親族故の僻み、嫉妬、そして遺恨 松本清張『田舎医師』

★松本清張短編小説シリーズ

 

・題名         『田舎医師』 松本清張短編小説全集 【影の車】内

・中央公論新社      中公文庫

・1973年       10月発行

・発表          昭和36年6月「婦人公論」

 

登場人物

◆杉山良吉

東京在住。七年前亡くなった亡父猪太郎の故郷を訪ねる。

訪問した矢先、遠縁の杉山俊郎の死に遭遇。

 

◆杉山猪太郎

杉山良吉の実父。七年前、東北の或る都市で亡くなる。

18才の頃、故郷の島根県仁多郡葛城村を出奔。各地を転々とする。

望郷の意志を持つも、願い叶わず、他郷にて客死。

 

◆杉山俊郎

杉山猪太郎の故郷、葛城村の本家の跡取り。現地にて医師を開業。年は45才。

主人公の良吉とは、遠縁にあたる。雪の最中、往診の途中、馬ごと谷に落ち、死亡する。

 

◆杉山秀

杉山俊郎の妻、38才。杉山良吉の突然の訪問を受けた日、夫俊郎の死に遭遇する。

 

◆杉山博一

杉山俊郎の従弟。若かりし頃、満洲に渡る。日本の敗戦後、裸同然で内地に戻る。

故郷の葛城村の戻るが、赤貧の状態。

いつしか地元の名門、杉山家(本家・分家)からも、疎んぜられる存在となる。

◆杉山ヒロ子

杉山博一の妻。博一が満洲にいる時、娶った妻。敗戦後、博一と供に日本に引き揚げる。

博一の故郷にて、赤貧を洗うが如くの生活をする。

 

あらすじ

杉山良吉は出張の帰り路、ふとした拍子に亡父猪太郎の故郷、島根県仁多郡葛城村を訪ねた。

葛城村は18才の時、父猪太郎が出奔して以来、良吉はおろか父すら、一度も帰らなかった土地だった。

 

良吉は仕事が割と早く終わり、3日間ほどの空きができた。

その為、亡父が日頃望郷の念を抱き、小良吉に話す葛城村を訪ねてみたいという衝動に駆られた。

それは山口県岩国あたりを過ぎた処で、不意に思い立った。

もし今回訪れなければ、一生訪れる事はないと思い、心を振るい立たせ亡父の故郷、葛城村に向かった。

 

葛城村に向かい、父の遠縁にあたる杉山俊郎なる人物を訪ねる予定だった。

杉山俊郎は現地にて、医師を営み、地域の評判は頗るよかった。

良吉は俄に杉山俊郎の宅を訪ねた。家では俊郎の妻、秀が良吉を迎えた。

 

秀は初め良吉の訪問を驚いたが、その中良吉が話す内容で徐々に良吉に対し、疑いの念を解いた様に思われた。

良吉に警戒を解いた秀だったが、あいにく訪問の目的だった人物の杉山俊郎は、往診で不在だった。

良吉は往診が済み、帰宅する俊郎を待った。

遅くまで待ったが、医師の俊郎はとうとう戻ってこなかった。

 

軈て夜遅く、俊郎宅に俊郎の安否を知らせる人物の訪問があった。

その人物は近くの駐在の使いで、知らせでは俊郎は恐らく、雪の最中、馬ごと崖から落ちたとの報告。

 

俊郎の妻秀と良吉は夜明けを待ち、現地に急行した。

現地にて秀と良吉は崖から落ちた俊郎と馬の死体を発見する。

 

要点

主人公杉山良吉が偶然、亡父の故郷、島根県仁多郡葛城村を訪れた時、遠縁にあたる現地で医師を営んでいた杉山俊郎が亡くなった。

杉山俊郎は往診の途中、馬ごと崖から落ち、死亡したと思われた。

現地警察・地元の人間の見解も、事故死と推測。事件性はなしと判断された。

 

偶然現地を訪れた良吉は、事故現場の半メートルほどの空白地と俊郎の往診先で従弟、杉山博一の自宅の側にあった櫨の実をみて、何か疑問に駆られた。

その時は朧気であったが、俊郎の葬儀後の帰宅列車で、ある推理が良吉の頭に浮かんだ。

 

亡くなった杉山俊郎は「事故死ではなく、従弟杉山博一夫妻に殺害されたのではなかろうか」と。

 

それでは、杉山博一夫妻の殺人動機は一体、なんだったのか。

文中では、博一は満洲に渡り一時は羽振りがよかったが、敗戦後、引揚げにて乞食同然で故郷葛城村に戻ってきた。

一方、従兄の杉山俊郎は相変わらず地元の名士で評判も良く、博一は俊郎を僻み・妬み、恨んでいたと記されている。

 

更に長年の重労働と貧困で、彼に蓄積されてたのは、疲労と老いとも記されている。

想像するに、博一はそのような状態だったであろう。

人間、そのような状態であれば些細な事でも怒りやすく、その怒りは俊郎に向けられたに相違ない。

 

良吉は博一の事を思いながら、何か複雑な気持ちになった。

何故なら、博一の境遇と亡父猪太郎の境遇を、無意識に重ねあわせたからだ。

 

博一は敗戦後、故郷に戻らなければ、今回の事件は起こらなかったかもしれない。

一方、良吉の父猪太郎は他国で貧乏暮らしをしながら、一度も故郷に帰る事が出来ず、他界した。

 

何か二人にも、不幸な境遇が共通する。

良吉にすれば、杉山博一の事が、決して他人事とは思えなかった。

そんな気持ちが、良吉の心を暗澹なものにさせた。

 

良吉が東京に戻った二か月後、葛城村の俊郎の未亡人秀からの杉山博一夫妻の近況をしらせる便りが、何か後味の悪い結果を物語っていた。

杉山博一夫妻は杉山俊郎の死後、ひっそりと村を後にした。

 

追記

今回の殺人工作は、雪の下に板を敷き、板には滑り易いように、蝋を塗る。

そして如何にも杉山俊郎と馬が、崖から落ちたように見せかける事だった。

 

蝋の原料となったのは、櫨の実。櫨の実を砕き、蝋を採取した。

道幅僅か二メートルほどの雪道に、傾斜をつくり谷に滑るように傾斜をつくる。

雪に隠された板を踏んだ馬は、まんまと崖に落ちていくという仕組み。

 

馬が落ちた弾みで、板は馬ごと谷に落ち、見事証拠は隠滅。

板は敷いてあった為、その箇所だけは馬も人の足跡もなかったという有様。

 

(文中敬称略)