日本はおろか、海外にも大きな影響を与えた映画 黒澤明『七人の侍』
★懐かしい日本の名作映画シリーズ
・題名 『七人の侍』
・公開 東宝 1954年
・監督 黒澤明
・製作 本木荘二郎
・撮影 中井朝一
・音楽 早坂文雄
・美術 松山崇
・脚本 黒澤明 橋本忍 小国英雄
目次
出演者
・志村喬 : 島田勘兵衛 ・菊千代 : 三船敏郎
・七郎次 : 加東大介 ・林田平八 : 千秋実
・片山五郎兵衛 : 稲葉義男 ・久蔵 : 宮口精三
・岡本勝四郎 : 木村功 ・津島恵子 : 志乃
・利吉 : 土屋嘉男 ・茂助 : 小杉義男
・万蔵 : 藤原釜足 ・与平 : 左卜全
・儀作 : 高堂国典 ・盗人 : 東野英治郎
・浪人 : 仲代達矢、宇津井健、加藤武
・他多数
あらすじ
戦国時代末期、毎年野武士(野党、野伏せり)に襲われる村があった。
過去何度も襲われ、収穫物・女などを浚われ、村民の生活は窮乏を極め、生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰められていた。
野良をしていた農民が偶然、野武士集団が村を襲撃する話を聞いてしまう。
村に帰った農民は、村民に野武士から聞いた事を話す。村は既に生きていくには限界の状態。
自分達が生き延びる為に、戦うしかないと悟り、野武士集団と戦う事を決意する。
しかし戦うと言っても、普段は野良仕事のみで戦う術をまるで知らない。そこで村人は、長老に相談。
食い扶持に困った浪人の侍を雇い、村を防衛する計画を立てる。
侍を雇う為に町にやってきた4人の村民は、なかなか目当ての侍を見つける事が出来ない。
終いには、村から持参した大切な白米を盗まれる始末。
4人は侍集めを断念。諦めて村に帰ろうとした時、些細な事件が切っ掛けで人の好い浪人侍に出会う。
村民はこの侍ならばと、仕事を依頼するが断られる。
しかし村民の熱心な説得、普段をすげない態度をしていたが、実は人情味あふれた木賃宿の住人等の説得もあり、浪人侍は仕事を受諾する。
仕事を引き受けたのは良いが、人数が足らず助成として、他に侍を集める。
苦労して、なんとか6人集める事に成功。野武士退治の為、村に向かう。
道中、侍集めの試験で失格の烙印をおされた菊千代が、侍集団の後に勝手についてきた。
侍集団は菊千代の行動力に負け、菊千代が加わる事を承諾する。最終的に7人の侍集団が結成される。
意気揚々と村に向かったはいいが予想に反し、村民の反応は冷ややか。
いつも武士から素気無く扱われている為、村民は警戒して直ぐには馴染めない様子。
初めは警戒していた村民達も、侍たちの真摯な態度、振る舞いに徐々に心を許す。
だが村民間の心は一枚岩とはいかず、様々な問題が発生する。
そうこうしている間に野武士集団が村を訪れ、本格的な戦闘となる。
後半は戦闘シーンが中心で、迫力は凄まじい。映画はかなりの長編。
今でこそビデオ・DVD・ブルーレイ・ネットが発達。手軽に再生できるが、それでも全て見終わる迄に根気必要かもしれない。
それ程、見応えがあるとも言える。
他にも黒澤明監督の作品は多々あるが、日本・海外で大きな影響を及ぼした作品と言えば、この作品であろう。
後述するが、この作品がアメリカ西部劇の有名な作品「荒野の七人」のモデルとなった事実は、あまり知られていない。
知られてない理由も後程、説明したい。
次に主役となる侍他、主要人物の説明をしたい。
人物概要
島田勘兵衛(志村喬)
侍集団のリーダー的存在。村からやってきた村民から人間性を認められ、請われて村の用心棒の仕事を引き受ける。云わば傭兵。
傭兵であるが、義理堅く、戦術・戦法にすぐれる。他の侍や村民をまとめ、村を襲う野武士集団と戦う。
劇中にて過去のエピソード等を語る処が、いかにも人間臭い。
「浪人生活でなかなか功を立てる事ができず、日増しに年だけとっていくだけだ」
と自嘲を込めて語るシーンが印象的。
勘兵衛の言葉が他の浪人の胸に突き刺さる。皆同じ境遇であり、勘兵衛の言葉は彼らの心中を代弁したものと言える。
戦国時代も末期になり、大勢が決しつつある中、時代に取り残された武士達の悲哀とも言えよう。
菊千代(三船敏郎)
侍集団のピエロ的存在。ムードメーカーとも言えようか。自称侍であるが、本当は名も無き農民出身。
長刀を差し、侍らしく振舞っているが、剣術・兵法など全く無知に近い。おそらく実際に戦場に赴いた事もないと推測される。
実は農民出身で村民の心境をよく理解し、村民と侍たちの仲立ちの様な役目を果たす。
ときどき調子に乗りヘマをしでかすが、人情味が厚く何か憎めない。親しみ易く、村民からも慕われる。
菊千代の名も自分が勝手に名乗っているだけで、実は本人自身も名前すら分からない。名もなき戦士と云った処であろうか。
島田勘兵衛が侍集団の主人公とすれば、菊千代は映画全体の主人公と言えば良いのかもしれない。
それ程、重要な役と云える。世の中を、侍と農民の両方の立場から見つめている人物と言える。
村に色々なトラブルが発生した際、何気に村民の立場を思いやり乍、解決を試みる。
最後は小屋で人質になった女たちを助けようとして、種子島(鉄砲)に撃たれ落命する。
侍集団4人目の犠牲者。
七郎次(加東大介)
劇中の言葉通り、島田勘兵衛の女房的な役。勘兵衛と同じで幾多の合戦を経験、生き延びてきた。
しかしいつも負け側に与し、功を挙げれず浪人生活に甘んじている。
村民が落ち武者狩りで隠しもっていた武器を見て、嘗て自分が戦に負けた際、落ち武者狩りにあった経験を思い出し、怒り出す。
しかし農民の生きる為の強かさを菊千代に指摘され、理解する。
林田平八(千秋実)
侍集団の中でいつも陽気で明るい。島田勘兵衛との出会いの際、無一文で茶店で食事を恵んでもらう為、薪割りをしている。
腕前は「中の下」あたり。自分達に住まいや、給仕をしてくれる村民の利吉を何かと気遣う心優しい面をもつ。
村を襲う野武士集団の塒に奇襲をかけた際、利吉を助けようとして逃げ遅れ、野武士の種子島(鉄砲)の餌食となり落命。
侍集団の初めの犠牲者となる。
片山五郎兵衛(片岡義男)
町の素浪人だが、なかなか優秀な人材。島田勘兵衛の人柄を気に入り、仲間入りする。
侍集団の軍師的役割を果たす。常に冷静沈着。久蔵が剣の達人であれば、五郎兵衛は知の達人と言えようか。
野武士と戦う為、島田勘兵衛と一緒に策を巡らし、村を要塞化させようと尽力する。
戦闘中、敵の種子島(鉄砲)に撃たれ落命。侍集団2人目の犠牲者。
久蔵(宮口精三)
放浪しながら剣の道を究めようする剣の達人。白昼の果し合いの最中、島田勘兵衛と出会う。戦う前から勝負は決していたが、相手の無理強いで、やむなく相手を切り倒す。
戦い方にも人柄が偲ばれ、常に己の鍛錬・向上を目指す、厳格な人間。初めは仕官を断るが、後に侍集団に加わる。
仲間に加わった後も己の身を弁え、則を超えず、たんたんと仕事をこなす。職人的イメージであろうか。
敵の陣地の忍び込み、戦利品として敵の種子島(鉄砲)を持ち帰る。
戦闘中、敵の種子島を受け、落命する。
侍集団3人目の犠牲者。
岡本勝四郎 (木村功)
放浪しながら、修行を続ける若侍。島田勘兵衛に出会い、人間的魅力に取りつかれ弟子入りを所望する。
正式には弟子入り許可はされなかったが、実質的に弟子入りが叶う。
出身はかなり裕福な家の出らしい。侍集めに村を出てきた村民が、騙され大事な白米を盗まれた際、自分の身銭を村民に与え、他の侍にバレない様に米を買ってこさせる心優しい一面がある。
なかなかの人情派。若さ故、幼い面もある。
村民が侍からの襲撃をおそれ、山里に隠れた村娘と出会い、恋に落ちる。
その出来事が侍と村民の間に、微妙な影響を及ぼす。
志乃(津島恵子)
村人万蔵(藤原釜足)の娘役。父に侍たちから身を守る為、髪を切られ男装させられる。若侍岡本勝四郎と出会い、恋に落ちる。
父親の自分勝手の保身的な振る舞いや娘の恋などで、他の村人と微妙な距離感が生ずる。
村民 利吉(土屋嘉男)
村民代表で侍探しに町に出かけた4人の1人。最も村民の中で、好戦的人間。
それには理由があり、過去に野武士の襲撃で収穫を略奪されるのを避ける為、バーター取引で自分の女房を差し出した経緯がある。
それ故、野武士を殊更、憎んでいる。村に来た侍に家を提供、給仕をこなす。
侍集団が野武士の塒(小屋)を急襲する際も同行している。その時、昔の女房に出会う。
女房は初めは気付かなかったが、昔の夫と気付き、失意の中、焼けた小屋に入り焼け死んでいる。
村民 万蔵(藤原釜足)
利吉と一緒に侍を探しに町まで出かけた1人。利吉とはそりが合わないらしく、喧嘩ばかりしている。
常に利己主義で自分保身ばかり考えている。
利吉に今度は自分の娘を差し出すおそれがあると指摘され、侍から娘を守る為、髪を切り男装させる。
村民 与平(左卜全)
とろく、何か間抜けな役柄。他の3人と侍探しに町に来るが、何か締まりがない。
浪人に騙され米を盗まれるなど、度々ヘマをやらかす。
村に戻っても何かやる事なす事、締まらない。
此の人物が、当時の農民の姿を映し出しているのかもしれない。それは農民だけでなく、現代の庶民の姿も同じかもしれない。
世の中の動きに慌てふためき、自分の力ではどうする事もできない非力な現代人の姿を。
世の中の大きな渦に巻き込まれ、おそれ慄きながら死んでいく、力なき人間の姿を。
或る意味、人間の儚さを具現化しているのかもしれない。
戦いの最中も右往左往しながら、最後には野武士の槍に突かれ、死んでいく。
儀作(高堂国典)
村の長老の役割。侍を雇い村を守る策を提案する。村に野武士が襲撃さた際、最後まで住処を移動せず、命果てる。
村民が相談に行った時の発言が含蓄深い。
「腹がへりゃ、熊だって、山降りるだ」
以上が主な登場人物だが、何気にこの時代はまだ駆け出し、下っ端だったのであろうか。今では大物と認識されているが、当時まだエキストラで出演している人物がいる。
島田勘兵衛が子供を人質にとった盗人を刺殺するが、盗人役は後のなんと「水戸黄門」の黄門様で有名な「東野英治郎」が演じている。
何回見直しても、自分には見分けが付かない。
町で行き過ぎる浪人侍役を「仲代達也、宇津井健、加藤武」が演じている。後の3人の活躍は承知の如く。
如何に昔の映画界では、厳格に下積み・徒弟制度等が罷り通っていたのかと実感できる映像。
仲代達矢は同じ黒澤明作品、「影武者」にて武田信玄の影武者役を演じ、宇津井健はいろいろTVでも活躍した。加藤武は「金田一耕助」シリーズでは、いつも間抜けな刑事役を演じている。
見所
島田勘兵衛が仲間の侍を集めていくシーンが面白い。
木賃宿で島田勘兵衛のが岡本勝四郎に言い聞かせるセリフが何気に浪人侍の本心を突いている。
勘兵衛の登場人物紹介欄でも述べたが、浪人生活の辛さと惨めさを説いている。他の浪人達の心情を代弁したものと言え様。
「戦に出て、手柄を立てる。一国一城の主となる。そう考えているうちにいつの間にか髪が白くなる。その時は親もなければ、身内もいない」
時代背景は、1587年(天正15)あたり。
菊千代が持っていた家系図では、天正2年生まれとなっていてる。事実であれば13歳になる。
菊千代は決して13歳とは思えないが、年代特定の材料になる。
万蔵が侍に娘をとられるのをおそれ、娘を男に見せかける為、娘の髪を切った事が原因で村民が動揺する。万蔵だけ抜け駆けした為、他に娘がいる家が危険な目に遭わないように、同じ事をする可能性がある為。
侍集団が村に行くまで、菊千代が絡んでいくのがシーンが面白い。
侍を村に連れて来た時、村の人間が警戒してなかなか姿を見せない。村社会独特の閉塞感とでも言おうか。
菊千代だけは何故か承知した様子。それは自分が農民出身で、村民の心情が分かる為。
村民は侍たちを怯えているが、野武士が来た時は侍を盾に、逃げ隠れする様子が何か滑稽。
怖い時には自分達が先頭に立たず、他人を押しやり、陰に隠れようとする臆病さ・狡さを描いている。
菊千代が村民の槍訓練をしている時、与作が本物の槍を持っている。
菊千代は村民が落ち武者狩りをして、手に入れた槍と悟る。農民が生きる為の強かさとも言えようか。
菊千代が村民から落ち武者狩りで手にいれた戦利品を見て、侍たちは動揺する。
それは皆かつて自分達も落ち武者狩りに遭った経験がある為。
その時の菊千代のセリフが的を得ている。
侍たちが落ち武者狩りの経験があると云う事は、今まで負け戦ばかりしている事。
逆に負け側にいる為、浪人生活を送っているとも言える。
菊千代の言葉が、他の侍の胸に鋭く突き刺さる。菊千代が百姓出身と分かる場面であろうか。
村の防備の為、村外れの家々は放棄する戦法。
しかし村外れの住民たちは納得せず、従わない。戦いの輪から逃れようとするが、団結を乱すとして島田勘兵衛に叱責される。
様子を探りに来た物見を捕まえた時、積年の恨みであろうか。村民が皆武器を持ち、殺害しようとする。
侍たちが必至で止めるが、息子を殺された盲目の老婆が鍬をもち、物見に復讐を果たす。
恨みの深さを思い知られる場面と云える。
村外れの水車小屋が焼かれ、幼児を救出した際、菊千代が泣き崩れるシーンがある。
それは泣いている幼児を見て、昔の自分の姿を重ね合わせた為。
野武士と戦うに従い、最初は怯えていた村民も徐々に戦闘に慣れ、逞しくなっていく姿が伺える。
菊千代が抜け駆けで敵地に乗り込み、種子島(鉄砲)を手にいれて来るが、単独行動を島田勘兵衛にきつく戒められる。
決戦前夜、岡本勝四郎と志乃の逢引が村民に知れ渡り、村民が動揺する。
戦闘がおわった時、林田平八、片山五郎兵衛、久蔵、菊千代が落命。侍側の犠牲は4人となる。
戦いが終わり、村民が田植えをしているシーンで映画の幕が閉じる。生き残った侍は、島田勘兵衛、七郎次、岡本勝四郎の3名。
岡本勝四郎は志乃と結ばれることなく村を去る。
島田勘兵衛の言葉が印象的。
と呟き、犠牲になった4人の侍と村民の塚をしげしげ眺め、村を立ち去る。
追記
最初に登場する野武士集団の鎧姿は、後のスピルバーグ監督映画「スターウォーズ」に登場する「ダース・ベーダ」のモデルになったのは有名な話。
村民が儀作の処に相談に行く時、水車と小川がクローズアップされる。それは後の伏線。
フイルムが古い為か所々、セリフが聞き取れない処がある。
演じている各役者は、他の黒澤明監督の作品にも数多く出演している。
劇中の盲目役の御婆さんは役者ではなく、素人さんらしい。近所の老人ホームの老婆の模様。
長い間、「荒野の七人」が七人の侍」を基にしたリメイクと知らなかった。私自身、「荒野の七人」を先に見た為。
何故かと言えば、版権の関係らしい。
今でもそうだが、日本は版権の管理に関して昔から若干、お粗末な処がある。
黒澤明監督の作品もつい最近まで見れなかったのは、版権の関係。版権の為、なかなかビデオ、DVD、ブルーレイなどにできなかった。
因って今の若い映画監督世代は、幼少から黒澤明監督の作品が見れたが、今の40代~50代の監督は若い時、黒澤明作品を見れなかった。
この事は映画界おいて、不幸な出来事だったと思われる。もっと若い頃に見ていたならば、様様な素質が開花していたかもしれない。
「荒野の七人」のDVDを見た際、監督・出演者の「ユル・ブリンナー」が「七人の侍」を見た後、即座に西部劇で撮りたいと思った。
直ぐに日本にいた代理人弁護士に依頼し、「七人の侍」の版権全てを買い取った。その為、日本では公開終了後、作品をみる事ができなかった。その事実を知った時、何か複雑な心境だった。
因みに黒澤明監督は、リメイクの版権を許諾していなかったらしい。
昔気質の風潮が蔓延り、結果的に版権の所有が曖昧になり、どさくさ紛れの中、外国にしてやられた様な気がしてならない。
著作権の疎さ、プロモーション下手とでも言えば良いのか。
今後、日本の優れた作品の原案等が製作者の意図に反し、海外に流失する事態は避けてほしい。
(文中敬称略)