老いてゆく男の哀しい見栄 松本清張『薄化粧の男』
★松本清張シリーズ 短編小説
・題名 『薄化粧の男』
・中央公論新社 中央文庫 【影の車】内
・昭和48年 7月発行
目次
登場人物
◆草村卓三
小田ゴム株式会社に勤務する、庶務課長。年齢は54才。
練馬区の自宅で、妻淳子と二人で住む。二人の間に、子はいない。
二年前から、愛人を持つ。半年前に愛人に一軒家を持たせる。
愛人宅に車で向かう途中、何者かに殺害される。
◆草村淳子
草村卓三の妻40歳。卓三に愛人がいる事に気づく。
しばし愛人宅に怒鳴り込み、愛人と大喧嘩をする。
事件のあった当日も愛人宅に押しかけ、愛人と大喧嘩をしていた。
◆風松ユリ
二年程前から、草村卓三と関係を持つ、バーの女給。年齢23才。
半年前、草村から豊島区に一軒家をあてがわれる。
被害者の草村はユリの許を訪ねる途中、何者かに殺害される。
あらすじ
草村卓三は会社勤めの54歳、会社での役職は庶務課長。
草村には妻淳子と二人暮らしだったが、二年前からバーに勤める愛人の、風松ユリがいた。
卓三は半年前からユリを一軒家に住ませ、週二日程通っていた。
或る日の朝、卓三が車中で殺されているのが発見された。
卓三は殺害される前の晩、一旦帰宅した。その後愛人宅に車で向かう途中、殺害された模様。
警察は殺人、物取りの両面で捜査を進めた。
警察の調べに因れば、どうやら妻淳子と愛人ユリは、しばし近所にも聞こえる程、大喧嘩を繰り返していた。
たまたま卓三が殺害された夜も、2人が大喧嘩をする様子が近所に目撃されていた。
2人の証言では卓三が殺害された時刻、2人は大喧嘩の真っ只中。
奇しくも、本妻と愛人が互いのアリバイを証明する形となった。
警察は捜査を進めるが、一向に手がかりが掴めず、事件はそのまま迷宮入り(お宮)となる。
事件が迷宮入りとなり、2年が過ぎた。
2年が過ぎた後、草村卓三の愛人であった風松ユリが自殺した。
自殺の原因は卓三が殺害された後、一緒になった情夫に裏切られ、自殺を図ったとの事。
皮肉な事に風松ユリが自殺を図った為、2年前にお宮となった草村卓三殺害事件が掘り起こされ、事件の全貌が明らかにされた。
要点
草村卓三の妻淳子と愛人ユリは、互いに敵対関係にあった。
しかし2人は供に、草村卓三の人間性に耐え兼ねていた。
奇妙な事に、2人は共通の敵が「卓三」であると認識し始めた。
その時2人の間に、卓三に対する殺意が生まれた。
互いの利益が、一致した。「敵の敵のは、味方」と云われる所以。
2人が卓三を抹殺しようと結託してから、実行は早かった。
2人は一刻も早く、卓三の魔の手から逃れたかった。
敵対視していた本妻と愛人、共謀して自分の夫・情夫を殺すとは、まさか世間は夢にも思わないだろう。
2人の思惑は完璧だった。
2人の喧嘩を暫し他人に目撃されていた事も、犯行をカモフラージュする為の格好の材料となった。
2人は卓三を殺害しようと計画する前、実際に大喧嘩をしていた。
殺害された草村は、衰えていく自らの容姿を認めようとしなかった。
衰えを誤魔化す為、わざわざ薄化粧をする様は、滑稽よりも哀れにすら感じる。
衰えに対する恐怖は、男も女も変わらないのかもしれない。
女と比較して男の場合、ただ恐怖が表に出ないだけかもしれない。
世間で、54歳の男が会社での地位が庶務課長であれば、既にサラリーマンとして先が見えた状態。
卓三が将来出世の見込みもないのに愛人を持てたのは、会社の金をちょろまかしていた為(不正経理)。
会社側も卓三の不正に、薄々気づいていた。
あまり度が過ぎるようであれば糾弾し、懲戒処分にする予定だった。
そんな状況で卓三は外車を乗り回し、愛人に家を持たせた。
老いを誤魔化す為、薄化粧するのは、何か惨めさを感じるのは私だけだろうか。
哀しい男の見栄と言える。当に転落人生の典型かもしれない。
作品中の淳子の言葉が、卓三の人間像を如実に示している。
その言葉とは、
「利己的、我儘、執拗、残忍。更に大けちんぼでした」
と語られている。
言葉の中の一つでも待ち合わせている人間ならば、普通は相当周囲から嫌われる。
卓三は嫌われる要素を見事に、5つも持ち合わせていた。
それでは嫌われて当然。
何故、淳子とユリは、そんな人間と結婚・愛人関係になったのか。
卓三と係る前、気づかなかったのだろうか。
犯行は、元妻の淳子・元愛人ユリの共謀だった。共犯の風松ユリは犯行後、自殺した。
草村淳子は、ユリは「良心の呵責に耐え兼ね」自殺したと思い込んでしまった。
淳子は自殺したユリは遺書を残し、
と疑心暗鬼になった。
それ故、遺書の存在を探索したのが命取りとなった。
このパターンは、同じ清張作品『共犯者』と全く同じ。
共犯者も同じ犯罪を犯した者同士が犯罪後、一切の連絡を絶ち、全く別々の生活を送っていた。
しかし犯人の一人が社会的に成功した為、もう1人の犯人の其の後が気になり、反って墓穴を掘ってしまう話。
やはり草村の元妻淳子は、心の何処かで草村の愛人だったユリを信用していなかった。
その為ユリの自殺後、執拗に遺書を探したと推測する。
追記
尚、作品は過去に2回、映像化され、地上波で放送された。
参考までに
・1982年3月 テレビ朝日系列 「春の傑作推理劇場」
草村淳子(岡田茉莉子) 風松ユリ(池波志乃) 草村卓三(土屋嘉男)
・1998年6月 フジテレビ系列 「金曜エンターテイメント」
草村淳子(大谷直子) 風松ユリ(斎藤由貴) 草村卓三(風間杜夫)
(文中敬称略)