TV・出版と同じく凋落が激しい新聞業界、業界の構造

TV、出版業界と同じく凋落の一途を辿る新聞業界。業界の構造を述べたい。

新聞業界の特徴を挙げるとすれば、記者クラブ、再販制度、宅配制であろうか。

業界を理解する上で、一つ一つ述べてみたい。

 

記者クラブの発祥

 

皆様は一度か二度は、「記者クラブ」という言葉を聞いた事があると思われます。

記者クラブは新聞に限らず、通信社、放送局も存在しますが、今回は主に新聞中心に取りあげます。

 

そもそも記者クラブの発祥は、明治政府誕生以来から密接に関係している。

明治政府が誕生。

いち早く政府の政策・変革を国民に知らせる為、政府は積極的に新聞を育成・保護した。

しかし自由民権運動が盛んになるにつれ、政府を批判する記事が多くなり、政府は弾圧に向かう。

 

学校の社会科の授業で板垣退助の「自由民権運動」の章で、イラストを見た事があると思う。

政府を批判した演説をすると、巡査(おいこら)が飛んで来て演説を止めさせようと乱入。

その抗議として、ヤカンか土瓶が飛んでくる風刺画を。

まさしくあの絵。

 

政府は次々に法令を作り、新聞を弾圧した。

しかし自由民権運動の末、政府はとうとう国民の声に耳を傾けざるを得なくなり、国会の開設を約束した。

 

政府の約束通り、国会は開設されたが、議会・政府は新聞記者の取材を許可しなかった。

新聞社は、この措置に対抗。

議会で取材権利を確保する為、各新聞社が結合。

今の記者クラブの母体が出来上がった(明治23年)。

 

これが記者クラブの始まりと言われている。

其の後、多少の変遷を重ね、今日の記者クラブの形となった。

 

こう歴史を紐解くだけでも、最初から政府が深く関わっている事が分かる。

新聞は政府の存在と車の両輪の形で、発展を遂げていく。

 

皮肉にも新聞業界が部数を伸ばす時期は、戦争である。

同じく色々な変遷を遂げた時も、やはり戦争。

理由は後程述べたい。

 

現在の記者クラブの存在意義

 

発足以来、現在の至る迄の記者クラブの意義は、殆ど変わりがない。

相変わらず政府の様な公的組織との互恵関係といっても過言でない。

政府が発表した政策・見解などを独占。

記者クラブと言うフィルターを通じ、国民に知らしめしてきた。

 

意外に記者クラブが政府・官公庁から経済的便宜を受けている事は、あまり知られていない。

自ずと相互依存が高まると言えなくもない。

政府・官公庁からと言っても原資は勿論、「税金」である。

 

国民の知る権利を建前に、記者クラブを使い政府機関・自らの会社方針に沿った情報をばかりを流されるのであれば、それは国民にしてみれば、甚だ偏った情報の波に晒されるのではないかと危惧される。

 

「報道発表」という言葉があるが、政府・官公庁等の当局からの発表を何も検証せず、各メディアが、そのまま新聞紙上に乗せる事を意味する。

大昔の「大本営発表」と言えなくもない。

しかし今日ではネットを駆使すれば、どこに居ても各官公庁のHPにアクセスでき、誰でも発表内容を見る事が可能。

 

今の記者クラブの存在は既に設立当初の目的より、かなり掛け離れた存在になりつつある。

極論すれば、「情報の談合組織」となりつあるのではないかと思われる。

 

記者クラブは「情報の共有化」との名目で、ほぼ横並びの報道で排他的。

決して抜け駆けは許されない。

そんな状態下で、今の現代社会で存在意義を果たしていると言えるのだろうか。

どの新聞記事を見ても、似たような記事しか掲載されていない。

記事の切り口も似た様なものばかり。

 

普段、他の既得権益を叩いている新聞が、実は自分達がどっぷり既得権益に浸かってしまっている矛盾にまるで気づいていない。

気づいていても、知らない振りをしていると思われる。

 

因みに反政府色が強いマスコミも、全く同じ。後述する再販制度も同じ。

政府が再販制度の見直しをすれば、各新聞社一斉に反対するのも同じ。

まさに既得権益。

 

日本新聞協会のHPを見る限り、

記者クラブの目的は「取材・報道のための自主的な組織」であり、「開かれた存在」であらねばならない

と明記されている。

しかし、果たして本当にそうだろうか。皆さんはどう思われるだろうか。

 

同HPでは更に「閉鎖的」「横並び体質」「特権意識」の批判に謙虚に耳を傾け、改めるべきところは改めると書かれてあるが、果たして如何なものか。

 

何か言葉だけが虚しく響く。

実際記者クラブは、フリーの記者、雑誌記者は未だに入会を許されていない。

 

外国人記者がしばし、日本の新聞記者は「政府機関の官報」と揶揄するのも無理はなかろう。

偶に外国人特派員協会で記者会見する時があるが、あれは殆どが日本の記者クラブがとり挙げなかった案件を外国人特派員協会を使い、世間に発表している為。

 

どうして日本の記者クラブがとり挙げなかったのか。

それは記者クラブがクラブに取り、無価値と判断した為。

何をもって無価値と判断するかは、謎。

理由は公表されない。

 

前述したが、今では各官公庁のHPにアクセスすれば、今では新聞に載らなかった他の情報も見る事が可能。

既に記者クラブに所属していなくても、情報入手が可能な事を示している。

此れは偏に今では記者クラブが、既に特権階級の立場から滑り落ちた事を意味している。

 

日本のマスコミが取り挙げない記事を、態と外国人特派員協会に持ち込む人もいる。

それは何故か。

 

日本のマスコミでは握り潰される恐れがある為。

日本マスコミは、それだけ信頼性が失われている証拠。

 

よく言われる「横ならび体質」の具体例を挙げるならば、日本の首相にインタビューする際、どこかの単独インタビューは絶対にありえない。

必ず記者クラブを通さない限り、あり得ない。

 

外国の要人が来ても、同じ。独占インタビューは、ほぼ不可能。

必ず記者クラブを通さなければならない。

 

もし何処か一社でも抜け駆けをすれば、次から締め出しを食う。

まさに横並びの「談合組織」。

 

一社がスクープを掴んでも、決して抜け駆けは許されない。

特ダネ記事等も外国メディア、雑誌、週刊誌が報じる。

すると漸く「後追い」と称し、一斉に新聞が報道するのが現状。

 

よく言われるが新聞は「建前」、雑誌・週刊誌は「本音」と言われるのは、この為。

成り立ちからも考えれば、決して政府の頸木から逃れる事が出来ないと言える。

 

日本の新聞社とTVとの関係

 

新聞社が政府と深い関係がある訳が、他にもある。

大概日本の新聞社は、系列会社に放送局を所有している。

諸外国では新聞社とTVの両方の資本関係は、禁じられている場合が多い。

これも又日本の独自の仕組み。

 

よくTVコメンテーターに、系列新聞社の新聞記者が出演してコメントする事が多いが、あれを想像して貰えれば分かり易い。

勿論、TV局の取締役等にも新聞社から出向で、必ず何人かが在籍している。

 

基本的にTV放送は「許認可制」である。

放送する電波は、お上の「政府の総務省の許認可」を経て、放送事業を行っている。

それも殆ど、タダ同然の使用料で。

 

元来電波は公益のもの。つまり国民の共有財産である。

その電波を使わせてもらってる。

記者クラブ同様、莫大な便宜を図って貰っていると言えるだろう。

 

一時期より減ったといえども、TVは年間で莫大な利益を生んでいる。

批判の矛先が鈍るのも無理ない。

 

TVの話が出たついでに述べるが、新聞もTVと同じで、収益は主に企業からの広告費で賄われている。

広告費は主に、TVCMの事。

 

新聞の販売収益は広告に比べれば、微々たるもの。

しかし年々、広告費が減少しているのは事実。

 

去年の報道で既存メディアとネット広告費が同額になると言う記事を見たが、今年あたり既に既存マスコミはネットに抜かれると予測する。

 

以前TVが面白くなくなった理由を述べたが、全く同じ事で、新聞でもクライアント(広告出稿者)の不都合な報道が流れた場合、筆が鈍る。

他のメディアが取り挙げた後、アリバイ作りの為、漸くベタ記事扱いで載せる。

初めからデカデカと書けない。

 

先程の話ではないが、只でさえ広告費が減少してる中、態々クライアントの不利になる記事はかけない。

新聞自身も現在、リストラ最中の為。

 

理由はTVと同じ。これも新聞が凋落していく原因の一つ。

新聞の公明正大・不偏不党を唄っているが、所詮は「商業ジャーナリズム」。

 

戦前・戦後の新聞社の変節

 

敢えて変節という言葉を使ったが、前述した日本の新聞は、絶えず戦争を通じ、部数を伸ばして来た。

日清・日露戦争時に然り。

 

戦争の度、国民に戦争の状況を知らせ、戦意を鼓舞して来たといって良いだろう。

第一次世界大戦時、日本は直接の戦場から離れていたが、戦後「戦勝国」として名を連ねた。

 

以後の世界情勢の変化で、日本は国際社会から孤立。

 

第二次世界大戦で日本が枢軸国として戦争に突入する際、寧ろ国民の戦意を誘導する片棒を担った。

 

更に都合が良い事に、政府は戦争遂行の為、情報統制の名の下、各新聞を検閲した。

当時日本では、あまりにも多くの新聞社が存在した。

 

その為検閲の手間を省く目的で、色々な新聞を統廃合。各地方は「一県一紙」を基本とした。

残った各新聞社は、ほぼ独占的に部数を伸ばした。

 

この制度は、戦後もそのまま残った。次にも述べるが、GHQは日本政府と同様に新聞を検閲し易いよう、一県一紙制度をそのまま残した。

 

因って地方紙は、ほぼ独占的に新聞を発行・販売した。

地方ではライバル紙が無い為、ネットが台頭するほんの最近迄、独占的に部数を伸ばした。

 

敗戦後、GHQが進駐してきた際、各新聞社は自社存続の危機に晒された。

すると今までの論調をガラリと変え、皆GHQに摺り寄った。

 

今まで大本営発表をそのまま鵜呑みに報道していた各新聞社は、素早く立ち位置を変え、自分達の責任を全て戦争責任者・軍部に押し付けた。

 

全く、見事な変わりようと言える。

GHQは検閲で、戦前の軍国主義化を払拭しようと躍起になった。

 

結局、各社は生き残る為、GHQの思うままに靡いた。

その結果、存続がゆるされた。

戦前軍国主義を煽っていた人間達は、そのまま居残った。

 

やがて朝鮮戦争が始まり、パージされていた人間の多くが社会に復帰した。

戦争を煽っていた人間が復帰して、そのまま昭和の日本社会に君臨した。

しかし新聞は決して叩こうとはしなかった。

 

何故なら各新聞社は、一足先に自分達がその行為を実行していた為。パージされていた人間の多くが、後の政府・財界に復帰した。同じ穴の狢。叩ける筈がない。

 

追加で大概新聞社・TV局は、都内で一等地と言われる場所に本社を構えている。

これも政府から便宜を図られたもの。

何の便宜かと言えば、土地である。

新聞社・TVの土地は嘗て国の官有地の払い下げを受けている。

 

更に公示価格よりも、かなり格安の値段で。

殆どが政府と各社の上層部で決めた事。

もし政府がなかなか首を縦に振らなかった時、新聞社は新聞を使い脅し賺しの類を織り交ぜながら、土地を無理やり払い下げさせた。

 

以上を考えれば、政府と新聞社は、切っても切れない関係と言える。

 

再販制度維持の問題

 

正式には「再販売価格維持制度」と呼び、商品の生産者・供給者が卸元・小売業者に価格を提示、商品価格を遵守させ、再び販売させる制度の事。

 

資本主義の多くは自由競争の妨げとして、独占禁止法で禁じられているが、特別に書籍・雑誌・新聞・音楽ソフト・タバコなどは除外されている。

 

再販制度は、過去に何度も見直しが検討された。

しかし見直しが検討される度、各社がこぞって反対を唱えた。

皮肉にも記者クラブが足並みを揃えた。

 

皆さんが一日で新聞をみる時間と言えば、何時だろうか。

おそらく朝だと思う。朝外出すれば、二度と新聞をみる機会はないと思われる。

 

あとは外出先にてPC・スマホでネットニュースを見れば、事足りる。

少しの合間にニュースのヘッドラインを見れば、凡そ事足りる。

スクロールして最後まで見る人も少ない。

 

ネットニュースはリアルタイムで見る事が可能。

翌朝の新聞は既に「新聞」ではなく、「旧聞」。

それを考えても、新聞は役目を終えつつあると言える。

 

唯一生き残るとすれば、もはや早さを競うのではなく、調査報道、或いは特定の分野に特化した誌面作りをするしかないと思う。

 

新聞もTVと同じ。今後減る事はあっても、増える事はないだろう。

 

新聞の宅配制の問題

 

若い方はあまり実感がないかもしれないが、私が子供の頃は、どの家庭もほぼ100%新聞を取っていた。

朝ポストに行けば、必ず新聞が投函されていた。

 

しかし最近新聞を取らなくなった人が多くなった。

格いう私も、既に新聞を止めてから、かれこれ19年近くになる。

 

初めの頃は、新聞がこないと何か不安であったが、次第に来ないことに慣れる。

慣れてしまえば、今まで何故もっと早く新聞を止めなかったのかと思う様になる。

 

何故だろうかと考えた末、やはり半分以上は惰性で新聞をとっていた事に気づく。

何故惰性で取っていたかと云えば、毎朝になれば自動的にポストに投函されていた為、無意識の習慣となっていたからだろう。

 

朝起きれば何の疑問もなく歯磨き・顔を洗うのと同じ習慣。それがなくなった。

つまり今迄当たり前の様に届けられていた為、疑う事なく取り続けていたと云える。

 

だいぶ後になり分かったが、新聞が自分の家まで配達してくれるのは、殆ど日本しかありえないサービスと知った。

買いに行く手間が省ける為、ついつい惰性で取り続けてしまう。

 

新聞を配達する販売店の存在

 

勿論、新聞が毎日ポストに投函されるのは、新聞を配達する人がいる為。

新聞が空を飛んでくる訳ではない。それでは一体、誰が配達をするのか。

 

配達は、新聞を扱う販売店に雇われた人(経営者も含む)が配達する。

昔子供がバイトをする定番と言えば、新聞配達か牛乳配達と相場が決まっていた。

それ程、子供にはメジャーな仕事だった。

 

販売店は新聞という商品を仕入れ、各家庭に新聞を言う商品を運んでいたと言う事。

新聞社の己独自で販売網を持つには、莫大なコストがかかる為、販売を委託していたという仕組み。

この仕組みが長い間、新聞購読を支えていた。

 

販売所には新聞の売れた数だけ、手数料が入るという仕組み。

或る意味、「フランチャイズ経営」ともいえるかもしれない。

 

前述したが、地方では戦前の「一県一紙の制度」がそのまま残り、地元新聞は一社の為、ほぼ独占的に部数を伸ばせる環境だった。

その為、右肩上がり経済であれば、多少の問題は売り上げの増加でカバーされていた。

 

大手新聞(読売、朝日、毎日、産経、日経)などは、地方販売店が無い為、地方紙を扱う販売店に委託、配達をお願いしている。

よく地方では、地方紙を扱いながら、日経も配る販売店などが多い。

この販売店による宅配制度も、新聞を大きく支えてきた。

 

その販売店も、今や青色吐息の状態。

原因はやはり、新聞の部数が全体に減って来た事、新聞を取らない家庭が増えた事、業界内では長年のタブーとされてきた「押し紙」の存在であろう。

 

私なども今では新聞は必要に応じ、買いに行く程度。

押し紙は部数が増えている間はなんとかなるが、部数が減れば、ボディーブローのように効いてくる。

当に「負のスパイラル」

 

最近では自分の住む地方の記事ですら、読む機会がなくなった。

ネットニュースを見る為、必然的に全国ニュースを見る機会が多くなり、地方ニュースを見る機会がなくなった。

結構、私の様な人間が多いのではないかと思う。

 

地方紙の場合、海外等の支局を余裕が無い為、通信社・共同通信等から配信記事を買う場合がある。

よく見られる光景で、新聞の社説が地方紙で似たような論調になる事がしばし起こる。

何故かといえば、通信社からの配信記事を基に、社説を書く為。

似通うのも無理はない。

 

ではローカル情報に特化した話題を載せればと思うかもしれないが、今ではネット・SNS等の無料記事の普及で、新聞がなくても情報が手に入る。

 

私自身、調べものをする際、先ずネット検索から始める。

検索の結果、新聞記事が検索順位に来ることは、先ずあり得ない。

 

SNS・アフリエイト等の影響で、地域的イベント、店・商品の紹介など広告費を掛けなくとも一定のサークル内で拡散する。

広告費を収入源とする地方紙は、大きなダメージと思われる。

HP・You Tubeで企業側が直接、消費者に呼びかける事も可能。

 

販売店の収入源に折込チラシがあるが、折込チラシ等もSNS・アフリエイト等の影響は避けられない。

今後、販売店の行先もかなり雲行きが怪しい。

 

今後の新聞などの既存マスコミの行方

 

TVの時にも述べたが、既存メディアは過去のビジネススタイルは既に成り立たなくなったという事。

此れは構造不況とも言える。既にビジネスモデルが破綻していると言える。

 

繰り返すが何も新聞・TVに限らず、嘗ては成功していたが、今では凋落しつつあるビジネス。

出版、旅行、証券、一部の小売なども同じ。

これに少子高齢化が伴い、今後の市場拡大はあまり望めないであろう。

 

昔成功したビジネスモデルを踏襲する限り、じり貧となり縮小せざるを得ない。

縮小を眺めながら、新しいビジネスを生み出すしか、生き残る道はないだろう。

 

今後は大胆なリストラを迫られると思われる。

とても現在の人員を賄いきれるとは思えない。

販売店は今よりも更に、部数を減らしていくであろう。

再販制度は新聞社側が必死に維持を保とうとするだろうが、やがて意味を成さなくなる。

 

何故なら、軈て新聞が必要とされなくなる為。

必要なくなれば、誰も買わない。維持しようがしまいが、関係なくなる。

 

記者クラブはどうかと言えば、最後の砦として残るであろうが、再販制度と同様、意味をなさなくなる。

次第にネットの生中継などで、瞬時に同等の情報が手に入る為。

 

報道協定が必要な事件は記者クラブ所属の記者も発表できない為、解決後はクラブに人間でなくても、同じ情報が共有できる。

情報を受ける側として、あまり差し障りない。

 

大事件ではリアルタイムの中継がある為、TV・ネットは役に立つが、新聞はあまり役に立たない。

活字として印刷され家庭に届く頃には、既に旧聞。

せいぜい検証記事を書く程度であろうか。

 

以上の事実を鑑みれば、新聞業界の行く末は今後、益々厳しいものとなろう。

その流れは最早、止める事は不可能。

縮小する新聞業界を見つめながら、今後それに替わる新たなメディアの出現待つしかない。

 

TVが誕生後、ラジオの需要は縮小した。

同様にネットが誕生、TV界の需要は縮小した。

時代は巡り進歩する、それは人間が常に新しいものを欲すると同様に。