年金・少子化・子育て・働き方改革、問題の全て根は同じ
国連経済社会局は17日、65歳以上の人口に対する25~64歳の人口の比率を示す「潜在扶養率」が、2019年には日本が世界最低の1.8を記録したとの統計を発表した。少子高齢化の影響で、年金加入者である生産年齢層の負担が増している現状が浮き彫りになった。
【共同通信社 ニューヨーク支社】引用
ネットニュースのヘッドラインを飾った記事で気になるものを引用した。
記事の概要は、働く現役世代の負担増と言う内容。
年金・少子化・子育て・働き方改革は密接に係わっている。
何れかの一つの要素が欠ければ、決して上手くいく事はあり得ない。その事を述べたい。
以前から何度も述べている為、重複する部分が多々あるが、復習の意味を兼ね読んで頂ければ幸い。
尚、再三述べているが、私がまさしく問題の世代にあたり、自分がモデルケースとも言える。
私が丁度、問題の団塊二世にあたる。
結論から先に述べるが、現40代前半~40代後半世代が「失われた世代」、「見捨てられた世代」。
この世代は団塊二世、第二次ベビーブームにあたり同世代が多く、進学、就職共に苦労した世代。
世代が多い為、高校・大学進学で苦労。
1990年にバブル経済が弾け、大学4年の1993年に第1次就職氷河期が始まった。
以後、2000年をピークに就職氷河時代が続いた。近年の新卒では、全く考えられない状況だった。
とくに女性は酷い有様。
私が就活をした時代、女性採用なしという企業が多かった。仮令女性が多いと言われた職種さえ。
男性も満足して企業に入った人間は、少ない。自分を含め、周りの人間も同意見と思われる。
バブル時代でさえ、家計の足しにと働く女性がいた。ついにバブル経済が弾け、更に働く女性が増加した。
少子化は実はバブル経済の頃から、兆しが現れていた。
大昔「DINKS」という言葉が流行ったが、その頃から少子化の傾向が芽生えつつあった。
それが更に働く女性が増えた事で、子供を産み育て難くなった。
正社員で働いても、出産を機に退職するケースが多く、子育てが一段落しても再度、元の職場・同待遇に復帰するのは至難の業だった。
1990年代と言えば、凡そ20~30年前。今の40代~50代世代にあたる。
既にこの時代から、問題の芽が蜂起していたと言えよう。
その頃、政治家・政府側は一体、何をしていたのか。
結果を言えば、 「何もしなかった 」。問題を認識しても、何も有効な対策を打たなかった。
1993年、非自民による「細川護熙内閣」が誕生した事を、覚えている人もいると思う。
当時非自民政権が誕生した事で、マスコミ・世論は大いに歓迎した。
新政権が、バブル以後の日本の閉塞感を打ち破ってれるものと期待した。
結果は、僅か8ヶ月あまりで退陣。政権側にいた旧社会党を担ぎ上げ、自民党が政権に返り咲いた。
其の後は自民、野党を含めた政争の繰り返し。政治家は権力闘争に明け暮れ、真っ当な政策をうたなかった。
事務方(官僚)も問題は認識していたが、自らの省益を拡大する事しか考えず、国民を置き去りにした。
全く、有効な手筈を整えなかった。
むしろチャンスだと思っていたのではなかろうか。
一例として、1997年の消費税の引き上げ。
当時日本経済が僅かながら立ち上がろうとした矢先、3%→5%にUPした。これでまた一挙に沈んでしまった。
この時アメリカは珍しく日本に対し、折角経済が立ち直ってきたのに消費税UPは良くないと助言してきた。
しかし、当時の橋本内閣は「もうすでに決めた事ですから」と突っぱねた。
橋本内閣は、当時の大蔵省に阿った。折角立ち直った人間を、再び地獄に突き落とした様なもの。
以後日本経済は、長いデフレの道へと突入する。今も尚、デフレが続いている。
1990年代新卒だった人は、人生でたった1度しか使えない新卒と言うカードを使う事なく歳を重ね、その状態は2000年頃まで続いた。
1993年の新卒であれば、既に29歳~30歳。結婚していても可笑しくない。
2000年に入り、就職氷河期はピークに達する。2000年と言えば、当時小渕首相が在任中に亡くなり、森内閣が誕生した年。
既にこの時代で「失われた10年」という言葉が登場していた。その時はまさか現在まで続くとは、誰も思ってなかった。
流石に国民世論もこれではダメと認識。翌年2001年圧倒的人気の中、「小泉純一郎内閣」が誕生した。
当時の熱狂ぶりは今でも覚えている。小泉首相は2006年9月の退任迄、人気が衰えなかった。
しかし小泉内閣を実行した政策を検証するに、決して今日の日本に役立ったと思われる政策は少ない。
ややもすれば、一般国民には厳しい政策だった。
この時代に正社員、非正社員の格差が拡大した。これは間違いない。はっきり断言できる。
結果、国民の所得格差が広がり、二極化が進んだ。
所得格差が広がる中、国民の非婚化、晩婚化が進んだ。非婚になれば少子化になるのは当たり前。
年金問題も同じ。年金とは元来、終身雇用の考えをベースに作られた制度。
終身雇用が崩壊すれば、年金制度が成り立たないのは、自明の理。
最近、優良企業であるトヨタでさえ、終身雇用は難しいと公言している。
既に正社員ではなく、非正社員に切り替えていた企業がいる最中、年金制度はこの時点で実質、崩壊していたと言える。
しかし殆ど公にされなかった。されていても問題にならなかった。
今話題になっている地方の人口減少も同じ。
地方に目ぼしい産業がなければ、働き口がなく人口が減少するのは当たり前。
それに付随し、地方経済が発展しなければ、地方の金融機関の利益が縮小するも当然の事。
都銀ですらリストラの真っ只中で、将来的に地銀・信金は、益々縮小するものは確実。
右肩上がりの時代であれば、全ての問題は経済の上昇に伴い、吸収されていた。
右肩下がりになれば、逆に全ての問題が噴出した。所謂、「負のスパイラル」。
2006年9月26日、小泉首相辞任まで、この傾向は続く。
その間、小泉内閣で年金改革が行われ、首相自身が「年金は、100年安心」と公言していた。
氷河世代は既に、35~36歳半ば。
はっきり言えば、遅くともこの時点で結婚・出産をしなければ、無理だった。
以後、結婚・出産をしても、老後設計ができない。
この時点で子供2人を産んでいれば、少子化問題は悪化しなかった。
時間というものは目に見えないが、人生で一番貴重なものと私は認識している。
人生はタイミングを逃せば、おしまいと言える。就職時も、結婚・出産時も。
人を花の成長に例えれば分かり易い。
芽が出て成長を始める。成長の為、適時に必要な水・養分・光・手入れをしなければ、上手く成長しない。
仮令全てを尽くしても、全部が上手く成長するとは限らない。
なかには、途中でしおれてしまう花もある。必要に応じ、一つ一つ手を加えなければ、決して上手くいかない。
仮令ほったらかしても成長するが、雑木林の様に手を全く加えなければ、荒れ放題になってしまう。あれと同じ。
私が「見捨てられた世代」と言う理由は、この事。
時間は人間の都合と全く関係なく、勝手に過ぎていく。決して戻って来ない。
確かに長寿の時代だが、やはり人間年齢に応じ、経験しなければならない人生のイベント・通過点がある。
該当した世代の人間は、大切な時機を逃したと言えよう。
雇用情勢は一向に改善されず、非正社員が増加するのみ。非正社員から正社員に移行できた人間は少ない。
ましてや既に中年の域に差しかかった人間を雇う企業等、殆どいない。私が経営者であれば、当然新卒を雇う。
書きながら気付いたが、日本では企業が人を採用する際は、新卒一括採用。大企業になれば成る程、その傾向が強い。
新卒が入社、よーいドンで出世競争が始まる。途中で脱線、脱落した者は、二度と競争に復帰できない。
途中入社など、もっての外。
同期が一人へり、二人へり、最後に生き残った者が、初めて勝者となる。
脱落した者は退社するか、関連会社に出向・転籍で会社人生を終える。敗者復活戦などあり得ない。
余談だが、最近世間を騒がせた「元農水次官の息子刺殺事件」、大阪の「拳銃強奪事件」を引き起こした犯人の父親は、TV局の役員だった。
自分達がエリートと言われた人間だけに、息子が一度挫折すれば、二度と豊かな人生を歩めないと自覚していたのではないだろうか。
息子殺害は犯人は父親だが、拳銃強奪の33歳のTV局役員の息子は、おそらく自覚していたのかもしれない。
互いに父親は社会の成功者だったが、息子は挫折した。日本社会は落伍者に対して、厳しい社会。
小泉内閣時代、益々雇用は二極化が進んだ。この頃に、少子化が顕著になり始めた。
しかし小泉政権後の第1次安倍内閣は、今までの年金の記載漏れ問題で、僅か1年程で倒閣。
安倍政権後の福田政権は、各種問題に全く手をつけなかったといって良い。
後の麻生政権も含め、政権の座から滑り落ちるまで、自民は全く何もしなかった。
当然政治家が動かなければ、事務方も動く筈もない。
その間、年金が如何に無駄に遣われた事実が判明した。
しかし歴代内閣をはじめ、歴代の年金長官、所管の厚労省の大臣、事務方は誰も責任を取らなかった。
国民の危機意識の再来であろうか。2009年、民主党政権が誕生した。
だが民主党は自民党よりも更に不味い政権運営を行い、あっさり国民支持を失った。
政権交代で年金問題の改善に関心が持たれたが、結局民主党政権も歴代内閣と同じで、何もできず終了した。
同じく子育て問題等が政権交代で期待されたが、何も有効な政策しないまま、役目を終えた。
時間だけが無駄に過ぎた。
この時点で既に第1次就職氷河時代の人間は、40代前後。
普通の会社勤めであれば中堅か、早ければ取締役もあり得る年齢。
しかしどの企業もこの世代が丁度、真空状態。理由は今まで述べた通り。
仮令運よく企業に滑り込んでも、上の世代はバブル期入社。
人数も多く、役職ポストの空きも少ない。昇進が無い為、所得も上がらない。
これも又、負のスパイラル。
そしてこの時代、少子化の新卒世代が出始めた時期で、新卒が売り手市場に転換した頃。
2019年の今現在では、バブル組と一緒にリストラにあっている状態。
全く何も恩恵を被った事のない世代。
2010年あたりで団塊二世でスタート地点にも立てなかった人間は、諦めの心境。
既に、20年近い歳月が過ぎてしまった。
いま新卒で入社する若者の姿は、本来20年前の自分でなければならなかった。
20年間に経験しなけらばならなかった事を全くできなかった自分を嘆き、呪うしかない。
望んだ人であれば、納得したであろう。
しかし望んでないに係らず、この様な状態に陥った人間は、既に人生が詰んでしまった。
真空世代が埋まらなかった事実が今日の年金、少子化、働き方、生産年齢の減少に繋がる。
以後2012年12月、第2次安倍内閣誕生を経て、今日に至る。
既に助けようがない。あぶれた人間は、只生きる為に働いている。
先日政府は、就職氷河世代約30万人を3年かけて、就職支援をすると発表していたが、今更という感じ。
3年かければ就職氷河世代は、50歳前後。一体、どこの企業が正社員として雇うであろうか。
先程の話ではないが、新卒を採用した方が長い目でみれば、企業の役に立つのは明白。
一時期、働き方改革と安倍政権で言われていたが掛け声のみで、いつもの間にか忘れ去られてしまった。
一世代は凡そ25年と言われるが、今が2019年で来年が2020年。
来年の新卒は、もし子供がいる親であれば、子供が新卒で就職する時期。
本人が50歳として、子供が22~23歳あたり。正社員採用は実質、不可能。
要するに既に世代が一回りしたという事。
繰り返すが、団塊二世が親と同じ様に2人以上、持てば少子化は多少解消されていた。
第三次ベビーブームもあったかもしれない。一番多い世代が土砂降りで、子供が少なくなれば人口減少が起こるのも当然。
更に社会情勢・価値観の変化で、女性が働く事が当たり前の時代。
女性が社会進出する事で、非婚化・晩婚化が益々進むのは火を見るよりも明らか。
因って少子化が加速化するのも当然。一向に改善される様子はない。
今までの少子化担当、働き方担当大臣、官僚は一体何をしてきたのか、甚だ疑問。
結局、政府は無為無策だったという事。
何度も述べているが、20年以上前から問題には認識されていた。
しかし誰も手を付けず、次世代に先送りにしてきたツケが、回って来た。
今迄、小手先で誤魔化していたが堪え切れず、ついに爆発した。最初に述べたが、一つ一つが連動している。
同時に解決しなければ全てにおいて、手のつけられない状態となろう。既に手後れの感があるが。
最後に、最近暫し耳にする「8050」と言う文字。これは親が80代で、子が50代と言う意味。
まさに1993年からの就職氷河時代の当事者たちに当てはまる言葉。
自分も丁度、当てはまる。他人事とは思えない。同世代の人間がいかに多く、苦しんでいるのか理解できる。
団塊二世が75歳の年金支給時を迎えた時、年金は破綻するだろう。
仮令破綻していなくても、減額支給され、月の小遣い程度しかならない。
その時、増えるものとは何かと言えば、生活保護ではなかろうか。年金生活者よりも、生活保護者が多くなると思う。
政府が生活保護費を減らす為の政策が何かと言えば、医療費の吊り上げと安楽死の検討と思われる。
団塊二世が多い為、減らす事を考えるだろう。
それが私が冒頭に述べた「失われた世代」、「見捨てられた世代」と述べた所以。
更に付け加えれば「損した世代」とも言えよう。
今後悪くなっても、良くなる事はない。
良くなるのは残念ながら私の世代である40~40代後半がいなくならなければ、無理だと思う。
残念だが、運が悪かったと諦めるしかない。
好転するとすれば、先程述べた団塊二世の子の世代。
今の新卒あたりが、今の自分達の歳の域になる25~30年後ではないかと思われる。
繰り返すが、いずれにせよ私たち団塊二世は、既に諦めの心境と言える。
時間は取り戻せない。既に遅きに帰したと言える。
(文中敬称略)