現職警官の自警団騒ぎ 『ダーティ・ハリー2』

★懐かしい洋画シリーズ クリント・イーストウッド主演

 

・題名     『ダーティ・ハリー2』    

・公開     1973年 米国

・提供     ワーナーブラザーズ     

・監督     テッド・ポスト

・製作     ロバート・デイリー

・脚本     ジョン・ミリアス、マイケル・チミノ

出演者

 

◆ハリー・キャラハン     :クリント・イーストウッド

◆ニール・ブリッグス警部補  :ハル・ホルブルック    

◆チャーリー・マッコイ    :ミッチェル・ライアン   

◆キャロル・マッコイ     :クリスティーン・ホワイト

◆フランク・ディジョージオ  :ジョン・ミッチャム  

◆JJ.ウィルソン         :アルバート・ポップウェル

◆アーリー・スミス      :フェルトン・ペリー

◆ジョン・デイビス      :デビッド・ソウル 

◆マイク・グライムズ     :ロバート・ユーリック

◆レッド・アストラハン    :キップ・ニーべン

◆フィル・スウィート     :ティム・マシスン

あらすじ

 

証拠不十分で無罪となったギャング集団が裁判所を立ち去った後、射殺死体で発見された。

その後、サンフランシスコで次々と犯罪者、悪党たちの殺人事件が発生する。

 

殺害された人間は法の目をかいくぐり、表向きは無罪の輩。法で裁けない人間を、一部の人が非合法で始末する話。

所謂、自警団的組織が犯罪者を次々に抹殺していく。

話が展開するに連れ、自警団のメンバー、自警団を操る黒幕的(ボス)存在が明らかとなる。

さて謎の自警団と、ボスの正体は。

 

見所

 

前作、ハリー・キャラハンは殺人課所属だったが、今回は殺人課から外されている設定。

劇中では監視チームとなっている。

 

以前ブログでも述べたが、劇中最後にキャラハンが犯人を射殺後、辞職を覚悟で炭鉱の貯め池に自分のIDバッジを投げ捨てた。

しかし今回は、めでたく復職している。

 

前回の相棒は退職、現在は大学の教授となっている。今回の相棒、JJ.ウィルソンとの会話中で判明。

今回の相棒JJ.ウイルソンは初めはキャラハンのやり方に驚き戸惑う。

事件が進むにつれ、次第にキャラハンのやり方に慣れ、且つ信頼していく。

 

劇中、店の店員に扮し強盗集団と対面するシーンがある。

キャラハンの危機一髪のやり方に、相棒のJJ.ウィルソンが思わず感想を漏らしている。

雑貨店で強盗集団とキャラハンが対峙する際、一緒にいた警官がまるで役に立たない。

ショットガンを持っていたが、発砲しないで逆に犯人に撃たれる。

 

しかし何故か事件解決後、何もケガをしていないのが不思議。

役立たずの警官は事件後、何もしなかったが保身には確り長けていた。

 

責任逃れの為であろうか

「私は発砲しませんでした」

と発言するのが、何か間抜けな印象的。

 

最初の殺人現場で現場責任者だったニール・ブリッグス警部補がキャラハンに対し、

 

「私は今までホルスターから銃を抜いた事がない。それが私の自慢だ」

 

と言っていたシーンと被る。

キャラハンがブリックス警部補の言葉を聞いた際、返した言葉が

 

「賢明だ。賢明な人間はいつも己の限界を知っている」

 

と続く。何気に、後に繋がる意味深なセリフだった。

 

前回、銀行強盗役でキャラハンに銃を突き付けられた「アルバート・ポップウェル」が、今回も出演している。

尚、銃を突き付けられた際、キャラハンがアルバートに呟いた台詞は有名。

今回は、売春婦の元締めの役。ストーリー上、当然自警団の1人に殺害されてしまう。

「アルバート・ポップウェル」は、シリーズ3,4でも重要な役で出演している。

 

パート1の有名なセリフ
この銃は44マグナムと云って世界で最も強力な拳銃で、お前の頭を一発で吹っ飛ばす事ができる。お前、運が良いなら試してみるか 

 

自警団組織の正体は、警察内部の人間ではないかとキャラハンは疑う。

当初はキャラハンの友人「チャーリー・マッコイ」と睨んだが、チャーリーは事件に巻き込まれ、殉職する。

チャーリーを射殺した犯人は、自警団グループの1人、新米白バイ警官のディビスだった。

 

チャーリー・マッコイの死でキャラハンの疑惑は、交通課の新人4人組に向けられた。

4人はキャラハンが射撃場で会った際、素晴らしい銃の扱いを披露していた。

会話中、4人は以前は軍の空挺部隊にいた(おそらく陸軍)と述べている。

 

サンフランシスコ市警が毎年実施している銃コンテストで、キャラハンが一芝居うつ。

キャラハンはディビスとの決戦で、態と負ける。

 

コンテスト後、ディビスの銃を借用し試射。態と1発外し、夜中に銃弾を回収。

鑑識にて、ライフルマーク(旋条痕)を照合。犯人グループと確信する。

 

外す場面には、伏線があった。

それはキャラハンが署内の射撃場で、初めて4人に会った時。

キャラハンは自警団の1人、スウィートに自分の銃を試し撃ちをさせた。

スウィートは1発、的を外している。

 

ライフルマークとは
ライフルマークとは、銃の指紋の様なもの。今では技術が発達し、同じライフルマークの銃が存在するが、以前は手作業の為、同じライフルマークは存在しないとされていた。

 

キャラハンは新人でありながら、ディビスとスウィートの2人をギャングの手入れに抜擢した。

その際、スウィートは落命している。

 

キャラハンは、スウィートは自警団が目的を達成する為の犠牲になったと推測した。

自警団もキャラハンが薄々感付いたと悟り、キャラハンの自宅地下駐車場で待ち伏せする。

その場でキャラハンを仲間に誘う。

 

しかしキャラハンは拒否。

キャラハンは拒否した為、郵便箱に仕掛けられた時限爆弾で、危うく命を落しかける。

参考までに、この時登場した今回のヒロインは日系アメリカ人。役名はサニー、本名アデル・ヨシオカ。

その後を調べてみたが、他の映画作品に出演した記録がない。名前から推測すれば、父は南米系、母は日本であろうか。

 

事実を説明すべく、ニール・ブリッグス警部補を自宅に呼んだ。

しかし彼が自警団の黒幕と判明する。ニール・ブリッグス警部補は、意外に細かい。

キャラハンが運転中、キャラハンの銃をとり挙げ、おまけにキャラハンが予備に携帯している弾倉の数を把握していた。

更に予備の弾倉をキャラハンに出させ、車の窓から捨てる様、指示している。

 

2人の会話が興味深い。いつも事件を解決する際、違法スレスレの事をやっていたキャラハンが、自警団について否定的な事に。理由は「皆が正義だとして自警団を始めれば、いずれ些細な事でも違法と見做し、互いにいがみ合い、殺し合いがエスカレートするだろう」と述べる点が。

 

物事の当初の目的は素晴らしいが、徐々にエスカレート。終いには手が付けられない状態になる状態を示唆している。

 

パート1と同様、キャラハンが運転中、当時の西ドイツ製の車(ワーゲン)にぶつかるシーンがある。

意味は、パート1と同じ。

 

細かい事だが、キャラハンと警部が車の中で争い、警部が気絶する。

その際、警部の銃が車から放り出されているが、何故か最後に警部がキャラハンに向かって銃を突き付けている。

一体銃は、何処から手に入れたのか。

 

結局、自警団は非合法な手段で、終いには歯止めが利かなくなる。やはり一定の法的規制が必要

という主張であろうか。

 

追記

 

脚本スタッフに、意外な名前を見つけた。「マイケル・チミノ」。ディア・ハンターの監督は、マイケル・チミノ。

マイケル・チミノは此の作品の5年後、自ら監督としてディア・ハンターを撮った事になる。

意外な組み合わせだと思った。

 

劇中で「チャーリー・マッコイ」役を演じた「ミッチェル・ライアン」は、1987年公開された「リーサルウェポン1」で、敵グループのボス「マリスター将軍」役を演じている。

14年後で白髪のせいか、だいぶイメージが異なっていた。

 

劇中で「フランク・ディ・ジョージオ」を演じた「ジョン・ミッチャム」は 「ロバート・ミッチャム」の弟。

ローバート・ミッチャムは、「さらば愛しき女よ」の「フィリップ・マーロウ」役が有名。

 

令和元年の暮、中国で発生した新型ウイルスの脅威が、瞬く間に世界に広がった。

その影響で、不要不急の外出が制限された。各国政府の自粛要請がされた。

日本にも、新型ウイルスの影響が及び、国民は外出を制限された。

 

その中で、所謂「自粛警察」なるモノが登場した。

自粛警察とは外出自粛宣言中、店を営業していたり、移動をする人間に対し、無言の圧力を加える人間・組織の存在。

 

中には営業を続けている店に対し、「自粛しろ」と貼り紙をする。

又は落書き・投石をする等の、嫌がらせを行う人間・集団も出現した。

 

車・バイクなども、県外ナンバー、その地区と違うナンバーに対し、いたずら(傷をつける)・投石・落書きをするなどの行為も、各地で見られた。

 

此れが今回の映画のテーマである、「行き過ぎた正義感の暴走」。

自分の価値感を、無理やり他人に押し付ける行為とも云える。

 

本人にすれば善意の行動かもしれないが、された側の人間とすれば、ありがた迷惑の場合もある。

自分の価値感を無理やり他人に押し付ける行為は、歴史上存在した独裁者となんら変わりはない。

独裁者と違うのは、ただ強制力と虐殺がないだけ。しかし、根っこは同じ。

 

今回の騒動をみた時、ふと此の映画を再び思い出す羽目になった。

映画から既に40年近くになるが、やはり人間のする事は昔から然程かわりはないと再認識させられた。

 

※令和2年 5月18日付

 

(文中敬称略)