時刻表の僅かな空白を利用したトリック。松本清張作品『点と線』

★松本清張名作シリーズ

 

・題名    『点と線』 

・新潮社   新潮文庫 

・昭和46年 5月発行 

・昭和32年 2月~昭和33年 1月雑誌【旅】にて連載

 

松本清張作品の名作の一つ、「点と線」。

僅か数分間の時刻表の空白を使い、政府の官僚と料理屋の女中を心中に見せかける偽装。

そのトリックを暴くべく、ベテラン刑事と若手刑事の活躍ぶりを振り返る。

 

登場人物

 

◆鳥飼重太郎

福岡県福岡署に勤務するベテラン刑事。福岡県香椎署管内で、男女の死体が発見される。

捜査の結果、事件性のない心中事件と断定され、疑問を抱く。

鳥飼は独自調査を展開、事件の真相を突き止めようと尽力する。

 

◆三原紀一警部補

警視庁捜査二課に勤務。現在進行中の政府機関の汚職事件を担当。

福岡県香椎の海岸でおきた心中事件に興味を抱き調査する。

心中した男は目下、事件の調査で重要なカギを握っていた人物。

鳥飼刑事と供に、事件の真相を探ろうと試みる。

 

◆安田辰郎

機械工具会社を経営。現在世間を騒がせている政府機関に深く食い込み、商売を展開。やり手のビジネスマン。

福岡で心中した女が務めていた料理屋の常連客。何かしら事件の影にちらつく人物。

 

◆安田亮子

安田辰郎の妻。長い間、病気で患い鎌倉で養生している。床に伏せがちで時間があり、読書を好む。

同人誌などでは、小説なども執筆する。

 

◆佐山憲一課長補佐

福岡香椎の海岸で死体となって発見される。

佐山は今世間を騒がせている政府機関の某省の課長補佐を務めていた。

課長補佐ではあるが、汚職事件に大いに関与していた。

佐山が死んだ事を不審に思い、香椎署の鳥飼と警視庁の三原は捜査に乗り出す。

 

◆桑山秀子(お時)

東京赤坂の料理屋に勤める女性。福岡香椎の海岸で、佐山と一緒に死体となって発見される。

秀子(お時)の勤める料理屋の常客に安田辰郎がいた。

佐山とは東京駅で一緒にいる処を、同僚の女中と安田に見られる。

 

◆笠井刑事主任

警視庁捜査二課に勤務。三原紀一の直属の上司。

上層部から常に三原の盾になってくれる人物。

三原に何かと理解を示し、佐山憲一の死を詳しく調査するよう三原に命ずる。

 

◆石田芳夫部長

佐山が務めていた役所の上司の部長。疑惑の渦中にいる人物。

どうやら佐山が死んだ事に、一枚かんでいる様子。

安田辰郎を助ける為、アリバイ工作を偽装する。

 

作品概要

 

福岡県の海岸で男女の死体が発見された。

検視の結果、目立った外傷もなく、警察は男女の心中(情死)と断定。

事件性なしとして処理された。

 

一人のベテラン刑事は、二人の心中に疑問を抱く。

心中事件としては、あまりにも証拠が揃い過ぎていた為。

疑問を感じたベテランの鳥飼刑事は、独自に調査を始めた。

 

調査を進める中、東京の警視庁から若い刑事(三原)が鳥飼刑事の許を訪ねてきた。

どうやら彼(三原)も、心中を疑っている模様。

話を聞けば、死んだ男は、今世間を騒がせている政府の某省の汚職事件に深く関わっている様子だった。

 

二人の刑事は事件性ありと睨み、捜査を進める。

やがて捜査線上に、一人の男が浮かび上がってきた。

 

男は汚職事件の疑惑を持たれている省の御用商人として、深く入り込んでいた。

男を調べるに連れ、二人は彼の妻が事件に何らかの形で絡んでいるのを突き留める。

 

二人の尽力の末、捜査が進展。色々な事実が明らかとなる。

その結果、事件は単なる男女の心中ではない事が判明。

さて、二人の捜査と事件の行方と結末は如何に。

 

見所

 

福岡県香椎の海岸で、男女の身元不明の死体が発見された。

検視の結果、何の外傷もなく、死因は青酸カリによる服毒自殺として処理される。

 

地元警察は単なる心中事件と判断、事件は幕を閉じようとしていた。

その時死んだ男のポケットから、列車食堂の受取証が出て来た。

眺めてみれば、受取証には「御一人様」とだけ記されていた。

 

男は東京駅で3人の人間に、列車に乗り込む姿を目撃されている。その時は女連れだった。

目撃した人間と女は、顔見知りの関係。

 

捜査の末、男は政府機関に勤める某省の官僚と判明。

役職は課長補佐。女は料理屋の女中と判明する。

 

男は東京駅で目撃された際、二人連れだった。

しかし列車の食事の受取証は、何故か御一人様だった。

疑問を抱いた福岡県福岡署ベテラン刑事「鳥飼重太郎」は、独自で捜査を開始する。

 

捜査開始後、東京の警視庁捜査二課から「三原紀一」警部補が遣ってきた。

どうやら三原は、二人の心中を疑っている様子。

二人は互いに意見を出し合い、意見が合致。捜査に乗り出す。

 

事件を調べる中、捜査線上に一人の男が浮かび上がってきた。

「安田辰郎」という人物。

この人物はいま世間を賑わせている、某省の汚職事件に深く係る人物と判明。

 

死んだ佐山は、某省の課長補佐を務めていた。

課長補佐と言えば、実質現場の最高責任者。汚職事件のカギといっても良い人物。

 

その人物が捜査二課の捜査が及ぶ寸前、女と一緒に死体となっつて発見された。

何かが可笑しい。タイミングが良すぎる。

 

二人は疑惑の安田を調べるが、何もでてこない。むしろ完璧に近いアリバイが成立する。

しかしあまりに揃い過ぎている為、反って疑惑がますます深まった。

 

どうやら男は自分のアリバイを完璧にする為、手の込んだアリバイ工作をしたようだ。

東京駅で自分が足繁く通う料理屋の女中に、連れ添って死んだ男女の姿を目撃させるなどの偽装工作をしている。

 

東京駅では僅か4分間の空白の隙間時間を利用したアリバイ工作。

 

他人を使って自分に偽装した、アリバイ工作。

 

何か精密機械のような正確さには、調べる人間側としても、驚きさえする。

そんな緻密な計画を立てた人間とは一体何者なのか?

 

すべてが解き明かされた時、事件は意外な方向に進んだ。

重要人として内偵していた安田には、妻がいた。

妻は長い間、病気は患い、養生していた。

 

その際、もて余す程の時間があった。

夫がたまたま忘れた、時刻表に興味をもった。

時刻表はおそらく、病気がちで何処にも外出できず、悶々としていた妻の心を開放してくれた。

 

時刻表を眺めている時は、想像で地名の駅に自分を立たせ、己を開放させたに違いない。

その時だけは、生きている実感と希望が湧いたともいえる。

時刻表を眺めている中に、面白い事に気が付いた。

 

あの煩雑な東京駅の13番線のホームから、ほんの僅かの4分間だけ、14番線に列車がホームになく、15番線ホームが見渡せる時間帯である事に。

 

女はそれを利用した。

毎日駅員として勤務している人間ですら気付かなかった、僅かな時間の隙間。

 

女には夫に対する後ろめたさがあったのであろう。

病気がちで妻の役目を果たせない事に。その為、夫に愛人をもつ事を許容してきた。

 

しかし同時に何処かに愛人に対する怒り・嫉妬があった。

鬱積した気持ちが、料理屋女中「お時」を巻き込んだ、佐山(官僚)との心中偽装という形で表われたのではなかろうか。

 

・東京駅(参考図)

<15番線ホーム>
 17:49   (長距離列車あさかぜ号)→18:30発
             ・佐山(汚職の鍵を握る人物)
             ・お時(小料理屋女中)
              ↑
              ↑ 
<14番線ホーム>     ↑
17:46→17:57発(空白の4分)  18:01→18:12発
              ↑     18:05→18:35発
              ↑
<13番線ホーム>     ↑
             ・安田 (疑惑の御用商人)
             ・八重子(小料理屋女中)
             ・とみ子(小料理屋女中)

 

追記

 

役職的に年配の鳥飼が刑事、三原が警部補である為、三原はキャリア組と思われる。

尚、捜査二課とは主に、経済犯の担当。汚職・詐欺などを担当する。

 

警察機構も官僚と同じで、階級により身分が全く違う。

警察のキャリアであれば、殆ど現場をしらず、部署も僅かな腰掛程度で出世階段を上がっていく。

 

現代も同じだが、概ね犠牲になるのは課長以下の人間。

キャリアの場合、役職が課長クラスから始まる。

それ以下の叩き上げは、一番下から始まり、定年を迎える頃は、ほぼ課長補佐どまり。

 

今回の課長補佐は、省の実務の最高ランクと思われる。

上役は責任逃れが可能。実務経験は殆ど無い。

それ故課長補佐は、ノンキャリの上がりの(出世の打ち止め)最高ランクとも言える。

 

因って既に出世は、頭打ちの状態。

佐山は30代でノンキャリのトップの課長補佐である事を鑑みれば、佐山は実務面において、相当優秀だったと推測される。

 

警察機構も、全く同じ。

鳥飼と三原の場合も同じ。おそらく鳥飼は巡査部長あたりかと思われる。

三原は既に警部補である為、ランク的には、鳥飼より上。

 

参考までに警察機構は 、巡査→巡査長→巡査部長→警部補→警部→警視→警視正→警視長→監察官

 

となる。東京であれば警視総監もあるが、キャリア組でも大概、警視正あたりで頭打ち。

署長クラスは、警視正あたり。

 

因みに、漫画「こち亀」両さんは一応、巡査長。いつもでてくる大原部長は、巡査部長。

中川、麗子は巡査の設定。従って、両さんは一応、中川・麗子の上司となる。

 

キャリア組は警察学校を卒業すれば、直ぐに警部補となる。

高卒から入った場合は、一番下の巡査から始まる。

 

この時代から既に、政府役人と御用商人の関係に着眼。

作品を描いている松本清張の慧眼には恐れ入る。

今日でもこの構造は、全く変わっていない。

 

何時の時代でも、同じと云う事かもしれない。

そしていつも逮捕、命を落とすのは上層部ではなく、手下として働いた下級役人。

この構造も全く変わっていない。

 

黒澤明の映画、1960年作:「悪い奴ほどよく眠る」は、役所の体質を表している。

因みに黒澤作品は、清張の作品より年代が先。

 

老刑事の鳥飼、三原の上司笠井主任が、同じタバコの銘柄「しんせい」を吸っているのが面白い。

何気に、年配者だと表現したいのであろうか。

 

私自身、時刻表には深い思い入れがある。

何故なら、嘗て旅行業界にいた時期があった為。

昔は今の様なネットで簡単に色々検察できる時代ではなく、情報を全て時刻表で調べたものだった。

 

時刻表は列車の時刻ばかりが載っているものと思われがちだが、旅行に関するありとあらゆる情報がびっしり詰まっている。

云うなれば、旅行屋の「バイブル」と言っても良い。

 

私は旅行屋の時、自費で毎月買っていた。

時刻表には列車の時刻に限らず、国内外の空港名、国際・国内航空のスケージュール、高速バスのスケジュール、宿泊施設の住所・電話番号等が掲載されていた。

 

時刻表を眺め色々な旅行企画・プランを計画したり、お客様の要望にあわせ時刻表を捲り乍、接客・営業したものだった。

今となっては、懐かしい思い出の一つとなっている。

そんな昔を思い出しながら、今回作品を読み返した。

 

共犯の安田夫人は、長い間、病気で床に臥せていた。

床にいる間、時間を潰す為、おそらく時刻表を食い入るように眺めていたのであろう。

その様子は想像に固くない。

 

時刻表を眺めている中、きっと自分が現地で旅をしている気分になったに違いない。

或る時、偶然面白い発見をした。

 

東京駅では僅か4分間の空白の隙間時間を利用したアリバイ工作。 他人をつかって自分に偽装した、アリバイ工作。

 

安田夫人はその発見をした際、まるで子供が宝探しを始め、宝箱を見つけた様な心境だったのではなかろうか。

難解な図形の間違い探しに挑戦して、間違いを見つけた時の心境にも似ている。

 

これは何かに利用できると、安田夫人は咄嗟に感じた。

今回の事件は、この空白の4分が利用された。

 

夫の北海道行きのトリックもよくよく考えれば、何か沢山あるパズルのピースを一つ一つ組み込んでいく作業にも似ている。

 

時刻表を利用した事件を眺める中に、何か昔の旅行屋時代、色々なプラン・ルートを考案する為、ひたすら時刻表と睨めっこしていた過去の自分の姿を、ふと思い出した。

 

(文中敬称略)