流れ着いた腐乱死体。正確な死亡推定時刻は 松本清張『巨人の磯』
★松本清張短編小説シリーズ
・題名 『巨人の磯』
・新潮社 新潮文庫
・昭和 昭和51年 5月 発行 【「巨人の磯」内】
・発表 小説新潮(1970年10月号)
目次
登場人物
◆清水泰雄
九州出身の法医学教授。仙台で開かれた学会の帰り、大洗海岸に立ち寄る。
立ち寄った先の海岸で、漂着した溺死体を発見する。
◆福島康夫
漂着した腐乱死体を捜査する、地元警察の捜査主任。階級、警部補。
捜査の末、腐乱死体の身元はF県の県会議員と判明。
福島警部補は死体で発見された議員の周囲に捜査対象を絞り、捜査を進める。
捜査が行き詰まりをみせた際、死体の解剖所見について清水教授に捜査協力を依頼する。
◆水田克二郎
F県の県会議員。茨城県大洗海岸にて、漂着した腐乱死体となり発見される。
水田は視察の名目で、沖縄・台湾に旅行中だった。
◆広川博
死体となり発見された水田の義理の弟。水田が経営する建設会社に勤め、水田の秘書を務める。
死体となり発見された水田の身元確認する為、発見された地元警察を訪ねる。
◆水田キヌ子
死体となり発見された水田県会議員の妻。病弱がち。
夫の水田は女癖が悪く、夫婦仲はあまり良くない。
◆広川トミ子
水田の義弟、広川博の妻。水田の妻キヌ子とは、姉妹。
夫との夫婦仲は悪くない。
あらすじ
清水泰雄は、九州出身の法医学教授。
仙台で開かれた学会の帰り、一度見たいと思っていた大洗海岸に立ち寄った。
教授は考古学が趣味だった。
その為、常陸風土記が伝える「巨人伝説」に興味を持ち、近くに大串貝塚がある大洗海岸を訪れるのが、以前からの願いだった。
清水は目的地に到着。宿にて夕食後の散歩に出た際、海岸の岩陰で溺死体を発見する。
死体はかなり腐乱が進み、凡そ死後2週間程たったものと推定された。
清水は地元警察から形式的な事情聴取を受け、そのまま帰京する。
帰京後、暫くして地元警察の福島捜査主任から清水の許に、手紙で事件報告と捜査協力の依頼がきた。
清水は事件経過と解剖所見を見た後、自らの推理を述べ、地元警察に事件解決の糸口を与える。
要点
清水泰雄は法医学の教授だった。仙台での学会後、帰京途中に以前から関心を寄せていた茨城の大洗海岸を訪れた。
個人的な趣味による私的旅行だった。
大洗海岸の旅館に投宿。夕食後、海岸に散歩にでた。
散歩にでた際、岩陰で奇妙なものを見かけた。
調べてみれば、海岸に漂着した腐乱した溺死体だった。
清水は法医学教授の為、死体には見慣れていた。
死体を発見したが、冷静に腐乱死体の状況を判断した。
死体は長時間海に浸かり、死体が巨大化。頭皮も剥げ落ち、体内からガスが発生。
普通の人間の2,3倍にも膨れあがっていた。
翌日、清水は地元警察の事情聴取を受けた。
清水の許を訪れた地元警察の人間は、福島康夫警部補といった。
福島警部補は、清水の名刺の肩書を見るなり、すぐさま清水の素性を理解した。
清水は福島から形式的な事情聴取を受けた。
事情聴取後、福島警部補は清水に死体の検分をして欲しい素振りをしたが、清水は検視を警察医に任せ、そのまま近くの大串貝塚を見学して帰京した。
清水が帰京後、僅かばかり残っていた指紋を採取した結果、身元が判明したと福島警部補から連絡があった。
身元は茨城県の近県(F県、おそらく福島県であろうか)の県会議員、水田克二郎と判明する。
水田は公務の名目で約3週間程、沖縄・台湾に視察旅行中だった。
その旅行中だった水田が何故、大洗の海岸で腐乱死体となり発見されたのか。
解剖の結果、死体は死後約2週間ほど経過。おそらくこの近隣にて海にて溺死。
海流など考慮した末、銚子・五浦付近にて流されたものではないかと推測された。
死体の内臓から採取されたプランクトンが、近海のサンプルと酷似していた。
身元が割れた為、地元警察は死体の身内に連絡した。
連絡後、死体の家族は信じられないとの反応を示した。
何故なら、前述した通り水田は、公務の名目で沖縄・台湾に約3週間の日程で旅行に出かけていた。
家族が訝しるのも無理はない。
身内を代表して水田の義弟にあたる、広川博が死体の身元確認に地元警察を訪れた。
確認の末、死体は水田と断定された。
警察は広川から、死体となり発見された水田の人物像と人間関係を聴取した。
広川は死体を見た動揺もあったのか、あまり明確に警察の尋問に答えなかった。
捜査の結果、水田は沖縄に2泊後、台湾に出国。その日の中に日本に帰国していた。
つまり3日目には、日本にいた事になる。
警察は水田の行動に不審を持ち、捜査を進めた。警察は水田の死因を他殺と断定した。
警察は水田が隠密な行動をとったのは、何か公に出来ない訳があると予測。
水田の不審な行動はおそらく、世間の公表できない関係、つまり女との不倫関係と推測する。
案の定、水田の周辺を調べた際、怪しい関係が浮かび上がってきた。
捜査主任の福島は、捜査の対象を或る一つの分野に限定した。
それは水田の妻キヌ子と、キヌ子の妹トミ子。
そしてトミ子の夫、つまり水田の義弟にあたる広川博に。
捜査を限定したのが幸いし、色々収穫が得られた。
しかし何故、死体が水田の別荘にある五浦から死体が発見された大洗に漂着したのか。
丁度水田が殺害され海に投棄されたと思われる時期、現場では台風が北上していた。
死体は台風の影響で、普段の潮の流れと逆流。
台風通過後、再び通常の潮の流れになり、大洗海岸に漂着したと推測された。
水田は私生活の面で、かなり女癖が悪かった。
今迄は玄人(金銭面での関係)である事が多かった。
しかし今回の不審行動は、何時もとは違っていた。
どうやら今回は玄人が相手でなく素人、それも公にできない関係と想像された。
警察は水田の相手が妻キヌ子の妹、つまりトミ子だと仮定した。
上記の結果から、凡そ犯人が特定された。犯人は水田の義弟、広川博であろうと。
しかし警察は、どうしても広川博のアリバイが崩せなかった。
警察は広川博のアリバイを崩す為、死体の第一発見者で法医学教授の清水に捜査協力を依頼した。
協力を依頼した清水教授から、事件解決の糸口が福島警部補に齎された。
清水教授の推理は、要約すれば死体の腐乱を早める為、風呂で死体を熱したであろうと。
死体を熱し腐乱を早め、其の後死体を海に投棄すれば、死亡推定時刻に誤差が生じ、死後2週間経過がしたものに偽装できると。
何故死体を熱し、死亡推定時刻を狂わしたのか。
狙いは勿論、その間に犯人がアリバイ工作をする為。
アリバイ作りをして、自分はシロだという証拠を作る為の時間を作る事。
犯行は水田の義弟が妻の不貞に気づき、以前から計画を練っていたと思われる。
水田が視察旅行の名目で羽田から出発。
広川博は妻と供に羽田空港で見送る際、妻の此れからの不貞行為を惚けていたと推測する。
妻が水田と落ち合った後、計画を実行。いきなり二人の前に現れたと思われる。
二人は(水田とトミ子)、さぞかし慌てふためいたであろう。想像に難くない。
水田は必死で場を取り繕い、五浦の別荘に広川夫妻を連れていった。
到着後、広川博は犯行に及んだものと思われる。妻トミ子は、後は夫の言いなりだった。
何故なら、不貞行為をしたと言う後ろめたさがあった為。
おそらく殺された水田の妻キヌ子も水田が殺害されたと聞き、大方の検討はついたと思われる。
キヌ子も以前からの水田の不貞行為に悩まされ、夫婦仲があまり良くなく、更に病弱がちだった。
夫と妹トミ子との関係も、薄々気づいていたのではなかろうか。
状況を鑑みれば、そう断定しても可笑しくない。
清水教授からの返信後、地元警察は無事事件を解決した。
事件解決の協力をした清水教授の許に、福島警部補から感謝の電報が送られた。
追記
今回の作品は清張の他の短編小説にも見られる、死亡推定時刻を作為的に狂わせ、犯人がアリバイ作りをするのが主題。
暫し清張が採用する死亡推定時刻を狂わす為の方法は、死体の腐乱を遅らす為、死体を寒い処に一定時間放置する方法。
逆に腐乱を早める場合、死体を熱する。或いは一定時間熱い処に放置する等の方法がとられる。
何れにしても死亡推定時刻を狂わす目的は、犯人がその間にアリバイ作りをする為。
逆説的に言えば、アリバイを作る為に死亡推定時刻の差異が必要と云う事。
大概、どの推理小説もアリバイ崩しの場合、完璧とも思える犯人のアリバイを如何に崩すのが小説の醍醐味だと云える。
(文中敬称略)