張の生い立ちが深く関与していると思われる。

 

清張は決して、専門家の目ではない。

しかし物事の本質を鋭く描き、寧ろ権威に対抗するかのような、反骨精神が随所に見られる。

松本清張が社会派小説家と云われる所以であろう。学歴・人脈がない処も、何か本作品の主人公に似ている。

 

清張の他の作品でも言えるが、作品には決して名刑事、有名な探偵、英雄と云われる人物は登場しない。

事件が発生した際、謎解きをするのは大概、一介の主婦、普通のサラリーマン、下っ端の役人。

譬え警察官であっても、しがない下っ端の老刑事等が、地道な捜査で事件を解決する場合が多い。

 

因みに本作品の主人公も名前が「黒津」という姓のみであり、名前すら明記されていない。

何度も見直してみたが、見当たらなかった。

本人が回想という形で書かれてある為、書く必要がなかったのかもしれないが。

 

人間はいつ自分が事件の被害者・加害者になるか分からない。

誰もが可能性を秘めている事を匂わせているのが、読み取れる。

清張作品を通し、浮かんでくるメッセージの様なもであろうか。

 

参考までに清張の作品を嫌い、清張の文壇入りを快く思わなかった人物が大勢いた。

代表的な人物を挙げれば、「三島由紀夫」であろう。

三島由紀夫の作品と経歴を見れば、確かに清張とは相容れないものがある。全く好対照。

互いに毛嫌いしていたかもしれない。

 

しかし清張にすれば三島は、作品の如く、凝り固まった権威主義の象徴にしか見えなかったのかもしれない。

互いの作品は、まるで水と油だった。そう考えれば、二人の関係も納得がいくのかもしれない。

 

(文中敬称略)