生気を感じさせない主婦が、輝きを取り戻した瞬間。松本清張『張込み』
★松本清張 短編小説シリーズ
・題名 『張込み』
・新潮社 新潮文庫
・発行 昭和40年12月
目次
登場人物
◆柚木刑事
警視庁捜査一課に勤務の刑事。強盗殺人犯、石井久一を追い、九州に赴く。
石井の元恋人で今は他家の後妻の家を張込む。さだ子は単調な毎日に繰り返し、石井は来ないと思われた。
◆下岡刑事
柚木刑事と同じく、警視庁捜査一課に勤務。石井を追って小郡近くの石井の実家に赴く。
◆石井久一
一旗揚げる為、山口県から上京するが失業。日雇い人夫、売血、土工、挙句に胸を病んでしまう。絶望の果て強盗殺人を犯し、逃亡する。
◆横川さだ子
石井久一の旧恋人。石井が上京後、縁談を承諾。後妻として九州に嫁ぐ。石井と別れ3年経ち、既に縁が切れていると思われた。
作品概要
東京目黒で強盗殺人が発生。手掛かりなしで捜査は難航すると思われた。しかし偶然にも警察の職務質問(ばんかけ)で、一人の男が捕まった。
男は自分はサブ的役割で、主犯は同じ飯場にいた「石井久一」だと自供した。
石井久一の生まれは、山口県。3年前、夢を追い求め上京。失職後、職を転々。
日雇い、土工となり、最近では胸を患っていた。犯行も荒っぽく、何か自暴自棄な処があった。
捕まった男の話では、石井は最近、女の夢を見ると言っていた。嘗て恋人たったが、今は他家の後妻に嫁ぎ、九州にいると呟いていた。
捜査会議では、意見が分かれた。
既に他の女房になっている女に未練があり、会いに行くであろうかと。
絶望的になった男だからこそ、昔の女に会いにいくであろうとの二つの意見に。
捜査一課の柚木刑事は、石井が女に会いにくる方に賭けた。
捜査課長から支持を得、下岡刑事は石井の故郷、柚木刑事は石井の嘗ての恋人のいる九州の某市に出張した。
石井の3年前の恋人は、今は「横川さだ子」となっていた。夫は、横川仙太郎。
隆一、君子、貞次の3人の子供は、前妻が生んだ子。さだ子は既に、3人の子持ちとなっていた。
さだ子は27~28歳ほど。夫仙太郎は48歳。子供の隆一は15~16歳、君子は12~13歳、貞次は6歳。
柚木刑事は、さだ子の家が見える安旅館で、張込みを開始した。
・一日目、平凡な主婦が過ごす日常とで言おうか。若い割に何処か、生気がない。
・二日目、昨日と同様、時間通りに横山家の生活が流れていく。
・三日目、また同じ時間と生活が流れる。流石に3日目になり柚木刑事は、自分の推理が間違っていたのではないかと、不安と焦燥に駆られた。
・四日目、全く変わりなし。
・五日目、いつも通りの時間が過ぎていく。今日は珍しく客があった。しかし集金人か物売りの類と思われた。
柚木刑事はすぐ追いつけるものと思っていたが、間違いだった。
女は割烹着を着ていたが、買い物に出かけたのではなかった。
柚木刑事は駅に向かった。真近に出た電車はなく、さだ子はバスで移動していた。
さだ子は石井とバスに乗り、温泉地に向かった。昔の恋人に久し振りにあい、のんびりしたい心境だろうか。
同時に柚木刑事は石井がさだ子を巻き込み、心中するのではないかと恐れた。
二人を追跡している時、柚木刑事は今まで見たさだ子とは、全く別人のさだ子を発見した。
後妻として20歳も年上、継子が3人の家で生気なく、又疲れ果てた人間の顔ではない、溌剌とした女の顔。
さだ子の何処にそんな力が潜んでいたのかと、柚木刑事が驚く程に。
二人は久し振りの再会を楽しみながら、温泉地の宿に入った。
柚木刑事は所轄の警察署の応援を待った。応援隊は間もなく到着した。二人は温泉に浸かっている様子。
石井は風呂から上がって来た。柚木刑事とすれ違った。すれ違い様に柚木刑事は「石井だな」と叫んだ。
石井は一瞬はっとしたが、直に観念した。石井は応援に来た刑事達に引き渡された。
柚木刑事は部屋で、さだ子を待った。風呂からさだ子が帰って来た。
さだ子は見知らぬ男が立っていて、一瞬部屋を間違えたとでも思ったらしい。
柚木刑事はさだ子に
「今すぐ此処を立ち去り、いつもの生活に戻る様」
と告げた。
追記
「張込み」は僅か30ページ程の作品であるが、映画・TV作品などで何度も映像化されている。それだけ、奥が深く共感できるものがあるからだろう。
短編小説だが、時折読み返している。誰しもが、一度は輝いた時代を持ち合わせている。
張込みは読者の輝いていた時代の記憶を、一瞬であるが確実に思い出させてくれて、又懐かしさを感じさせてくれるからであろうか。
(文中敬称略)