高額療養費の見直し、狙いは団塊二世、つまり就職氷河期世代に対する布石

今回は現国会で審議されている「高額療養費制度」の見直しについて述べたいと思います。

 

高額療養費の改正の狙いは

いきなりタイトルで今回の話題の結論を述べましたが、答えはタイトルの通りです。

高額療養費の見直しと云う名の改悪。目的は世代間が多い就職氷河期を狙い中したもの。

それは今迄散々述べて来た年金と密接に関係しています。

では次に、その理由を述べたいと思います。

 

やはり一生踏み台、損し続ける世代

過去何度もブログで述べた年金制度。年金はそのまま、今回の話題に直結する。

この世代(団塊二世、且つ就職氷河期)が、今の社会保障制度を支えている。

理由は、この世代が最も世代間が多い為。

 

世代間が多い為、社会人になる際、人生設定の基礎となる就職に躓いた人が多かった。

何を隠そう私もその一人。就活の際、バブル時代と異なり間口が狭く、正社員の椅子が少なかった。

譬え正社員になっても希望する会社のランクとは、ほど遠いものだった。実はこの現象は、以前も経験していた。

それは就職前の大学受験。大学受験でも、全く同じ現象が見られた。

当時は世代間の約4分の1しか、進学できなかった。更にその約25%の中で、大学のランクが決められた。

 

卒業する頃はバブル崩壊で、更に就職口が狭まった。

当時の就活を明かせば、5社受けて、1社面接に進めれば良い方。中には、採用すらしない企業もあった。

今明かすが、男性は採用するが、女性は採用しないという企業も、多々見受けられた。

同級生には、面接にすら進めない女学生もいた。私は比較的、女性が多い職場を受けていたが、それでもチラホラだった。

 

少し長くなりましたが、此れが偽ざる現実でした。当然私は、就職活動に困難を極めました。

やっと内定を戴きましたが、正直に申せば、約2年で退職しました。

やはりあまり意にそぐわない就職だった為、やり甲斐が見出せなかったというのが本心だった。

今でいう、「ブラック企業」だったと思います。セクハラ・パワハラは当たり前。

職場で上司の癇に触れた際、「お前の代わりは幾らでもいる」という台詞が平気で飛び交っていました。

 

何を言いたいのかと云えば、この世代は苦労して就職したが、待遇・職場環境はあまり良くなく、譬え正社員としても収入が少ない。

その為、老後の年金が少ないか、蓄えがない人が多い。

 

最初の就職で正社員になれず、非正社員として社会人をスタートし、そのままズルズル人生を過ごしてきた人も多い。

そんな人達は、当然年金、蓄えが無いに等しい。

 

正社員でも転職を繰り返している人も多かった。敢えて過去形で記したが、実は私が此れに当たる。

2回転職したが、2回目の退職後に年齢が壁となり、そのままフリーランスになってしまった。

決して好んでフリーの道に入った訳でない。仕方なしと云った方が正解だと思う。

 

分かり易い様に自分を例に挙げたが、実は私の周りにはこんな人達が多い。泣く泣くフリーになったと云うのが本音。

このような人達は会社に属していない為、厚生年金でなく、国民年金。つまり個人事業主扱いで、確定申告も必要。

大概業務形態は、業務委託かパート・アルバイトが主流。本当に実力があれば別だが、おそらく老後の資金となる蓄えは少ないと思う。

 

年金と高額療養費は両輪

この就職氷河期が約20年後を経て、今では40代後半~50代半ばを迎えようとしている。

現役でやれるとしても、後20年が限界だろう。20年後の彼らの年齢は、60代後半~70代半ばとなる。

65才から年金が支給されるとすれば、殆どの人が年金世代。因って年金の財源は膨大。

更にその世代となれば、持病の一つや二つは抱えている。通院する可能性は高い。病院に行けば当然、医療費が掛かる。

もうお分かりだと思うが、世代間が多いと云う事は年金と同様、国の医療費負担が増えると云う事。

結論は年金と同じ。

 

国は団塊二世、就職氷河期に散々社会保障費を支えて貰い乍、いざ当世代が社会保障費の恩恵を受ける頃、残念ですが財源がありません。因って社会保障費はカット。次世代の為に、犠牲になって下さい。もし生きたいのであれば、自己負担でお願いしますと宣言しているに等しい。

 

それが高額療養費の見直しと云う名の、 国民負担の拡大 。この一言に尽きる。

 

高額療養費の負担増で崩れた人生設計

突然ですが、皆様は生命保険に加入されていますでしょうか。

私は社会人になった直後、生命保険に加入しました。勿論、将来の人生設計において、保険は必要と考えたからです。

当然家庭をお持ちの方は、生命保険に加入している方が多いと思います。

しかし前述しましたが私は就職後、決して順風満帆の人生とは言い難いものでした。

2回の転職後、フリーになり、現在に至ります。

 

私の人生を振り返れば、人生の節目節目に何か問題がおき、その問題もあまりよくない方向に働いた。

その為安定した生活など程遠く、正直に言えば、その時、その時を生きるのがやっとでした

当然家庭など築ける筈もなく、一度も結婚する事なく(勿論、子供もいません)、現在に至ります。

 

因みに私だけかと思い調べてみましたら、私の世代で男性の約30%が未婚、女性は約20%が未婚だそうです。

大体の目安ですが、実感としてほぼ当たっていると思います。

 

話を戻しますが、私は現在に至るまで、命保険を掛け続けています。約30年近くになるでしょうか。

現在母は高齢ですが存命で、もし私が死亡した場合、受取人は母となります。

私は今までは母が存命な限り、保険を掛け続けたいと思っていました。

御存じかとは思いますが、生命保険はある時期がくれば、必ず見直しがあります。

保険会社も社会情勢の変化、その時の保険会社の売りたい商品に合わせ、更新の際、一定のプランを勧めます。

若かりし頃は自らの死を遠い未来の事を思い、あまり生命保険など吟味する事はなかった。

しかし人間は歳を重ねるに連れ、自らの死を自覚、身近なモノと捉えるようになります。此れも過去に述べた年金と同じ。

遠い将来と思っていた事が、現実となりつつある今、保険というものを真剣に見直す事になります。

 

私は既に3回、契約を見直しています。3回見直した為、内容が当初加入した時とは、かなり異なったものになりました。

当然無知だった事もあるが、それは手練手管の強者そろいの保険会社。

更新毎に、契約内容が契約当初とはかけ離れ、本人にとり、あまりよくないものに変っていた。

保険会社にすれば、当然の事。加入者が若い時、死亡率は少ない。歳を取る毎に病気がちになり、通院が始まる。

正直に云えば、保険会社の外交員が勧めるまま、考える事なく更新していたのが現状だった。

 

処が、とうとう私が真剣に保険を見直す時期がやって来た。理由はやはり、年齢を重ね死を身近なモノと感じ始めた為。

当然だが更新する毎に保険料が増え、次の更新(約2年後)では保険料が倍近くになります。

前述しましたが、母が存命中は保険を掛けるつもりでしたが、母も後期高齢者となり、医療費の負担が少なくなりました。

私自身が家庭を持っていない事、母が後期高齢者となった事、更に母も遠くない将来いなくなる可能性もある。

万が一私が病気となっても、高額療養費制度がある為、今回を最後に更新を止めようかと考えていた。

 

そのような時、高額療養費制度の見直しの報道が流れた。

いつも思うが、私だけではなかろうが、又損をするのかと云うのが実感。

そんな思いで生命保険を見直した時、又新たに私を驚かせる事実が判明した。

繰り返すが、此れは保険会社が悪いのではなく、あくまで私の無知が原因だが。

 

保険を見直した際、二つの事実に気づいた。

一つ目は、保険が定期保険、つまりかき捨てだった事。

二つ目は、加入当初はガン保険を掛けていたが、2回目の更新の際、ガン保険を外していた事。

 

保険に詳しい方であれば説明する必要もないが、簡単に述べれば、

一つ目の定期保険とは、更新毎に見直すが自動車の任意保険と同じで、もし何もなければ契約の満期時、貯蓄型でない為、今迄かけた保険は一切戻ってこない。

極端な事を云えば、満期まで保険を使わなければ、保険料は全て保険会社のモノとなる。使わないと加入者は損をすると云う事。

損という言い方には語弊があるかもしれないが、加入した若い頃、そんな事は全く考えていなかった。

参考までに私が保険を使ったのは2回。30才の頃、同じ病気で2回入院した。後にも先にも、それだけ。

 

因みに今迄の保険料を計算したが、莫大な金額だった。

結果論だが、それが保険というもの。安心と買うという言葉が当て嵌まるかもしれない。

言葉巧みに、保険会社にいいように扱われてしまった。保険会社にすれば、いいお客さんだったと思う。

 

二つ目は、此れも更新した時、あまり意識がなかったが、更新時に初めにかけていた「がん保険」を外していた。

その保険の当初の売りは、「がん保険」だった。

詳しく述べれば特定される恐れがある為、明確にしないが、その保険会社は当時、がん保険を売りに各マスコミにCMを出し、大々的に売り出していた。

私は、まんまとその戦略に乗ってしまった。加入時は当然、がん保険の特約を入れていた。

しかし2回目の更新時、がん保険を外していた。何故外したのか、今をもっても分からない。

 

改めて当時を振り返れば、その時は何かしら忙しくあまり保険の資料を真剣に吟味していなかったのではないかとの結論に至った。

忙しさのあまり、保険外交員の勧めるままのプランに判子を押したような気がする。

毎日の日々に追われ、将来の事に頭が回らなかったのではないかと思う。それが前述した、その時その時を生きるのがやっとだったという事に繋がる。

本当に当時を振り返っても、あまり覚えていない。約15年前の事だったが。保険会社とすれば、しめたものだったのではないか。

これが最近私が保険を見直した際、突き付けられた現実。

 

その半ば打ちひしがれた状況下で今後は、去年の総選挙後に突如として浮上した、国による高額療養費制度の見直し。

まさに、踏んだり蹴ったり。私は頭をハンマーで殴られたような心境だった。

そこまでこの世代を虐めるのかというのが本音。全く持って、不公平極まりない。

 

毎年、確定申告で思う事

間もなく確定申告が始まる。私は2回の転職を経て、其の後はずっと個人事業主。

その為、毎年確定申告をしている。確定申告が始まる約1ヵ月前から、毎回憂鬱な気持ちになる。

理由は、毎年の税金を負担が多いと感ずる為。

 

高額療養費制度の見直しも突き詰めれば「増税」。

昨今の政府の税制改正は、いつも改悪による「増税」。これに尽きる。

 

以前から何度も述べているが、江戸時代末期、「一揆・うちこわし」が多発した。

その時ですら税は「五公五民」だった。

そして私たちが住む現在、各税金を計算すれば、既に年収の約50%は楽に超えている。

既に江戸末期より、酷い状態。これで国民が納得しているのが不思議な程。

他の国であれば、暴動が起きても可笑しくない。

 

此れは本当の話。決し話を盛る訳ではない。増税が国民に分からないように政府・官僚は巧みに情報をコントロールしている。

今何かと話題の既存マスメディアは、今迄為政者の片棒を担いできた。

しかし既存マスコミは、昨今のSNSの普及により、その地位が崩れつつある。此れは或る意味、喜ばしい事だと思う。

一部に人間で独占されていた情報が、国民の一人一人の手に渡った為、国民は情報の取捨選択が可能となった。

詳細は、前回のブログでも述べた通り。

 

結論を云えば、政府・官僚が国民に対し何か不利益な事をしようとする際、国民は素早くそれを察知、対策を講じなければならない

SNS等を使い、公に意見を述べる必要がある。それが今迄一部の人間に独占されていた情報の伝達手段が、一人一人渡ったと言える所以。

 

あともう一つの対抗手段と言えば、やはり「選挙」。選挙で何かしらの意思表示をする事が重要となる。

昨年の総選挙でも統計を取り始め、過去2番目に低い投票率だったが、政権与党は過半数割れを起こした。

普通であれば投票率が低ければ組織票が効力を発し、政権与党に有利に働く。

しかし低投票率でも与党は過半数割れを起こした。分析すれば、投票はしたが、政権与党に入れたくなかったという事。

その結果が、過半数割れとなった。そんな処でしょう。

 

日本の将来、自分の将来を変えたいと思えば、選挙にいくしかない。決して他人事ではない、自分の将来が掛かっている。

先ず、その事を認識するのが必要。選挙にいかなければ、何も変わらない。譬え変わっても、自分の意思ではない。

所詮。他人任せ(他責思考)に過ぎない。

 

因みに私のような就職氷河期世代は、既に人生を諦め将来何も期待していないし、社会や政府に何も期待していない。

ただ疑念と猜疑心を持つのみ。

 

今回、高額療養費制度の報道を通じ。このような考えが頭を過った。

さて皆様は、どうお考えでしょうか。

 

(文中敬称略)