ガンダムの出現が、主人公のイメージを変えた。アニメの名セリフ

昔見たヒーローもの。今回は、そのイメージを覆したアニメ「ガンダム」について述べたいと思います。
目次
ヒーロー物のイメージの変化
最近ネットの記事で時々、嘗て観たアニメのセリフが使われているのを散見します。
そのアニメは「ガンダム」です。
アニメで登場したキャラクターが発したセリフを引用したと思わる記事が、チラホラ見られます。
リアルタイムで見ていた人間には印象深く、引用された言葉をみれば、すぐに気づきます。
それ程、当時の子供たちに影響を与えたと言えるでしょう。
結論から言えば、ガンダムはアニメ・実写版に限らず、それまでのヒーロー物のイメージを根底から覆したと言えます。
何故覆したのかと言えば、其れまでのヒーローモノの主人公は初めから強い。
悪者と戦い、相手を打ち負かす。
正義は必ず勝つという、所謂「勧善懲悪」でした(時代劇も同じ)。
しかしガンダムの主人公「アムロ・レイ」少年は、決して初めから強くない。
自らの意思で戦争に身を投じ、戦った訳ではありません。初めは只の民間人でした。
それが今までのヒーロー物とは明らかに違います。否応なしに、戦争に巻き込まれたと言って良いでしょう。
それがアニメを通じ、節々に見られます。
アニメが進むに連れ、弱々しい少年が様々な体験を重ね、一人前の青年に成長する過程が描かれています。
成長する過程の中、視聴者が共感できる数々の名シーン・名セリフが誕生しました。
おそらく言葉を引用した人物は実社会で自らの成長と、アニメ主人公の姿を重ね合わせていたのではないかと思われます。
実際、私自身がそうでした。
今回アニメ中で使われた懐かしいセリフを、独断と偏見で述べたい思います。
※今回はあくまで、初代ガンダムに限定します。何故なら、私はそれ以降のシリーズは見てませんのであしからず。
ガンダムが登場した時代背景
ガンダムが登場したのは、1979年。まだ当時、ロボットアニメが盛んな時代だった。
私も当時、ロボットアニメに夢中でした。その時、ガンダムが登場しました。
正直に言いますと、私はガンダムが初めて放送された時、小学校の低学年だった。
あまりにもアニメの内容やセリフが難解の為、当時の私には理解できませんでした。
当時のロボットアニメの様は、主人公が操る強いロボットが登場。悪者のロボットと対戦し、勝つというパターンでした。
子供の頃、只やみくもに戦闘シーンを見て楽しんでいたと言うのが本音です。
ガンダムにも戦闘シーンがありますが、所々に人間臭いシーンが沢山ありました。
人間ドラマとでも言うのでしょうか。
ロボットアニメに、ドラマ性・人間性を持ち込んだと表現すれば良いかもしれません。
低学年の頃、セリフに含まれる深い意味が理解できませんでした。
私がガンダムに興味を持ち、面白さを理解できたのは、再放送の時だったと思います。
映画のブログで何度も述べていますが、ある作品を見た当初は理解できなかったが、後になり理解できるようになったと言えるだろうか。
それはまさしく、本人の人間的成長とも言えるかもしれません。
何度も見直す度に、新たな発見と内容の深さを実感しました。
大人になっても楽しめる、いろいろ示唆に富んだアニメだったと思います。
今では世代が一回りし、子の世代が数年前に観ました。次は孫の世代でしょうか。
それ程、強烈な印象を与えたと云えます。
取り敢えず、頭に浮かんだものを何の蟠りもなく、選んでみました。
以下になります。(順不同)
数々の名セリフ
ザクとは違うのだよ、ザクとは
アムロが「ランバ・ラル」の「グフ」と初めて対戦した時、ランバ・ラルが発した言葉。
今まで「ザク」しか戦っていなかった為、アムロはグフの性能の高さに驚く。
劇中ではアムロが若干、戸惑っていた様子。
数ヶ月前(当時2019年)、新型宇宙探査機「はやぶさ」が披露された際、開発者の1人が、このセリフを捩り
「前作とは違うのだよ、前作とは」
と発言していたのが印象的でした。きっとこのセリフが念頭にあり、発言したものと思われます。
・原作 :矢立肇・富野喜幸
・総監督:富野喜幸
・製作 :創通エージェンシー・日本サンライズ
・企画 :日本サンライズ
・題名 :アニメ「機動戦士ガンダム」引用
自分の力で勝ったのではないぞ。モビルスーツの性能のおかげだと云う事を忘れるな
「ガルマ・ザビ」の死後、仇討隊として地球に派遣されたランバ・ラルが、グフでガンダムと戦う。
グフがガンダムに敗れ、ランバ・ラルがグフから脱出する際、アムロに投げ掛けたセリフ。
ランバ・ラルとしては、
「たまたまモビルスーツ(ガンダム)が優れていただけで、パイロットとしての能力は決して負けていないぞ」
と言いたかったのであろうか。
それに対するアムロのセリフが
「負け惜しみを」もなかなかのセリフ。
番外:ランバ・ラルが戦いの最中、アムロに吐いたセリフで
「時代が変わった様だな。坊やみたいなのが、パイロットとはな」も有名。
グフを失った後、ランバ・ラルは白兵戦で「ホワイトベース」に乗り込むが、再びアムロのガンダムに邪魔され覚悟の上、手榴弾で自決を図る。
白兵戦でホワイトベースに乗り込んだランバ・ラルだが、戦いの最中、セイラ(本名:アルティシア・ソム・ダイクン)と再会。
昔の記憶が頭を過り、非情に成り切れず、油断した隙にリュウに撃たれ負傷。
最後にギャロップのハモンと交信するが、その時のセリフも又印象的。
「ランバ・ラル、戦いの中で戦いを忘れた」と呟く。
偶然セイラに出くわし、懐かしさのあまり油断した自らを指すのだろうか。
引用先:同上掲載
それでも男ですか。軟弱もの
サイド7の爆撃中、「カイ・シデン」が連邦の基地に辿り着いた時、カイの言動に腹を立てた「セイラ・マス」がカイを殴り、発した言葉。
セイラは劇中でも分かるが、性格が相当きつい。それを如実に表した言葉かもしれない。
同様に「そんな不良みたいな口の利き方、おやめなさい」もなかなかきつい。
※「カイ・シデン」ご存じの通り、「紫電改」を捩ったものと考えらえる。
引用先:同上掲載
見せて貰おうか、連邦のモビルスーツの性能とやらを
戦場で数々の手柄を挙げ、出世していたシャアの自信ともとれる。何かふてぶてしさが漂うセリフ。
サイド7から脱出するホワイトベースを攻撃しようと、専用ザクで向かうシーン。
この時、シャアは初めて戦場でアムロが乗り込んだガンダムに出くわした。
以後アニメではライバルとして、アムロのガンダムと数々の戦闘を繰り広げる。
引用先:同上掲載
坊やだからさ
シャアは姦計で、「ガルマ・ザビ」を葬った。
シャアが「ガルマ」の兄「ドズル・ザビ」から罷免され、地球を放浪。
地球の酒場で「ギレン・ザビ」の演説を聞いた際、発したセリフ。
要するに、ガルマが「ボンボン育ちの世間知らずの甘ちゃんだった」と言いたいのだろう。
此のセリフは、かなり含蓄がある名セリフ。
シャアはアニメの設定では20歳だが、それ以上の年齢を思わせる。
いつも思うがガンダムのキャラ自体、設定の年齢より10歳ぐらいプラスして考えても良いかもしれない。
因みにアムロは、当時15歳の設定。
※ドズル28歳、キシリア24歳の設定だが、TV版ガンダムでは、35話『ソロモン攻略戦』の時、「姉上のいるグラナダ」とドズルが発言しているのが、魔訶不思議。
引用先:同上掲載
悲しいけど、これ戦争なのよね
「スレッガー・ロウ」が「ソロモン攻略」で、ドズルが操縦する「ビグ・ザム」に突撃する際、発したセリフ。
スレッガーは最後まで陽気で惚けていたイメージだが、劇中の所々で発した言葉は何気に鋭く戦争の本質を突いていた。
尚スレッガーは、ビグ・ザムに体当たり。撃墜され、戦死する。
ビグ・ザムに突撃する前、アムロのガンダムと合体。Gアーマーになった。
スレッガーが囮となる事で、ガンダムは分離後、ビグ・ザムを倒した。
スレッガーは敢えて犠牲になる事で、連邦軍を救った。
引用先:同上掲載
あんなの飾りです。偉い人にはそれが分からんのです
ア・バオア・クーの戦いで、シャアが「ジオング」に足がついてないのをメカニックに尋ねた際、メカニックが答えたセリフ。
一介の名も無きメカニックのセリフだが、なかなか含蓄のあるセリフ。
現代の官僚主義・序列社会を皮肉った言葉ともいえよう。何気にポイントが高い。
引用先:同上掲載
遅すぎた和平工作など、何の役にも立たない
最後の戦い「ア・バオア・クー」で「ギレン・ザビ」が、「デギン公王」の所在を尋ねた「キシリア」に対し、答えたセリフ。
ギレンは和平交渉に向かったデギン公王を「ソーラレイ」の攻撃で、連邦の船もろとも吹き飛ばした。
その理由を尋ねた時の回答。
引用先:同上掲載
兄上も意外と甘いようですね
父親を抹殺したギレンをキシリアが問い詰め、射殺する間際に発したセリフ。
セリフ後にキシリアは、ギレンを射殺。指揮権を掌握する。
引用先:同上掲載
まだ僕には帰れる処があるんだ、こんな嬉しい事はない
ア・バオア・クーの戦いでホワイトベースとガンダムが沈み、爆発する寸前にアムロが「コア・ファイター」で脱出。
「スペース・ランチ」で脱出していた仲間を見つけ合流する際、発したセリフ。
人間(自分:アムロ)は、帰る場所があるのが素晴らしい(有難い)という意味であろうか。
正に名セリフ。これはアムロに限らず、サイド7から運命を共にしたホワイトベースのクルー全員に云える。
本来の家族とは散りじりになったが、苦楽を共にしたクルー全員はこの瞬間、本当の家族になった 。
そう思わせるセリフと最終回だった。
当時アニメは早期に打ち切りとなったが、製作側も40年の時を経て称賛されるとは、夢にも思わなかったのではないだろうか。
それとも当時は打ち切りとなったが、いつの日か再評価される日が来ると信じていたかは定かでないが。
引用先:同上掲載
◆この言葉を最後にナレーションが入り、アニメは終了する。
映画版なども、なかなか面白い。
「機動戦士ガンダム パート2 哀戦士」
「機動戦士ガンダム パート3 めぐりあい宇宙」
で採用された「井上大輔」氏の曲が素晴らしい。今でも耳に谺しています。
他にもまだまだ沢山ありますが、咄嗟に思い付いたものを順不同で羅列しました。
追記
説明するまでもないが、「サイド3」は、第2次大戦中「第三帝国」を唱えたナチスの「ドイツ帝国」を意味する。
よってギレン・ザビは、「ヒトラー」がモデルとなっている。ギレンの演説は、ヒトラーの演説を捩ったもの。
「ジーク・ジオン」は、「アイル・ヒトラー」を示唆したものと思われる。
アニメ中でアムロに多大な影響を与えた人物と言えば、「シャア」と「ランバ・ラル」。
2人がアムロに放ったセリフの数々が、なかなか興味深い。
ランバ・ラルは家族愛が薄く、父親とあまり触れ合いがなかったアムロが成長する過程で、父親的役目を果たしている。
シャアはアムロにとり、ライバルと同時に兄的存在だろうか。
「ブライト・ノア」も兄と云えなくもないが、ブライトの場合、アムロに対する嫉妬の様なものが感じられる。
「マチルダ・アジャン」は、アムロの憧れのお姉さん的存在。
弱々しい主人公が色々な経験を重ね成長していく姿は、当時のヒーローものにはあまり見られなったパターン。
大概最初から主人公が強く、群がる敵を力でなぎ倒していくのが定番だった。
敢えて似たようなアニメキャラと言えば、松本零士氏の「銀河鉄道999」の「星野哲郎」だろうか。
ガンダムに関しては同世代の子供が熱中し、アニメの影響でプラモデル・キャラクターカード等、あらゆるものを集めた記憶がある。
当時、私も夢中になった。今では殆ど残っていない。
しかし今年の連休、私物を整理した際、大昔のプラモデルが幾つか押し入れの中から出てきた。
懐かしさのあまり、思わずしげしげと見つめた。発見したのが運の尽き。
少年時代の様に、無性に組み立てたくなった。
幸いモデラー時代、揃えた道具が残っていた為、一つ一つ点検し再開を検討中。
しかし皆さんにもご経験があるかと思いますが、塗装は家族には不評。
何故なら、家じゅうシンナー臭くなる為。何か対策を考えねばと思案中。
次第に歳をとり、つくづく自分の人生を振り返る時期に来たと改めて感じた。
時代は令和だが、昭和時代のガンダムが無性に懐かしく思われた。
(文中敬称略)