巧妙に絡めとられる役人 松本清張作『弱味』
世間を暫し騒がす、役人の汚職、公共事業の官製談合など。
理由は様々であろうが、今回或る出来事を切っ掛けに、地獄に落ちていく役人の姿を描いた作品を述べたい。
・題名 『弱味』
・新潮社 新潮文庫
・或る「小倉日記」伝 傑作短編集(一)
・昭和40年 6月発行
・原作 松本清張
目次
登場人物
◆北沢嘉六 :R市の都市計画に勤める課長。
◆志奈子 :北沢嘉六の愛人。嘉六とは20歳以上も違う。
◆志奈子の母 :志奈子の母。娘が嘉六の愛人であるのを公認。
◆赤堀茂作 :R市の市議会議員。
◆助役 :嘉六が勤めるR市の助役。次の市長選挙にて出馬を目論む。
◆悪徳土建業者:赤堀がとつるむ土建屋。嘉六を使い、一儲けを企む。
作品概要
北沢嘉六はR市の市役所に勤める、都市計画課の課長。
愛人の機嫌とる為、愛人を伴い温泉に宿泊した。
嘉六は48歳、愛人の志奈子は20歳年下、28歳だった。
愛人は以前飲み屋勤めだったが、お客であった嘉六と良い仲になり、嘉六から手当を貰う事で勤めを辞めた。
志奈子の家は、潮の香が漂う漁師の家だった。志奈子は父を亡くし、母と二人暮らし。
その為志奈子が勤めに出ていたが、嘉六が志奈子が勤めにでるのを好まず、家にいる事を望んだ。
母親も、嘉六との関係は公認だった。
志奈子は愛人だったが嘉六の役所務めの手当では所詮、高が知れており、志奈子親子の生活は決して楽ではなかった。
嘉六は志奈子のご機嫌とりの為、志奈子を温泉に連れ出した。
夜になり二人は寝静まったが、嘉六は途中で目が覚めた。
目が覚めた時、自分の部屋に泥棒が入り、金品・衣服類が一切盗まれているのに気付いた。
嘉六は一瞬、身の破滅が頭を過った。
しかし人間は窮地になれば、不思議と何かしらの悪知恵が働くもの。
普段仕事の関係で何気に便宜を図っていた、市議会議員の赤堀茂作に電話。
宿の支払い、替わりの衣服をもって来させる事に成功した。
今迄の恩義もあり、赤堀自身も普段から男気を気取っていた輩なので、嘉六はすっかり窮地を脱したと安心していた。
しかしそれは、蟻地獄に落ちる入口だった。
後日、赤堀から嘉六に呼び出しがあった。嘉六は赤堀の呼び出された料亭に行く。
赤堀の狙いは、「利益供与の要求」だった。
赤堀は違法に立てた廃工場を公園建設に託け(かまかけ)、法外な値段で市に買い取らせる目論見。
嘉六は金額があまりにも法外な値段である事、更に市は違法建築の建物には一切お金を払わない事を知っていたが、書類を無理やり改竄。
赤堀の要求の半分を渡す事を約束する。
手品のカラクリは、次の選挙で現助役が市長選に出馬する為、現在市役所内で自分の勢力を拡大している最中だった。
助役は職員間の人気取りの為、書類の中味をあまり深く吟味せず、ただ認印のハンコを押していた。
嘉六は助役の現在の状況を、巧みに利用した。
上手く書類を巧妙に改竄。市長の留守時を見計らい、助役に偽造書類を提出。
認印を貰う事に成功した。
嘉六は赤堀の法外な要求額の半分を、市の公金から出させる事に成功した。
嘉六は此れで、温泉宿での借りが返せたと思った。
或る日、又も赤堀から嘉六に呼び出しがあった。
例の如く料亭で談笑後、嘉六は赤堀から無理やり贈り物を渡された。
贈り物とは、借家ではあるが瀟洒な一軒家だった。
さりげなく赤堀が呟いた。
此処に愛人親子を住まわせては如何でしょうかと。
赤堀は温泉宿では志奈子には会っていなかったが、こっそり尾行でもしていたのだろうか。
ちゃんと嘉六の愛人が、志奈子である事実を突き止めていた。
もう逃れる術はない。赤堀は嘉六を、骨までしゃぶろうとする魂胆。既に一連托生。
何もしらない志奈子親子は、もう潮の香が漂う、みずぼらしい家に住まなくてもよいと大はしゃぎ。
新居祝いでは、当然赤堀が呼ばれた。
当日赤堀は悪徳業者で有名な二人の土建屋を、お祝いと称し引き連れて来た。
祝いの席では愛人の志奈子は、二人の状況など露知らず、ただ少女の様にはしゃぎまわっていた。
嘉六は赤堀から、悪徳業者の二人を紹介された。
もう逃れる事はできない、無間地獄の始まり。
地獄の終わりはどちらかが死ぬか、汚職が発覚するまで永遠に続く。
まとめ
世間を暫し騒がす、役人の汚職。
報道を聞いた時、何故悪いと分かっていながら、悪事に手を染めるのかと不思議に思う。
切っ掛けは、ほんの細やかな事から始まるのではなかろうか。
作品では市役所に勤める課長が、愛人と温泉宿に投宿。盗難にあう。
嘉六の場合、不倫・発覚を恐れての隠蔽である為、弁解の余地はない。
助けとして、現役市議赤堀の手を借りてしまう。
しかし似たような事例で簡単に弱味を握られ、他人に絡め取られてしまう事がある。
同じ公務員の警官なども同じ。
ふとした行為・不注意・魔が差した出来事で相手に弱味を握られ、自分の弱い立場に付け込まれ、相手に便宜を図ってしまう事がある。
身近な例を挙げれば、盆暮れ毎に、自分の許に品物が届くようになる。
最初は安価なものであった為、軽い気持ちで受け取っていたが、次第に高価な物になる。
その頃には、すっかり感覚が麻痺。
そして或る日突然、送り主から今迄送った物の借りを返してくれと要求される。
初歩的だが、何気に有効な手段と聞く。警官などがよくある例。
送り主は匿名だが、実は敵対する非合法組織である場合が多い。
此れは相手方に買収される典型的パターン。
役所と云う処は、極めて閉鎖的な世界。
勤め始めてから何も大きなミスをしなければ、凡そ定年まで働ける。
定年までは長い。狭い世界の中で定年の日まで、同じ人間とほぼ毎日のように顔を合わせる。
自ずと相手に詳しくなり、色々な恨み・妬みなどのドス黒いものが芽生え始める。
息苦しい、ギスギスした関係になりがち。ある種の閉塞感とでも言おうか。
殆どの役所は、年功序列と減点主義の職場。
人事もほぼ入社年次に因る、「トコロテン人事」が行われる。
部署に因り、書類次第で何とでも予算が降りる処が沢山ある。
松本清張は役所の杜撰な構造を作品に描く事で、明らかに役所のしきたりを皮肉っている。
読書後、同じ役所の弊害を鋭く突いた1952年作:黒澤明作品『生きる』を思い出した。
互いの作品は、似たようなテーマ。
清張と黒澤明作品を見比べた時、意外に似たテーマ、観点で描かれた作品が多いのに気付く。
互いの観察力・洞察力を伴った鋭い批判とでも云うのであろうか。
それは決して大所高所から物を見つめるのではなく、一介の市井の者から見た「反骨精神」と言える。
今回の作品は、自分の弱味に付け込まれ、悪の手に絡め取られていく人間を描いている。
しかし決して他人事とは思えない。
いつ誰の身に降りかかってくるかもしれない出来事ではなかろうか。
(文中敬称略)