自殺幇助、それとも殺人 松本清張『紐』
★松本清張 短編小説シリーズ
・題名 『紐』
・新潮社 新潮文庫
・昭和 昭和46年10月 発行 【「黒い画集」内】
・発表 「週刊朝日」 昭和34年6月14号~8月30日号
目次
登場人物
◆田村係長
警視庁一課の係長。管轄所内で、身元不明の絞殺死体が発見される。
捜査の結果、死体の身元は岡山県津山市の神主、梅田安太郎と判明する。
田村は捜査主任として事件を担当。
梅田が何故、多摩川の河原にて絞殺されたのか、捜査する。
初めは簡単な殺人事件かと思われたが、捜査が進むに連れ、事件は次第に複雑な要素が絡む事が明らかとなる。
◆梅田安太郎
岡山県津山市で、神主を務める。
事業欲旺盛で岡山の田舎でなく、東京で一旗揚げたいと目論み上京。
半年後、死体となり多摩川の河原で絞殺死体で発見される。
◆梅田静子
梅田安太郎の後妻。岡山県津山市に在住。半年前、上京した夫を心配し上京。
しかし何も手掛かりもなく、帰郷。
帰郷と同時に、夫安太郎が絞殺死体となり発見されたと連絡を受け、再度上京。
警察から尋問を受ける。夫が殺害された日、静子が東京を離れた日は、偶然同じだった。
◆青木シゲ
多摩川の河原で絞殺死体となり発見された、梅田安太郎の実姉。
発見された身元不明の記事をみて、警察に出頭。死体確認後、実弟の安太郎と判明する。
◆青木良作
梅田安太郎の姉婿。安太郎とは義兄弟。鉄道関係に勤務。
来年、定年を迎える54才。安太郎が上京の折、定宿していた。
◆戸田正太
R生命保険東京本社の調査部に勤務。
梅田安太郎死亡の件で、岡山支店から調査を依頼される。
あらすじ
多摩川の河原で、身元不明の男の絞殺死体が発見された。
男は手と足を手拭で縛られ、其の後ビニールを首に巻きつかられ、絞殺された模様。
殺され方が残忍の為、怨恨による犯行かと思われた。
身元不明だったが、新聞記事をみて心当たりがあると思われた中年女性の問い合わせで、男の身元は岡山県津市在住の神主、梅田安太郎と判明する。
安太郎は約半年前、東京で事業を画策。約2千万円ほどの大金を持ち岡山から上京。
初めの3ヵ月は状況は良かった様子だが、その中徐々に気持ちが湿りがちになり、最近では傍目にみても何か憔悴しきった様子だった。
死体となり発見される8日前、実姉に対し何か今後の先行きを暗示させるかのような電話をかけ、其の後に失踪。
実弟が戻らない為、姉は警察に捜索願を出した。その矢先の出来事だった。
警察は安太郎は死の原因は事業関係でなんらかのトラブルが生じ、その影響で殺害されたと判断。
東京にて安太郎の事業の行方を追うが、何も浮かんでこなかった。
一向に手掛かりのないまま、捜査は難航。
何も手掛かりのないまま進むが、ある捜査会議で安太郎の後妻静子に疑惑が向けられた。
しかし静子のアリバイは完璧。崩しようがないように思われた。
何の手掛かりもないまま、捜査本部は解散。事件は迷宮入りとなった。
其の後、保険会社から警察に殺された梅田安太郎に多額の保険金が掛けられていた事が判明。
捜査本部の主任だった田村警部は、再び梅田安太郎殺しの再調査に乗り出す。
警察を動かし事件の真相に迫ったのは、安太郎の死にほんのささやかな疑問を持ち、調査した一介の保険会社社員、戸田正太だった。
要点
多摩川の河原で、手足を拘束され首をビニールの紐で絞められた中年男性の死体が発見された。
死体発見現場からみて、警察は殺人と断定。捜査を開始した。
現場は昼間でも人通りが少なく、殺害時刻と推定される午後8~10時の間では、更に人通りもなく、目撃者は皆無と思われた。
事件を担当する捜査一課の田村係長は、身元の割り出しに力を注いだ。
身元判明は時間がかかると思われたが、案外あっさり割れた。
それは死体が発見されたとの報道があり、自分に心当たりがあると中年女性が出頭してきた為。
女性が身元確認した際、女性の主張する通りだった。死体の身元は女性の実弟と判明。
名を梅田安太郎と云った。
安太郎は岡山県津山市で、神主としているとの事。
安太郎は元来事業欲が強く、田舎で収まるようなタイプでなく、都会で一旗揚げたいと以前から計画していた。
安太郎は自己資金・氏子総代から金を借り、上京。東京で何か事業を始めた。
初めの3ヵ月は上手くいっていたようだが、その中だんだん元気がなくなり、事業も芳しくないようだった。
姉夫婦も所持金がなくならない中に、津山に帰るよう諭していた。
安太郎は一旦津山に戻ったが、僅かばかりの財産の山林を売却。其の後、再び上京する。
再度の上京後、安太郎は前回の所持金を合わせ、約2千万円を所持していたが、すってんてんになった模様。
安太郎の実姉は、安太郎の死を聞き、津山から上京した後妻の静子に話を聞いた。
安太郎は東京で事業を開始した。
しかし何かあまりよくない輩と関わり、密貿易(麻薬取引にようなもの)に手を出し、有り金の全てを騙し取られたのではないかと予測した。
その為安太郎は相手に金の返還を求めたが、逆に相手に殺害されたのではないかと思われた。
金銭関係の縺れと怨恨の線で捜査は進められたが、一向に手掛かりが掴めず、捜査は難航した。
捜査が難航する中、ある捜査員が捜査会議で安太郎が死体をなり発見さた同日、妻静子が義姉の青木シゲから安太郎の失踪を聞き、津山から上京。
3日滞在後、何も手掛かりがなく帰郷した日に当たった。つまり死体発見日と静子の帰郷は同日と判明した。
警察は静子を尋問。上京時の静子の足取りを聞いた。
警察は特に、安太郎が発見される前日の静子の行動に注目した。
警察が尋問した際、静子は淀みなく当時のアリバイを答えた。
警察は静子が主張したアリバイの裏付けをした結果、静子のアリバイには、一寸違いがないと証明された。
因って静子は事件に関係なしと判断され、捜査圏内から除外された。
其の後、捜査本部は何の進展もなく、40日後に解散。
事件は迷宮入り(お宮)となった。
丁度その頃、R生命保険の東京本社に、岡山支店から調査の依頼が届く。
調査内容は、東京で絞殺死体で発見された梅田安太郎の死因について、詳しく調べて欲しいとの事。
尚、安太郎に掛けられた保険金は死亡時で、約1千5百万円。
一支店にしては、莫大な保険金だった。保険会社の戸田正太は、上司から調査を命じられた。
戸田正太は事件に関係する資料を集め、捜査を担当した田村警部に面会を求めた。
田村警部は戸田から話を聞き、初めて安太郎に莫大な生命保険が掛けられている事実を知った。
迂闊と云えば、迂闊だった。
他殺の線で調査していた為、安太郎に生命保険が掛けられているのを見落としていた。
保険自体は事件の約1年半前に掛けられたもので、契約時も安太郎の性格上、自分で勝手に話を進め契約したものだった。
事件以前の契約だったが、田村は決して無関係とは思えなかった。
その為、戸田に調査資料の閲覧を許可した。
戸田は警察の調査資料を読み、幾つかの点に注目した。
・死体検案書によれば、二か所に死斑の跡が見られた事。
・死体の手足を括った手拭のむずび方が「女結び」だった事。
・静子が渋谷のTデパートで、台所用品を購入した事。
・静子の新宿での食堂の証言。
・静子の映画館での証言。
食堂・映画館の出来事(食堂で注文した親子丼の中に蠅が入っていた事、映画館で子供が泣いた事)は、静子のアリバイを完璧にするモノだった。
戸田正太は静子の渋谷での買い物の品、映画館の出来事に興味を示した。
先ずは、渋谷での買い物の件。
静子は渋谷のデパートで、台所用品を購入した。
普通一般の主婦であれば、自ずと台所用品は夫の食事嗜好に合わせたものとなるのが必然。
処が静子がデパートで購入した品は、夫安太郎との嗜好とは凡そ合わないモノばかりだった。
次に映画館での出来事は、明らかに作為が感じられた。その為、戸田は或る実験を試みた。
安太郎が上京の際、常宿していた青木シゲの隣の理髪店にいき、カマをかけた。
正太がカマをかけた時、理髪店の女房は明らかに動揺をしめした。
更に正太は、死体に二か所の死斑があるのに注目した。
死斑が二か所と云う事は、一度倒れた死体を誰かが向きを変えたと云う事を物語っている。
実際には死体はうつ伏せの状態だったが、後に誰かが仰向けにしていた。
以上の事から正太は安太郎の死は、義兄青木良作と静子の二人のが共謀と断定した。
何故二人が共謀したのかと云えば、二人は以前から内密の関係で、今回保険金目当てで殺害したものと思われた。
正太が二人が内密だと睨んだのは、青木良作の嗜好だった。
静子が渋谷で買い物をした台所用品は、悉く青木良作の嗜好品を合致していた為。
その為、二人の関係を結び付けた。
正太は自分の推理をそのまま、田村警部に話した。
田村は正太の話を、熱心に聞いた。
其の後、岡山県津山市に二人の刑事が派遣された。
派遣された目的は、勿論事件の再調査の為。
再調査の結果、事件は他殺に見せかけた自殺と判明する。
企てに参加したのは安太郎本人、妻静子、そして実姉の青木シゲだった。
3人はいきずまった安太郎の処遇に苦慮。
本人の希望も含め、一番最善な方法で事態を処理する事にした。
安太郎も自分が犯した出来事の精算をする為、自らの死を選んだ。
しかし3人の誤算は、
安太郎の絶命後、静子が手足を女結びで括った事。
実姉のシゲが、あまりにも実弟の死顔が惨たらしい為、静子が現場を立ち去った後、死体の向きを変えた事
が誤算となり、事件解明の決め手となった。
つまり肉親だった為、偽装殺人に見せかけたが、思わず節々に「優しさ」が出てしまった。
田村正太が推理した静子と青木良作との関係はなかった。しかし静子には、ひそかに岡山に愛人がいた。
静子は安太郎の死後、愛人と新生活を計画。
デパートの台所用品の買い物に、思わず願望が出たものと思われる。
しかし残った二人の最大の誤算は、保険を掛け1年経てば、仮令自殺であろうとも保険金が支払われると云う事。
二人は、その事を理解していなかった。たった一人理解していたとすれば、死んだ安太郎だったのかもしれない。
安太郎は元来、ワンマンな性格だった。その為、薄々静子に愛人がいた事をしっていたかもしれない。
知っていて、知らないふりをした。最後に静子の不貞行為を詰る為、偽装自殺を承諾したのかもしれない。
何れにしても事件が解決しても、何かやりきれない後味の悪いものだけが残った。
事件解決の糸口となったのは警察の捜査ではなく、ほんの細やかな事象に疑問を持ち、調査した一介の保険会社の社員(戸田正太)だった。
追記
事件解決後、事件は果たして殺人罪、嘱託殺人の何れに該当するであろうか。
静子に愛人がいたと分かれば、裁判でかなり心象が悪くなる。安太郎自身、それを狙ったのかもしれない。何かそう思わせる終わり方だった。
何れにしても静子は既に、保険金を受け取る資格はない。ひょっとして安太郎は、最後に静子を道連れにしたとも云える。
静子は後妻だが、安太郎と静子は互いに結婚する相手を間違えたのかもしれない。
(文中敬称略)