「同窓会と故郷」 人により捉え方は様々 

突然ですが、皆さんは、中学・高校などの同窓会に参加した経験がおありでしょうか。

毎回参加する方もいれば、一度も参加した事がないと云う方もいるかもしれません。

今回は同窓会と、それにまつわる故郷について話したいと思います。

 

何故、故郷と同窓会について語るかと云えば、先日偶然ネットニュースで気になる記事を見つけた為。

ニュースの概略は次の章で説明します。配信者は現役の女子大生。

個々で異なる同窓会の捉え方

配信者は現役女子大生。中学と高校時代は、同級生から無視、或るいは苛められていた模様。

担任だった教師も事実を把握していたが、見て見ぬ振りをしていた。

女子大生は苛められていたが、高校時代からSNS等を立ち上げ、色々な情報を発信。

当時からネット上では、人気を博していた。

 

ネット上では人気だったが、その事実を知っていた同級生は妬みと悔しさの為、敢えて無視していた。

彼女は実社会では、相変わらずクラスの嫌われ者で、数々の嫌がらせ・誹謗中傷のメールを受けていた。

そんな状況下、彼女は高校生を卒業。大学に進学した。

 

大学では益々ネット上で人気を博し、今の言葉で表現すれば「インフルエンサー」と呼ばれる存在になった。

しかし相変わらず、過去の同級生から嫌がらせメール等を受けていた。

 

高校を卒業して2年。

彼女は今なら自分の活躍・存在を認めて貰えるのではないかと思い、思いっきりお洒落をして同窓会に参加した。

しかし開始して1分ほどで彼女は帰りたくなった。理由は、今でも自分の居場所がないのに気づいた為。

 

結局、彼女は10分程で会場を後にした。

因みに参加した元担任も、当時と変わらない態度で女子大生に接した模様。

つまり過去のイメージで、相変わらず女子大生に対し馬鹿にした態度で接した。

元担任は高校の時、明らかに苛めを把握していと云う事。こうなれば、元担任も大いに問題あり。

 

自分も嘗て同じ経験を味わう

長々と話したのには訳がある。実は私も、似たような体験をした為。

私の場合、女子大生の様に何かに成功して人気を博し、或る程度の自信を持ち参加した訳ではないが。

過去に参加した同窓会で、あまり変わらない体験をした。

読者にも似た体験をした人がいるかもしれない。では、私の体験を述べたい。

 

私は地方都市地方で、高校時代までを過ごした。

小さい町の為、名前を出せば特定される恐れがある為、名前は出さないが。

 

高校まで地方で過ごし、進学の為、上京。上京後、環境と価値観がガラリと変わった。

今迄、生きてきたと環境と価値観が一遍した。未知の世界が、目の前に存在した。

 

東京で多種多様な価値観に触れ、東京でしか出来ない数多くの体験を重ねた。

既に数十年も経つが、自分の人生に取り、貴重な人生の経験だったと思う。

 

大学生活を終え、就職。今は地元でないが、某地方都市に在住している。

私は一度だけ、同窓会というものに参加した経験がある。

参加した同窓会は中学時代だったが、その時は卒業してから既に10年以上の月日が流れていた。

 

進学で地元を離れてから、10年以上が経った。その為中学卒業以来、同級生に会う機会が全くなかった。

思わず懐かしさのあまり、同窓会に参加した。久し振りに地元に帰ってみたい気持ちもあった。

 

処が参加して間もなく、前述した女子大生と同様、後悔した。

同窓会が始まり、5分もしないのに、自分の居場所がないのに気づいた。

 

初めて参加した後の後悔

開始まで私が初参加だった為、少しばかり周りの人はチャホヤしてくれた。

しかし喜びは、束の間。せいぜい3分程だったと思う。

 

開始後は昔から地元に住んでいる人間同士の、只の飲み会と化した。

新たに参加した人間の話を聞き、又受け入れる訳でもない。ただ、近所同士の飲み会のようなものだった。

 

更に私が今後、二度と参加しないと誓ったのは、卒業して未だに当時のイメージ・順位制・優越感を持ち出す輩がいた為。

 

つまり卒業して既に何年も経っているが、未だに当時のイメージや態度で接してくる輩がいるのに驚いた。

私が当時つけられていた綽名で、半ばバカにした態度で呼ぶ人間もいた。

私はあまりの醜さ・偏狭さに辟易。その時、二度を参加しないと心に誓った。

 

中学時代は運動部だったが、未だに部活の序列を持ち出してくる輩もいた。

私は部活時代、レギュラーではなく補欠だった。

未だに当時の順位制を持ち出し、優越感に浸る者もいた。

 

私は流石にその時、即座に席を立ち、帰ろうと思った。

結局、参加しても全く実りがなく、ただ「時間・労力・金」を無駄にした。

此れを機に、今後誘われても二度と参加しないと固く心に誓った。

 

更に社会人となり数年経った同窓会では、学校側から何かしら卒業生に対し、各種の寄付を求められる。

しかし前述の事などもあり、私は寄附は全くしていない。

 

所詮寄附などしても、感謝される事はない。感謝もされない寄附は、する必要はない。当時地元で幅を利かせていた連中がすれば良いと思う。

 

あまり良い思い出がない為、懐かしさなど微塵も感じない。何気に結構、そんな人が多いのではなかろうか。

 

何気に多い不参加者

ブログ・You Tube等で成功している人間の話を聞けば、意外に学校時代では目立たない存在か、苛められていた人が多い。

実社会でなかなか自分の居場所を見つけられず、ネット等で活路を見出した人が多いのに驚く。

 

話を戻すが、同窓会に一度だけ参加して、其の後二度と行かなくなった人が、結構多いのではないだろうか。

学生時代に比べ、社会人としてある程度成功した。

皆が、自分を見る目が変わっているのではないかと期待して参加した。

 

しかし予想に反し、いまだに昔のイメージで自分を見る人間が存在する為、がっかりした経験がある人もいるかもしれない。

 

結局、同級生は昔のイメージでその人を見る。その人は、全く進歩がなかったと言えば良いのかもしれないが。

自分も全く同じ経験をした。

 

今回の話で偶然、ふと或る映画を思い出した。

大昔に『ランボー2』と云う映画を観た。

ランボーを演じる「シルベスター・スタローン」が、劇中で呟いたセリフが実に印象的。

 

ランボーが、特殊任務に指名された。

ベトナムに潜入後、現地の案内人(情報員:女性)が、ランボーに質問した。

 

・現地ガイド(女性の案内人)

 「どうして此の任務に彼方が選ばれたの」 

 

・一瞬考え、ランボーが答えた

 「そうだなぁ。どうしてって、それは俺が消耗品だからさ」 

 

・驚いた様子で、再びガイドがランボーに質問した

 「消耗品て、どういう意味?」 

 

・再び、ランボーが答える

 「そうだなあ、例えば俺がパーティーに呼ばれたとする。当日俺がパーティーに参加しても、誰も俺の存在を気にしないし、たとえ欠席しても俺の事など気にも留めない。そんな存在かな」 

 

ランボーの言葉が、全てを物語っているような気がした。

映画を観た時は何も心に沁みなかったが、今振り返れば、とても含蓄のある台詞に思えた。

まさに今の私が此の状態。全く同じ存在。

 

最後に

8月のお盆休みで、帰郷する人が多いと思う。

この時期、同窓会が開催される事が多いかもしれない。

しかし毎回開催しても、大概同じ人間しか集まらないのではなかろうか。

当然の結果と言える。

 

若い頃は同窓会の案内が来なかったが、最近やたらと来るようになった。

前述した寄附の狙いもあろうが、もう一つの理由は、昔と違いあまり人が集まらなくなったからではなかろうか。

 

年々、人が集まらなくなるのは当然の流れ。それは前述した理由が影響している。

参加者が少なければ開催しても頭数が揃わず、個々の参加者の金銭的負担が増大する。

 

つまり頭数を増やし、少しでも一人一人の金銭的負担を軽くしょうとうするのが狙い。

その為、常時参加していた人間達が、今迄全く無視していた、或いは軽蔑していた人間に声をかけざるを得なくなったのではないかと推測する。

 

確かに気持ちは分からなくもないが、昔あまり良い思い出や記憶ない人間にしてみれば、

 その時の人間関係は既に消去され、心の中で終わった人間関係 

と定義している。

正直、今更の感がある。互いに心に隔たりがある為、参加しても得るもの等、一つもない。

 

だいぶ長くなったが、先日のネットニュースを見て、いつの時代も似たような体験をする人がいるものだと、しみじみ感じた。

また人間の妬み・醜さを垣間見たような気がした。

 

配信記事を読んだ後、何か自分の心に引っ掛かるものがあり、敢えて今回ブログに述べてみた。

 

(一部敬称略)