政府のSNS統制の第一歩? 4月1日の「情報流通プラットフォーム対処法」について

14年前、東日本大震災が発生した3月11日、石破内閣の閣議で4月1日「情報流通プラットフォーム対処法」、通称「情プラ法」の施行が決定された。
此の法律は一体何だろうか、と思う方がいるかもしれません。
今回はこの法律に関する話題に触れたいと思います。
目次
情報流通プラットフォーム対処法とは
何の偏見もなく法律を捕らえる為、総務省HPから引用します。
現状
デジタル空間において、誹謗中傷をはじめとする違法・有害情報の流通は依然深刻な状況。
また、生成AI等の新しい技術やサービスの進展及びデジタル広告の流通に伴う新たなリスク等、
デジタル空間における情報流通に伴う様々な諸課題が生じている。
デジタル空間における違法・有害情報の流通については、第213回国会において改正された
「特定電気通信による情報の流通によって発生する権利侵害等への対処に関する法律
(平成13年法律第137号。以下「情報流通プラットフォーム対処法」という。)」により、
大規模なプラットフォーム事業者に対して、削除対応の迅速化及び運用状況の透明化に係る措置が義務付けられることとなった。
本検討会の役割
情報流通プラットフォーム対処法の早期施行を目指し、検討を要する点について議論を行う。
また、施行後、その運用状況を注視し、適時適切に見直しを行う。
「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」
(令和6年9月10日とりまとめ公表)で提言された制度的な対応を更に深掘りし、必要な制度整備などを検討する。
デジタル広告の流通に伴う課題についても検討する。
※総務省 令和6月10月 事務局よりほぼ引用
本当に法令の一部のみ紹介した。
此れが果たして一体、何が問題かと言えば、次章で簡単に説明したい。
法律の目的
法律の目的は、決して悪くない。私も必要だと思う。
しかし問題は、此れを隠れ蓑にして拡大解釈される恐れがあるという事。
拡大解釈をして得をする人間。それはズバリ、
国家の為政者(政治家・官僚・政府機関の関係者)、巨大企業や組織、圧力団体、つまり権力者にとり、甚だ有利な法律になる場合がある。
権力者にとり、不都合な情報は管理、削除できる可能性があると云う事。
此れは 言論統制、独裁国家がとる手法 。
しかし同じマスメディアでも、既存マスコミは賛成派。理由は、過去のブログで散々述べた。
今では身近となったSNS、You Tube、X(旧ツイッター)、インスタグラム、Facebook。
更には旧2チャンネル(現5チャンネル)、ヤフコメ等、あらゆる書き込みができるサイトが対象。
簡単な例を挙げれば、手軽なヤフコメ、YouTube等の書き込み。
本人はおろか、第三者が不快や都合が悪いと判断したコメントは運営側に削除依頼し、削除できると云う事。
削除する判断は、一体何処がするのかと言えば、政府等の公的機関や企業組織。
要するに政府や財界などの権力者が、自分達が知られたくない情報や都合の悪い情報を削除できるという事。
ここまで読んだ方の中には、何でこんなバカな法律がまかり通ったのかと疑問に思うかもしれない。
此れが従来の、政府の巧妙なやり口。本来は全く違う意図で作った法律を、自分達に都合が良いよう修正。
さも、国民に恩恵があるかのような法律を作り上げる。今迄、政権与党、官僚が用いてきた常套手段。
今回の法律も、実は国民の或る社会現象から発したもの。
それはネット上の書き込みで、書き込みをされた人が自殺。或いは、社会的地位や精神的に支障を来した事があった為。
有名なものとして、コメンティターとしてTV出演していた某芸能人が、誹謗中傷で自殺した事件があった。
当時、かなり有名な事件だった為、記憶している人も多いと思う。
自殺した遺族のコメントと世間の同情も重なり、ネット上でのあまりにも酷い書き込みを規制しようとする動きが世間に広まった。
その動き自体、私は決して悪いとは思わない。
しかしそれを利用して、政府が自らの都合の悪い情報を規制しようとする動きが良くないと述べている。
これは明らかに国民を守る為でなく、ただの便乗。検閲、言論統制の何ものでもない。
明らかに憲法にも違反している。
民主主義で一番大切なモノ。 「それは言論の自由」 。
当に政府は、真逆の事をしている。
下手すれば、こんなちっぽけなブログですら、停止となる可能性もある。
議員の個人的スキャンダルを暴露しても、該当する本人が不快と感じれば削除依頼ができると云う事。
こんなバカな事はない。議員は明らかに公人。しかも税金で賄われている。
税金で賄われている政治家のスキャンダルを糾弾しようにも、できない場合もある。
収賄等の汚職、裏金に関与した議員を社会的に制裁できないのも、可笑しな話。
全く、意味がない。悪法になり兼ねない法律。
昔でいう「讒謗律・新聞紙条例」。或いは、「治安維持法」の類。
ここ数年、政府が行う政策は国民の為でなく、只国民を抑圧しているだけ。
もうそろそろ、国民の怒りは沸点に近い。
此れも何度も過去のブログで述べているが、倒幕した末期ですら年貢は「五公五民」だった。
先日政府が発表した去年の国民の税負担は、46.3%。
これはかなり低く見積もっていると思う。しかし低く見積もっても、既に約50%近く。
昨今の物価高を鑑みれば、年収の半分は何らか税金で消えている。此れでは貯蓄どころか、生活ができない。
この状態で、子供を育てろというのが不可能。政府はまるで国民生活等、理解していない。
財務省解体のデモが報じられない理由
既存マスコミが、デモ報道に消極的な理由。
何故消極的だったのかは、理由は既存マスコミがデモを報じても、何も得にもならない為。
過去に何度も述べているが、今迄既存マスコミは、政府と供に繁栄して来た。
所詮、持ちつ持たれつの関係。もし今迄の関係を断ち切り報道した際、どうなるか。
それは目に見えない、何らかの圧力を受ける可能性がある。
圧力とは「取材拒否や出入り禁止、国税の財務調査等」、様々。
だいぶ時間が経ち、漸く既存マスコミが報じ始めた。
他のメディア(SNS、海外放送)が報道した為、渋々後追いという形で既存マスコミは報道した。
ほぼ、横並びで。横並びでなければ、抜け駆けしたとして、記者クラブから締め出しをくらうおそれがある為。
此れが既存マスコミの正体。
既存マスコミは、自分達に都合の良い情報は報道するが、都合の悪い情報は報道しない。
所謂、「偏向報道」、「印象操作」と云われる姿勢。
政府や巨大組織に対し、何かしらの忖度、手心が加わる。此れも過去に述べた通り。
所詮、マスコミも「商業ジャーナリズム」と揶揄される所以。
既存マスコミは、寧ろ歓迎。
3月14日、財務省解体デモに参加していた、N党の立花氏が暴漢に襲撃された。
現役政治家が襲撃されたが、何故か既存マスコミはベタ扱い。
襲撃された時、立花氏は千葉県知事選に出馬し、選挙期間中だった。
その中で襲撃された。
問題だったのは、襲撃された際の警察の対応。
警察は立花氏が襲撃された際、何故か犯人を取り押さえなかった。
取り押さえたのは、直前に立花氏と握手をしていた、一般人。
つまり現行犯故の、私人による逮捕だった。
更に不可解だったのは、警察は暫く傍観。其の後、漸く犯人を確保した(逮捕でない)。
連行する際も、何故か現行犯でありながら、手錠を填めず、パトカーに誘導した。
この動作自体が、何か疑問。一連の警察の動きが不自然だった。
当時の襲撃から、犯人が連行されるシーンの一部始終がSNSで拡散されている為、今でも観れると思う。
本当に不思議な映像だった。
しかし繰り返すが、何故か既存マスコミは、あまり大きく取り上げなかった。
寧ろ、態とではないかと思われる程だった。
中にはあろう事か、襲撃された立花氏に問題があるかのような報道をしたTV局もあった。
偏向報道の極み。やはり、既存マスコミが信用できないと云われる所以。
最初からシナリオがあり、無理やりシナリオ通り、進めようとする魂胆が見え見え。
既存メディアが、過去に何度もやってきた手法。つまり、印象操作。
都合の良い処だけ切り取り、無理やり自分達の主義主張に持っていこうとするやり方。
レッテル貼り、或いは洗脳 とも云える。
くり返すが、ネットが登場するまで、このやり方が通用した。しかし今は違う。
それは、SNSがある為。今まで一部の人間で独占していた特権が、一人一人の国民の手に渡った。
既存マスコミが自分達に都合のよい情報を切り取り、一方的に垂れ流していた時代と異なる。
国民が情報を取捨選択し、自らも情報を流す事ができる時代となった。
これは画期的な出来事。一人一人が発信者になった事を意味している。
今迄泣き寝入りしていた事も、自由に自らの手で世界に発信する事が可能となった。
反論が可能となった。
此れが今日の、SNS発展の要因。
今迄、その特権を独占してきた連中は、当然おもしろくない。
おもしろくない連中が、既存マスコミだったと云う事。
従って主にSNSで政治活動をしてきた立花氏に対し、既存マスコミは良い印象を持っていない。
寧ろ敵対視していると云っても過言でない。立花氏は元NHK職員で、NHKの不正を暴露した人物。
上記が立花氏の襲撃事件で、既存マスコミがあまり騒がない理由。
更に不思議なのが、大きな事件にも係わらず、現時点で一向に犯人の素性や背景が明らかにされていない事。
既に1週間近く経つが、未だに何の発表もされていない。既存マスコミは、深追いすらしていない。
普通であれば、過熱な報道合戦を敢行。犯人の家族、知人、職場関係者等を特定。
取材を繰り広げるものだが、今回の犯人に対して、全くそんな動きはない。
此れは、何かに似てないだろうか。
そう私が思うに、少し前の3月11日に起きた、高田馬場の事件と似ていると。
似ているのは事件の概要でなく、 事件後に既存マスコミが取った報道姿勢 。
既存マスコミは、自分達に都合のよい案件は取り上げるが、得にならない案件はあまり深入りしない。
3月11日の事件で既存マスコミは、「SNSと投げ銭がよくない」という論調に落とし込めようとした。
処が事件を掘り下げると、ありきたりの「男女間と、金銭の縺れ」と判明。早々に報道を切り上げた。
切り上げたと云うよりも、それ以上の旨味がないと判断。打ち切った、と言った方が的確かもしれない。
今回の立花氏襲撃事件も既存マスコミには、あまり旨味はない。
報道する事で、立花氏に有利に働く恐れがある為、アリバイ作り程度で報道を終えた。
既存マスコミの中には、立花氏に対し、誹謗中傷のようなコメントをする専門家もいた。
全く不偏不党を標榜するマスコミとは思えない、報道姿勢が見受けられた。
しかし此れは驚くべき事ではない。昔から日本のジャーナリズムでは常識。
もともと日本には、本当のジャーナリズムは存在しない。
戦前、軍部に従い戦争を鼓舞していたマスコミは、進駐軍が来た途端、手の平を返しGHQに靡いた。
GHQに従った故、新聞社は新聞を発行する事が許された。
当然GHQの検閲が入る為、GHQに反する記事は書けない。自ずと忖度、手心が加わる。
此れが日本のマスコミが自らの力で、言論の自由を勝ち取った事がないと述べる理由。
戦後80年が過ぎ、国民は忘れているかもしれないが。現在に至る迄、脈絡と続いている。
既存マスコミは、この事実を決して公にしない。
各新聞社の社史を見ても、都合が悪い部分なのか削除。或いは、ぼかされている。
因って政府が推し進めるSNS規制は、既存マスコミには願ったり叶ったり。
両者とも、全く同じ考え。供に同じ利益集団。既存マスコミもSNSの力を削ぐ事に躍起となっている。
既存マスコミが、今回の法律に反対する理由が見当たらない。
それが今回の法案成立で、既存マスコミは歓迎していると述べた訳。
最後に
私は日本の既存マスコミに対し、不思議に思う事がある。
日本のマスコミに対し、海外メディアが「マスメディアで大切な事は何か」と質問した際、
日本のメディアはこぞって、「権力の監視です」と答えた。
私は一瞬、ブラックジョークかと思った。それ程、驚いた。
一方、海外メディアが同じ質問をされた際の答は、
「真実を、ありのままに伝える事」だった。
一体、どちらの答が適格か。それは云うまでもないだろう。
日本のメディアは権力の監視と述べているが、記者クラブの存在自体が税金で賄われている。
まるで説得力がない。権力の監視と言い乍、まともな監視をしているとは到底思えない。
理由は過去のブログと、今回で述べた通り。
国民が欲しているものは、何も手が加えられていない、ありのままの情報。
ありのままの情報を受け、国民が検証、自らが判断して行動する。此れが本来の民主主義の在り方。
マスコミ側の恣意的で偏った情報は必要ない。恣意的で偏った情報は、決して国民の為にならない。
必ず一部の人間が利する結果となる。それは歴史が証明している。
今回の通称「情プラ法」は、その一歩になり兼ねない、危険な要素を含んでいる。
今後注意深く、見守る必要がある。
何時も例に挙げるが、第1次世界大戦後、敗戦国ドイツでは、当時最も民主的と云われた「ワイマール憲法」が誕生した。
其の後、ワイマール憲法があったドイツで、ナチスが台頭。独裁国家が誕生した。
ナチスは合法的に勢力を伸ばし、軈て選挙で与党となり、権力を得た。
権力を得たナチスの後の行動は、歴史が示す通り。
ナチス誕生の教訓は、民主主義も独裁国家も所詮、根は同じと云う事。
常に民衆は監視を怠れば、権力は腐敗。軈て自らに害を齎すという教訓 。日本も全く同じ。正しい情報で常に権力を監視しなければ、やがて災いが自分の身に降りかかると云う事。
此れは、既存マスコミも同じ。
SNSを監視する目的が達成された後、その刃は次に自分(既存マスコミ)に向かう可能性がある。
今回の法律は、既存マスコミに対しても同様と述べたい。
表向きはSNS規制だが、それが終われば「今度はあなた達の番ですよ」と。
今回の通称「情プラ法」の法案成立をみて、色々考えさせられた。
(文中敬称略)