人の叱り方は、人に因りけりでは?
先日、ネット上にて気になる記事を見つけましたので、紹介したいと思います。
ネットの配信元は具体的な名前は挙げませんが、名前を聞けばあそこかと頭に浮かぶ、有名なビジネス書の配信記事であると、ご理解していただければ分かり易いと思います。
その気になる内容とは、「人(部下)を叱る時は、敢えて面前で注意した方が、効果的だ」との記事。これについて私なりの意見を述べたい。
目次
人(部下)の注意の仕方
皆さんは一度や二度、会社勤めを経験された事があると思われます。新人で会社勤めを始めた時、転職で新しい会社に勤め始めた時など、上司から仕事についての注意された経験があるかと思います。
注意を受けた際、皆さんは他の人が大勢いる前で注意されるのが良いか、それとも他の人がいない場所で、一対一にて注意を受けるのが良いかと質問されたとすれば、果たして何方が良いかと答えるでしょうか?
おそらくと言っても良いと思うが大概の方は、他人がいない場所で注意を受けた方が良いと答えるのではないだろうか。
稀に他人がいる面前で注意を受けたい、と主張する人がいるかもしれないが。いたとしてもおそらく、ごく少数と思われる。
洒落ではないが、それ程「人を注意する時には、注意が必要」。
何故なら、仮令注意する側が正しくとも他人がいる面前で人を注意した際、多かれ少なかれ恨みを買うおそれがある為。
人間と言うのは所詮、感情の生き物。自分に非があったとしても、大勢の前で罵倒された時、辱めをうけたと感じ、罵倒した人間に対し敵意を抱く。
此れは間違いない。自分の会社内での出来事を思い出して頂ければ、分り易い。
但し、生まれながら指導者としての地位の人間は除外する。生まれながらの指導者は、決して他人を省みる事はない「独裁者」の為。
自分の経験から言わせてもらえば、新卒で会社勤めを始めた頃、バブル経済が弾けた後の就職氷河期だった。
団塊二世で同世代が多かった時代で、新卒に対し、実に煩雑で使い捨ての様な扱いだった。
今で云う「パワハラ」など、当たり前の時代。そんな時代の為、上司は平気で大勢の会社の人間がいる面前で、平気で私を注意・罵倒した。
敢えて罵倒を追加したのは、それは仕事の指導ではなく、ただ怒りに任せた感情のみの叱りだった為。
他の同僚も同じ扱いを受けていた。
そんな扱いをする会社であった為、当然社員の定着率は低い。
三年以内で新卒が、半分以上辞めた会社だった。これは今で云う「ブラック企業」だったと思う。
上記の様な行為が蔓延していた。
自分が思う、部下の叱り(注意)の仕方
私が新卒の頃の例を挙げたが、私も歳を取り、今では注意する方に回る事が多くなったが、私は決して部下を注意する時、他人の前で注意・罵倒する事はしない。
人に拠り、そう取る人間もいるかもしれないが、できるだけしない様に心がけている。
何故なら理由は前述したが、決して互いに良い方向に向かうとは思えない為。
因みに冒頭で話をした記事の著者は、日本でも有名な製鉄会社の元社長。社長職を退いた後、相談役として残り、東電の社外取締役も務めた方。
確かに一理あるかもしれません。しかし偶々面当てになった人物は、たまったのもではありません。
他の人間に対する見せしめの心算かもしれませんが、他の人間は「あいつは運が悪かった」と思うだけで、自分でなくて良かったと思うのみ。
次からは自分が標的にならない様に上手く立ち回る事だけ考え、決して有益な方法とは言えない。
つまりミスを隠蔽、なすりつけの様な行為が蔓延り始める危険がある。
嘗て自分が勤めていた会社が、その様な感じだった。
問題点を見つけても、誰も気付かない振りをして、誰かが気付くまで、知らないふりをするといった行為が横行した。
これは会社として、まるで逆効果だったと思う。
私が思うに、人間は必ずミスをする。そのミスを指摘・注意するのは、とても重要。
責任の所在を明らかにして、二度とミスを起こさない様にする事が重要と思われる。
そうするには、どうすれば良いのか。
それはやはり、注意の仕方だと思われる。人に注意をして、心良く受入れてもらい、再発防止に勤める事が重要だと思う。
人に最低限許容される、注意の仕方とは
人に受け入れてもらう注意の仕方とは。
やはり失敗した時など、注意をする際は他人がいない場所で、一対一で注意する方が、効果的と思われる。
注意された人間は只でさえ注意され、冷静さを欠き、感情的に怒りを覚える状態になっている事が多い。
そんな状態で他人が大勢いる面前で注意・罵倒された時、恥をかかされたと思い、決して良い結果にならない。
まして今や少子化の時代。若い世代の人間であれば、あまり叱られたことのない幼少期を過ごしてきたと思われる。
そんな世代の若者を面前で注意・罵倒すれば、必ず恨みを買うか、禍根を残すであろう。
将来的に成長の芽を摘む事にもなりかねない。
仮令そうでなくても、注意した者とされた者との間に、深い溝ができると思われる。仕事を覚える新人であれば、一生恨みに思うであろう。
下手をすれば、トラウマになるかもしれない。人の面前で注意する際、互いの間に本当に信頼関係がなければ、成り立たない。
以前自分が買い物の為、ある店を訪ねた際、店の上司が部下の店員に対し、お客様が大勢いるのも係らず部下を叱責していた。
その様子を見た時、自分としてもあまり心地良い光景とは思われなかった。
何か買い物にきた自分まで、叱られている様な気がした。自分も似た過去があった為であろうか。
更にその叱られていた店員さんが必死に作り笑いをしながら接客している姿をみた時、流石に店員さんが気の毒に思えた。
同じ事を感じたのか、他の買い物客も一緒に来た仲間との会話で、店の上司の対応を激しく非難していた。
その様な出来事があり、その店に買い物に行く気が失せ、二度と行かなくなった経験がある。
これは店を良くしようとして、反ってお客さんに気を遣わせてしまった悪い例。
話を戻すが、現代社会では会社は既に、日本人だけではない。多国籍の人間が働いており、国柄が違う為、面前で注意した際、面子を潰されたと激しく憤る外国人もいるので、細心の注意が必要。
時と場合によれば、裁判沙汰・国際問題になる可能性もある。
日本の企業が海外の現地法人にて、裁判沙汰になり敗訴するのは、この事。
よくその国の事情・習慣を理解していないが為、(セクハラ・パワハラ等の)裁判に発展。敗訴するケース。
従って面前で人を叱る事は、殆どメリットがないといって良い。家族でもそうだと思う。
兄弟で一人が怒られていた時、もう一人は必ず怒られていた人間を庇うのではなく、寧ろ冷やかしたのではなかろうか。
私の場合、姉弟であったが、互いに庇う気などサラサラなかった。寧ろ当然と言ったような心境だった。
まして会社であれば、同僚・先輩等のライバルに匹敵する人間が、必ず何人いる筈。自分が面前で上司から叱られた際、やはり引け目を感じてしまう。
引け目というよりも、弱味を握られたといった感覚になる。
出世競争から一歩後退した心持ちになりかねない。これも明らかに叱られた方は、マイナスと思われる。
こう幾つも理由を書き連ねた際、改めて面前で人を叱る事のメリットは、何もないのが認識できる。全く良い事は、一つもない。
人を面前で叱る事ができたのは正に古き良き、昭和の時代と言えたかもしれない。仮令平成の御代だったとしても、既に時代錯誤と言えるかもしれない。
(文中一部敬称略)