芥川龍之介の世界観 『河童』
★芥川龍之介の世界観 自殺間際の作品
・題名 『河童』
・副題 「どうか Kappa と発音して下さい。」
・新潮社 新潮文庫
・昭和43年 12月発行
・発表 昭和2年3月 『改造』 ※1927年
目次
登場人物
◆第23号:精神病院に入院する患者
◆河童バック:第23号が上高地で初めて出会った河童。河童界では漁夫
◆河童チャック:河童界の医者
◆河童トック:河童界の詩人。第23号に大きな影響を与える
◆河童ラップ:河童界の男子大学生
◆河童マッグ:河童界の哲学者
◆河童クラバック:河童界の音楽家。モデルはおそらく、ベートーベン
◆河童ゲエル:河童界の大資本家。硝子会社を経営
◆河童ぺップ:河童界の裁判官。失職後、精神病院に入院
◆河童ロック:河童界の音楽家。同じ音楽家クラバックのライバル
◆河童グルック:元郵便配達夫。以前、第23号の万年筆を盗む
◆河童長老:河童界の長老
◆河童ステュディオ:河童界の写真師。トックの自殺後、トックの家の住人
◆年寄河童:年寄り河童。出世時は老人、徐々に子供になる。他とは逆の河童
あらすじ
話をする主人公は精神病院に入院する、「第23号」と呼ばれる人間。名前もない。
第23号は3年前の夏、信州上高地で登山中、道に迷う。その際、河童に遭遇。
逃走した河童を捕獲しようとした際、何かの穴に落ち、そのまま意識を失う。
男が意識を取り戻した時、男は世にも不思議な河童の世界に足を踏み入れてしまう。
男(人間)は河童の世界では、特別に優遇されるらしい。
男は河童界で「特別保護住民」の待遇を受け、河童の世界で暮らし始める。
男は河童界で、数々の河童と知り合う中、河童の世界のいろいろ不思議な法律・習慣・しきたりを体験する。河童界では、
①機械文明が人間社会よりも発達している。
②明確な階層社会が存在。
③恋愛において河童界では雄が積極的ではなく、雌が積極的である事など。
殊更第23号が驚いたのは、河童界では人間が真面目の思う事を可笑しがる。
同時に、人間が面白いと思う事を真面目に思う等。
人間と河童では、全く逆の感情を持ち合わせている事だった。
更に驚くべき事に河童界では、子供が生まれてくる際、子供に生まれてくるかどうかの選択権が存在する事。
つまり子供が生まれる際、親が胎児?(幼児の河童)に対し、生まれてくるのか、拒否するのかを聞くのが可能。
胎児は拒否する権利も有していた。
今で言えば、「安楽死」になるのだろうか。それは他の項目にあるが、悪の遺伝子を後世に残さない為の知恵として描かれている。
河童界では、誠に合理的な社会として描かれている。
前述したが、河童社会は人間よりも機械文明が発達。
同じく文化も、人間社会と負けず劣らず隆盛を極めていた。
第23号は、河童界でも上流(エリート)階級と言われる河童たちと交流した。
第23号は作品中にて、登場するそれぞれの河童の特徴・性格を的確に捉えている。
抜け目のない大資本家の河童、ゲエル。気難しい大音楽家、クラバック。
好奇心旺盛な大学生河童、ラップ。まるで禅問答に近い哲学者、マッグ。皮肉家として描かれている詩人、トック等。
第23号は彼等との交流を通じ、人間界と河童界との日常には、あまり違いがない事に気付く。
しかし、左程変わらない乍も、人間社会における矛盾を河童社会と比較。人間社会を風刺。痛烈に批判している。
作者(芥川龍之介)は河童社会を通し、自らの心の矛盾を問いかけている。
気ままに河童社会で過ごしてきた第23号だが、第23号に心の異変が起こる。
いつも付き合っていたニヒリズムの詩人、トックの自殺である。
トックは自分自身の生き方・才能に絶望したのか、自宅でピストル自殺を図る。
第23号はトックの自殺後、河童社会にも生きる為には、何か目には見えぬが、信じるべきもの(宗教)が必要ではないだろうかと感じ始める。
・第23号は大学生河童、ラップに尋ねる。
「河童社会にも、宗教というものがあるのかと」。
・ラップは答える。
「河童社会にも、立派な宗教(生活教)が存在すると」。
第23号は早速ラップの案内で、河童界の宗教場を訪ねる。
宗教場にてラップが崇める長老に出くわす。第23号は、ラップと長老の話を聞く。
しかし第23号は暫く長老の話を聞いた後、退屈を覚えた。
長い長老の話の後、先日自殺した詩人、トックの話をした。
トックの話で重要な部分に差し掛かった際、いきなり長老の細君が割り込んできて、二人は河童界の現実社会に引き戻されてしまう。
第23号は長老の話も途中に、宗教場を後にした。
第23号が宗教場を振り返った際、
と描かれている。
一週間後、第23号は医者のチャックに珍しい話を聞く。それは自殺した詩人トックの家に、トックの幽霊がでると言う話。
トックの家は既に、写真家ステュディオの自宅に変わっていた。
第23号は、トックの幽霊話の資料を得る為、雑誌・新聞等を買い集めた。
数々の資料中にて、トックの心霊に関する記事を発見した。
記事では心霊協会の研究員が専属チームをつくり、幽霊がでると評判の元トックの家を調査した記事だった。
記事では、霊感が強い女性にトックが憑依。
憑依した女性の口を通じ、死後の世界に旅立ったトックと質疑応答を行ったとの事だった。
第23号は記事を元に自分なりの解釈を加え、トックの質疑応答の記事を理解した。
記事ではトックは死後、自らの名声が気になり、幽霊となり現れたとの事。
・心霊メンバーは、トックに尋ねる。
「死後の世界は、如何に」と。
・トックは答える。
「あまり元の世界(河童界)とは変わりはないと。
・更にトックは、
「死後の世界も飽きたならば、自殺も可能であると」。更にトックは、
自らは「懐疑主義である」と述べる。
・メンバーの質問は続く。
「死後の世界の友人は誰か」と。
・トックは再び答える。
「私の交友関係は、古今東西を問わず、著名な哲学者ばかりだ」と。
其の後、トックがメンバーに死後の自分の名声のやり取りをして、記事は終了する。
第23号は記事を読んだ後、何か此の世界(河童界)に居る事が憂鬱となってきた。
次第に人間界に戻りたいと思うようになった。
第23号は河童界にくるきっかけとなった漁師河童、バックに相談した。
第23号はバックから、この国の街外れに成人の歳をとった河童が住んでいる事を聞きつけた。
第23号はバックから聞きつけた河童に会いに行き、今迄の経緯を話した。
するとその河童は第23号の話を予め悟っていたかのように、いろいろ話始めた。
そして第23号の希望であった此の世界(河童界)から抜け出し、元の人間界に帰る方法を教えてくれた。
第23号は河童の教えに従い、人間界に戻る事ができた。
人間界に戻った第23号であったが人間界に馴染めない。凡そ河童界から還俗した一年後、ある事業に失敗。
第23号は再び、河童界に戻りたい(帰りたい)気持ちとなる。
第23号は家を抜け出し、河童界に戻る事を決意する。
上高地を目指し、中央線に乗りかけた時、運悪く巡査につかまる。職務質問の末、今の精神病院に入れられた経緯。
第23号は精神病院に入院後、嘗て河童界で交流した河童達が、自分の許に見舞いにくると述べる。
質問者が驚いて尋ねると、机の上にある花束も、昨日河童界の音楽家、クラバックが持ってきたものだと述べる。
質問者が机をみた時、机には花束など存在していなかった。
第23号が哲学者トックが持ってきてくれた本だと質問者に見せたものは、古びた只の電話帳だった。
要点
作品の内容は、河童の世界を描き、河童社会を精神病院に入院する第23号と呼ばれる人物が語る形式を取っているが、河童社会の出来事は、作者芥川龍之介の考えをそのまま反映したものであろう。
河童社会を通じ、自らの世界観・心情を吐露したものと思われる。
それは社会に対する批判であり、自己の存在に対する自問自答とも取れる内容。
繰り返すが、作者の略晩年に書かれたものであり、作者がなくなる寸前(自殺前)の心境を率直に描いていると思われる。
文庫にて約60ページ程ではあるが、死に対する、自らの感想とでもいうべきであろうか。
何気に作中に死を仄めかす内容が、随時にみられる。
作者の自殺する寸前の深層心理が垣間見られる作品。
河童界は人間社会と左程、変わりがないようだ。
街並みも東京銀座通りと変わりなく、瀟洒だった。
第23号は河童界では、特別保護住民の好待遇で過ごした。人間であるという理由で、働かなくても生活が保護されていた。
河童界では、人間界と比べ多少、サイズが異なった。人間界では河童は、子供程のサイズだと考えれば理解し易いかもしれない。
以下、河童界と人間の違いを述べてみたい。
★河童の身長は約1メートル。体重は約9キログラム~13キログラムと述べられている。
人間と河童の感情の大きな違いは、人間が真剣に考える事象を河童は面白がり、人間が面白がる事象を河童は真剣に考える。
違う言葉で「人間の正義・人道は河童にとり、滑稽な観念。人間とは真逆である」と書かれてある。
此れは作者芥川が現実社会で生活する上で、常識と思われている事が実は、非常識である事もあり得ると言う逆説を述べていると思われる。
ある種の懐疑主義と言えるかもしれない。
★河童は一定の色を持たない生き物と書かれている。
つまりカメレオンの様な存在として描かれている。
此れは第23号が河童界に足を踏み入れる切っ掛けとなった出来事と関連している。
人間に例えれば、人間は生活環境により、どのようにも変化する事の譬えであろうか。
河童界では、人間の様に下半身を隠す事もしないと述べている。
ある種の自由恋愛とでもいうのであろうか。恋愛に関していえば、河童界では雄が積極的でなく、雌が積極である事。
★河童界では、生まれてくる子供に対し、生存権(安楽死)の決定が委ねられている。
簡単に言えば、河童の両親が子供を欲しても、生まれてくる子供は河童社会に生まれてくる事を拒否できる。
両親が生まれる寸前、胎児河童に生まれてきたいのか尋ね、胎児が拒否すれば安楽死(堕胎)の措置が取られる。
理由として遺伝的立場において、優性遺伝を後世に残す為の知恵と書かれている。
作品中で同じ内容で、悪遺伝の無意識な撲滅として、まるで義勇兵を募るようなポスターを見つけた事だった。
衝撃的な内容の為、敢えて記載したい。
遺伝的義勇隊を募る!!!
健全なる男女の河童よ!!!
悪遺伝を撲滅する為に
不健全なる男女の河童と結婚せよ!!!
※芥川龍之介『河童』より引用
第23号は驚いて大学生河童ラップに尋ねた際、例の如く河童界では人間にとり真剣な出来事は、河童にとり滑稽な事だと、ゲラゲラ笑うばかりだった。
此れには私も、ぞっとした。後にドイツ社会では、ナチの独裁政権が誕生。
ナチ政権が採用した「人種差別主義」と全く変わりがない事に気付いた。
芥川が作品にて言及していると言う事は、既に日本でも似た政策が考えらていたと言わざるを得ない。
因みにドイツでのナチの台頭は、1920年代。ヒトラーが政権を掌握したのが、1933年の出来事。
此れは私にしてみれば、衝撃的だった。
第23号は河童界の上流社会の人間と交流を重ねる。
詩人トック、哲学者マッグ、音楽家クラバック(ベートーベンがモデルと思われる)、大資本家ゲエル等。
第23号は詩人トックの影響を強く受ける。結論を先に述べれば、詩人トックは後に自殺。
第23号が人間界に戻る動機となるが、詩人トック。実は、芥川龍之介本人の投影ではないかと推測する。
トックは自由恋愛主義者であり、一般家庭(家族制度)を小莫迦にしているが、その一方心の片隅で何か一般家庭に憧憬する心情を語っている。彼が呟いた言葉
「あすこにある玉子焼きは何と言っても、恋愛などよりも衛生的だからね」
※芥川龍之介『河童』より引用
詩人トックはニヒリズム、懐疑主義者、或いは当時流行したアナーキー(無政府主義者)の象徴として描かれている。
作品中では、その苦悩の果てに自殺した設定。芸術家故、現実社会を超越したモノとして描かれている。
彼が付き合うサロンの河童達も然り。
★河童界の恋愛については前述したが、河童界では雄よりも、雌の方が積極的だと述べられている。
しかし初めは雌が必死に雄を追いかけるが、其の後は雌が雄の方から追いかけるように仕向けると作中で述べられている。
それは恰も、初めが違うだけで実は人間界と同じであると、作者は皮肉を込めて述べているのであろうか。
第23号が疑問を哲学者マッグに尋ねた処、マッグは実は雌の河童は、雄の河童より嫉妬深い為と述べる。
第23号が何故政府が取り締まらないとマッグに尋ねた際、マッグは政府には雌河童の官吏が少ない為、取り締まれないと述べる。
更にマッグは述べる。私もあの恐ろしい雌河童に追いかけられたい気持ちがあると。
実はマッグは風貌が悪い為、一度も雌河童に追いかけられた事がなかった。
此れも先程の詩人トックと同じで、普段の本人と主義主張を何処かで反目。
相反するものを羨む矛盾と言える。
★河童界では、機械文明が人間界より発達。機械の発明にて人間が失職した際、失業した人間は解雇され、抹殺処分を受ける。
つまり機械に仕事を奪われた職工は、河童界では用無しと判断され処分される。
文中では、更に酷い言葉が使われているが、此処では遠慮する。
これも前述の人種差別政策と似た、恐ろしい政策。
まるで芥川は此の段階で既に、ナチ政権の誕生を予測していたようにも思われる。
当時の日本社会も似た社会情勢だったのかもしれない。
そうでなければ、考えられない。ある人種の絶滅政策。今考えても、おそろしい政策。
文中では職工が馘首されるのを、「罷業」と記されているが、現代風に言えば「リストラ」。
更に衝撃的なのは、リストラされた河童は処分された後、なんと同じ河童の食用となる事。
河童で言えば、「共食い」。
人間界では、「カニバリズム」と言われている。此れは人間界では、長らくタブー(禁止行為)とされている。
しかし河童界では、公然と当たり前のように受け入れられていた。
現に第23号が資本家ゲイルに宅にて左飛出されたサンドウィッチは、処分された河童達を利用したもの。
第23号はゲイルの家を飛び出し、自宅に帰る道中、のべつ幕無しに嘔吐したと描かれている。
当時の日本の歴史を見れば、丁度大正期に相当する。
大正時代と言えば、第一次世界大戦、シベリア出兵・米騒動・護憲運動・社会運動・関東大震災・普通選挙法・治安維持法の設定等、社会が大きく揺れ動いた時期。
「大正デモクラシー」等と呼ばれた時代だった。
芥川も社会の大きなうねりの中、自分自身の考えが揺れた時期と思われる。
作品はその激動期の中、作者自身の心情の吐露と思われる。
同時期、政党内閣も出現している。作品中でも政党内閣について軽く言及している。
社会主義を標榜する新聞社も実は、大資本家の影響を受けていると述べられている。
実は此の構造は、現代社会でも然程変わらない。
それは所詮政党も社会主義運動も、大資本家の影響を受けざるを得ないのを軽く皮肉っている。
参考までに、時代は違うが音楽家クラバックの演奏会で政府の下僕である警官が乱入。
クラバックの演奏を中止を求める場面があるが、此れは板垣退助等(1870年代)の自由民権運動を捩ったもの。
それでなければ社会主義・共産主義・無政府主義を弾圧する為に設定された、1925年の「治安維持法」に対する風刺。
★河童界と人間界の法律の違い。
法律全体を示す訳ではないが、ある刑法において人間界とは大きな違いが存在した。
具体的に述べれば、第23号は約一ヵ月前、万年筆を某河童に盗まれた。
一ヵ月後、第23号は往来でにて万年筆を盗んだ河童を発見。近くにいた河童の巡査に報告。逮捕を求めた。
万年筆を進んだ河童は2,3日前迄、郵便配達をしていたとグルックと言った。
グルックは河童警官の尋問にて、犯行をあっさり自供する。
グルックは自供したが、逮捕されず、無罪放免となった。
無罪となった理由は、元郵便配達グルックは子供の為に、第23号の万年筆を盗んだ。
しかし子供は、一週間前に死んだ。グルックは死亡診断書を所持していた為、事実が確認された。
つまり「子供が死んだ為、グルック罪は消滅した」との事。
河童界では犯罪を犯したが、「犯罪を犯す動機に至ったものが消滅した場合、その罪は赦免される」法律が存在した。
犯罪を犯したが、犯罪の動機が消滅すれば、犯罪を犯した者の罪は遡及される事がないという、人間界では誠に考えらえない法律が存在した。
第23号は納得がいかず、暫し交流する大資本家ゲエル、医者のチェック、偶々その場に居合わせた裁判官ペップに尋ねた。
すると例の如く、人間界の常識と河童界の常識のあべこべを、他の河童に指摘される。河童界では、
「親の時の罪と、親でなくなった時とでは、状況が異なり罪は赦免される」と。
同一人物であるが、過去と現在とでは状況が異なり、罪は問えないと諭される。
それでも納得がいかない第23号は、他の河童に尋ねる。
この国には、刑法が存在するのかと。
他の河童が答える。刑法は存在する。河童界にも死刑は確かに存在すると。
しかし河童界では他の河童を死に追いやる際、誠に合理的な方法で河童を死に至らしめる。
それは死に追いやる河童に対し、口汚く罵る事だと。
人間に譬えるならば、言論を使い人間を死に至らしめると言う事であろうか。
この問答中、作中にて初めて「自殺」と言う言葉が使われている。
この問答をしている最中、詩人トックがピストルで自殺を図る。
以下は、詩人トックの自殺にて第23号の心情が揺れ動く様が描かれている。
詩人トックは自宅で自殺する。元来胃の病気を患い、それを悲観してか、それとも自分の才能に限界を感じての自殺かは分からない。
兎に角、ニヒリズムで懐疑主義であった詩人トックは自殺した。
自殺したトックの家に、音楽家クラバックが偶然訪れた。
クラバックはトックの自殺に一瞬驚きを見せたが、何か曲がひらめたか模様。
トックの自殺など興味が失せたかの如く、そそくさと車に乗り、トックの家を後にした。
自殺現場に駆け付けたゲエル、ペップはさも何事もなかったかのように、冷静に話し続けた。
第23号はトックの死を直面して、何か虚ろな心の不安を感じた。
第23号は詩人トックに死を契機に、人間界でいう無いモノを信じる心情(宗教)の存在を意識し始めた。
河童界にきて、初めて芽生えた気持ちである。
第23号は早速、若く好奇心旺盛な大学生ラップに、河童界の宗教なる存在を問うた。
ラップは回答する。
河童界でも宗教は存在すると。
それは「生活教」と呼ばれるもので、河童界ではとても隆盛を極めているとの事。
第23号はラップと生活教の大寺院を訪ねる。
大寺院を訪ねた際、河童界で有名な長老に出くわす。第23号はラップと二人で長老から生活教の話を聞く。
しかし長老の話を聞いてまもなく第23号は退屈さを覚える。
長老の話に登場する生活教の偉大な信者は、ストリント・べリイー、ニーチェ、トルストイ、国木田独歩、ワグネル、ゴーギャン等と述べる。
長話の中、だだ23号に理解できたのは、長老が話す生活教の信条が、『旺盛に生きよ』との事。
因みに長老が口にする「娑婆苦」とは、推測するにおそらく「人間が社会でいきる際、人間が受ける苦痛」と思われる。
話の大筋は人間界の「キリスト教」を略、ベースにしていると思われる。
第23号は自殺したトックの事を長老に話す。
しかし長老は第23号からトックの話を聞き、同情して呟く。
「運命を定めるものは、信仰と偶然だ」と。
更にトックの無神論を嘆いた。
しかしトックを嘆く長老も実は、自分も生活教を信じない人間の一人だと白状する。
長老が暴露した瞬間、長老の妻が長老に殴り掛かり、二人は現実に引き戻された。
二人は大寺院を後にした。
第23号が大寺院を振り返った際、何か大寺院の建物が空虚なものに感じられた。
此の表現から想像するに、第23号は河童界の宗教(生活教)の寺院を訪ねたが、明確な心のモヤモヤは晴れなかったと思われる。
第23号が河童界から明確に人間界に還俗(戻る)しようと決意したのはやはり、交流していた詩人トックの自殺が大きな影響を与えた。
繰り返すが、詩人トックは芥川龍之介本人の投影と思って間違いない。
第23号はトックが自殺した家で、トックの幽霊が出没するとの噂を聞く。
早速詳細を調べる為、第23号は本屋で資料を集めた。
すると河童界の心霊研究会のメンバーが専属調査チームを編成。
幽霊が出ると言う、トックが住んでいた家を調査した結果が掲載されていた。
資料によれば、確かにぼんやりしたトックの写真、現地にて霊感が強い強い女性に憑依したトックのインタビューが掲載されていた。
インタビューに内容は、
トックが自殺後、何故幽霊となって表れたのか。トック(女性に憑依した)は、
「自分が死んだ後、自分の名声と業績の評価が知りたい為」と答える。
更に幽霊のトックに死後の世界を尋ねた際、トックは
「以前いた河童社会と、あまり変わりはない、退屈になれば又自殺も可能」と答える。
「更に死後の世界にも各宗教が存在するが、自分(トック)は懐疑主義者だ」と述べる。
心霊協会の質問は続く。死後の世界の交友関係はと。トックは
「古今東西を問わず、色々な偉人と交流している。しかし自殺を潔しとしない、厭世主義者ショーペンハウエルとは交際していない」と答える。
此処で何気に自殺を仄めかしているのが読み取れる。
最後はトックのプライベートに関する質問に終始した。
・トックの詩集の事。
・同居していた内縁の妻は、既に(僅か一週間後)他の河童(書肆:本屋ラック)の妻になっている事。
・残された(河童の)子供は施設に預けられた事。
・自分の自宅は、写真家ステュディオが住んでいる事等。
記事を読んだ後、第23号は何か急に河童界にいるのが嫌になり、人間界に帰りたくなったと語られている。
理由こそ書かれていないが、私が想像するにおそらく、
「河童界と人間界との間に、左程違いが感じられなくなったからではないか」と思われる。
何故なら、ふとした偶然で河童界に潜り込んだ私(第23号)であったが、河童界が人間界よりも文明的に思われ、高尚な世界と感じていた。
処が色々な河童と交流するにつれ、下界(人間界)と然程大差がないのに気づいた。
自覚後、今迄の自分が思っていた感情が実は幻想であり、その幻想が雲散霧消したからではないか。
幻想から覚めた後の虚しさとでも云えば良いであろうか。
少なくとも、私にはそう感じた。
その為第23号は、急に人間界に戻りたくなったのではないかと思われる。
昔話の『浦島太郎』も似た心境かもしれない。今風で言えば、一種の「ホームシック」であろうか。
兎にも角にも第23号は、気持ちを整理する上でも、人間界に戻りたくなった。
それから23号は人間界に戻る手段を必死に探す。
第23号は、自分が河童界に足を踏み入れる切っ掛けとなった漁師河童バックに尋ねた。
するとバックは、
「河童界の街外れに長老河童が住んでいて、その河童が人間界に帰る道を知っているかもしれない」
と教えてくれた。
第23号は早速その長老河童を訪ねた。
第23号が長老河童を訪ねた際、其処には年老いた河童ではなく、ただ子供の河童が悠々自適に暮らしていた。
・第23号は尋ねる。
「長老河童だと聞いていたが、何故子供の格好をしているのだ」と。
・するとその河童は
「私は生まれた時が老人で、成長するに従い、徐々に若くなった」と答えた。
此れも例の如く、河童界では人間界とは真逆な譬えであろうか。
しかし子供の格好をした河童は何かとても幸せそうに感じた。第23号は自分の感情を率直に質問した。
・子供河童は答える。
「自分は若い時は歳を取っていて、年を取った時は若者なっている。その為、色と欲に溺れる事はなかった」と。更に
「自分の生涯は幸せでないにしても、安らかだった。しかし私が一番幸せだったのは、生まれて来た時が、年寄りだった事だ」
と悠然と答えた。
そして二人の会話の最後に、重要な会話が交わされている。原作のまま引用するのが分かり易いと思われる為、そのまま引用する。
・第23号が子供河童に質問する。
「ではあなたはほかの河童のように格別生きていることに執着をもってはいないのですね?」
・子供河童が答える。
「わたしもほかの河童のようにこの国へ生まれて来るかどうか、一応父親に尋ねられてから母親の胎内を離れたのだよ」
・第23号は質問を続ける
「しかし僕はふとした拍子に、この国にへ転げ落ちてしまったのです。どうか僕にこの国から出て行かれる路をお教えて下さい」
※芥川龍之介『河童』より引用
・第23号が質問後、子供河童は答える。
「帰る道は一つしかない。それはお前(第23号)が来た道から人間界に戻るしか方法はない」と。
その道が分からないと第23号が答えると、子供河童は自宅の部屋に隅におき、一本の綱を引いた。すると一つの天窓が開いた。
その天窓から見える景色は、紛れもなく第23号が以前いた人間界の景色だった。
第23号は、飛び上がって喜んだ。
・子供河童は第23号に述べる。
「さあ、あすこから出て行くが好い」
・第23号は答える。
「ではあすこから出さして貰います」
・子供河童が再び、第23号に尋ねる。
「唯わたしは前以て言うがね。出て行って後悔しないように」
・第23号が再び、答える。
「大丈夫です。僕は後悔などしません」
※芥川龍之介『河童』より引用
長々と引用したが、実はこの天窓が河童界と人間界を隔てる穴。二つのものを分ける、「境界線」。
この境界線は何も、河童界と人間界を隔てるものばかりではない。理想(空想)と現実を隔てる境界線とも云える。
後の芥川の人生を鑑みれば、人間社会と霊界つまり、「生と死」の境とも云える。
ご存じの通り、芥川はこの作品後、しばらくして自殺している。
おそらくこの時には既に、自殺を考えていたと思われる。
その心境が作品中にて、第23号と子供(長老)河童との会話の最後に現われたのではなかろうか。
死に対する憧れ、欲求(タナトス)とでも言うのであろうか。
少なくとも、私にはそう思われて仕方がない。何度も読み返す中に、その考えに至った。
人間界に戻った第23号はその後、なかなか人間界に馴染めず、一年後、ある事業に失敗。
人間界が嫌になり河童界に帰りたい(既に心の故郷は河童界にあると思われる)と思い、嘗て河童界の入り口になった上高地を目指した。
しかし途中で巡査の職務質問にあい、そのまま精神病院に強制入院させられた。
強制入院させられた第23号はインタビュー者に対し、
「河童界で交流した色々な河童が、河童界から態々自分の処に見舞いに来てくれる」
と告げる。
インタビュー者は第23号が、「河童が見舞いに持参したモノだ」と述べた花束はなにもなく、
「河童界の自殺したトックの詩集だ」
と主張したモノは、只の古びた電話帳だった。
最後に
詩人トックが自殺後、霊感の強い女性に憑依。死後の自分の名声を心霊メンバーに尋ねる場面は、芥川龍之介が自分の死後、自らの評判を気にしていたものと判断される。
その気持ちを反映して大手出版会社「文藝春秋」では、新人の純文学の優れた作品を表彰する賞として、「芥川賞」なるものを設けている。
芥川賞は、半年毎に発表される。該当者なしの場合もある。
芥川賞も元々、友人の菊池寛が芥川の鎮魂の意味を込め設立したもの。
今の商業主義とは、若干趣が異なる。
賛否両論、色々あろうが。
前述したが河童界の詩人トックと供に第23号は、芥川龍之介本人を指すのであろう。
作品冒頭でインタビュー者が第23号が、インタビュー者に対し、話を終えた後、吐いた言葉があるので、そのまま書き写しておく。
「出て行け! この悪党めが! 貴様も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、図々しい、うぬ惚れきった、残酷な、虫の善い動物なんだろう。出て行け! この悪党めが!
※芥川龍之介『河童』より引用
この言葉は当に芥川龍之介本人が、自分自身に投げかけた言葉であろうか。
追記
此の作品が発表されたのは、芥川龍之介がなくなる(自殺)年、つまり晩年の作品。
サブタイトルにも示したが、芥川龍之介が自殺する間際の作品。
自殺する寸前の芥川龍之介の世界観・心情が垣間見られるのではないかと思われる。
尚、芥川龍之介の自殺の動機として『ぼんやりとした不安』の為とされているが、此れは暫し当時台頭してきたプロレタリア文学に対する不安と理解されるが、決してそれだけではない。
理由は、上記の述べた通り。
此の作品を大昔に読んだ時、意味が分からず挫折した過去がある。
当時20代の頃だったと思う。一読しただけで、全く意味が解せなかった。当時の私には、あまりにも難しすぎた。
それから数十年経ち、いろいろ社会経験を積み重ねた末、漸く内容が理解できた。
私は歳をとり理解できたが、もし若い頃理解できた人がいれば、その人は相当程度が高い人物であろう。
私の様な凡人には、到底理解不能だった。
因みに景勝地で有名な「上高地」には、梓川にかかる「河童橋」と名付けられた橋が実在する。
私も2度、上高地を訪れた経験がある。誠に奇麗な場所だった。
毎年7月24日、芥川龍之介の命日にちなみ、「その日は河童忌」と呼ばれるようになった。
本日は2月26日、この作品が発表された1927(昭和2)年の9年後。
つまり1936(昭和11)年2月26日未明、有名な「2・26事件」が発生している。
1927(昭和2)年は、芥川龍之介が自殺した年。
9年後に「2.26事件」が発生するのを鑑みても、当時の日本社会が目まぐるしく揺れ動いているのが理解できる。
当時の知識人には、生きにくい世の中ではなかったのかと推測される。
(文中敬称略)