たった一つの歌で計画が綻んだ話 松本清張『捜査圏外の条件』

★短編小説:松本清張シリーズ

 

・題名       『捜査圏外の条件』

・新潮社       新潮文庫 【駅路】傑作短編集(六) 

・昭和40年     7月発行

・昭和32年     8月【別冊文芸春秋】掲載

 

登場人物

 

◆黒井忠夫

一流銀行に勤める31歳。戦争未亡人光子、27歳と一緒に東京に住む。或る日、妹は亡夫の墓参りに行くと称し、そのまま行方不明となる。

捜索願の結果、妹は北陸の温泉地で急死していた事が判明する。

妹が急死した際、同伴していた男がいた。その男は妹が急死した後、自分の身元と妹の身元が発覚するのをおそれ、逃亡した。

詳細を聞けば、男はどうやら忠夫と同じ銀行に勤める「笠岡勇市」と判明する。

笠岡と分かった時、忠夫の胸に笠岡に対する殺意が芽生えた。

 

◆黒井光子

黒井忠夫の実妹、27歳。戦争未亡人となり、兄忠夫と一緒に東京に住む。

或る日、亡夫の墓参りに行くと称し、そのまま行方不明となる。

忠夫が出した捜索願の末、光子は北陸の温泉旅館で急死していたと分かる。急死の際、忠夫の同僚「笠岡勇市」と一緒にいた事実が判明する。

光子の急死後、笠岡は光子の身元の発覚をおそれ、光子の身元証明となる所持品を全て持ち去った。

光子は急死した旅先で、身元不明の死体として処理されていた。

 

◆笠岡勇市

黒井忠夫と同じ銀行に勤める、40過ぎの妻子持ちの同僚。黒井忠夫に知られず、何時しか忠夫の妹光子と不倫関係になる。

光子と不倫旅行に出かけ、旅先で光子の急死に遭遇。光子の関係と自分の身元発覚をおそれ、光子の身元証明となる所持品を全て持ち去り、そのまま旅館から逃走する。

帰京後、何食わぬ顔をして忠夫に声を掛け、如何にも心配している素振りをする。

忠夫が光子の死体を確認。光子の相手は笠岡と判明。

笠岡は光子との不倫関係が発覚する事で社会的地位・家庭的崩壊をおそれ、必死に口留めを忠夫に頼む。

笠岡の余りにも身勝手で卑怯な態度は、兄忠夫に殺意を抱かせる結果となる。

 

あらすじ

 

黒井忠夫(31歳)は、一流と云われる銀行に勤めていた。独身だったが、戦争未亡人の妹光子(27歳)と、二人暮らしをしていた。

或る日光子は、亡夫の墓参りに行くと言って出かけた。忠夫は通勤中で、新宿駅まで光子と同行した。

新宿駅で光子と別れた。それは忠夫が生きている光子を見た、最後の姿だった。

 

数日過ぎたが、光子は東京に戻ってこない。亡夫の墓は山形県だが、どうやら山形には行っていない模様。

墓参りに行くと託け、何処かに旅行した様子だった。

幾日たっても妹が戻って来ない為、忠夫は警察に捜索願を提出した。

後日、I県Y町の警察から身元不明の女性の死体を役場が引取り、葬ったとの知らせが届いた。

 

忠夫は知らせがあった警察署に赴いた。

忠夫が身元不明の死体を確認した結果、死体は光子に間違いなかった。光子は旅先で急死していた。

急死した光子には、どうやら同伴の男がいた。

男は光子の急死に狼狽(うろた)え、光子の身元の発覚をおそれるあまり、光子の身元が分かるものを全て持ち去りそのまま逃走した。

忠夫は旅館の従業員から男の特徴を聞いた後、同伴相手は銀行で同僚の「笠岡勇市」と断定した。

 

帰京後、忠夫は笠岡を問い詰めた。

問い詰めた結果、笠岡はなかなか認めなかったが、最後に白状した。

光子の関係が会社や妻に発覚するのを恐れ、身元不明の偽装をして、そのまま逃走したと白状した。

 

忠夫はあまりの笠岡の卑劣な態度を許す事ができず、笠岡の殺害を計画する。

殺害を実行する為、忠夫は今勤めている会社を辞めた。

東京を離れ、西国の山口県に移り住んだ。忠夫は笠岡の周囲から自分の痕跡を消す為、ひたすら時を待ち続けた。

 

7年後、忠夫は殺害計画を実行した。

長い間、時を待ち続けたが、たった一つ誤算があった。一つの誤算が、忠夫の計画を無にした。

計画の破綻は、7年前旅先で急死した妹光子が、何時も口ずさんでいた歌だった。

その歌が7年待って実行した忠夫の犯行を、一瞬で台無しにしてしまった。

皮肉にも妹の恨みを晴らす為の犯行が、妹が口ずさんでいた歌で、忠夫の犯行が露呈してしまった。

 

見所

 

同じ清張作品で『愛と告白の共謀』があるが、今回の作品は『愛と告白の共謀』の逆バージョンと言える。

今回は、旅館で急死した人間が女だった。

しかし前述作品との決定的な違いは、旅先で不倫相手の男性が急死した。

急死後、旅館の女将と不倫女性がしめし合わせ、夫の遺体を引き取りにきた妻に対して逃げ隠れせず(身分は女中に化けていた)、その時誰もが傷付かない最良の方法で、急死の事後処置をした事。

 

今作品は急死された男(笠岡勇市)が自分と女(黒井光子)の身元の発覚をおそれ、女の身元不明の偽装後、旅館から逃げ出した。

その後何食わぬ顔で職場で兄黒井に対し、心配する素振りまでしていた。

笠岡は事件が発覚後、黒井に真相を追求されるまで黙っていた。

 

これが前述作品との違い。

前述作品で夫に急死された未亡人は、後に夫の不倫相手の正体が分かっても、決して相手を憎しみはしなかった。

しかし今作品は、妹を置き去りにされた兄黒井忠夫は相手に対し、ハッキリした憎悪と殺意を抱いた。

此れが決定的な違い。

 

小説の結末を考えれば、黒井は復讐の為、殺人まで犯した。

黒井は犯行が発覚。その為、自殺をする寸前の状態になった。

今更ではあるが、最後に自殺をするのであれば光子と笠岡勇市との関係が明らかになった時、笠岡を社会的に抹殺すべく世間に公表すべきだった。

公表していれば、忠夫は笠岡を殺す必要はなかった。笠岡には社会的制裁が下され、社会から抹殺された筈。

黒井忠夫は何も、自分の人生を犠牲にする必要はなかった。

しかしそれは、結果論かもしれないが。

 

追記

 

黒井の妹光子が急死した「I県Y町」の温泉地とは、おそらく石川県の山代温泉か、山中温泉と思われる。

清張の作品には、暫し北陸の石川県が登場する事が多い。

清張の代表作『ゼロの焦点』『砂の器』は、石川県を舞台とした小説。

とくにY町は、『砂の器』の主人公の親子の出身地である山中町ではないかと推定される。

 

TV等で映像化されているが、映像ではその時代の流行歌が歌われている。原作は、『上海帰りのリル』。

やはり亡くなった黒井の妹が戦争未亡人であったと同様、まだ戦争の面影が色濃く残っていた時代だった。

 

(文中敬称略)