親と子の絆、両親の不毛な裁判を描いた作品『クレイマー、クレイマー』
★懐かしい名作洋画シリーズ
・題名 『クレイマー、クレイマー』
・監督 ロバート・ベントン
・脚本 ロバート・ベントン
・原作 エイべリー・コーマン
・製作 スタンリー・R・ジャッフェ
・音楽 ヘンリー・パーセル、アントニオ・ビバルディー
・配給 コロンビア映画
・公開 米国 1979年
・編集 ジェリー・グリーンバーグ
目次
登場人物
◆テッド・クレイマー :ダスティン・ホフマン
仕事熱心な反面、家庭を省みず、妻に逃げられる
◆ジョアンナ・クレイマー :メリル・ストリープ
夫の家庭の無関心に愛想を尽かし、家を出ていく
◆ビリー・クレイマー :ジャスティン・ヘンリー
デッドとジョアンナの子供
◆マーガレット・フィリップ:ジェーン・アレクサンダー
テッドとジョアンナの共通の友人
◆ジョン・ショーネシー :ハワード・ダフ
テッド側の法廷弁護士
あらすじ
広告代理店に勤めるテッド・クライマーは、やり手の営業マンだった。やり手ゆえに今迄、家庭・育児を返りみる事がなかった。
或る日、大型の契約を獲得。会社の重役に褒められ、勇んで自宅に戻る。
自宅に戻った時、妻のジョアンナ・クレイマーが突然テッドに別れを告げ、家を出て行った。
翌日からテッドと息子ビリーとの二人の生活が始まる。
今迄、家事・育児を返り見なかったテッドは悪戦苦闘。家庭のトラブルを会社に持ち込み、仕事上でもミスが目立ち始め、会社での立場が危うくなる。
突然、家を出たジョアンナからテッドに電話があった。ジョアンナは今は仕事を持ち、ニューヨークに住んでいた。
電話にて是非、息子ビリーを引き取りたいとの事。
テッドはジョアンナに家出をされた後、なんとか家事・育児を切り盛りし、約1年半過ごしていた。
初めは希薄だったビリーとの関係も深まり、二人はそこそこ仲良く過ごしていた。
テッドとジョアンナは話合うが、話は互いに平行線。決着はついに、裁判に持ち込まれる事になった。
運の悪い事にテッドは裁判が始まる直前、テッドの仕事振りに耐え兼ねた会社側からクビを宣告される。
裁判が始まれば失業中の身は、圧倒的に不利。テッドは無理やり就職口を探し、以前より年収が下がるのを承知で仕事を決める。
そしていよいよ裁判が始まった。
裁判では、互いに醜い面を言い争う。まさに子供にとり、不毛な裁判。
裁判の結果、テッドの敗訴が決定。ビリーは元妻のジョアンナに引き渡される判決となった。
ジョアンナに引き渡される朝、二人にとり最後の朝食をテッドとビリーは作る。
最初は上手く作れなかったフレンチ・トーストが、いつの間にかテッドは上手く作れるようになっていた。
ジョアンナがビリーを迎えに来た。
ジョアンナは直前になりビリーを引き取る事を躊躇うが、テッドはビリーの将来を思いやり、自分はロビーに待機する。
ジョアンナ一人でビリーを迎えに行かせ、映画は終了する。
作品概要・経過
現在日本でも問題になっている少子化問題。映画が作られたのは、米国の1970年代後半の話。
丁度「ウーマン・リブ」が叫ばれた時代と重なる。如何に日本より先取りしていたのか、分る映画。
映画が公開され、現在に至る迄、然程アメリカ社会が変化しているとは思われない。仕事と家事・育児の両立は、永遠の課題。
結婚して子供が出来れば、誰もが経験する。そして子育ては、二度と取り返しがつかない課題。やり直しが利かないと言えば良いのだろうか。
現在の日本でも、当に直面している問題。少子化・待機児童問題なども同じ。
しかしこれに関して日本では、二極化が進んでいると言える。温度差があると云うのか。
例えば、都会と地方では全く事情が異なる。此処では詳しくは述べないが。
今回の映画は、大都会のニューヨークが舞台。
ニューヨークのど真ん中で、男が仕事と育児を両立させるのは、至難の業。夫婦二人でも、なかなか難しいと思う。
舞台を東京に置き換えても、分かり易い。東京ですら、困難を極める。
世界中心地ニューヨークであれば、猶更と思われる。
仕事熱心で夜遅く帰宅したテッドにしてみれば、妻ジョアンナの突然の家出は、寝耳に水だった。
ジョアンナを演じたのは、前年の1978年:『ディア・ハンター』でヒロインの「リンダ」役を演じた、メリル・ストリープ。
しかし今回は、メリル・ストリープの配役は意外だった。
以前ブログでも説明したが『ディア・ハンター』は、べトナム戦争の意義を問いかけた映画。
リンダは傷付いて帰還したマイケル(ロバート・デ・ニーロ)を優しく迎える女性の役だった。
その上、ベトナムで行方不明になったニック(クリストファー・ウォーケン)とは恋人の間柄。
何か悲劇のヒロインを思わせる雰囲気が漂っていた。
今回の映画では、家を出て行った時の姿、法廷で争う姿などに、何か違和感を感じた。
何か身勝手な女性に感じた。
ジョアンナが出て行った翌朝、息子ビリーが起きてみれば、母のジョアンナがいない。
ビリーが学校に行く為、テッドが朝食のフレンチ・トーストを作るが上手に作れない。
テッドは生まれて初めて人の為に朝食をつくるが、なかなか上手くいかず四苦八苦する。
出社後、テッドは副社長に事情を説明する。会社は現在、社運をかけるような重要な案件(契約)を抱えていた。
副社長は契約の担当を、テッドに任せようとしていた。
その為テッドは副社長に、「家庭の事情を会社に持ち込むな」と告げられる。
更にテッドは、会社の仕事を家庭に持ち込んでしまう。しかし息子ビリーは、そんな状況などお構いなし。
今迄、一緒に過ごした事のない二人はぎくしゃくして、なかなか上手くいかない。
テッドは買い物にいく時など、ビリーに教えられる有様。
或る日、家出したジョアンナから手紙がきた。
テッドがジョアンナの手紙を読むが、ビリーはあまり興味を示さない。
ジョアンナの手紙を見た後、テッドはジョアンナはもう家に戻る気がないと悟り、徐々にジョアンナの私物を整理し始めた。
テッドは育児に追われるあまり、会社の付き合いも悪くなった。
男所帯でやりくりするが、なかなか上手くいかない。
息子ビリーも初めは気にしてない様子だったが、徐々に母のいない辛さに気付き、ビリーは節々で苛立ちと反抗を示す。
ジョアンナが家を出て既に八ヵ月。テッドは失態が続き、会社での立場が次第に気まずくなる。
以前は味方であった副社長も、徐々に風当りが辛くなる。
テッドとビリーは喧嘩する。暫くしてテッドがビリーの寝室を訪ねた時の会話が、今回の映画の本質を語っている。
テッドは漸く、家出したジョアンナの気持が理解できた。
テッドが会社の女性を家に連れ込んだ際、トイレで偶然息子のビリーと廊下で遭遇するシーンが笑える。
日本ではおそらく考えられない。互いにギクシャクしながらも会話を交わす処が、如何にもアメリカらしい。
或る日、公園のジャングルジムで遊んでいたビリーが落下。大ケガをする。
その時テッドは、改めて今のビリーには母親が必要だと悟る。
暫くして家を出たジョアンナから電話がかかって来た。
ジョアンナの話では、
「家を出た時は錯乱していたが、今は落ち着き職にも就いた。そこで息子ビリーを引き取りたい」
と告げてきた。
当然テッドは拒否する。話し合いは平行線。親権争いはついに、裁判所に持ち込まれた。
それは互いの親権失格を指摘し合う醜い、不毛な裁判だった。
映画のタイトル『クレイマー、クレイマー』は、互いの姓を言い合ったもの。
つまり「クレイマーさん対クレイマーさんの法廷闘争」と云う意味。
テッドとビリーの二人暮らしが約1年半ほど続いた或る日、テッドは副社長から昼食の誘いを受けた。
食事中、テッドはいきなり副社長から解雇を宣告される。
ジョアンナが去った後、家事・育児を熟し乍、仕事を続けるテッドにミスが目立ち始めた。
会社側は終に業を煮やし、テッドの馘首に踏み切った。
失業したテッドに裁判の勝ち目はない。必死に就職口を探す。
失業した翌日、就職斡旋業者にいき、無理やり斡旋を依頼する。
テッドは紹介された会社をその足で訪ねる。就職面接を受け、強引に採用を勝ち取る。
テッドが面接に行った会社では、社員一同で華やかなクリスマス・パーティーが催されていた(12月22日)。
失業して裁判の為、職を探すテッド。
テッドの現在の惨めな状況と、華やかなクリスマス・パーティーとの対比が、見事に映し出されている。
いよいよ裁判が始まった。
裁判にてジョアンナは、家を出た一年後、某ブランド会社に就職。
現在デザイナーの地位で、相当な報酬を得ている事が判明する。
ジョアンナは家出をして息子ビリーに手紙をよこした時は、カリフォルニアにいた。
しかし今は全く違う環境にいた。
一方、テッドは以前勤めていた会社を突然クビになった。
裁判の為に無理やり就職した故に、以前の会社に比べ大幅に報酬がダウンしていた。
つまり現時点で、ジョアンナの方が年収が上だった。
此れは裁判では、徹底的に不利となる。
裁判のジョアンナの証言は、確かに分からなくもない。
繰り返すが、結婚して家庭を持ち子どもができた時、全ての人が関わる課題。
それは「決して答えのない、永遠の課題」と云える。
ジョアンナの証言で気になったのは、テッド側の弁護士の反対尋問で、弁護士が
「現在ボーイフレンドは何人いますか、3人以上33人以下」と尋ねた際、
ジョアンナが「中間です」と答えた事。
更に親しい友人がいますと答えたのも意外だった。
テッド側の証人として出廷したマーガレット・フィリップが、法廷での証言後、別れた元夫とよりを戻した事が印象的。
マーガレットは当初どちらかと云えば、家を出たジョアンナの味方だった。
しかしジョアンナの家出後、テッドの甲斐甲斐しいビリーへの育児の姿を見て、次第にテッドに肩入れし始めていた。
裁判の証言でも、テッドに有利となるような証言をしている。
裁判は終始、テッドの不利で進んだ。判決は案の定、テッドの敗訴。
テッドは、ビリーに裁判の経緯を話した。今後は母親の許で暮らしなさいと。
その時のビリーが泣いたシーンが、この映画の一番の見所。
別れの日、テッドとビリーは一緒に朝食をつくる。
一年半前、上手く作れなかったフレンチ・トーストが上手くできる迄、テッドの腕は上達していた。
ジョアンナが迎えに遣って来た。
最後にジョアンナがテッドに泣きながら、「やはりビリーは連れていけない」と告げる。
しかしテッドはジョアンナに、
と告げ、ジョアンナをエレベーターに押し込め、映画は終了する。
追記
以前映画『シェーン』でも述べたが、アメリカは訴訟大国。
日本でも離婚訴訟で稀に法廷に持ち込まれる場合もあるが、アメリカでは日常の事。
一度育児を放棄して家を出て行った元妻ジョアンナに、有利な判決が下るケースも珍しくない。
日本では、凡そ考えられない出来事。
日本の場合、たいがい裁判所に持ち込まれても示談・調停・和解になる事が多い。
裁判所の関係者も、それを奨める事が多い。
如何に文化の違いが分かる事柄。
訴訟大国だからこそ、弁護士という商売がもて囃されると過去のブログでも述べた。
日本の社会は、あまり争いを好まない。
裁判で争うのは日本人とり、最も縁が遠く苦手な分野と思われる。
太古の聖徳太子の時代の「十七条憲法」でも日本人は争いを好まない民族である事が、はっきり明記されている。
十七条憲法の第一条、
つまり、お上が決めたことには逆らうな。恭しく従えという意味。
これが日本人の精神を示している。
従って、双方の納得いかない事は、裁判で決着するという感覚はない。
しかし此れは日本人のみのルールであり、これからの国際社会、色々な国籍の人種が入りこんでいる現在の日本社会において、全く通じないルールかもしれない。
人治主義が未だに通じるのは、アジア諸国ぐらいであろうか。
好む、好まざるに係らず近い将来、日本もアメリカ社会の様な訴訟大国になる可能性がある。
既になっているかもしれないが。
日本人特有の性善説は、国際社会では通じない。
映画を見た後、何か後味が悪いものが残ったのは私だけだろうか。
誰もが直面する現実問題を、目の前で突きつけられている心境だった。
作品は1979年度のアカデミー賞の5部門( 作品賞・監督賞・脚色賞・主演男優賞・助演女優賞)を受賞した名作。
全く関係ないが、現雅子皇后様が今上天皇とご成婚される際、プロフィールで好きな映画の項目に、今回の映画『クレイマー、クレイマー』を挙げていらしたのが、何か印象的で記憶の片隅に残っている。
(文中敬称略)