手頃な娯楽が、高級化した時。現在の「ポケカブーム」を見つめて

日本の中世期、庶民の娯楽と云われるものが、多く存在した。

中には、現在まで至り、そのまま身近な娯楽として楽しめるものもある。

 

しかし一方では、庶民の手から離れ一部の愛好者のみに重宝がられ、そのまま庶民の元を離れ、高級化。

今では、とても庶民の手に届かない存在になり果てたものがある。

今回は何気に庶民の娯楽だったものが、いつの間にか庶民とは懸け離れた存在になったかの理由を述べたい。

殆どが、最初は庶民の娯楽だった

初めの序説と此の章のタイトルで今回の話題の結論が出てしまったが、分かり易く説明する為、簡単な具体例を挙げたい。

中世期、日本の庶民の娯楽をとり上げたい。

それは「猿楽、田楽、能、生け花、お茶」等であろうか。

 

現代人の感覚では上記に挙げたものは、現代では高尚なものとされ、一部の人達が嗜むものと意識している人がいるのではないだろうか?

かく言う私も若かりし頃、一部の教養の高い、金持ちがするものと認識していた。

 

しかしある時をきっかけに、その意識が全く違ったものだと理解した。

前述した今では日本を代表する伝統文化と呼ばれる各種は、実は初めは庶民の娯楽から、世間に広まった事実を知らされた。

 

田楽、猿楽、能等は、現在の「歌舞伎」の源流になったと云われている。

田楽は田植えの前の神事として行われた儀式が、庶民の娯楽となり、能に繋がり、そのまま歌舞伎の元となったと伝えられている。

狂言などは、能の合間に演じられた余興で、風刺性の強い喜劇であり、当時の庶民にもてはやされた。

 

庶民の娯楽が時の権力者に庇護された時

現在、日本の伝統文化と呼ばれるものは、ほぼ中世の室町時代につくられたと云われている。

特に室町時代で前述した文化を庇護した人物は、時の将軍だった。

主な将軍として三代目将軍「足利義満」、八代目将軍「足利義政」。

 

二人の人物は中学の社会科の時、聞いた事があるかと思います。

二人が推奨した文化は「北山文化」「東山文化」と呼ばれました。

 

足利義満は「金閣寺」、足利義政は「銀閣寺」を建立したと云えば分かり易いかもしれません。

時の権力者である将軍が、庶民の娯楽だったものを積極的に保護した。

 

結論から述べれば、

此れが現在まで続く日本の伝統文化の誕生であり、同時に日本の伝統文化で在り乍、最も庶民からかけ離れた存在となってしまった瞬間

と云える。

 

何故かと云えば、時の権力者に庇護されるまでの庶民の娯楽は、当時の身分が低いものが中心となり、支えられていた為。

当然、身分の低い者で支えられていた為、手軽に庶民が手に触れ、嗜み、体験する事ができた。

 

その庶民の娯楽を支えていた人物が、時の権力者に重宝がられた時、その娯楽と人物は格が上がり、庶民には手が届かない存在となる。

 

此の現象は古今東西、不思議と同じ運命を辿る。

 

足利義満が庇護した芸能は、主に「能」。有名な人物は、「世阿弥」。

同じく足利義政は、特定の人物はいないが、主に文化全般(水墨画、作庭、生け花、お茶)を庇護した。

時の権力者に庇護され庶民の娯楽が上流階級に広まった結果、起こった現象は何かと云えば。

娯楽の高級化、専門化が行なわれた。

 

その結果、起こった出来事は、庶民にはとても手に届かない存在となってしまった。

文化の流れを見れば、大概この流れになる。又、その逆も然り。

文化は此の繰り返しで、流行り廃りが行われた。

 

今「流行り廃りが行われた」と描いたが、一部の人では、前述して伝統文化は今でも存在する為、決して廃っていないと主張する方がいるかもしれません。

私が述べているのは、あくまで庶民の視線と云う事に限定します。

 

以前、何かのブログで述べたかもしれませんが、

「庶民の娯楽が権力者に庇護された時、それはその娯楽の継承者が一生安泰になると供に、一般の人の手から離れ、高級化してしまう切っ掛けとなる恐れがある」

と言えるでしょう。

日本の伝統文化の家元制等は、典型的な例でないだろうか。

 

賛否両論、色々あるが、この家元制が日本の伝統文化を庶民から遠ざける原因の一つと云えるかもしれない。

最も貧乏人の私には、全く関係ない話だが。

 

卑近だが、現代でも通じる話

長々と中世に発祥した日本の伝統文化の話をしたが、これは別に何も日本の伝統に限らず、身近な現代生活にもよくある話でないかと、最近気づいた。

先程からの話に比べ、俗っぽい話となるが、身近な例で子供の遊びを挙げたい。

それは今流行りの「ポケモンカード」と呼ばれるもの。

 

いきなり身近なもの過ぎて、上記に述べたものと比較して、実感が湧かないかもしれない。

実は私も一昨年まで、その存在すら知らなかった。

去年、偶然に通称「ポケカ」というモノの存在を知った。

 

認識した切っ掛けは、身近な人間が「ポケカ」に凝り、その人気の秘密を知った為。

どうやら人気の原因はカード遊びもさることながら、ある一部のカードに、途轍もない値段がつくという事が分かった。

中には一枚、「100万円以上」するカードもあるらしい。

一枚、100万円の値段が付く事すら驚きだが、中には高額カードを狙い、所謂「転売屋」が存在する事も知った。

 

転売屋とは、ある人気商品を仕入れ、高値で売り抜ける人物を指す。

転売行為は「せどり」とも云うそうだ。

その高額カードを狙う為、新作のカードの発売日に開店前に並び、商品を買い占める行為が横行していると聞く。

 

その出来事を聞いた時、私は大昔のゲーム「ドラゴンクエスト」、ナエキのシューズ「エアマックス」が流行った当時を思い出した。

ポケカブームは、全く同じ現象ではなかろうか?

 

つまり儲かる、利ザヤが稼ぎが目的となった時、本来その商品のターゲット層の許に届かず、全く別世界で商品が取引されてしまう。

 

本来のターゲット層は商品を鑑みるに、おそらく子供を対象としたものと推測する。

私が調べた処では、前回の新商品の販売日は、2023年1月20日(金)。

前回は2022年12月2日(金)だが、いずれも発売日の開店後、僅かな時間で完売した模様。

 

店の開店時間が午前10時とすれば、平日の金曜日は大概の御子さんは、学校にいっている筈。

中には休んで開店前に並んだ人もいるだろうが、おそらく満足した枚数を購入できなかったのではなかろうか。

果たして此れが、対象とする層の遊びと云えるだろうか。

 

ポケカ遊びに詳しい人に聞いたが、1ボックスには、20パックか30パックが入り、1パックには6枚か5枚のカードが挿入されているとの事。

 

20パックの時は、1パック6枚、30パックの時は、1パック5枚が入っている事が多いという。

つまり1ボックスで、20×6=120枚、30×5=150枚のカードが挿入されている計算。

 

その中でレアカードと呼ばれるカードが存在、各1ボックスには、ほぼ同じ封入率で入っている模様。

因みに、1パックの値段は、約170円。1ボックス買えば、約5000円以上する。

 

此処までの話で、既に脱落している人もいるでしょう。

私も初めて話を聞いた際、なかなか理解できなかった。

 

更にレアカードの中にも、それぞれ優劣が存在。

その優劣により、先程の値段が決まる仕組み。

 

値段を決めるのは、やはりそのカードが愛好者間で、人気があるかないか。

此処まで話を聞いた時、私は既に子供の趣味の領域を超えていると悟った。

 

最近では1ボックスおろか、手にすら入らない状態。

又ポケカに詳しい人物に聞いた処、最近地方では、なかなか手に入らない。

地方では1ボックスはおろか、購入制限があり、それすら変えない様子。

理由は、先程述べた通り。

 

店が開くと同時に完売となり、欲しい層の全て商品が行き渡らない。

私にレクチャーして下さる人物も、今回と前回を含め、2度買いそびれた。

その人物が呟いた台詞が、今回の核心をついている。

その台詞は、

 

「折角プレヤーとしてカードゲームを楽しもうとしているのに、手に入らない。此れでは面白くない。2度、買いそびれた事で取り残され、徐々に興味が薄れてきた」

 

此れが買えなかった人の本音。

 

私も大昔、同じ気持ちを味わった過去がある。

それは幼少の頃、流行った通称「ガンプラ」。

当時ガンプラは、子供の間で大人気だった。

 

しかし私の住む地方では、全く手に入らず、常に予約待ち。その予約も沢山の順番待ち。

そんな状態が続く中、次第に興味が薄れ、軈て興味がなくなってしまった。

 

皆様にも、似たような経験があるのではないでしょうか。

ガンプラに限らず、自分の興味あるモノに置き換えてみれば、分かり易い。

 

昔のTV番組、漫画等も同じ。

連続してみていたものを一度見逃せば、後の話題についていけなくなり、次第に興味が薄れていった経験があるかと思う。

それと全く同じ構造。

 

結局最後は、お金がある者が有利

前章ではレアカードの高額化を説明したが、遊び方にも同様な事が言える。

ポケカでは「デッキ」と呼ばれる一連のカードを構築。そのカードで相手と対戦。

将棋に喩えれば、カードが将棋の駒のような役目を果たすと言えば良いかもしれない。

 

対戦相手に勝つためには、当然、強いカードが必要。

その強いカードを集めるには、やはりお金が必要となる。

 

前章で述べた封入率だが、大抵強いカードは確約されている訳ではないが、1ボックスに約1枚封入されているようだ。

何も知らない私は、一枚あれば充分と思った。

しかしプレーヤーにすれば、一枚だけでは足らず、大概は4枚ほど必要との事。

 

4枚必要と云う事は、1ボックス1枚として、最低4ボックス買わなければならない。

4ボックスとなれば、前述したように1ボックス約5000円として、5000円×4=20000円の計算。

強いデッキをつくるには、約20000円以上は必要。此れは子供にとり、相当な出費。

 

更に聞くところによれば、毎回新弾が出れば強いカードが出現。

そのカードも月日が経てばレギュラー落ちとなり(使えなくなるらしい)、又新たな強いカードの購入が必要との事。

 

この話を聞いた時、私が以前ブログで書いた「商売の秘訣」を思い出した。

つまり、「無限ループ」。初めに戻り、永遠に繰り返される仕組み。

 

①対戦に勝つ為、強いデッキをつくる必要あり。

②お金を遣い、強いカードを集める。

③強いカードを集め、対戦に勝つ。

④或る日、版元からそのカードは今後使えませんとのお達しがくる。

結果、①つまり振り出しに戻る。

 

此れは、ボロイ商売。

販売元も無限ループが繰り返される。

更にカードの人気化、レアカードの高額化で版元も、現状を見て見ぬふりをしているのではないかとさえ、感じた。

 

だいぶ最初の日本文化の話から遠のいたが、何れも根は同じ。

つまり初めは庶民の身近な娯楽として栄え、発展したモノが、いつの間にか一部の人に持て囃され高級化。

やがて庶民の娯楽ととは懸け離れた存在となってしまう。

 

ふと思い出したが、以前ブログで漫画「包丁人味平」を紹介した。

日本料理の名人、父塩見松造の子味平が、何故父とは異なり、洋食の道を志したのか。

理由は、味平の一つの疑問だった。

どうして日本料理が、日本人とは懸け離れた存在となってしまったのか。

 

多少ニュアンスは違うかもしれないが、大体はこの様な理由だったと記憶している。

つまり日本料理で在り乍、一般家庭ではほどんどお目にかかる事がなく、洋食が家庭で食される。

その答えは、やはり日本料理は「高いから」。

毎日、そんな高い料理が食べられないからだと思う。

 

今、何かと話題の寿司も同じ。

一般庶民は回転寿司はいけるが、カウンターのみの寿司屋に行くには、なかなか勇気がいる。

理由は、値段が高いと思う為。結論は全て「高い」からに尽きる。

 

今回の結論は冒頭、途中で何度も述べたが、庶民の娯楽として始まった娯楽が、或る時を境に高級化、そして一部の人の為のモノになった時、それはその娯楽の普及が止まった時と認識して良いのではないか。

 

娯楽を支える人は此れで一生安泰となるかも知れないが、長い目でみればそれは娯楽の限界を示し、それ以上の普及は望めないのではないかと危惧する。

 

確かに一部の娯楽となり、高級化、専門化となるかもしれないが、娯楽を支える層がいなくなった時、果たしてその娯楽は維持できるのだろうかと疑問を感じる。

 

敢えて名前を出したが、他に例を挙げれば、幾つか存在する。

例えば「相撲」「野球」等も同じかもしれない。

 

相撲(角界)も此れ迄、何度も不祥事が発覚。

自浄作用する機会は何度もあったが、その都度、曖昧な措置でお茶を濁し、いつの間にか無かったものとされている。

現在の相撲を支えている層を考えれば、何時しか先細るのは明らか。

相撲ファンは大概、老齢の層。

老齢のファンが将来いなくなった時、今の角界を維持できるか、甚だ疑問。

 

野球も日本では高校野球があり、今でも人気スポーツだが、日本では少子化が進行。

将来的に野球をする層が減少するのが予測できる。

 

更に世界を俯瞰するに、野球は主に「東アジア、北米、中南米、南米の一部、豪州」等に限られる。

昨年開催されたサッカーWCに比べ、世界規模とは言い難い。

今の中に手を打たなけらば、何れ人気のないスポーツとなる可能性もある。

 

文化の話から始まり、現在の娯楽、最後はスポーツ等に言及し、とりとめのないブログとなったが、何れにせよ諄いが、庶民の娯楽が庶民の娯楽でなくなった時、それは娯楽の発展が限界に来た時と云えるのではないだろうか。

 

(文中敬称略)

 

追記

ポケカの話で書きそびれた為、新たに加えたい。

それは既に購入者の間で明らかな「不公平」があるのではないかという事。

 

具体的に述べれば、新弾のポケカ販売日。

一般人であれば、ネットで予約後、抽選。

抽選に外れた場合、発売日当日、大手家電量販店・コンビニ等で、当日販売を狙う。

 

しかし不思議な事に、発売日の朝方(時間的に午前6時頃)、YouTubeで開封動画がUPされている。

大概は深夜の都会のコンビニを周り、零時を過ぎた後、販売日になりボックス買いをした人。

 

中には何故か、業者とも思われないような個人が、カートン(カートンとは1ボックスが12個、それとも10個の事)開封の動画を、午前6時の段階で映像がUPしている。

此れは一体、どう云う事か?

 

カードショップ等の買い取り業者であれば、納得がいく。

しかし明らかに業者には見えない、個人が堂々とカートン開封動画を上げているのを私は見た記憶がある。

此れは明らかに不思議というか、疑問を呈せざるを得ない。

理由を考えれば、明らかに卸売り業者から、何らかの便宜が図られているものと思われる。

 

結局、開封動画を挙げる事で益々、購買者の購買心を煽るのが目的。

諄いようだが、開封動画は、一般の小売店が開店する午前10時前の事。

 

此れが明らかな、「不公平」と云われる所以。

尚、都会のコンビニであれば零時を境に、1ボックスを売ってくれる。

しかし地方のコンビニではおそらく、1ボックスの購入は不可能と思われる。

喩え買えても、制限つきの何パックと推測する。

 

或る意味、都会と地方の格差。

都会と地方の格差については、若かりし頃、私も経験した。

それは前述したが、私が以前関心を持ったゲーム「ドラクエ」或いは、「ファミスタ」で。

 

私は高校まで、地方で育った。進学の際、上京。大学時代、東京で過ごした。

東京在住の頃、都会のあらゆる便利さを経験した。

その中の一つに、東京では人気ゲームソフトは予約をしなくても、大型家電量販店で当日買えるという事を体験した。

 

皆様の中には、「なんだそんな事か」と仰る方がいるかもしれません。

しかし当時、田舎から出てきた人間にすれば、衝撃的でした。

 

話を戻しますが、大概個人で深夜コンビニを周り、午前6時の段階でYouTubeにて映像を挙げている方は、大都市在住の方々。

地方では、なかなか手に入らない。

 

此れもポケカ大会に参加する上で、何時も同じ人が参加。上位を独占する理由の一つなのかもしれない。

版元もポケカ宣伝の為、有名ユーチューバーを広告塔として利用、又は便宜を図る事もあろう。

 

何度か某有名ユーチューバーの開封動画を見たが、やはり宣伝の為、版元から便宜が図られているものと推測する。

此れが結局、一般人にすれば、「不公平感」に繋がるのではないか。

 

繰り返すが、ポケカの新弾は大概、平日の金曜日に発売される(午前10時)。

金曜日の午前10時と云えば、学校が休み、或いは社会人で休みでなければ、買いに行く事はできない。

学生なら学校をズル休み。社会人であれば、有給が取れれば別だが。

 

結局、本当に欲しい人に行き届かない。一儲けしようとする人の餌食になっている感が否めない。

上記の不満を解消しない限り、今後ポケカのこれ以上の発展は難しいのではないかと思う。

 

さて皆様は、どうお考えでしょうか?

(令和5年 2月10日付)