物事には何にでも、案内人が欲しいものだ 『徒然草』上巻 第52段

最近、吉田兼好の「徒然草」を初めて紹介しました。今回から、シリーズ化してみたいと思います。

今回は紹介する作品は、前回も少し触れましたが、古典の授業で必ず取り上げられる作品。『仁和寺の法師』です。

 

・出典元      『徒然草』

・上巻       第52段 引用

・出だし      仁和寺の法師

 

◆原文

仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心憂くおぼえて、あるとき思ひたちて、ただ一人徒歩より詣でけり。

極楽寺・高良などみて、かばかりと心得て帰りにけり。

 

さて、かたへにあひて、

「年来思へることはたしはべりぬ。聞きしにも過ぎて貴くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに、山へ上りしは、なにごとかありけんと、ゆかしかりしかど、神へまゐるこそ本意なれと思ひて、山まではみず」

とぞ言いける。

 

少しのことにも先達はあらまほしきことなり。

 

<参考>

・仁和寺

京都市右京区御室にある、真言宗の寺。開祖は宇多天皇。早咲きの桜で有名。

 

・石清水

京都府八幡市にある神社。旧称「男山八幡宮」。

 

・極楽寺

京都市左京区にある天台宗の寺。通称:真如堂と呼ばれている。

 

・高良神社

京都府八幡市の石清水八幡宮の麓にある神社。

 

・かたへ

仲間、同僚

 

・先達

案内人、誘導者。

 

◆現代語訳

仁和寺に所属していた法師が、歳を取る迄、石清水八幡宮を参詣しなかった。その事が気懸りで、或るとき思い立ち、ただ一人で歩いて石清水八幡宮を詣でる事にした。

 

八幡宮の山麓にある極楽寺・高良神社をみて満足し、これだけなのかと思い帰ってしまった。

帰った法師は同僚たちに、長い間思っていた石清水八幡宮詣でを、ついに実現しました。前から聞いていましたが、とても貴いものに感じました。

 

「処で八幡宮に参詣する人々が、山頂に上がるのは、どうしてだろうか。何かあるのかもしれないと興味はありましたが、八幡宮の本宮を参るのが本来の目的だった為、山頂に上らず帰ってきました」。

 

と云いました。

些細な事でも、案内人が欲しいものだと思った(兼好法師の感想)。

 

◆要点

人生を生きてきた中で、今迄成し遂げる事ができなかった事を、念願が叶い、やっと成し遂げる事ができた。

しかし本人がやり遂げたと思っていた事は、実は勘違いだったというオチであろうか。

筆者の兼好法師は最後に、物事には何にでも水先案内人が欲しいものだと結んでいる。

 

因みに作品は此処で終わっているが、仁和寺の法師から聞いた仲間達は、「それは途中で、本宮は山の上だ」と云う事を、果たして教えたであろうか。

それが何気に疑問。

 

人間、丁寧に教えて貰った方が良いのか。それとも知らないまま、一生を過ごした方が幸せなのか。

意見が分かれるかもしれない。

 

さて、皆様は何方の意見に賛成でしょうか。

 

◆追記

余談だが、石清水八幡宮を参ろうと思ったのは、仁和寺の法師。つまり仏教徒。石清水八幡宮は、当然神道。

宗教が仏教と神道では、まるで違う。しかし日本の場合、奈良時代「神仏習合」なるものが行われ、境界線が曖昧だった。

それは明治以降の「神仏分離令」が行われるまで続いた。八百万の神を云う様に、日本では結構あいまいな事が多い。

諸外国では、先ず考えられない事だが。

しかし鎌倉仏教の普及で日本も宗派間では厳しくなり、戦国時代の織田信長が出現するまで、激しい宗派争いが続いた。

 

実は私も過去、同じ経験をした事がある。それは大昔の高校での、修学旅行の出来事。

行き先が九州の長崎で自由観光の際、友人数名と「オランダ坂」の見学にいった。

 

見学に行ったのはよいが、オランダ坂の場所が分からず(当時は地図のみで、スマホの地図などない時代だった)、オランダ坂近くの普通の坂をオランダ坂だと思い、友人と写真撮影した。

 

その時、現地の人から何をしているのかと尋ねられ、

「オランダ坂を見学して、写真撮影をしています」と答えた処、

 

現地の方が、

「オランダ坂は、もっと上にあります。此処は只の坂」と云われ、赤っ恥をかいた経験がある。

 

最も今となっては、懐かしい思い出だが。

その写真は今でも現存しているが、何かの拍子に写真を見た際、ふと当時を思い出し、思わず笑ってしまう。

 

(文中敬称略)