最後に意外な結末を迎えた映画 『オデッサ・ファイル』

★懐かしい洋画シリーズ

 

・題名    『オデッサ・ファイル/The Odessa File』 

・配給     コロンビア映画 1974年米国

・監督     ロナルド・ニーム

・脚本     ケネス・ロス

・製作     ジョン・ウルフ

・音楽     アンドルー・ロイド・ウェバー

・原作     フレデリック・フォーサイス

 

出演者

 

◆ピーター・ミラー    :ジョン・ボイト      

西ドイツのフリージャーナリスト

 

◆エドワード・ロシュマン :マクシミリアン・シェル  

強制収容所の所長、通称:ブッチャー

 

◆シギー         :メアリー・タム      

ピーター・ミラーの恋人

 

◆ピーター・ファウ    :マリア・シェル        

ピーター・ミラーの母

 

◆クラウス・べンツァー  :デレク・ジャコビ       

書類偽造屋

 

◆リヒャルト・グリュックス:ハンネス・メッセマー   

元ナチ党員

 

◆サイモン・ビゼンタール :シュミュエル・ロデンスキー

大戦後のナチハンター

 

◆ブラウン・カール    :ガーナ―・ミラー     

ピーターと親しい刑事    

 

◆ソロモン・タウバー   :タウジー・クレナー         

元絶滅収容所囚人、ガス自殺を図る

 

◆マルクス老人      :マーチン・ブランド   

ソロモン・タウバーの友人

作品概要

 

舞台は1963年11月22日のハンブルグ。ピーター・ミラーは運転中、ラジオのニュース速報を聞く為、車を道路の脇に止めた。

 

ニュース速報の内容は、米国で起きた「ケネディー暗殺」だった。

 

ニュース速報を聞いた後、ピーターはパトカーが走って行くのを発見。

ピーターはジャーナリストの習性で、咄嗟にパトカーを追跡した。

 

到着先では、或る老人(サイモン・タウバー)が、自宅でガス自殺を図ったとの事。

現場で顔見知りの刑事に現状を聞かされ、ピーターは「事件性なし」として引き上げた。

 

後日ピーターは、老人の自殺現場であった親しい刑事(ブラウン・カール)に食事に誘われ、ガス自殺を図った老人の遺品である日記を見せられた。

刑事は、ほんの軽い気持ちでピーターに、老人の日記を見せた。

 

自殺した老人の日記を見たピーターは、老人が残した日記の内容の一部は、自分の人生於いて、途轍もなく重要な事柄が書かれてあるのを発見する。

 

日記を見たピーターは、独自に調査を始めた。

調査しようとした矢先、過去の戦争犯罪を追跡するナチハンターに拉致された。

ピーターは成り行き上、ナチハンターの組織に協力する羽目となる。

 

旧ナチ組織に浸透する為、特殊訓練・変装・偽装を施し、敵組織の潜入に成功する。

組織に協力する連れピーターは、想像だにしなかった複雑怪奇な要素が絡みあう過去の戦争犯罪・組織に遭遇する。

 

潜入後、上手く行くかと思われたが、ふとしたピーターの軽はずみな行動で、ピーターが偽装スパイである事が露呈する。

その為ピーターは、敵組織の殺し屋に命を狙われる。

 

ピーターは、バイロイトにある書類偽装屋の工場で殺し屋と格闘の末、殺し屋を殺害する。

殺害後、ピーターは偽造屋の金庫から、途方もなく重大な資料を手に入れた。

 

偽装屋は自分の身の安全の為、今迄自分が仕事(偽装)をした過去の戦争犯罪人(オデッサ組織)のリストをファイルにして、金庫に保管していた。

ピーターが手に入れたファイルは、後に「オデッサ・ファイル」と呼ばれた。

 

ファイルを手に入れたピーターは大急ぎでその場を脱出。協力している諜報組織に、ファイルの一部を持ち込んだ。

何故一部かと云えば、ファイル全部を持ち込めば自分が消されてしまう恐れがある為。

更に自分が狙いを付けた相手「ロシュマン」を、自分の手で始末できない為。

 

ピーターは、イスラエルの諜報組織との取引に成功。恋人(シギ―)にのみ、真相を説明した。

もし自分が無事戻らなければ、手に入れたファイル全てを、ナチハンターの「サイモン・ビゼンタール」の許に持ち込むよう指示する。

 

恋人に後を託したピーターは、ロシュマンを自分の手で裁くべく、ロシュマン宅に向かった。

上手くロシュマン宅に忍び込んだピーターは、ロシュマンと対面。

ロシュマンと対面後、自分が(ピーターが)何故ロシュマンを追いかけるのかの全貌を明かす。

 

果たしてその全貌とは。

 

見所

 

以前紹介した『ジャッカルの日』の原作者:フレデリック・フォーサイスの小説を映画化した作品。

原作者のフレデリック・フォーサイスは実際にあった事件に脚色を加え、小説化したと云われている。

 

大戦後、ナチハンターと呼ばれる暗殺組織が、イスラエル国内に存在した。

主にシン・ベットが担当していたと云われる。今回は海外が主体なので、モサドではないかと思う。

 
 
シン・ベットとモサド
シン・ベットは主に、国内の防諜組織。モサドは、海外諜報機関。アメリカに例えるならば、シン・ベットは、FBIに相当。モサドは、CIAに相当する。

 

劇中に登場するサイモン・ビゼンタールは、実在したナチハンターの中心的人物として有名。

 

戦後、多くのナチ党員が南米に渡ったとされ、当時アルゼンチンのぺロン軍事政権は、多くのナチ党員を匿ったと云われている。

ぺロンの妻は、「エビータ」で有名。

 

アウシュビッツ絶滅収容所の実務的責任者で知られた「アドルフ・アイヒマン」誘拐作戦は、当時モサドの長官だった「イサー・ハレル」が直接指揮をとったオペレーションで有名。

元々ハレル長官は、元シン・ベット長官。

 

アイヒマン連行作戦
1960年、潜伏先のアルゼンチンからイスラエル諜報機関により、イスラエルに連行された事件。アイヒマンはイスラエルで裁判にかけられ、絞首刑となった。

 

何気に作者のフォーサイスは、劇中の「ロシュマン」は「アイヒマン」をモデルにしているのではないかと思われる。

 

実際戦後ドイツ社会では、元ナチ党員が何食わぬ顔をして政府の要職に就いていた。

小説が発表された後、実際フォーサイスにかなりの脅迫が来た。

 

戦後複雑な要素が絡み、多くの元ナチ幹部・党員は各国に散らばり、潜伏先の国の庇護の下、働いていた形跡がある。真相はまるで闇。

潜伏先は、連合国だったソ連・米国、中立国スイスも含まれている。意外にバチカン、フラシスコ教会も絡んでいた。

 

映画設定の1963年は、第3次中東戦争(1967年)が起きる4年前の事。

翌年の64年には、PLO(パレスチナ解放機構)が設立されている。

 

ピーターが「オデッサ」組織に係る切っ掛けは、1963年11月22日に発生した「ケネディー暗殺事件」をラジオで聞いた事。

それを考えれば、「人生とは如何に偶然の連続であるか」と思わざるを得ない。

当に「運命の悪戯」とでも言おうか。

 

劇中最後にピーターがロシュマンを追い詰め、尋問する。

今迄ピーターは戦時中、ドイツ帝国が引き起こした戦争犯罪の罪の意識・贖罪からイスラエル特務機関に協力していたと思われた。

 

しかし最後に状況は一変。

戦時中、ピーターの父がロシュマンの横暴で殺害された事に対する、復讐の為だった。

それが分かった瞬間、何か意外な感じがした。

つまり国家的犯罪行為の断罪が、巧みに個人的復讐にすり替わってしまったと云うべきか。

ピーターは自分の復讐を成し遂げる為、イスラエル特務機関を利用したとも言える。

 

事件解決後、おそらくイスラエル政府と西ドイツ政府間の政治取引により、ピーターは釈放されたと思われる。諜報界では、よくある話。

勿論、西ドイツの電気工場を放火したのは、イスラエル特務機関の仕業。

 

追記

 

クラウス・べンツァー(偽造屋)として出演した「デレク・ジャコビ」は『ジャッカルの日』の映画で、キャロン役(クロード・ルベル副警視長官の部下)として出演している。

 

劇中リガの港にて負傷したドイツ兵を船で輸送する場面で、ピーターの父(ドイツ軍中尉)とロシュマンが同じドイツ兵に命令する。

命令されたドイツ兵(ロベルト・グラフ)は、1963年作:『大脱走』で収容所の監視員ドイツ兵として出演している。

通称「イタチ」と呼ばれ、調達屋の「ヘンドリー」に集(たか)られる役を演じている。

 

同様で、劇中登場するのリヒャルト・グリュックス役「ハンネス・メッセマー」は、『大脱走』では収容所の所長を演じている。

 

同じく脚本家のケネス・ロスは、『ジャッカルの日』でも脚本を書いている。

その為、映画のテンポが似たような流れで進んでいくのが分かる。時間を感じさせない名作映画とも言える。

 

『ジャッカルの日』でも述べたが、出演者の一人一人の名前を見ても、あまり印象は薄い。

しかし出演者に関係なく内容に味がある為、作品全体が楽しめる映画と言える。

 

進行上あまり関係ないが、クラウス・べンツァー親子(偽造屋)は、其の後どうなったのであろうか。

何気に気になった。

 

映画の始まりは「11月22日」だが、1ヵ月後がクリスマスの為、街全体が活気付いるのが分かる。

如何に西洋では、クリスマスが大事なイベントであるか理解できる。

 

因みにガス自殺を図った老人の新聞記事は、ケネディー暗殺の為、新聞の片隅に追いやられた。

名も無き老人の孤独な自殺として処理された設定に、何か人生の切なさを感じた。

余りにも有名人の死と、無名な老人の死との対比が露わな為。演出もおそらく、それを狙ったものと思われる。

結果的に名もなき一人の老人の死が、過去の国家犯罪を暴いた形となる。しかしその事は、決して表には出ない。それが諜報界の掟とも云えば良いであろうか。

 

劇中、「ビエナ」と呼ばれていた街は「ウィーン」の事。

 

(文中敬称略)