哀しい男のプライド 松本清張『殺意』

★松本清張 短編小説シリーズ

 

・題名          『殺意』

・双葉社          光文社文庫 松本清張短編全集 04

・発行           2008年12月  

・発表           小説新潮    1956年4月号

 

登場人物

◆古瀬嘉一

東京地検の判事。東京千代田区M株式会社 東京支店で起きた毒殺事件を担当する

。事件を調べる中に、過去の自分の身近で起きた事件を掘り起こす羽目となる。

 

◆磯野孝治郎

M株式会社東京支店に勤務する。役職は営業部長。部屋で仕事中、何者かに毒殺される。

 

◆稲井健雄

殺害された磯野孝治郎と同じ故郷の同級生。殺害された磯野の死体を発見した前川裕子に呼ばれ、殺害現場に直行する。

 

◆前川裕子

殺害された磯野営業部長の秘書。裕子が僅かに席を外している際、磯野部長が毒殺される。

裕子は死体の第一発見者となる。

 

◆古瀬嘉一の妻

古瀬嘉一の妻。夫嘉一とは、従兄妹同士。二人には共通の祖父がいた。

 

◆古瀬夫妻の祖父

古瀬夫妻の共通の祖父。祖父以前、東北の某県で県議会議員を務めていた。

 

◆林隆造

古瀬の祖父の幼馴染。祖父と林は若い頃から、将来を嘱望されていた。

林が中央の政治家となり、大臣に就任される直前、何者かに毒殺される。

 

あらすじ

東京地検に勤める判事の古瀬嘉一は、M株式会社東京支店にて毒殺された磯野孝治郎の検事調書を興味深く読んでいた。

磯野孝治郎は営業部で部長職にあり、将来は重役間違いなしと云われていた。

磯野は48才。恰幅は良いが大きな体ゆえ、心臓に持病を抱えていた。

磯野が心臓に持病を抱えていた事は、東京支店の誰もが知る処だった。

 

或る日、磯野の秘書前川裕子は磯野の命じられ、水をコップに半分ほどつぎ、磯野に渡した。

裕子は咄嗟に磯野部長が以前、磯野部長宛に送られた試作品の薬を飲む為と予測した。

 

裕子は磯野に水を手渡した後、7,8分ほど席を外した。

裕子は部屋に戻ると、磯野は机にうつぶせにして倒れていた。

 

裕子は咄嗟に、磯野と親しい厚生課長の稲井健夫を内線で呼んだ。

稲井厚生課長は磯野部長の姿を見るなり、嘱託医の草野医師を呼ぶよう、裕子に指示した。

 

草野医師が駆けつけた時、磯野は既に死亡していた。

草野が磯野を診断後、磯野は持病が原因でなくなったのではなく、何者かに毒殺されたモノと判断した。

 

毒殺の為、警察が呼ばれた。

早速、警察の捜査が始まった。死因は、青酸カリによる中毒死と断定された。

 

青酸カリと云う事は、明らかに他殺。

磯野の様子では、自殺は考えにくい。将来的に有望だった磯野が自殺する動機はなかった。

 

警察の解剖によれば、死体からは微妙ながら亜硝酸アミノールが検出された。

亜硝酸アミノールは、狭心症などの薬に使わる薬品と判明。

その為、先程の秘書の裕子の予測は的中した。

磯野は以前郵送された試供品の薬を試す為、裕子に水をくませ、裕子が席を外している時、水と一緒に飲み殺害されたと断定された。

 

警察は先ず秘書の前川裕子を尋問した。裕子は検事の尋問に、スラスラ答えた。

検事の心象では、裕子は全く嘘をついている様子はなく、又磯野を殺す動機などなかった。

 

次に裕子に呼ばれ磯野の部屋を訪ねた、稲井健夫厚生課長が尋問された。

稲井は磯野とは故郷が同じで、同窓生だった。その為、公私ともに2人は仲が良かった。

社内では次の株主総会で磯野が役員に選出され、その引きで稲井も出世するであろうと噂されていた。

 

検事は磯野と稲井の関係を洗った。2人の関係を洗う中、古瀬判事は何か昔みた光景を思い出した。

今風で云えば「デジャヴ」とでも云うのだろうか。

 

それは古瀬の従兄妹で、現在古瀬の妻と共通の人物。

つまり二人の祖父と祖父の友人(林隆造)との関係に似ていた。

偶然にも、祖父の友人も誰かに毒殺され犯人は分からずじまいだった事を、二人に(古瀬夫妻)に思い出させた。

 

祖父と友人の林は、同級生で故郷では神童と持て囃され、将来を嘱目されていた。

林は後に、外務省に入省。各国の領事を務め、其の後政治家に転身した。

 

政治家に転身後、最大与党の派閥に所属。党首が総理を拝命。

大臣として入閣するまでに、出世した。

 

一方、古瀬夫妻の祖父は、故郷で県議会議員だった。

二人の間には、明らかな差ができていた。そして林は大臣になる寸前、何者かに毒殺された。

 

祖父は警察に調べられたが、何も分からず事件は迷宮入りとなった。

祖父は気が抜けたのか、其の後、議会議員の職を辞し、寂しい余生を送った。

 

さて今回の事件に古瀬夫妻の祖父の件を当て嵌めてみると、甚だ状況が似ていた。

磯野営業部長は将来的に役人に選出される寸前、毒殺された。

 

磯野の同窓生の稲井は、同じ会社で厚生課長。何やら似てなくもない。

周囲からは親しいと思われていた二人の間には、何か他人には分からない感情が存在していた。

 

それは一体、なんだったのか。それが期しくも殺人に繋がる動機だったとは。

今回の作品は人間として長く生きれば生きる程、誰でも持っている感情と云えるのではないだろうか。

 

要点

今回作品を読んでいた、何か不思議に共感、或いは身につまされるような感じがした。

皆様にも、きっと経験がおありかと思う。

 

勿論、私も何度か体験した。

体験したというよりも、屈辱を味わったといった方がよいかもしれない。

 

男であれば一度や二度、経験があるかと思う。

此れは何も、同級生に限らず、会社の同期でも起こり得る出来事。

 

一方が出世。一方が置いて行かれる。

後塵を拝した人間は、出世した人間に対し、惨めにも忠誠を誓わざるを得なくなる。

 

それは決して、本心からの忠誠ではない。

半ばイヤイヤ、反強制的な従属とでも云えばよいであろうか。

 

自ずと従わされた者は、目上の人間に対し敵意。或いは、嫌悪を生じる。

此れが人間の本心。男女、ほぼ同じ。

 

違うと否定する者はいない。譬え居ても、それは決して本音ではない。

兄弟、姉妹間でも同じ。それが人間の哀しい性。

 

今回の事件も同級生でありながら、殺された磯野は部長。容疑者の稲井は課長。

磯野は中学校から、商業高校に進み、現在の会社に入社する。

 

稲井は京都で高校と大学を終え、磯野の2年後に入社。

磯野はまもなく、役員になる予定。稲井は磯野の引きで、出世すると思われていた。

 

その時、前途洋々の磯野が毒殺される。

やはり前述した古瀬の祖父と、友人の林隆造の関係に何か似ている。

 

傍目からみた睦ましい関係も、実は見せかけだった。文中では、

 

私は、いつも磯野に抑えつけられていた。小学校のときの幼な友だちというので個人的には親しそうにしてくれたが、それは優越感からの虚栄であり、目下の者の肩をたたくような施しであった。

 

※同作品 文中引用

 

又更には

 

自分だけ出世して、私を冷たい眼でみて愉しんでいるような男である。

私を抑えることはあっても、決して引きあげる男でない。

 

※同作品 文中引用

 

と記されている。

 

そして最後は、

自分が敗者にならないために、彼を重役にさせてくなかった。

 

※同作品 文中引用

 

と結んでいる。

 

まさにそのような心境だったであろう。

経験者であれば、必ず容疑者の稲井の気持ちが分かる筈。

敢えていうならば、男としての自尊心・屈辱であろうか。

 

追記

自分が小・中学、そして高校時代、必ず勝てない人間がいた事はないだろうか。

それは勉強・部活動等、何でもよい。

 

何故かその時代に付けられた序列(順位制)は、不思議な事に大人になっても付いて回る。

例えば以前紹介した、久しぶりに旧友に会う為、同窓会に出席した時など。

 

初めは懐かしさで、互に挨拶を交わす。

暫くは近況を話し合うが、次第に学生時代の話に移り、当時の序列(順位制)が頭を擡げてくる。

 

大概、当時上位にいた人間が、自分より下にいた人間に対し発せられる事が多い。

具体的に述べれば、クラスの成績がどうだった(学業の順位)、部活動でのレギュラー・補欠の序列など。

 

大半の言葉は上位にいた人間が、下位にいた人間を罵る。

或いは嘲る等の現象が頻繁に起こる。

 

つまり大人になっても当時の順位とイメージが、そのまま出席者の意識にあると云って過言でない。

 

皆様にも、そんな経験がないだろうか? 私は何度か経験している。

その経緯はブログを始めた一昨年の8月の盆近くに書いた。

 

何十年ぶりに一度、同窓会に参加したが、私の当時のイメージ、順位制を持ち出す人間に不快を感じ、以後二度と参加していないと述べた。

 

実際にその時を境に、一度も参加していない。

その時の感想を述べれば、小・中学校の地元で幅を利かせていた人間達が、何十年経っても地元で幅を利かせ、その連中が、そのまま会の中心になっている印象だった。

 

結局、同窓会でありながら、地元で幅を利かせている連中の飲み会のような雰囲気だった。

その時私は、「時間・労力・金のムダ」を悟り、それ以後全く参加しなくなった。

 

其の後、案内状が来ても、返事もしない。

次第に案内状も来なくなったが、別に寂しいとも思わない。

何故なら、理由は前述した通り。

 

年々参加者が減り、主催者もただ頭数を合わせる為、今迄参加していなかった人間に闇雲に案内状を送っているだけ。

負担の分。

つまり、一人一人が捻出する会費を、少しでも減らそうとする為の頭数合わせ。

 

決して旧友を深めようという意識など、毛頭ない。

態々金を出し、不快な思いをしにいく必要など全くない。

私は運動部で補欠だった為、それが如実。

 

部活動の同窓会など、必ず当時のレギュラー組と補欠組との間にて、暗黙の了解で自然に席が分かれる。

決してレギュラー組の輪の中に、補欠組の人間が加わる事などありえない。

又、赦される筈もない。此れが現実。

 

顧問だった先生(教師)も、レギュラー組の人間は覚えているが、補欠組の人間等は殆ど覚えていない。

此れが社会の現実と云ってしまえば、それまでだが。

 

今回の作品を読んだ後、ふとそのような考えが頭に浮かんだ。

 

(文中敬称略)