単純な手形詐欺と思われたが、背後に潜む複雑な関係 松本清張『眼の壁』
★松本清張 長編小説シリーズ
・題名 『眼の壁』
・新潮社 新潮文庫
・昭和46年 3月発行
目次
登場人物
◆萩崎竜雄
昭和電業製作所、経理課勤務の次長。上司の関野課長が手形詐欺に遭い、自殺。
その無念を晴らすべく独自で調査を始める。
調査を進める中に初めは簡単な手形詐欺と思われたが、後に政界・政界周辺を蠢く政治団体を巻き込んだ大騒動に発展する。
◆上崎絵津子
萩崎の上司関野が資金繰りの為、訪れた高利貸の会社に勤める謎の女性。
事件究明が進むにつれ、重要な役割を果たす。
◆田沼満吉
萩崎の大学時代の友人。現在新聞社に勤務。萩崎の調査に、色々手を貸してくれる人物。
事件解明に大きな役割を果たす。事件解決時も、萩崎と一緒だった。
◆関野徳一郎
萩崎が勤める会社の上司。役職は経理課長。会社の資金繰りにて手形詐欺に遭い、責任を感じ自殺。
自殺する間際、事件の一部始終を記した手紙を部下の萩崎竜雄に送る。
◆舟坂英明
戦後、力を付けてきた新興右翼の頭目。右翼団体と称しているが、実は政界ゴロ。
企業相手に強請・集りを行う非合法組織の首魁。上崎絵津子と深い関わり合いを持つ。
◆山杉喜太郎
曰く付きの高利貸し。商売相手は個人でなく、主に大口の会社などが商売の対象。
上崎絵津子が勤める会社の社長。
◆瀬沼俊三郎
萩崎が勤める昭和電業の顧問弁護士。会社が手形詐欺にあった際、世間に公表せず、隠蔽する事を会社側に薦める。
瀬沼も調査員は使い、萩崎とは別に手形詐欺を調査していた。
だが瀬沼は、殺害された田丸利市(調査員)の通夜の席で拉致される。
4ヵ月後、長野県中央アルプスの山中にて、死体となり発見される。
◆岩尾輝輔
長野選出の国会議員。関野課長が手形詐欺の遭う際、名刺をパクリ屋に利用される。
事件発生当初は無関係かと思われたが、事件が進展するにつれ、決して無関係でない事が判明する。
◆田丸利市
萩崎の調査先に現れる謎の人物。特徴はベレー帽。萩崎が赴く処々に出没する。
随所に謎めいた言行をするが、殺害された後、瀬沼弁護士事務所の調査員と判明する。
◆梅井淳子
銀座でクラブ「レッドムーン」を経営するママ。舟坂英明の二号。
◆山本一男(黒池健吉)
舟坂英明の愛人が経営する「レッドムーン」のバーテン。
田丸利市の死後、行方不明となる。
◆昭和電業専務
萩崎が勤める会社の専務。関野課長の手形詐欺の責任を取らされ、左遷。
萩崎には目を掛けている。左遷の際、萩崎の身を案じ、社長に後事を託す。
◆小柴安男
職業はポン引き。田丸利市が射殺された際、使われた拳銃を密売した男。
拳銃を売った相手は、昔の自分の中学時代の教師。
あらすじ
萩崎竜雄は、昭和電業経理課に勤める会社員。役職は次長、上司は課長の関屋徳一郎といった。
関屋課長は、今月の社員の給料の資金繰りに頭を悩ませていた。
課長は専務と相談の上、高利貸の伝手から裏金利で、資金を優遇して貰う手筈と整えた。
資金繰りの為に手形を切ったが、実は巧妙に仕組まれた手形詐欺だった。
手形詐欺に引っ掛かった関屋課長は自殺。関屋課長の直接的責任者だった専務は、左遷された。
萩崎の心の中に、何か義侠心が沸き起こった。
萩崎は関屋を自殺に追いやり、専務を左遷させた無念を晴らそうと誓う。
萩崎は手形詐欺一味の正体を掴む為、独自で調査を始めた。
調査が進行するに連れ、事件は単純な手形詐欺ではなく、政界を巻き込んだ、何か背後に大掛かりな組織が絡んだ様相を呈した。
調査中、萩原の勤める会社の顧問弁護士(瀬沼俊三郎)が拉致され、弁護士事務所の秘密調査員(田村利市)は殺害された。
萩崎は得たいのしれない相手に対象に対し、自分一人の力ではどうにもならない事を悟った。
萩崎は遂に、限界を感じた。
萩崎は学生時代の友人で、現在新聞社に勤める田村満吉に援軍を求め、事件の究明に取り掛かった。
事件の究明に萩原は、或る一人の女に注目した。
女の名前は、上崎絵津子といった。
上崎絵津子は自殺した関屋課長が資金繰りの為、訪れた高利貸に勤めていた。
事件の影には、必ず上崎絵津子の存在が見え隠れしていた。
二人の必死の調査の末、どうやら今回の事件は、信州山奥の寒村に関係している事実が判明する。
思い起こせば、初めに手形詐欺で名刺を使われた代議士の出身も、地盤は長野だった。
事件解明後、見えて来た人間模様、複雑な背景とは。
要点
物語の初めは、萩崎竜雄が勤める会社が、手形詐欺にあう事から始まる。
手形詐欺で萩崎の上司(関屋徳一郎)は、責任を感じ、自殺を図った。
関屋が自殺した事で萩崎は義憤を感じ、単独で事件調査に乗り出す。
調査を進める中、萩崎は自分一人の調査の限界を感じ、学生時代の友人で現在新聞社に勤める田丸満吉に助力を乞う。
事件は田丸の助力により、次第に真相究明に向かう。
事件の様相が明るみになるにつれ、事件関係者・背後関係が、信州方面に繋がる事実を掴む。い
どうやら事件の糸口は東京ではなく、信州の奥深くにある模様。
事件はその後、信州方面を中心に回り出す。
全体の事件のカラクリが、なかなか巧妙。
最初の手形詐欺も銀行を使った盲点であり、瀬沼弁護士の誘拐、誘拐後の運搬、そして殺害方法等、かなり考え抜かれた手法。
手形詐欺の現場は、白昼堂々と銀行内で行われた。小道具として、現役代議士の名刺が使われた。
銀行・代議士などの肩書・権威を見せつけられた際、一般の人間であれば大概安心し、騙されてしまう。
詐欺集団は一般人が陥りやすい、盲点を突いた。
清張は、「俗世間の人間は、それ程、肩書・権威に騙され易い存在」だとして、何気に世間に蔓延る、肩書・権威主義を皮肉っている。
清張は同時に右翼的な政治集団を登場させ、何か得体の知れない非合法組織に対する恐怖心を駆り立てている。
表向きは「政治集団等と称している」が、その実態は、凡そ「企業専門の強請・集りの恐喝団体」である事が多い。
本題から逸れるが、今回は右翼団体となっているが、私の見解からすれば「右翼だろうが左翼だろうが」、実際している事は、殆ど変わりない。
ただ看板が違うだけで、政治運動と託け、多くは金集め集団と化している。
中には真面目な組織もあるが、大概そんな組織は資金が枯渇している場合が多い。
此れは、昔からある手法。
現代でも手も変え品を変え、しぶとく生き残っている。
少し注目して現代社会を眺めれば、似たような事例が存在する。今回詳細は割愛するが。
要するに、「金儲け集団」。
作品が発表された時代と現在を比べても、然程変わっていない。
作中では、上崎絵津子が萩崎の訪れる場所に、しばし出現する。
相手(上崎)は萩崎を認識していないが、萩崎は相手を強く認識している。或る種の片思いと云える。
結果的に萩崎が絵津子を追跡する事で、事件は解決へと向かう。
原作では、途中まで萩崎と絵津子の接点は、初めに萩崎が高利貸の山杉喜太郎を訪れて以降、まるでない。
しかし映画版では、主人公の萩崎と絵津子は、暫し顔を会わせている。
映画版は1958年製作されたもの。映画は後程、言及したい。
作中では、萩崎が黒池健吉の本籍地を訪ね、役所でお金を払い、黒池の戸籍を閲覧する場面が存在する。
今では考えられない行為。当時は金さえ払えば、誰でも人の戸籍を閲覧する事が可能だった。
繰り返すが、舟坂英明(梅村音次)を頭目とする犯罪集団は、実に手慣れていた。
舟坂の従弟と判明した黒池健吉を、腐乱死体の見せかけ殺害。
運搬の偽装方法などは、実に巧妙と云える。
しかしそれが反ってアダとなり、身の破滅を招いたのは、皮肉としか言いようがない。
追記
事件の解明は作品中の時間の経過を眺めれば、約半年以上の時間が経過している。
手形詐欺が春先、秘密に調査をしていた田丸調査員が殺害されたのが、4月10日の頃。
拳銃の出処が判明したのが、8月下旬。此の時点で既に、4ヵ月近く経過している。
事件解決が9月、10月頃と想定できる為、凡そ6、7か月を要したのではないかと思われる。
田丸調査員が撃たれた拳銃について、軽く言及したい。
使用された拳銃は「1911年型コルト」と書かれているが、通称「ガバメント」と云われているシロモノ。
何故ガバメント(政府)かと云われれば、文中の説明にもあるが、米国政府機関が正式に採用した拳銃。
政府関係(軍・司法関係者)に支給された拳銃の為、ガバメント(政府)と云われていた。
前述の映画は1958年、松竹系にて公開された。
詳細は、以下の通り。
・題名 『眼の壁』
・監督 大庭秀雄 ・公開・配給 松竹 1958年
・脚本 高岩肇 ・製作 小松秀雄
・原作 松本清張 ・音楽 池田正義
出演者
◆萩崎竜雄 :佐田啓二 ◆上崎絵津子:鳳千代子
◆田村満吉 :高野慎二 ◆舟坂英明 :宇佐美淳也
◆瀬川俊三郎:西村晃 ◆黒池健吉 :渡辺文雄
◆関野徳一郎:織田政雄 ◆岩尾輝輔 :山路義人
◆梅井淳子 :三谷幸子 ◆田丸利市 :多々良純
主役を演じた「佐田啓二」は、中井貴一・中井貴恵の実父。
瀬川弁護士役を演じたのは、有名なTV番組「水戸黄門」の黄門様で有名な「西村晃」。
尚、佐田啓二は交通事故で、37歳の若さで早逝している。
何気に渡辺文雄さんが端役で出演している。多々良純も、黒澤明監督『七人の侍』に出演していた。
一見の価値はあると思う。
(文中敬称略)