年金機構から又々届いた、理解不能な通知
★時事ネタシリーズ
去年、「日本年金機構から届いた、不可解な通知」というタイトルでブログを書いた事がありますが、今回はその第二弾です。
又私の許に届いた、理解不能な通知
以前も年金の杜撰さを語った際、役所という処は自分達が一度決めた事は一切、妥協しない。
更に自分達がミスした場合、その場でミスを認める態度をみせないと述べた事がある。
今回もその類。一国民の過失は責めるが、決して己らの過失は認めない。
喩え認めたとしても、それは事が公となり、大きな社会問題となった時、渋々認めるといった役人の態度は、今も昔も変わらない。
要するに、 「お上のする事に、間違いはない。下僕はその指示に黙って従えば宜しい」 。
この言葉が、一番分かり易い。
私の許に一枚の未納通知が届いたのが、今回ブログを書くきっかけ。
届いた未納通知が届いた内容を確認した際、但し書きによれば
「年金機構が令和4年3月14日のデータに基づき、作成しています」
と書かれていた。
因みに今回未納とされている対象を調べた処、私が納めた日付は、令和4年3月11日でした。
つまり、納めた日付はデーターを集計する前でしたが、何故か未納通知が届いたと云う事です。
何故このような出来事が発生したのか?
考えた末、辿り着いた結論は、
「役所という処は期限前でも、週末を挟めば、譬え前日に納めても記録されないと云う事」
になります。
具体的に述べれば、今回私が納めた日付は「3月11日の金曜日」。
3月11日が金曜日の為、土日を挟んだ週明けが、14日だったと云う事になります。
繰り返しますが、
「役所という処は、譬えデーター収集の前日に納めても、確実に未納と判定される」
という事が分かりました。
今回の件で役所という処は、休みを挟んだ3日前では、「記録不可」になると認識した。
「お金を納めた、納めない」に関し、私には苦い経験がある。
それは大昔の若かりし時、私がまだサラリーマンとして旅行会社に勤務していた頃の話。
私が担当したお客様(個人のお客様)が、旅行代金の銀行振込みをされた。
その日の夕方(金曜日)、記帳で振込が確認されましたが、そのお客様は銀行振込にも拘わらず領収書を所望された為、私は普通郵便で領収書を送りました。
その翌日の土曜日(当時勤務していた旅行会社は土日は電話のみ営業)、そのお客様から私宛に、クレームの電話が掛かってきました。
クレームの内容は、 昨日お金を旅行代金を振り込んだが、まだ領収書が届いていない との事。
その電話は、昼頃かかってきました。
私はその日は休みでしたが、クレームの電話があった事を、当直の人間から知らされました。
クレームを聞いた瞬間、私は一瞬、耳を疑いました。
何故、耳を疑ったのか?
②郵送した領収書が、翌日の昼までに届かなかった事。
この二点に対し、疑問を感じた。
繰り返しますが、銀行振込が確認されたのが金曜の午後。
記帳の末、入金を確認。その後、領収書を作成。その日の中にポストに投函。
翌日は土曜の為、郵便物が毎日ポストから回収されるとしても、お客様の手に届くのは、早くて日曜。
速達なら別かもしれないが。
追加ですが、当時勤務していた旅行会社では銀行振込の場合、基本的に領収書は発行してませんでした。
もし要求があれば郵送で、領収書を発行していました。
銀行振込の為、敢えて発行しなくてもよい領収書を速達で送る会社がいるのかと、私は疑問を感じました。
契約の際の書面にも、その旨が記載されていました。
しかし私はお客様優先の為、勤務する会社から連絡を受け、その時は個人の携帯電話で、お客様に連絡。
お詫びをした過去があります。
因みに、そのお客様とは企業間取引ではなく、個人取引(つまり一般企業にお勤めのサラリーマンの方で、個人旅行の代金)でした。
文面でもお分かりのように、一方的に此方に非があれば別だが、此の件に関しては、何か納得のしないモヤモヤ感が胸に残った記憶がある。
私のサラリーマン人生の中で、納得のいかない出来事の一つだった。
長々とサラリーマン時代の話をしたのは、理由があります。
民間であれば、譬え此方がルールを守っていても、お客様からクレームを受ける場合が多々あります。
寧ろ、それが当たり前かもしれません。
しかしお役所というものは、譬え期限を守っていても、それが期限の前日であれば、不可。
或るは、滞納と見做されると云う事が判明しました。
更に疑問を呈すれば
・年金がデーターを収集したのが、3月14日。
・参考までに納付は、3月11日。
約一ヵ月程のタイムラグ(時間差)が存在した。
その間、見直しという形で通知を送らなくてもよいという、確認作業がなされなかったのか。
それとも、そのような作業が無かったのか、甚だ疑問。
年金側にもし確認作業がされていれば、納めた(敢えて言うが、期限内に収納)にも拘わらず、未納通知を送る必要はなかった。
何気に「未納通知の葉書」と述べているが、この未納通知の財源の出処も、皆が納める税金から捻出されたもの。
つまり 「血税」 。
簡単に言えば、送らなくてもよい通知を送り、相手方に(今回は私)疑念と不信感を植え付けたと云う事。
民間であれば、商品を購入後、お客様が代金の支払いが遅れた場合、未納通知を送る事がある。
しかし細心の注意を払い、それでも入金が確認されない場合、お客様に対し未納通知を送付する。
未納通知を送付する際、送る側としても、あまり気持ちが良いものではない。
何かしら、モヤモヤしたものが残るもが事実。
喩え未納通知を送付後、代金が支払われても、一抹の不安と、今後のそのお客様との取引に関し注意する。
それを鑑みれば、やはり役所という処は、如何に民間の感覚からかけ離れていると云うのが分かる。
私は以前からブログで、年金に関し、甚だ疑問と不信感を抱いてい事を、何度も吐露している。
それは何度も述べている様に、私の同世代が年代別人口比率が多く、一番年金を納め、更に一番損をしている世代の為。
つまり私は、「団塊二世」。
この世代が高校、大学進学、そして就職で常に節目を迎え、あまり得をしなかった。
所謂「谷間世代」、「失われた世代」「損した世代」と言われている。
自ずと年金に対し、敏感に成らざるを得ない。
結論から述べれば、おそらく私が年金を貰う時になれば、国は年金が払えず、譬え支給されても減額。
つまり年金のみで、生活できないでしょう。
いつも述べるが、払う人が少なくあり、貰う人が多くなれば、支払い不可か減額。
国は、そうせざるを得ない。
しかし此れは既に、1990年代から分かっていた事。
分かっていたが、誰も怖くて、それが言い出せなかっただけの話。
1990年代と言えば、バブル経済が崩壊。就職氷河期に突入した時代。
丁度私は、学生から社会人として就職する時期だった。当にもろに時代の波を被った世代。
若かりし頃は、 「自分の人生は自らで切り開くもの」 と意気込んでいたが、
年を重ねるに連れ、 「人間とは所詮、ちっぽけな存在で、決して自分の力では、どうにもならない事がある」 と実感した。
たった一枚の葉書だが、今回の色々な事を感じさせる、大きな一枚の葉書となった。
如何にお役所、特に年金管理が杜撰であるか。
更には、役所の体質は古今東西、あまり変わりはない事。
葉書の内容をみて、自らの過去の人生、又後の人生を考える上で、重要な役割を果たした。
考えすぎと思われる方もいらっしゃるかもしれないが、それは考えすぎではなく、その人は薄々は感じているが、考えれば現実を知り、ただ考えたくないだけなのかもしれない。
今回の出来事は、とうに人生の折り返し地点を過ぎた私に、重要な意味を齎した。
(文中敬称略)