己の顔でチャンスを掴み、己の顔で破滅を招いた男 松本清張『顔』

★松本清張短編小説シリーズ

 

・題名 『顔』    

・新潮社 新潮文庫 【張込み】傑作短編集(五) 

・昭和40年12月発行

 

登場人物

 

◆井野良吉

小さな劇団の無名な役者。或る時劇団員の一員として、映画界巨匠の作品に出演。独特の風貌で監督に興味を持たれ、有名役者への仲間入りのチャンスを掴む。

しかし男は、過去に人に言えない秘密があった。

男は劇団員になる前、九州にいた。九州から役者を目指し、上京した。男の人に言えない秘密とは。

 

◆石井監督

映画界の巨匠。独特な風貌を持つ井野の顔に惹かれ、井野を自分の作品に抜擢する。

 

◆石岡貞三郎

過去山陰線の汽車中で、山田ミヤ子が井野良吉と一緒にいるのを目撃する。その時石岡は井野の顔を覚えていなかったが、ふとした出来事で井野の顔を思い出す。

 

◆山田ミヤ子

井野の九州時代の恋人。田舎で買い出しをしている際、井野良吉と知り合い深い関係となる。

ミヤ子は女給で、石岡貞三郎は酒場のお客。ミヤ子は井野と二人で旅行をしていた山陰線の汽車中で偶然、石岡に出会う。

 

◆田村刑事部長

9年前、山陰地方で殺害された山田ミヤ子の事件を担当する刑事。9年後、石岡貞三郎が京都から謎の手紙を受け取った為、石岡から手紙の件で相談される。

田村は石岡の手紙を読み終えた後、事件に匂いを嗅ぎつけ、石岡に京都行きを薦め、一緒に同行する。

 

あらすじ

 

井野良吉は、九州の八幡市に住んでいた。良吉は以前から上京して役者を目指す夢の実現を果たすべく、今の生活を清算しようとしていた。

良吉は買い出し先で知り合った女給のミヤ子と出会い、恋仲になっていた。

付き合いだして分かった事だが、ミヤ子はあまり器量が良く、決して人間的魅力に溢れているとは言い難かった。

 

更に都合が悪い事に、ミヤ子は良吉の子を身籠ってしまう。

良吉は此の女の為に、自分の一生を台無しにされてはたまったものではないと思い始めた。

良吉は現在の生活を捨て上京する為、ミヤ子殺害を計画する。

良吉はミヤ子を誰も知り合いがいない遠方に誘い出し、殺害する方法を思いつく。良吉は綿密に計画をたて、やがて実行に移した。

 

ミヤ子を山陰地方の温泉に行くと誘い出し、二人で山陰線の汽車に乗った。

処が偶然汽車中で、ミヤ子は八幡市の店の客である石岡貞三郎に偶然出くわした。

ミヤ子はあまりの奇遇で、思わず石岡に話かけてしまった。良吉は計画に支障を来す恐れがある為、態と石岡と顔も合わせず、避けるように汽車の窓を見つめ続けていた。

石岡も良吉がミヤ子の連れと分かったが、敢えて顔を合わせようともしなかった為、良吉の顔の記憶も曖昧だった。

 

良吉は慎重に事を運んでいたが、ミヤ子の軽率な行動が腹立だしかった。

良吉はミヤ子の口から、男の名は石岡貞三郎と聞かされる。

宿で一泊した後、山林にミヤ子を誘い出し、殺害した。その後間もなく、良吉は上京。

東京で劇団の一員となっていた。

 

やがて8年の歳月が流れた。良吉に漸く人生の転機が訪れた。

端役ではあるが、映画出演が決まった。出演の動機は、映画界の巨匠が良吉のニヒルな顔と雰囲気を気にいった為だった。

端役でほんの僅かなシーンであったが、良吉は映画出演を果たし、巨匠監督から好評を得た。

 

好評を得た後、再び巨匠監督の映画出演が決まった。今度は前回と違い、重要な役として出演が決まった。

良吉には、大きな不安がよぎった。それは映画公開で大規模に自分の顔を晒す事で、自分の過去の犯罪が暴かれるのではないかと恐れた。

 

良吉は自分の不安を取り除く為、唯一の目撃者である石岡貞三郎を殺害する事を決意。計画を練った。

良吉は石岡を京都に呼び出し、人気のない処で殺害する計画を立てた。

石岡を呼び出す為、石岡に手紙を出し、京都までの交通費・宿泊費を同封した。

 

果たして石岡は京都にやって来た。しかし京都に遣って来た石岡は、一人ではなかった。

良吉は気がつかなったが、石岡は二人の刑事を連れていた。

 

良吉と石岡が約束の時間になる前、二人は偶然再会した。

良吉は直に石岡に気づいたが、石岡は良吉の顔を見たが、既に9年の月日が流れている為か、良吉に全く気づかなかった。

 

良吉は、石岡が自分の顔を全く記憶していないと確信する。良吉は石岡に会う意味もなくなり、そのまま帰京した。

石岡と二人の刑事は約束の時間と場所に行くが、手紙の主はとうとう現れなかった。

 

石岡が自分の顔を覚えていないと確信した良吉は、不安が払拭された。良吉は自信に溢れ、精力的に映画出演を熟した。

映画が完成・公開され、良吉は再び好評を得る。

良吉は将来は、有名役者への仲間入りを確約されたものと思われた。

 

一方京都で可笑しな体験をした石岡は、久し振りに今世間で評判の映画を見に行った。

石岡は出演している俳優が汽車に乗り、汽車の窓ガラスに顔を向けているシーンを見て、なにやら昔見た光景(デジャヴ)と感じた。

 

暫く考えた末、石岡は9年前ミヤ子が殺害される寸前、山陰線の汽車の中で見たミヤ子の連れの男の顔が頭に浮かんだ。

石岡は自分の頭を棒で殴られたような衝撃を受け、映画館を飛び出し、そのまま近くの交番に駆け込んだ。

 

見所

 

人間とは不思議なもので、普段見慣れたシチュエーションでなければ、顔と名前が思い出せない事がある。

喩えるならば、普段よく買い物に行く店があるとする。

働いている店員の顔を、同じ店で見れば明確に認識できるが、一旦店外に出て全く別の場所で出くわせば、一瞬顔と名前が一致しない事がある。

暫くは記憶が曖昧だが、二人が会話を交わした後、漸く誰であったのか判明する事がある。

自分の頭に見慣れた場所、服装等に先入観がありすぎた為、異なった状況で出くわした際、全く別人のように思える時がある。

 

石岡貞三郎は、京都の芋ぼう料理屋で井野良吉と相席となり、偶然出くわす。

しかし石岡は、9年前の良吉の顔に全く気づかなかった。

石岡は9年前と似たシチュエーションの映画を見た際、漸く井野の顔を認識する事ができた。

それと同じであろうか。

 

井野は九州で暮らしていたが、自分の夢を実現する為に上京を決意。

過去を清算する為、当時妊娠していた恋人山田ミヤ子の存在が邪魔となり、ミヤ子を殺害する。

 

井野はミヤ子を殺害後、役者を目指して晴れて上京する。

劇団員の一員となり、8年後に漸く転機が訪れる。チャンスを掴みかけた井野は、唯一の目撃者、石岡を殺害する為の計画を練る。

 

しかしその小細工が反って、忘れかけていた石岡の記憶を呼び戻す結果となった。

おまけに井野の出世作となる筈だった映画が、井野の身の破滅を招く映画となる。

 

自分の「顔」でチャンスを掴み、自分の「顔」で破滅を招いた井野良吉。因果応報、何とも皮肉めいた作品と言える。

 

追記

 

作品を読み返し気づいたが、何気に犯人の井野はミヤ子を殺害する動機や、唯一の目撃者である石岡を殺害する為に京都に呼んだ折、石岡と面会前に偶然料理屋で出くわした時など、実に自分に都合よく物事を捉えているのかが読み取れる。

 

石岡に手紙を送った際、良吉が自分が仕掛けた罠に、自らが落ちていく様子がよく分かる。あまりにも練り過ぎた故、そのわざとらしさが墓穴を掘ったと言える。

 

良吉は自分がしでかした犯罪をしる為、殺害現場である島根の地方新聞、自分が住んでいた北九州の地方新聞を購入している処が面白い。

この手法は、同じ清張作品『地方紙を買う女』でも同じ。

 

余談だが、今回の作品の登場人物は「石井」「石岡」となっているが、何か清張自身、「石」という文字に拘りがあったのだろうか。

同じ清張作品『張込み』に登場する殺人犯も、名前は「石井」だった。何気に気になった。

 

作品の『顔』は、映画・TVサスペンス等で何度も映像化されている。

原作は男が主人公だが、近年映像化されたものは、不思議と女を主人公としたものが多い。

過去に過ちを犯した女性が自分の過去を隠蔽する為、犯罪を犯してしまう筋書きの方がTV受けがよく、視聴率がとれるからかもしれない。女性の方が悲劇性があり、絵になるのからだろうか。

 

遡って調べてみれば、圧倒的に女性を主人公としたものが多く、悲劇のヒロインとして描かれている作品が多い。

主人公を女として脚色すれば描き易いのかもしれないが、原作を読む限り何か物足りないような気がする。

此れは明らかに、活字と映像の違いかもしれないが。

 

(一部敬称略)