地方政治家と役人の癒着 松本清張『投影』

★松本清張 短編小説シリーズ

 

・題名        『投影』

・新潮社       新潮文庫  

・昭和40年     12月発行   傑作短編集(五)『張込み』内

 

登場人物

◆田村太市

東京に本社のある、一流新聞社の元社員。

所属していた社会部の部長とそりがあわず、喧嘩後、退社。

そのまま都落ちして、瀬戸内海のS市に恋人と二人で住み着く。

 

◆頼子

東京のバーに勤めるホステス。田村太市の恋人。

太市が新聞社を辞職後、瀬戸内海のS市まで付いていく。

 

◆畠中嘉吉

S市の陽道新報社の社長。主にS市の市政を中心に新聞を発行する。

新聞はタブロイド版二枚折ほどの新聞。

 

◆湯浅新六

陽道新聞の中年記者。太市の先輩にあたる。

S市に慣れない太市に対し、何かと力になってくれる人物。

 

◆南

S市役所の土木課課長。

市の道路拡張計画に関し、市議会議員の石井円吉とトラブルになる。

或る夜、酔ったまま自転車で帰宅中、自転車ごと海に転落。そのまま死亡する。

 

◆石井円吉

S市の市議会議員。

市の道路拡張計画のおり、市役所の南土木課長とトラブルを起こす。

トラブルを解決する為、自分の子飼いで同課の山下係長を利用しようと画策する。

 

◆山下建雄

S市土木課に勤める係長。

同課の南課長の下で、石井市議会議員と親密な関係。

互いに利益を供与する。石井の力で新たに市役所内に港湾課を設立。

そのまま港湾課の課長に昇進する。

 

◆山下建雄の息子

南土木課長の自宅近くの街灯を、空気銃で打ち砕く。

今年の春、父親のコネで市役所に採用される。

 

◆溝口

S市役所に勤める。山下課長の子分的存在。

山下に命令され、夜船の中で麻雀をする。その後風邪をこじらせ、肺炎となる。

 

あらすじ

田村太市は東京の大手新聞社に勤める、20歳後半の社会部記者だった。

しかし社会部長とそりがあわず、喧嘩別れの末、退社する。

 

退社後、僅かな退職金を持ち恋人の頼子と瀬戸内海に面する、S市に流れ着く。

S市に流れ着いたのは、理由はない。只、太市の好きな釣りができる事。

学校の先輩が地方新聞社に勤め、結構羽振りが好い為、あてにしてやってきた。

 

処が当てにしていた先輩は、とうの昔に退社していた。

あてがなくなった太市は焦る訳でもなく、好きな釣りをして3ヵ月程、ぶらぶらしていた。

しかし遂に所持金も尽き、とうとう恋人頼子は地元のバーで働く事になった。

 

太市は初めは頼子の送迎をしていたが、此れではいかんと一念発起。

真剣に仕事を探す事にした。

 

しかし仕事を探すと言っても、所詮地方の事。

30近くの男にそうやすやすと仕事が見つかる訳がない。

 

途方に暮れていた時、太市は地方新聞の三行広告に小さい地方新聞の記者募集を発見。

藁にも縋る思いで、太市は応募。そのまま採用された。

 

採用されたは良いが、採用された新聞社は以前太市が勤めていた一流新聞社と比べ、規模・内容は程遠いものだった。

不覚にも太市は此処迄落ちたかと、思わず落泪した。

しかし必死に過去の新聞社と、現在の新聞社と記者に変わりはないと、自分に言い聞かせた。

 

やがて2ヵ月も過ぎた頃、太市は取材先の市役所の土木課課長の南と、市議会議員の石井が揉めている場面に出くわした。

 

太市が偶然現れた為、その場は収まったが、何やら不穏な雰囲気を太市は感ずる。

その事を先輩記者、湯浅新六に話した処、新六もそれは臭い、何かあると睨んだ。

 

二人は何気に、南課長と石井市議会議員のトラブルの因を調べ始めた。

太市と新六が二人のトラブルの原因を調査し始めた後、南課長が謎の死を遂げる。

 

太市が勤める「陽道新報」社長畠中嘉吉は、南課長の死は過失ではなく、他殺と断定。

新報社の記者太市と新六は、南課長の死の調査に乗り出す。調査の末、浮かび上がってきた事実とは。

 

要点

結論から先に述べれば、地方政治に暫しみられる「地方役人と地方政治家との癒着」。

癒着の末、今回は南土木課長が犠牲となった形。

 

此れは何も地方政治に限らず、中央政治も同じ。

高級官僚と国会議員が規模は違うが、ほぼ同じ事を行い、官僚・政治家はのし上がっていく。

国民は置き去りのまま。官僚・政治家は決して、税金(血税)の意識はない。

 

勿論、互いに政治家・公務員に成りたての頃は、そんな意識はなく正義感に燃えていたであろう。

しかし何年も同じ世界にいれば、感覚が麻痺し、可笑しい事も可笑しいと思わなくなる。

最初は匂いが気になるが、長い間その場にいれば匂いに慣れ、嗅覚が麻痺するのと同じであろうか。

 

以前紹介した清張『弱味』という作品も、似たような内容。

ある市役所の課長が市会議員に借りをつくり、その代償として書類を改竄。

結果、それ以上の見返りを迫られる話。

 

市役所の現状も、瓜二つ。現市長と助役が対立。

助役は次回の市長選に打って出る為、役人が作る書類をロクに吟味せず、判子を押す。

判子を押した後、市の政策の名の下、税金が支払われる。

 

今回は、市の道路拡張計画が浮上。

事前に情報をキャッチした市議会議員の石井が法外な立退料をせしめる為、工場とは言えぬシロモノを地主に許可もなく建設。

市に対し立退き料を請求する仕組み。

そのカラクリ知っていた南土木課長は、自分の使命感・正義感の故、石井市議の圧力・脅しに対抗していた。

 

しかし自分の将来の出世を天秤にかけた同じ土木課の係長、山下建雄が石井と結託。

石井と山下の二人は、南土木課長を巧妙な手筈で抹殺した。

 

南課長を殺害した手筈は、山下が自分の送別会(山下は石井の引けで、新設された港湾課の課長に出世。その送別会)で南課長が酩酊するのを利用した。

事前に自分のコネで市役所にいれた息子に、南課長がいつも目印にしていた街灯を空気銃で破壊させた。

 

夜間操業している工場に見せるかける為、南課長が自宅に帰る最後の十字路の対角線上にある、料亭「望潮楼」で撮影会を催行。

カメラのフラッシュを、「工場の閃光」に偽装した。

 

更に偽装をして、岸壁の浚渫船の隣に小汽船を配備。

山下は自分の子分の4人に命令して小汽船で明かりを灯し、小汽船の中で麻雀をさせ、普段南課長が目安とした街灯の様に見せかけた。

その工作の為、酩酊していた南課長は判断を誤り、自転車ごと海に転落した。

 

因みに石井市議の工場擬きの建物の立退料は、法外な値段で「港湾拡張費」から捻出されていた。

 

港湾拡張費と言えば、今回新たに設立された、港湾課の管轄。

 

つまり港湾課とは石井市議の肝いりで新設された課。

新設された課に新課長として栄転したのは、南土木課長の部下だった、山下係長。

石井市議は山下港湾課長のお墨付きで、法外な立退料をせしめた。

 

港湾拡張費は、市の港湾整備計画の為、国から補助金が出ている。

市政とは言え、元を辿れば国税。つまり、全て国民の税金。

 

これは地方政治の縮図とも言える。どの地方でも、似たような事例が行われている。

所謂「ハコモノ」と呼ばれるもの。過去、そして現在も、決して永遠に変わる事はない。

 

何故、この様な不正が罷り通るのか。清張は作品中にて、端的に述べている。

 

地方の市会議員のボス(中心人物)は市役所の役人に対し頗る横暴であり、市役所の人事など、匙加減ひとつで、どうにでもなるという事。

 

前述したが、中央も地方も政治家と役人は所詮、「一蓮托生」の身。出世したければ、互いに協力し合わなければならない。

その為役人・政治家は誰が自分に役立ち(自分の為に手足となり働く互恵関係)、自分の為に働いてくれるか、慎重に見定めなければならない。

 

一旦その枠から外れれば、互いに出世の見込みはない。一匹狼では所詮、たかが知れている。

今回犠牲になった南課長は、そんな数少ない正義感に溢れる役人だった。

その為、犠牲となったとも云える。

 

更に作品中で清張は何気に、新聞社のもう一つの顔をさりげなく述べている。

陽道新報畠中社長の言葉に、

 

「一文の広告をネダリもせん」

 

と述べられている。この言葉は或る意味、新聞社の一面を鋭く捉えている。

 

私は過去、地方新聞社の関連部署にいた経歴がある。その為、大方の事情は呑み込める。

それは役人・政治家の関係と同様、中央・地方新聞も然程変わりはない。

 

太市と新六とのおでん屋での会話中にも、同じ言葉が述べられている。

「私は大将(畠中)の事が好きですよ。何故なら金を強請らんで貧乏している処が」と。

 

さり気ないが、なかなか鋭い指摘。

太市の言葉中に

「他のアカ新聞と違い、僅か数千部の新聞だが、強制的に広告を獲る訳でもなく、寄付させる事もしない。まして恐喝まがいの行為は絶対にしない」と。

 

此れは既存マスコミにも云える。

企業がマスコミに広告を出すのは宣伝目的は勿論だが、もう一つは、マスコミ対策費。

 

「マスコミ対策費とは、なんぞや」と思う方がいるかもしれません。

私も婉曲的に「マスコミ対策費」と述べたが、こう説明すれば理解し易いでしょうか。

 

或る株式会社が自分の会社の大株主に対し、否定的な意見が云えるかどうかと言う事。

 

つまり、「多くの広告を出してくれる企業に対し、その企業の不正(スキャンダル)を自社の媒体で、大々的報道できるであろうか」と云う事。

結論を述べれば、「できません」。

 

譬え報道したとしても、他社が先に報道。

其の後、仕方なしのアリバイ作りの後追いとして、報道するのが関の山。それも頗る消極的に。

 

これは間違いない。

今後媒体(マスメディア)を注意深く観察してみれば、私の言い分が理解できる。

マスコミも決して、公器の木鐸の役目として「不偏不党」でやっている訳ではない。多少なりとも、筆を曲げる。

或いは、筆を鈍らせている場合が大いにある。

 

今回の作品は地方の市政に対する批判だが、同時にマスコミ批判も兼ねていると言う事を、頭の片隅に入れて作品を読み返せば、面白いかもしれない。

 

作品最後に主人公の田村太市が系列会社のTV局に再就職が決まり、恋人頼子とS市を去る際、こう結ばれている。

S市を去る時、駅に陽道新報社長の妻と先輩記者、新六が見送りに来た。

二人に別れを告げ、電車がホームを去り、二人が見えなくなった。

二人の残像が太市の眼に焼き付き、不思議と泪が零れた。

 

太市の心中を過ったモノは、太市と頼子が僅かではあるが、S市に残した自分達の愛惜(足跡の名残惜しさ)ではなかろうかと。

此れは「真のジャーナリストとして目覚めさせてくれた」S市に対する、太市の名残惜しさを表したのもと私には思われた。

 

追記

文中のS市とは文中から推測すれば、おそらく愛媛県西条市であろうか。

小汽船の所属する会社のF市とは、おそらく福山市と思われる。

 

陽道新聞の太市の先輩にあたる「湯浅六助」なる人物は推測するに、おそらく戦国時代の「大谷吉継」の側近、「湯浅五助」を捩ったのであろうか。

湯浅五助は戦国時代に活躍した、大谷吉継の側近だった。吉継が関ヶ原にて敗戦を悟り自刃する際、介錯した人物。

 

それを考えれば畠中嘉吉はさしずめ、大谷吉継と言う事になるであろうか。

歴史好きな清張の事ゆえ、ふとそんな推測が頭に浮かんだ。

 

(文中敬称略)