東京郊外、宅地造成のブームに潜む闇 松本清張『新開地の事件』

★松本清張 短編小説シリーズ

 

・題名      『新開地の事件』

・文藝春秋    文春文庫  「証明」内、『新開地の事件』 

・発行      昭和51年 4月25日

・発表      昭和44年 2月 オール読物

 

登場人物

♦長野直治

東京郊外、先代から続くN新田の農家の当主。現在56才。家族は妻のヒサと娘の富子。

ヒサとは27才の時、見合いを経て結婚する。直治は商才は長けているが、生来の怠け者。

野良を嫌い、酒ばかり吞んでいる。その為、ヒサからきつく当たられている。

娘の富子は43才の時できた、遅く生まれた子。

 

♦長野ヒサ

農家の当主、直治の妻、50才。直治とは、21才の時、結婚する。37才の時、娘富子を出産。

結婚後、富子はかなり遅くに生れた子。酒ばかり喰らい、あまり働かない亭主を煙たく扱う。

 

♦長野富子

父直治、母ヒサとの間に生れた子。両親がかなり高齢の頃、出来た子供。性格はやや、大人しい。

 

♦長野忠夫

旧姓、下田忠夫。東京で修行をする為、九州から来た菓子職人。修行先の主人の頼みで、長野家に間借りする。

年は、26才。間借りする中に直治とヒサに見込まれ、3年後、富子と結婚。直治の婿養子となる。

 

あらすじ

近年、住宅ブームの影響により、東京郊外の武蔵野付近で宅地造成が行なわれた。

舞台となる長野家は、東京郊外の農家。宅地造成の波に乗り、土地を切り売り。一儲けした。

他人の目からすれば長野家は、金が入り、家庭円満と思われた。

 

しかし何処の家庭もそうだが、何かしら人には言えない問題を抱えて居る。

長野家も多分に漏れず、そのような問題を抱えていた。

 

長野家の問題は、当主の長野直治と妻のヒサとの夫婦仲。

直治は元来の怠け者。その上、大酒飲み。ヒサはヒサで、人には言えない悪癖があった。

二人の悪癖はやがて娘富子、養子の忠夫を巻き込み、不幸な結果を齎す羽目となる。

 

その不幸な結末とは。

 

要点

作品が描かれた時代背景には、当時の東京郊外で起こっていた宅地造成が絡んでいる。

今回作品の主役となった長野家は、宅地造成ブームにより農地を売り、大金を手にした。

 

大金を手にして上手くいくかと云えば、決してそうでない。当主の直治が相場に手を出し、大損。

生来の鈍らで大酒飲みの直治は、益々妻ヒサに頭が上がらなくなった。

二人には遅くにして生まれた娘富子、13才がいた。計算すれば直治43才、ヒサ37才の時の子供。

 

そんな長野家に1年後、変化が訪れた。

菓子職人の見習いとして九州からやって来た下田忠夫という26才の男が、長野家に間借りする事となった。

 

下田忠夫は職人としては腕が良かったが、無骨な風貌で不愛想。決して色男という雰囲気でなかった。

その為、年頃の娘を抱えた直治とヒサは、決して間違いは起こるまいと安心。

直治は寧ろ忠夫に好意を持ち、何気に親切に扱った。

 

それから2年の月日が流れた。忠夫は元々職人として腕もよく、仕事熱心だった為、見習いから職人に格上げとなった。

修行先の主人は、忠夫は既に一人前。主人は皆伝免許を与えたが、何故か忠夫は九州には帰りたがらなかった。

 

理由は、九州に帰っても使用人のまま。独立して店を構える資金もない。それであれば、此処で更に腕を磨きたいとの事だった。

主人は、忠夫の願いを快諾した。その頃になれば忠夫もすっかり長野家夫婦に気にいられ、家族同然の扱いを受けた。

 

其の後ヒサは、忠夫を娘富子と結びつけるような動きをした。

翌年には忠夫を婿養子として長野家に迎えるよう、直治に勧める程になった。

 

直治もそれはよい事と判断。しかし農家の婿では具合が悪い。

其処でヒサは長野家の残りの田畑を売り、その資金で忠夫に店を持たせる事を提案した。

 

後は富子の意思次第。富子も忠夫を嫌いではなく、二人の婚姻は急遽決まった。

忠夫30才、富子18才の時だった。

 

富子はヒサから、高価なダイヤモンドを買って貰った。

忠夫は田畑を売った資金を基に、新宿の近い場所で、小さな店を開いた。

 

店は繁盛、人を雇うまでとなった。長野家は人が羨む程、平和な家庭に見えた。

しかし平和に見えたのは上辺だけで、人様には見えない危険な因子を長野家は宿していた。

 

1年後、長野家に変化が訪れた。直治が脳卒中で半身不随となった。原因は酒。

今迄辛く当たっていたヒサは、直治をかいがいしく看病した。養子の忠夫を直治を大切にした。

一方、忠夫と富子の仲は睦まじく、店は繁盛。拡大しようとしていた忠夫と富子の計画は頓挫した。

 

1年後、直治が厠に行く途中、庭の石に足を取られ、頭を打ち、死んだ。

ヒサと富子は家にいたが、何故か直治は一人だった。直治、63才の生涯を終えた。

 

直治の35日の法要が過ぎ、3人間でヒサの身の振り方が問題となった。

富子はヒサに、

「母も一人になった為、家と残りの田畑を売り、一緒に過ごせばどうか」

と提案した。

 

忠夫と富子の狙いは、家と田畑を売った資金で店を拡大する目的だった。

処がヒサは、何故か強硬に拒絶した。

ヒサは、

「亡夫直治との思い出の場所であり、離れるのは嫌だ。もしお前たち(忠夫と富子)がこの家から店に通うのは構わないが」

と述べた。ヒサ、56才だった。

 

俄に長野家にさざ波が立ち始めた。勿論原因は、土地を売る売らないの争い。

あれだけ大人しく見えた忠夫が、明さまに義母ヒサを罵り始めた。罵り声は、近所に聞こえる程だった。

 

ヒサは近所に忠夫の態度に対し、愚痴をこぼした。

近所に人は同情する振りをしながら、ただ好奇心でヒサの話を聞いた。

富子は二人の間で板挟みになりながら、何も出来ない様子だった。

 

ヒサは初めは忠夫の言動に抵抗していたが、徐々に弱くなっていく様子だった。

そんな状態が1年近く続いた。

 

1年後、忠夫と徳永夫人との間に妙な噂が立った。徳永夫人とは、富子が中学の時の教諭。

富子の嘗ての、憧れの先生。夫人はその徳永教諭の妻だった。

徳永夫人は、資産家の娘で結婚以前はかなりの恋多き女性として有名だった。

 

徳永夫妻は長野家の近くに住み、忠夫が作る菓子のお得意様だった。

忠夫は夫人から注文を受けた際、直接自宅まで届けた。そんな縁があり、忠夫と徳永夫人の関係の噂が立ち込めた。

 

忠夫と徳永夫人の噂が流れた後、今迄忠夫の罵りに堪えていたヒサが、必死で忠夫に抵抗し始めた。

世間では、 娘可愛さに、ヒサが養子の忠夫を罵るのだ と理解した。

争いは次第に悪化。ヒサに手を出し、ヒサが逃げ回る物音が外に漏れた。

そんな状況下で、事件が起きた。

 

ヒサと忠夫の関係が悪化した3ヵ月後。ヒサが自宅で、何者かに殺害された。発見者は、帰宅した富子だった。

帰宅後、いつもとは様子が違うと感じた富子は家に入らず、外から警察に通報した。

 

警察の調べではヒサは就寝中、何者かに絞殺された。死体には抵抗した後はなく、ひも状なもので首を絞められていた。

物取りの犯行に見せかける為、財布から現金が抜かれていたが、明らかに怨恨による殺人だった。

 

警察医は犯行時刻は、午後8時前後と判断。

因みに富子は店を午後7時半頃にでて、午後9時頃帰宅。養子の忠夫は菓子組合の慰安旅行(箱根)で留守だった。

 

富子は夫にヒサ殺害を知らせる為、宿泊先の箱根に隣人の電話を借り、連絡した。

連絡した富子だが、忠夫は急用があると言い、午後5時半頃外出したとの事だった。

 

旅行の幹事は忠夫が宴会を口実に、浮気でもしているのではないかと勘繰り、富子にバツの悪い返事をした。

忠夫はそのまま、行方不明となった。

 

警察は富子からの事情聴取、近所等からの聞き込みにより、忠夫を容疑者と断定。

全国に指名手配した。

 

2週間後、長野忠夫は九州の小さな町の旅館で逮捕された。逮捕時、かなり憔悴していた。

忠夫は東京に護送中、時折何故か安堵の表情を浮かべた。

 

忠夫は取調べの際、義母ヒサを殺害しようと箱根を出発。富子が帰宅する寸前に犯行を決行。

犯行前、就寝しているヒサに合掌。其の後ヒサに馬乗りとなり、ヒモでヒサの首を絞めたとの事。

 

ヒサを殺害後、強盗を装う為、ヒサの財布から現金を奪い逃走。そのままタクシーを拾い、新宿まで行った。

しかし不意に殺人を犯した事、アリバイの無い事で恐ろしくなり、そのまま大阪行きの汽車の乗った模様。

自殺も考えたが、なかなか決心がつかず、彷徨する中に九州に逃れ、其処で警察に逮捕されたとの事だった。

 

警察の調べを終え、忠夫は警察から検察に送致された。

忠夫の事件を担当した検事は、初めは警察の調書にほぼ間違いないと判断した。

 

しかし検事は忠夫の或る証言に疑問を抱いた。

それは忠夫がヒサを殺害する前、ヒサに対し合掌したという箇所。

 

検事は

 「生前憎悪していた相手に、忠夫が合掌するだけの心の余裕とゆとりがあったのだろうか」 

と疑問が湧いた。

 

検事はふと、妻が身に付けている或る物に気づいた。それは妻が身に付けている指輪だった。

検事は或る推測が頭に浮かんだ。検事は留置場を訪ね、再び忠夫を尋問した。

 

尋問の内容は、ヒサを殺害しようとした現場には既に人がいて、忠夫はヒサ殺しの犯行を目撃したのではないかと。

その人物は、富子だったのではないかと。つまり忠夫は、富子を庇っての自供だったのではないかと。

 

検事の指摘に忠夫は顔を伏せたままだったが、検事の或る言葉で己の間違いに気づき、真実を告白した。

検事の言葉とは、

 

女は何か大事な仕事をする時、指輪を外す習性がある。富子は実母ヒサを殺害する直前、指輪が邪魔になり、指輪を外した。

 

指輪を外す仕草を忠夫は遠くで見ていた忠夫は、富子が母に対するお詫びの行為として合掌しているように見えたのではないか

 

だった。

 

其の後富子が警察に呼ばれ、富子はヒサ殺しを自供した。調べに対し富子は

忠夫とヒサの関係は、自分が15才の頃から知っていた。亡父直治は薄々知っているようだった。

私が17才の時、ヒサは忠夫を離すまいとして、カモフラージュを兼ね富子との婚姻を勧めた。

 

富子は忠夫が嫌いでなく、又父直治も忠夫を気に入っていた為、忠夫との婚姻を了承した。

ヒサは罪滅ぼしの為か、富子に高価なダイヤの指輪をプレゼントした。

此処から、歪な関係の4人生活がスタートした。

 

可笑しな生活は一年続いたが、直治が酒が原因で半身不随となった。

1年後、ヒサは直治を突き飛ばし、直治は庭の石に頭を打ち、死んだ。

明かな殺人である。富子は偶然、その現場を目撃した。

 

現場を目撃した富子は、母の犯行に何も言えず、沈黙した。富子は沈黙する事で、母と共犯関係になったような気持ちとなった。

その気持ちは次第に母への憎悪となった。

 

更にヒサは直治が死んだ事で、忠夫との関係を執拗に迫った。

忠夫は関係と断ち切ろうと思いながら、ズルズル関係を続けた。

忠夫と時折ヒサに対し、手を出す事もあったが、それは富子からすれば、馴れた夫婦のじゃれ合いと見えた。

 

忠夫の打擲に耐えていたヒサも、忠夫と徳永夫人との関係が噂されるにつれ、今度は忠夫に激しくつっかかった。

世間では娘富子に対しての背信行為とみなし、ヒサが忠夫を罵るものだと判断していた。

 

富子はそんな母を見て、怒りが頂点に達し、犯行に及んだとの事だった。

富子は既に母ではなく、夫を奪った女であり、共犯意識も犯行の動機となったと自白した。

犯行は凡そ警察の調べと、忠夫が自供した通り。

 

母ヒサを絞め殺す前、指輪を手から抜いたのは、指輪が邪魔だった事。

指輪を買って貰った母に対するせめても詫びと云った処だったと述べた。

その指輪を外す行為を見ていた忠夫は、富子が合掌したように見えたのだ。

 

富子は更に忠夫の行動を警察から聞き、大概の事情を呑み込んだ。それは忠夫は恐らく、自分と同じ事をしようとしたのだと。

しかし忠夫が捕まり嘘の証言をした事で、富子は忠夫の裁判が始まった時、真実を告白する心算だったと述べた。

 

何故そんな事をしようとしたのかと云えば、

 忠夫も長い間、自分(富子)を苦しめ続けてきた為、復讐の意味もあった 

と述べた。

 

追記

1960年代、東京五輪が開催され、日本は漸く戦後からの復興を遂げた。

それに伴い、東京郊外では都心で働く人を対象とした宅地造成が盛んに行われた。

今回小説の舞台となったのは、俗に「三多摩地区」と呼ばれた地域の一つ。

 

その土地では先祖代々続いた農家が宅地造成のブームにより、農地を手放し、大金を手にする一家が存在した。

長野家も、その一つ。大金を手にした事で一家が良くなると思いきや、逆に一家崩壊となってしまった皮肉。

 

形は違えど、当時そんな家庭があったであろう。清張はそんな家庭を想像し、今回の作品を描いたのかもしれない。

確かに、何処の家庭でも起こり得る出来事。普段あまり大金を持った事のない人間が、急に大金を手にすれば、身を持ち崩すのはよくある話。

そんな戒めを込めた作品とも言える。

 

更に作品のもう一つ隠されたテーマを挙げるとすれば、子が親を殺害するという、所謂「尊属殺人」であろうか。

今でもそうだが、尊属殺人はかなり量刑が重いとされている。

 

作品中では、娘富子が母ヒサを殺害する内容となっている。

清張は何気に尊属殺人に対するある種の疑問があったのではないかと推測する。

何故なら、当時の裁判では如何なる理由があろうとも、尊属殺人では情状酌量の余地はあまりなかった。

そんな状況に一石を投じたのかもしれない。

 

さらに穿った考えをすれば、殺人を犯した富子には、長野家の財産を相続する資格はない。

理由は、富子は親殺しを犯し、犯罪者となった為。所謂「相続欠格」。

富子は相続欠格となり、代わりに相続人となったのは、長野忠夫(旧姓:下田忠夫)。

忠夫は忠治と養子縁組を結んだ為、相続権が発生した。

 

何という人生の皮肉。忠夫は紆余曲折を経て、長野家の財産を独り占めにする事ができた。

それは決して、バラ色の人生ではなかったが。

最後の疑問として、長野忠夫は事件後、長野富子と離婚し、旧姓の下田に戻ったのであろうか?

 

(文中敬称略)