少年の淡い恋心 松本清張『天城越え』

★松本清張小説シリーズ

 

・題名        『天城越え』

・新潮社        新潮文庫  

・昭和46年      10月発行 「黒い画集」内

・昭和34年      11月   「サンデー毎日特別号」

 

登場人物

◆少年

下田に住む、16歳の鍛冶屋の三男坊。稼業・実母に嫌気がさし、静岡で印刷工の丁稚をしている兄(長男)を頼り、天城峠を越えようとする。

 

◆大塚ハナ

修善寺の小料理屋で働く、住み込みの酌婦。

借金を抱えていたが、仕事に嫌気がさし、逃走。天城トンネルを越えた処で、下田から来た少年と出会う。

しばらく少年と一緒に歩いていたが、途中で流れ者の土工に出会い、そのまま土工と一緒に何処かにいってしまう。

 

◆土工

流れ者の土工。多少精神に薄弱がある様子。天城峠付近で、大塚ハナと少年に出会う。

土工と大塚ハナは、少年の許を離れ、何処かにいってしまう。其の後、土工は殺害され、死体となり発見される。

 

◆田島刑事

30数年前、天城峠付近で起きた、土工殺しを担当した刑事。当時20代だった。

今は既に、老境の域。担当した30年以上前の土工殺しは、未解決のまま。

田島刑事は未解決事件が頭にこびりつき、ずっと気がかりだった。

 

或る日、県警は過去の事件録を印刷する為、某印刷屋に仕事を依頼した。

仕事を依頼した印刷屋の主人は、30数年前の土工殺しの容疑者、大塚ハナと一緒にいた少年だった事実を示唆する。

 

あらすじ

主人公は下田に住む、16歳の鍛冶屋の三男坊。

稼業・実母に嫌気がさし、静岡で印刷工の丁稚をしている兄(長男)を頼り、天城トンネルを越えようとした。

 

少年はトンネル越えする途中、色々な人物と出会う。言葉を交わす中に次第に心細くなり、やがて所持金もなくなった。

その為、しぶしぶ下田の自宅に帰ろうと引き返す。引き返す際、道中で粋な女性と出会った。

 

不安な状態で女性(大塚ハナ)に出会い、少年の心は弾んだ。

しかし女性は少年に対し、何か不思議な言動をとる。その後少年と女性は別れ、二度と再会する事はなかった。

 

月日は流れ、上記の出来事から既に、30年以上が経とうとしていた。

少年は印刷屋の主人となっていた。

 

或る日、印刷屋に県警から過去の事件録の印刷の仕事が持ち込まれた。

印刷を頼まれた主人が刷り上がった原稿をみた時、主人は忘れかけていた30年以上前の記憶が蘇った。

主人が記憶の彼方から呼び起こしたものは、30数年前に天城峠付近で起きた「土工殺し」だった。

 

要点

結論を先に述べれば、

 30数年前の天城峠付近で起きた「土工殺し」の容疑者として逮捕された「大塚ハナ」は、土工と情交の末、土工から金品をせしめたが、殺人は無罪だった。 

土工殺しの犯人は、家出した当時16歳の少年だった。少年は30数年後、印刷屋を営んでいた。

 

印刷屋に大昔の土工殺しを担当した老刑事が、仕事を依頼した。

田島刑事は、刷り上がった印刷物の感想を主人に聞いた。事件の真相と犯人は、印刷屋の主人であった事を示唆する話。

 

少年の殺人動機として考えられるのは、嘗て母が父以外の男と情交を重ねていた現場を目撃。

その際、少年には母が他人の男に捕られた事に対する、嫉妬のようなモノが芽生えた。

 

或る日少年は母に詰られ、家出を決意。静岡にいる兄を頼り、徒歩にて天城峠を越えようとする。

しかし途中で不安になり、所持金も尽きた為、下田の自宅に引き返そうとした。

 

引き返した際、修善寺方面から粋な女性が歩いてきた。

少年は女性と意気投合、同行する。不安だった少年の心は弾み、女に淡い恋心を抱く。

 

少年は夢心地であったが、その時、他所から来た流れ者の土工に出会う。土工は大柄でがさつな風貌の為、少年に恐怖を抱かせた。

しかし一緒にいた女は、少年の心とは裏腹に少年を先に行かせ、土工に近づいた。

 

再び不安に駆られた少年だったが、女が薦めるままに歩き出した。

しかし、いつまでたっても女が追い付いてこない。少年は疑問に思い、元来た道を引き返し、女を探した。

少年は女を見つけたが、女は土工と叢で情交中だった。

 

現場をみた少年に、嘗て母が他人の男と情交を重ねていた記憶が蘇った。

少年は土工に対し、激しい憎悪と嫉妬に駆られた。

 

少年は土工が一人になった時、自分が護身用として所持していた切り出しを使い、土工をメッタ刺しにした。

 

母と同じで、何か自分の大切なモノを取られたような心境になったのであろう。

母と同様、自分が清らかだと思い込んでいた人間が、実は幻想であった事を思い知らされ、幻滅に対する怒りのようなものがこみ上げ、怒りの矛先が土工に向けられたのではないかと思われる。

 

大事なものを壊されたと同時に、自分の淡い恋心を打ち砕かれた事に対する、苛立ちであろうか。

 

当時事件を担当した田島刑事は殺人容疑者として大塚ハナを逮捕したが、殺人は無罪だった。

土工殺しの犯人は、近くの氷倉で一夜を過ごした。

 

氷倉では、女のモノと思われる足跡が見つかった。田島刑事は足の大きさから、女の足と断定。

女を逮捕したが裁判の末、女の無罪が確定。事件は迷宮入り(お宮)となった。

 

30数年経ち、田島刑事は事件を考え直し、或る推理に辿り着いた。

氷倉で発見された足の大きさは女のモノと思われたが、当時16歳の少年であれば、ほぼ同じ足の大きさだったのではないかと。

 

そう考えれば、当時事件とは無関係と思わた少年は、決して無関係でなかったのかもしれない。

捜査に先入観がありすぎたかもしれないと、田島刑事は気付いた。

 

30年の月日を経て、少年は印刷屋の主人となっていた。しかし、田島刑事が最後まで分からなかったのは、動機だった。

女に同行した少年が何故、土工を殺害するに至ったのか。

 

田島刑事がどれだけ考えても、動機は不明だった。しかし殺人を犯した少年は、前述した事が動機となり、土工を殺害した。

此れは本人でなければ、決して分からない動機と感情かもしれない。

 

追記

以前NHKで、松本清張シリーズが放送されていた時期があった。私は再放送で、何作か見た記憶がある。

1978年に放送された同作品は、少年役に「鶴見辰吾」。娼婦役に「大谷直子」。

少年が大人になった役に「宇野重吉」が演じていた。

 

尚、劇中最後に原作では登場しない「修験者」役に、なんと原作者の「松本清張」ご自身が出演されていた。

僅かばかりの登場だがセリフを発し、なかなかの存在感を示している。ご本人の肉声も聞け、或る意味、貴重な映像かもしれない。

 

好意を寄せていた女性が他の男に寝取られ、嫉妬故、相手の男を殺害する話は、

以前紹介した『潜在光景』にも似ている。

 

作品を見る限り、清張はどうやら川端康成作『伊豆の踊子』を捩ったものではないかと推測される。

以前も話したが、川端康成と三島由紀夫が関わる同人誌に、松本清張を掲載しようという動きがあった。

その時、三島は「清張が入るのであれば、俺は降りる」と主張。川端が三島を、必死で宥めたというエピソードが存在する。

 

清張本人は、そんな同人誌の掲載等、全く興味はなかった。

清張には暫し、中央・地方に関わらず、同人誌を扱った作品がある。その多くは、同人誌を皮肉った内容。

 

※以前紹介した『渡された場面』等は、典型的な作品。

きっと此の経緯もあり清張は、甚だ同人誌の存在に疑問を感じていたのであろう。

 

殺人容疑で逮捕された女は、話の成り行き上、「大塚ハナ」と言う名前がついているが、殺人を犯した少年の名前は、最後まで出てこない。

必要がなかった、と言う事かもしれない。

 

勿論、殺害された土工にも名はない。

「名もなき少年の犯罪と、名もなき土工の殺害事件」といった処であろうか。

 

(文中敬称略)