市長は何故、見知らぬ温泉地に向かったのか 松本清張『市長死す』

★短編小説:松本清張シリーズ

 

・題名   『市長死す』

・双葉社  双葉文庫 【顔】内

・発行   平成7年 5月

 

登場人物

 

◆田川与太郎

九州の或る県、人口10万ほどの市の市長。65歳、元陸軍中将と云う異色の経歴の持ち主。

2年前に当選、一期目。

 

市長は陳情の為、上京。陳情後、歌舞伎観劇中、私用で中座。

志摩川温泉に向かう。後日、志摩川温泉で死体となり発見される。

 

◆笠井議員

田川が市長を務める市の議員。家業は醤油製造業。

亡くなった市長の志摩川温泉行に疑問を抱き、調査を始める。

 

調査後、市長が軍人として南朝鮮にいた頃、女がいる事が判明。

亡くなった田川市長は、志摩川温泉に昔の女に会いにいった事を突き止める。

 

◆芳子

亡くなった田川市長が軍籍時、南朝鮮で懇ろだった女性。

終戦間際の混乱期、田川の副官だった山下副官と一緒に内地に帰国。

そのまま山下副官と供に、行方を眩ます。

 

◆山下中尉(浜岡繁雄)

田川の軍人時代、朝鮮で田川の部下(副官)だった男。

終戦間際の混乱時、田川に託された軍の所持金と田川の愛人芳子を伴い帰国。

2人はそのまま行方を眩ます。同時に2人は、軍の所持金を持ち逃げした。

 

◆黒崎

志摩川温泉の渓流で釣りをして、生計を立てている男。

3年程前、何処からともなく志摩川温泉に流れて来て、そのまま居座る。

或る日突然、志摩川温泉から姿を晦(くら)ます。

 

あらすじ

 

田川与太郎は九州某県、人口約10万の市長。

田川は陳情の為、市議3名、秘書1名を引き連れ上京。陳情を済ませ、明日は帰郷予定。

市長は帰郷前、供の者と一緒に歌舞伎観劇に出かけた。

 

第一幕を終えた後、幕間で休憩室に入った。休憩後、第二幕が始まった。

始まった直後、市長は何何やら、考え込み始めた。

やがて秘書に私用で志摩川温泉に行くと告げ、そのまま立ち去った。

 

単独行動をした市長は、帰郷予定日が過ぎても戻らなかった。

やがて6日が過ぎ、市長は志摩川温泉の河辺で、転落死体となり発見された。

警察の所見では、事故死と判断。「事件性なし」として処理された。

 

市長が亡くなり約1ヶ月が過ぎ、新しい市長も選ばれた。

市議の1人である笠井市議は、何故市長が志摩川温泉に行ったのか分からず、疑問を抱いた。

笠井は疑問を解消すべく、田川の死を調べ始める。

 

調査後、どうやら田川の死は単なる事故死ではなく、事件性を帯びたものと判明。

笠井は田川の死を追求した結果、田川の意外な過去を知る。

 

要点

 

東京での陳情後、帰郷前日の夜、田川市長を始めとした市議3名と秘書1名は、歌舞伎観劇に出かけた。

第一幕が終わり幕間中、一同は食堂で会食した。市長は酒が飲めない為、休憩室でTVを観ていた。

第二幕が始まると直ぐ、市長は何やら考え込んだ。其の後、全く観劇に集中しなかった。

やがて市長は、「急遽私用ができたので志摩川温泉にいく」と秘書に告げ、そのまま中座した。

 

帰郷予定日になっても市長は帰らず、市長は6日後、遺体となり発見された。

警察の調べでは、事故死と断定。

市長が投宿していた旅館「臨碧楼」の主人の話では、田川市長は何処にも外出せず、ただ部屋に居たとの事。

 

やがて1ヶ月が過ぎ、新しい市長も決まった。

市議の笠井は、何故前市長は予定のない志摩川温泉に、急遽訪ねたのか不思議に思った。

笠井は疑問を解くべく、亡くなった田川の弟から日記を借り、読み耽った。

 

笠井は日記を読むにつれ、田川の意外な過去と経歴を知る。

田川は嘗て、陸軍中将だった。終戦間際は、南朝鮮司令官だった。

 

司令官当時、副官として山下中尉なる人物がいた。

終戦間際の混乱時、市長は軍の所持金を山下副官に託し、山下を内地に引き上げさせた。

 

軍の所持金と供に田川は、田川の愛人だった芳子を内地に帰る山下副官に託した。

山下を先に内地に返し、田川は朝鮮で終戦を迎えた。幸い戦犯に指定されなかった為、内地に送還された。

 

送還後、田川は福岡の西部司令部に赴いた。

田川は山下に託した所持金が、軍に返還されていない事を知った。

 

更に山下と芳子は、一度は芳子の実家に戻ったが、2人はそのまま失踪した。

田川は2人は愛人関係となり、軍の金をそのまま持ち逃げしたと察した。

 

田川は山下を信用していた。しかし裏切られた。市長は必死に、2人の行方を捜した。

だが、とうとう2人の行方は分からず終いだった。

 

田川は偶然、2人を発見した。

観劇の休憩室で観たTVは、2人の手掛かりを映し出した。

その手掛かりを基に、田川は志摩川温泉に向かった。

 

笠井市は再び、志摩川温泉に向かった。動機は勿論、市長が見た2人の行方を捜す為。

笠井は以前利用した臨碧楼に投宿した。再び宿主に面会、話を聞いた。

 

宿主は、

「前回は関係ないと思い話さなかったが、田川は頻りに川釣りをしている1人の男に、深く興味をもっていたと」

笠井に話した。

 

釣り人は「黒井」と云う人物。

3年前に来た流れ者で、釣った魚などを旅館に売り生計を立てている男だった。

笠井は、黒井が山下ではないかと推測した。

 

翌日、笠井は川に行き、釣りをしている人間に黒井の所在を尋ねた。

すると釣り仲間は、黒井は急に東京に出立したとの事。

笠井は咄嗟に、逃げられたと直感した。

 

しかし釣り仲間の次の言葉で、黒井の疑惑は打ち消された。

黒井は「鳥目」なので、夜釣りはしないと。

 

田川は亡くなる日の夜、10時過ぎまで旅館にいた。其の後、外出した。

川が見渡せる露台から落ちて死んだが、露台の照明は夜の11時過ぎには消えてしまう。

照明が消えてしまう為、辺りは真っ暗になる。

田川が黒井が山下と判断して、黒井に会いに行った説は成り立たない。

何故なら黒井は「鳥目」の為、夜釣りはしない。

 

笠井の疑惑は、臨碧楼の主人に向けられた。

根拠は、志摩川温泉での田川の行動は全て、旅館の主人の証言を基に形付けられていた。

笠井は先入観に囚われ、主人の証言を鵜呑みにした。

 

笠井は考えを纏め、地元警察に訴えた。警察は笠井の訴えを聞き入れ、捜査を始めた。

捜査の結果、臨碧楼主人の浜岡は田川の副官であり、軍の金と芳子を手に入れ逃走した「山下」と判明する。

 

田川市長は、休憩中のTVで釣り人に注目したのではなく、TVに偶然映った芳子の姿に注目した。

芳子の歩き方には、特徴があった。片足を引きずるような外股で歩くのが、特徴だった。

田川は歩き方の特徴で、芳子を見つけた。

 

田川はTVを観た後、思い立ったように志摩川温泉に向かった。

勿論、目的は「過去を清算」する為。

 

田川は旅館で投宿中も外出せず、他の人間の目を憚った。

おそらく夜中に2人を呼び出し、3人で話合いが持たれたと推測された。

 

田川は金よりも、「芳子を自分に返してくれ」と山下に迫った。

しかし、なかなか話がまとまらない。

話が拗(こじ)れた6日目、露台での話合いの最中、山下は隙をみて田川を崖から突き落とした。

 

作品は以上だが、作品中で芳子の心情は一切明かされていない。本人の発言もない。

果たして、芳子の本心はどうだったのか。

 

・朝鮮から山下と一緒に帰国した時。

・今回、田川がいきなり自分達の目の前に現れた時。

 

芳子の気持ちはどうだったのか。作品では、一切触れられていない。

果たして芳子の心境は一体、どうだったのか。

 

追記

 

尚、作品で登場する志摩川温泉とは、架空の温泉地。

作品中では、東京から北の方面、急行で2時間程でいけると記載されている。

推測するに群馬県の白根・水上・日光、栃木県の那須湯本あたりであろうか。

 

(文中敬称略)