幽玄の中の、一瞬の興ざめ 『徒然草』上巻 第11段

今回は珍しく、古典を取り上げます。

取り上げる古典とは、昔中・高校時代に必ず学んだと思われる吉田兼好の『徒然草』の一部です。

あまり難しいものでなく、皆様にも親しんでもらえる内容を紹介したいと思います。

 

そう云えば、ブログを立ち上げた時、兼好法師の徒然草の序の段を引用しましたが、まだ一度も取り上げていなかったのが我ながら不思議と言わざるを得ないかもしれません。

 

・出典元     『徒然草』

・上巻       第11段 引用

・出だし      神無月の頃

 

◆原文

神無月の頃、来栖野といふところを過ぎて、或る山里を尋ねいることはべりしに、はるかな苔の細道を踏み分けて心細く住みなしたる庵あり。

木の葉に埋もるる筧のしづくならでは、露おとなふものなし。

 

閼伽棚に、菊・紅葉など折り散らしたるは、さすがに住む人あればなるべし。

かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、

 

かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝のたわわになりたるが、

あたりをきびしくかこひしこそ、少しことさめて、

この木なからましかばとおぼえしか。

 

<参考>

・神無月   旧暦の10月の異名。

・来栖野   現在の京都市山科区の事。

・筧     地上にかけ渡し、水を導くモノ。

・閼伽棚   仏前に供える水や花をおく棚の事。

・柑子    現在の柑子みかんの事。みかんより、やや小さい。

 

◆現代語訳

10月の頃、所用で来栖野を通り、或る山里を訪ねる事があり、遥かに続く苔の道を踏み分け、ひっそりくらしている庵を訪ねました。

木の葉に埋もれている筧に滴る水以外、全く音がしない。

 

閼伽棚には、菊や紅葉等が折り散らして供えているのをみれば、成程の人が住んでいるからであろう。

此のようにして、人は住めるものだと感慨深く思っていた処、

 

向うの庭に、大きな柑子の木があり、枝には沢山の柑子が実っているのが見える。

その柑子の木の周りを厳重に囲っているのを見た時、少しばかり興ざめした(高尚な心持ちだったのが、一瞬にして俗世間に引き戻されたような気持ち)。

 

思わず心の中で、「もし此の木がなかったならば、よかったのになぁ」と思った次第だった。

 

◆要点

筆者兼好法師が所用で来栖野に来た時、人里離れた場所で寂しさを感じる処に誰かが住んでいる庵がありました。

木の葉に埋もれた筧の水が音を立てるのみで、他に音もしない。

しかし閼伽棚を見れば、菊・紅葉が添えてあるのを見れば、流石に住人がいるからだ。

 

つまりよく言われる、侘びと寂びを感じていた兼好法師だったが、たった一つ興ざめした事があった。

それは柑子の木に囲いがしてあった事。

 

何故、囲いがしてあったのか。

それは人が柑子を盗むのを防ぐ為。つまり「泥棒除け」。

 

人里離れた処で滅多に人がいない処でも、盗みがあり、又それを警戒する人間がいる事が分かり、今迄幽玄世界に浸っていた筆者が、一挙に興ざめした瞬間であろうか。

 

現代人でもよくある、良いなと思っていた人が、一瞬の仕草・言動で興味が失せてしまう事。

あれと同じ心境であろうか。

 

若しくは、今迄調子よかったが、最後の段階でミスを犯し、全てを台無しにしてしまったような雰囲気であろうか。

皆様にも、きっとご経験がある筈。

 

古典をみれば何時も思うが、昔の今も人間の行動・思考は、然程変わりがないと云う事が改めて実感できる。

古典に限らず、暫し紹介する歴史も同じものなのかもしれない。

 

◆追記

昔中学で初めて古典を学ぶ時、大概徒然草が使われたと思われる。一番初めに触れた古典が、徒然草だった。

おそらく徒然草の代表の一つとして「上巻第十一」が、教科書に掲載されていた。

それ程、有名な話と思われる。

 

あと一つを挙げれば、「仁和寺の法師」で始まる話ではなかろうか。

懐かしさのあまり、初めに取り上げました。本日は、ほんのご挨拶を云う事でご了承願います。

 

尚、現代訳はあくまで私の主観に基づくものですので、テストなどに参考になさらないよう、お願いします。

古典は正確な解釈云々ではなく、後世の人間の宝物だと思っていますので、人それぞれの見方があると思い、読んでいただければ幸いです。

 

(文中敬称略)