さり気ない一言が、犯人の心を揺さぶった話 松本清張『反射』

★松本清張短編小説シリーズ

 

・題名          『反射』

・双葉社         双葉文庫

・発行          1995年5月  発行 【「顔」内】

・発表          角川文庫    1956年8月

 

登場人物

◆霜井正雄

梲の上がらない、しがないサラリーマン。雨宮スミ子とは、スミ子が以前店勤めをしていた時から続いている。続いてはいるが、特別愛情を深いと言う訳ではない。だだの惰性と、時々スミ子から金を借りるのが目的。

或る時、スミ子が愛人から大金を手渡されると聞き、スミ子を殺害して大金をせしめる事を計画する。

 

◆雨宮スミ子

33才の元ホステス。現在は山本周造の愛人として、囲われている。山本の愛人であるが、以前の店から付き合いで、霜井とも惰性で関係を続けている。

 

◆山本周造

会社を経営する初老の老人。スミ子の愛人でもある。スミ子を囲い、月々手当を宛がう。最近会社の業績が好調な為、愛人のスミ子に大金を渡そうとする。

 

◆香春警部

雨宮スミ子殺害の捜査に当たる警視庁捜査一課の刑事。霜井正雄をクロと断定。再度霜井を署に呼び、自ら取調べを行う。取調べの際、あらゆる手法を駆使。何とか霜井の証言から矛盾を引き出そうと努める

 

◆安藤警部補

スミ子殺害の際、容疑者として霜井正雄を取り調べた人物。

 

あらすじ

霜井正雄は梲の上がらないサラリーマンだった。霜井には以前から惰性で関係を続けていた女がいた。

女の名は、雨宮スミ子。年齢33才、元ホステス。新宿の場末の店で働いていた時、霜井と知り合った。

惰性で続けているが、互に愛情は薄い。

 

霜井は安月給の為、暫し愛人の雨宮スミ子に金を借りていた。スミ子にはもう一人、愛人がいた。もう一人の愛人は山本周造、会社経営をする初老の人物だった。スミ子は山本から家を宛がわれ、月々の手当を貰っていた。

スミ子は霜井に金を貸す際、タダで貸す事はなかった。大概ぶつぶつ文句を言い、渋々貸すといった有様だった。

霜井は、スミ子のそんな態度に不満だった。

 

或るとき、霜井はスミ子が山本から臨時の大金を貰う話を聞きつけた。何でも山本が経営する会社が好調で、山本がスミ子に手当をはずむとの事だった。

 

その話を聞いた霜井はスミ子が手に入れる大金をせしめようと計画した。スミ子から大金を手に入れる為には、スミ子を殺害しなければならない。

其処で霜井は綿密な計画を立てた。殺害方法、アリバイ、奪った金の隠し処など。

色々考えた末、霜井は殺害方法は返り血を浴びない為、又は凶器の始末に困らない為に扼殺。

アリバイは意図的に作るのではなく、ごく自然にしかし確認するのがなかなか困難な方法で、更に金の隠し場所は自宅でなく、偽名で銀行口座を開設。口座に預ける事にした。

 

殺害当日、霜井は仕事帰りにスミ子の家に寄った。スミ子は前日山本から大金を渡されたようで、機嫌がよかった。

霜井はスミ子に大金が入った事を確信。犯行に及んだ。

 

犯行後、霜井は奪った金を隠すため、銀行にて口座を開設する為に出かけた。霜井は口座を偽名で開設する為、印判屋で偽名の為の立派な印鑑を作った。

霜井は口座申請書に「霜井」ではなく、「阿部」と云う名を使用した。

処が霜井は、妙な気持に駆られた。

大金を手にした霜井であるが、偽名で銀行に預けた際、何かお金が自分の手元から逃げていくような気持ちになった。

霜井は金を預ける直前で偽名の「阿部」ではなく、本名の「霜井」を使い金を銀行に預けた。

金を預ける際、霜井が何時も使う、安っぽい木製の判子を使用した。

 

死体発見の夜、早くも霜井は被疑者として警察署に呼ばれ、取調べを受けた。取調べの際、霜井は以前から練習していた答えを取調官に述べ、尋問をのらりくらりと躱した。

取調べ後、警察の霜井に対する心象は、明らかにクロだった。クロではあるが、物的証拠はない。あるのは、状況証拠のみ。

其処で警察は霜井を再度、取調べる事にした前回の取調べは警部補だったが、今回はベテランの香春警部だった。

香春警部はあらゆる手で、霜井に揺さぶりをかけた。揺さぶりをかけたが、霜井はなかなか尻尾を掴ませなかった。

 

流石の警察も状況証拠ではラチがあかず、霜井を釈放する事にした。釈放の際香春警部は必要書類に、霜井に認印を求めた。

霜井は取調べ後の釈放、解放感があったのか。思わず肌身離さず持っていた、安っぽい木製の判子を取り出した。

 

香春警部は霜井が安っぽい判子には不似合いな立派な判子入れ、霜井がその安っぽい判子を如何にも大事そうに扱う仕草に注目した。

香春警部に指摘にされた霜井は、思わずぎょっとした。

あと少しで計画が完成する処だったが、自分の僅かなスキで計画がバレた事を自覚せずにいられなかった。

警察は間もなく、「霜井」と関係すると思われる銀行口座を見つけ、霜井の逮捕に踏み切るであろうと。

 

要点

この作品で面白い処は、霜井が犯行後奪った金を隠す際、偽名で口座を開設しようとした。

いざ口座開設の段階で偽名であれば、折角手にした大金をふいにしてしまうという小心が湧き、断念。

その小心故、犯行が露呈してしまうという話。

 

言葉では説明しきれないかもしれないが、何か自分か計画していた事が現実のモノとなった時、何かその現実がまだ受け入れられないような感情であろうか。

スポーツの選手が練習を積み、大会で優勝を成し遂げる。インタビューなどで感想を聞かれた時、「まだ実感が湧きません」と答える人が多い。それと同じ感覚だろうか。

それと同時に普段から大金を手にした事にない人が急遽大金を掴んだ際、どうしてよいか分からず、一度手放してしまえば、二度と自分の許に戻ってこないという不安感であろうか。

 

霜井は限りなくクロに近い容疑者であったが、香春警部の執拗な尋問を苦心して躱した。

証拠不十分でいざ釈放される直前、供述調書に判子を押す際、立派な判子入れからさも不似合いな、いつも使う木製の粗末な判子を、とても大事そうに取り出した。

霜井の行動を香春警部がありのまま述べた時、霜井は思わず、ぎよっとした。

霜井の僅かな心の変化を、香春警部は見落とさなかった。それが端緒となり、犯行がバレてしまう内容。

 

原本では

香春自身も霜井の不意な表情に、びっくりした。自分が何気なく言った一言が、このように霜井に不安な表情を与えたのだ。強い反応である。しかも、予期しない反応であった。

※松本清張『反射』引用

と述べている。

 

如何にも小市民の反応と云えるかもしれない。いち市民であれば、おそらく同じ素振りをすると思われる。

警察の尋問を漸く逃れたと安心した故の、霜井のちょっとした油断だったかもしれない。

 

追記

人間があらゆる場面で、咄嗟にでる行動。清張の作品には、人間の心の機微を微妙に捉えたものが多い。心理学の知識を駆使した作品が多々見られる。

清張自身、おそらく心理学に大変興味を持っていたと思われる節がある。清張の作品を見れば大概人間の心の襞を抉るような作品が多い。

その作品自体が心理学を学ぶ上で、貴重な資料となるかもしれない。そう思わざると得ないような作品ばかりだ。

今では時代も変わり、作品のような手法(偽名口座)、街中の監視カメラなの存在などで不可能かもしれない。

しかし昔ながらの刑事と犯人との一対一の取調べ。取調官の独特な手法で、なんとか犯人を切り崩すなどのっ手法は一見に値するかもしれない。

 

因みに作品中に登場する「香春」警部と云う名は、昨年紹介した同清張作品『渡された場面』にも、同性の警部が登場する。余程清張のお気に入りの名であろうか。

 

※令和2年11月21日付

偶然他の書物をみた際、「香春」という文字を見つけました。香春は「福岡県筑豊地区、田川郡」にある町の地名と判明しました。

清張は福岡出身の為、当然「香春」と云う地名を知っていたと思われる。おそらく登場する香春という人物は、此処から取ったモノと推測する。

因みに読み方は、「かはる」ではなく、「かわら」と呼ぶそうです。

 

(文中敬称略)