ガンダムの出現が、主人公のイメージを変えた。アニメの名セリフ

昔見たヒーローもの。今回は、そのイメージを覆したアニメ「ガンダム」について述べたいと思います。

 

ヒーロー物のイメージの変化

 

最近ネットニュースの記事中、時々むかし見たアニメのセリフが使われているのを散見します。

そのアニメは「ガンダム」です。アニメ中で登場したキャラクターが発したセリフを引用したと思わる記事が、チラホラ見受けられます。

リアルタイムで見ていた人間には印象深く、引用された言葉をみれば、すぐに気付きます。

それ程、当時の子供たちに影響を与えたとも言えるでしょう。

 

結論から言えば、ガンダムはアニメ・実写版に係らず、それまでのヒーロー物のイメージを根底から覆したと言えます。

何故覆したのかと言えば、其れまでのヒーロー物の主人公は初めから強い。

悪者と戦う際、相手を打ち負かし、正義は必ず勝つという所謂「勧善懲悪」のパターンでした(時代劇も同じ構造かも)。

 

昔のヒーローもの
★アニメでは、
バビル二世、、キャシャーン、マジンガーZ、グレードマジンガー、勇者ライディーン、グレンダイザー、ゲッターロボ、ボルテス5、ガイキング等。

★実写版では、
古くは月光仮面、マグマ大使、仮面ライダー、ウルトラマン、ゴレンジャー、デンジマン、忍者キャプター、ワンセブン、人造人間キカイダー、ジャッカー電撃隊等。

★時代劇では、
水戸黄門、遠山の金さん、大岡越前、暴れん坊将軍、江戸を斬る、必殺仕事人等。

 

しかしガンダムの主人公「アムロ・レイ」少年は、決して初めから強くはなく、自らの意思で戦争に身を投じ、戦ったのではありません。

初めは只の民間人でした。それが今までのヒーロー物とは明らかに違います。否応なしに、戦争に巻き込まれたと言って良いでしょう。

それがアニメを通じ、節々に見られます。

アニメの進展と供に、弱々しい少年が色々な体験を重ね、一人前の青年に成長する過程が描かれています。

 

成長する過程の中で、視聴者が共感できる数々の名シーン・名セリフが誕生しました。

おそらく発した人物は実社会での自らの成長と、アニメ主人公の姿を重ね合わせていたのではないかと思われます。

 

実際、私自身がそうでした。

今回アニメ中で使われた懐かしいセリフを、独断と偏見で述べたい思います。

 

※今回はあくまで、初代ガンダムに限定します。何故なら、私はそれ以降のシリーズは見てませんのであしからず。

 

ガンダムが登場した時代背景

 

ガンダムが登場したのは1979年。まだ当時、ロボットアニメが盛んな時代だったと思います。

当然私も、ロボットアニメに夢中でした。その時、ガンダムが登場しました。

 

正直に言いますと、私はガンダムが初めて放送された時、小学校の低学年であり、あまりアニメの内容・各セリフが理解できませんでした。

当時のロボットアニメの様に主人公が操る強いロボットが登場。悪者のロボットと対戦し、勝つというパターンでした。

子供の頃は、只やみくもに戦闘シーンを見て楽しんでいたと言うのが本音です。

 

ガンダムにも戦闘シーンもありますが、所々に人間臭いシーンが沢山あります。

人間ドラマとでも言うのでしょうか。

ロボットアニメに、ドラマ性・人間性を持ち込んだと表現すれば良いかもしれません。

 

低学年の頃は、セリフ等の深い意味が理解できませんでした。

私がガンダムに興味を持ち、面白さを理解できたのは、おそらく数年後の再放送時だったと思います。

 

映画ブログで何度も述べていますが、見た当初は理解できなかったが、後になり理解できるようになったと言えます。

それはまさしく、自分自身の人間的成長とも言えるかもしれません。

何度も見直す度に、新たな発見と内容の深さを実感しました。大人になっても楽しめる、いろいろ示唆に富んだアニメだったと思います。

 

今では世代が一回りし、子供の世代が数年前に見ていました。次は孫の世代でしょうか。

それ程、強烈な印象を与えていたとつくづく感じます。

取り敢えず、頭に浮かんだものを何の蟠りもなく、選んでみました。以下になります。(順不同)

 

数々の名セリフ

 

ザクとは違うのだよ、ザクとは

 

アムロが「ランバ・ラル」「グフ」と対戦した際、今まで「ザク」としか戦っていなかった為、アムロはグフの性能に驚く。

その時ランバ・ラルが発した言葉。

劇中ではアムロが若干、戸惑っていた様子。

 

数ヶ月前(当時2019年)、新型宇宙探査機「はやぶさ」が披露された際、開発者の一人が、このセリフを捩り

「前作とは違うのだよ、前作とは」

と発言していたのが印象的でした。きっとこのセリフが念頭にあり、発言したものと思われます。

 

・原作 :矢立肇・富野喜幸

・総監督:富野喜幸

・製作 :創通エージェンシー・日本サンライズ

・企画 :日本サンライズ 

・題名 :アニメ「機動戦士ガンダム」引用

 

自分の力で勝ったのではないぞ。モビルスーツの性能のおかげだと云う事を忘れるな

 

「ガルマ・ザビ」の死後、仇討として地球に派遣されたランバ・ラルが、ガンダムとザクの進化型グフで戦う。

グフがガンダムに敗れ、ランバ・ラルがグフから脱出する際、アムロに投げ掛けるセリフ。

 

ランバ・ラルとしては、

「たまたまモビルスーツ(ガンダム)が優れていただけで、パイロットとしての能力は決して負けていないぞ」

と言いたかったのであろうか。

 

それに対するアムロのセリフが

「負け惜しみを」もなかなかのセリフ。

 

番外:ランバ・ラルが戦いの最中、アムロに吐いたセリフで

「時代が変わった様だな。坊やみたいなのが、パイロットとはな」も有名。

 

グフを失った後、ランバ・ラルは白兵戦で「ホワイトベース」に乗り込むが、再びアムロのガンダムに邪魔され覚悟の上、手榴弾で自決を図る。

 

白兵戦でホワイトベースに乗り込んだランバ・ラルだが、戦いの最中、セイラ(本名:アルティシア・ソム・ダイクン)に遭遇。

昔の思い出が頭を過り、非情に成り切れず、油断した隙にリュウに撃たれ負傷。

 

最後にギャロップのハモンと交信するが、その時のセリフも又印象的。

「ランバ・ラル、戦いの中で戦いを忘れた」

と呟く。

偶然セイラに出くわし、懐かしさのあまり油断した自らを指すのだろうか。

 

引用先:同上掲載

 

それでも男ですか。軟弱もの

 

サイド7のでの爆撃中、「カイ・シデン」が連邦の基地に辿り着いた時、カイの言動に腹を立てた「セイラ・マス」がカイを殴り、発した言葉。

 

セイラは劇中でも分かるが、性格が相当きつい。それを如実に表した言葉かもしれない。

同様に「そんな不良みたいな口の利き方、おやめなさい」もなかなかきつい。

 

※「カイ・シデン」ご存じの通り、「紫電改」を捩ったものと考えらえる。

 

引用先:同上掲載

 

見せて貰おうか、連邦のモビルスーツの性能とやらを

 

戦場で数々の手柄を挙げ、出世していたシャアの自信ともとれる。何かふてぶてしさが漂うセリフ。

サイド7から脱出をするホワイトベースを攻撃しようと、専用ザクで向かうシーン。

この時、シャアは初めて戦場でアムロが乗り込んだガンダムに出くわす。

 

以後アニメでは、アムロのガンダムと数々の戦闘を繰り広げる。

 

引用先:同上掲載

 

坊やだからさ

 

シャアは策略で、「ガルマ・ザビ」を滅ぼす。

シャアが「ガルマ」の兄「ドズル・ザビ」から軍を解任され、地球を放浪。

地球のTVで「ギレン・ザビ」の演説を聞いた際、発したセリフ。

要するに、ガルマが「ボンボン育ちの世間知らずの甘ちゃんだった」と言いたいのだろう。

 

此のセリフは、かなり含蓄がある名セリフ。

シャアはアニメの設定では20歳だが、それ以上の年齢を思わせる。

 

いつも思うがガンダムのキャラ自体、設定の年齢より10歳ぐらいプラスして考えても良いかもしれない。

因みにアムロは、当時15歳の設定。

 

アニメ上の年齢設定
アムロ15歳、シャア20歳、ブライト19歳、カイ17歳、ハヤト15歳、セイラ17歳、フラウ15歳、ミライ18歳、リュウ18歳、カツ8歳、レツ6歳、キッカ4歳、デギン65歳、ギレン35歳、ドズル28歳、キシリア24歳、ガルマ20歳、ランバ・ラル35歳、ララア17歳

 

※ドズル28歳、キシリア24歳の設定だが、TV版ガンダムでは、35話『ソロモン攻略戦』の時、「姉上のいるグラナダ」とドズルが発言しているのが、魔訶不思議。

 

引用先:同上掲載

 

悲しいけど、これ戦争なのよね

 

「スレッガー・ロウ」「ソロモン攻略」にて、ドズルが操縦する「ビグ・ザム」に突撃する際、発したセリフ。

 

スレッガーは何か最後まで陽気で惚けていたイメージだが、言葉は何気に鋭く戦争の本質を突いている。

尚スレッガーは、ビグ・ザムに体当たり。撃墜され、戦死する。

 

ビグ・ザムに突撃する前、アムロのガンダムと合体。Gアーマーになっていた。

スレッガーが囮となる事で、ガンダムは分離後、ビグ・ザムを倒す事ができた。

スレッガーは敢えて犠牲になる事で、連邦軍を救った。

 

引用先:同上掲載

 

あんなの飾りです。偉い人にはそれが分からんのです

 

ア・バオア・クーの最後の戦いで、シャアがモビルスーツ「ジオング」の足がついてないのをメカニックに尋ねた際、メカニックが答えたセリフ。

 

一介の名も無きメカニックのセリフだが、なかなか含蓄のあるセリフ。

現代の官僚主義・序列社会を皮肉った言葉ともいえよう。何気にポイントが高い。

 

引用先:同上掲載

 

遅すぎた和平工作など、何の役にもたたない

 

最後の戦い「ア・バオア・クー」で「ギレン・ザビ」が、「デギン公王」の所在を尋ねた「キシリア」に対し、答えたセリフ。

 

和平交渉に向かったデギン公王を、「ソーラレイ」の攻撃で連邦の船もろとも吹き飛ばした。

その理由を尋ねた時の回答。

 

引用先:同上掲載

 

兄上も意外と甘いようですね

 

父親を殺したギレンをキシリアが問い詰め、射殺する間際に発したセリフ。

 

セリフ後キシリアは、ギレンを射殺。指揮権を掌握する。

 

引用先:同上掲載

 

まだ僕には帰れる処があるんだ、こんな嬉しい事はない

 

最後の戦いのア・バオア・クーでホワイトベースとガンダムが沈み、爆発する寸前にアムロが「コア・ファイター」で脱出。

先に「スペース・ランチ」で脱出していた仲間を見つけ合流する際、発したセリフ。

 

人間、帰る処だあると云う事が素晴らしいという意味であろうか。

それは正に名セリフ。それはアムロに限らず、サイド7から運命を共にしたホワイトベースのクルー全員にも云える。

 

本当の家族とは散りじりになったが、苦楽を共にしたクルー全員は、今本当の家族となった。

そう思える最終回だった。

 

早期打ち切りとなったが、製作側も40年の時を経て称賛されるとは、夢にも思わなかったのではなかろうか。

それとも当時打ち切りとなったが、いつか再評価される日が来ると信じていたかは、定かでないが。

 

引用先:同上掲載

 

◆この言葉を最後にナレーションが入り、アニメが終了する。

 

映画版なども、なかなか面白い。

「機動戦士ガンダム パート2 哀戦士」

「機動戦士ガンダム パート3 めぐりあい宇宙」

で採用された「井上大輔」氏の曲が素晴らしい。今でも耳に谺しています。

 

他にもまだまだ沢山ありますが、咄嗟に思い付いたものを順不同で羅列しました。

 

追記

 

説明するまでもないが、「サイド3」は第二次大戦の「第三帝国」を唱えたナチスが支配した当時の「ドイツ帝国」を意味する。

ギレン・ザビは、「ヒトラー」がモデルとなっている。ギレンの演説は、ヒトラーの演説を捩ったもの。

「ジーク・ジオン」は、「アイル・ヒトラー」を示唆したものと思われる。

 

アニメ中で、アムロの人間的成長に大きな影響を与えた人物と言えば、「シャア」「ランバ・ラル」

二人がアムロに放ったセリフの数々が、なかなか奥深い。

ランバ・ラルは家族愛が薄く、父親とあまり接触がなかったアムロが成長する過程において、父親的役目を果たしている。

 

シャアはアムロにとり、ライバルと同時に兄的存在だろうか。

「ブライト・ノア」も兄と云えなくもないが、ブライトの場合、多少アムロに対する多少の嫉妬の様なものが、暫し垣間見られる。

「マチルダ・アジャン」は、アムロの憧れのお姉さん的な存在。

 

弱々しい主人公が色々な経験を重ね成長していく姿は、当時のヒーローものにはあまり見られなったパターン。

大概最初から主人公が強く、群がる敵を力でなぎ倒していくのが定番だった。

敢えて似たようなアニメキャラと言えば、松本零士氏の「銀河鉄道999」「星野哲郎」だろうか。

 

ガンダムに関しては同世代の子供が熱中し、アニメの影響でプラモデル・キャラクターカード等、あらゆるものを集めた記憶がある。

勿論、当時私も夢中になった。

今では殆ど残っていないが今年の連休中、私物を整理した際、大昔のプラモデルが幾つか押し入れの中から出てきた。

 

懐かしさのあまり、思わずしげしげと眺めてしまった。見つけてしまったのが運の尽き。

少年時代の様に、無性に組み立てたくなった。

幸いモデラー時代、揃えた道具が残っていた為、一つ一つ点検し再開を計画中。

 

しかし皆さんも経験があるかと思いますが、塗装作業は家族には不評。

何故なら、家じゅうシンナー臭くなる為。何か対策を考えねば。

 

しかし徐々に歳をとり、つくづく自分の人生を振り返る時期に来たと、改めて実感した。

時代は令和だが、昭和時代のガンダムが無性に懐かしく感じられた。

 

(文中敬称略)