魑魅魍魎とした人間関係 芥川龍之介『偸盗』

★芥川龍之介 小説シリーズ

 

・題名        『偸盗』

・新潮社       新潮文庫  『地獄変・偸盗』内

・発行        昭和43年11月

・発表        大正6年4月・7月 『中央公論』

・参考        『今昔物語』巻29 第3

 

登場人物

◆太郎

元検非違使に仕えた放免。昔は役人だったが、今は盗人の一員になり果てる。

疱瘡を患い、隻眼。歳は20才位。実弟の次郎がいる。

 

◆次郎

歳は17、18才程の若侍。元国司の小舎人だっが、盗みの嫌疑を掛けられ、獄中に入れられる。

其の後、盗賊と成り果てた兄太郎に助けられ、脱獄。そのまま兄と同じ盗賊団に加わる。

 

◆沙金

猪熊のお婆の実娘で、盗賊集団の頭。歳は20歳前後。父親は不明。

太郎・次郎はおろか、養父とも関係を持つ。他にも、不特定多数の男と関係を持つ。

 

◆猪熊のお婆

元宮中の台所に仕えてた婢女。歳をとり、今は盗賊の一味に落魄れる。

沙金の実母。

 

◆猪熊の爺

猪熊のお婆の内縁。沙金の養父。

 

◆阿濃

生まれつき知能に障害がある女。両親はいない。

飢えで盗みを働き、吊し上げられている処、沙金に助けられ、そのまま猪熊の家に婢女として働く。

 

あらすじ

太郎は一年前まで、検非違使に仕える役人(放免)をしていた。

或る日、盗みの科で一人の女が、牢獄に入れられた。名を、沙金と云った。

沙金は盗人だったが、器量よしだった。太郎は牢越しに話し掛ける中に、次第に沙金の虜になった。

 

太郎は或る日、盗賊の仲間達が牢を襲い、沙金を逃がす手筈を見過ごしてしまった。

その晩から太郎が沙金の家に通う日々が始まった。

 

太郎が沙金の家を訪れる度、二人の距離は次第に縮まった。

何時しか二人は、夫婦もどきの関係となる。

 

太郎は沙金の家に通う中に、何時しか仲間に入るよう誘われた。

初めは渋っていた太郎だった。

しかし程なく、筑後の前司の小舎人となっていた弟次郎が、盗みに嫌疑を掛けられ、獄に入れられたのを聞いた。

 

太郎は沙金に相談した処、「脱獄させれば良い」との答え。

太郎はとうとう、沙金の説得で次郎を助ける為、盗賊の一味に加わった。

盗賊の一味となった太郎は、盗賊達と供に獄破りをし、弟次郎を救い出した。

 

次郎を救った太郎はその後、盗賊団に加わり、火付けはする、人殺しはするの数々の悪事を行った。

太郎に救われた次郎も行く当てもなく、太郎と同じく、盗賊団に加わった。

盗賊団に加わった二人だが、何時しか二人は沙金が原因で、互に反目しあう。

 

二人は口にはしないが、互に反目しあっているのを意識していた。

意識していた二人だが、面と向かっては言い出せない様子だった。

その状態はやがて、二人を危険な状況へと導いていった。

 

要点

風采があまり上がらない太郎と見た善しの次郎は、互いに仲の良い兄弟だった。

太郎は検非違使に仕える放免を務め、次郎は元筑後の国司に仕える小舎人だった。

 

或る時、太郎が仕える獄舎に、一人の女が盗みの科で入れられた。

女の名は、沙金といった。女は甚だ器量よしだった。

 

その事も関係したのか太郎は女と牢越しに話す中に、何時しか女に心を奪われた。

或る日、女の仲間の盗賊達が沙金を救う為、獄を襲った。

 

太郎は女の情を移していた為、その行為をみすみす見逃した。

その晩から太郎が女の住まいに通う行為が始まった。

 

太郎の家に足繁く通う中、互に心を通わせ、夫婦もどきの関係となった。

沙金と親密になるに従い太郎は、沙金は世間を騒がす盗賊団の頭で、日頃は色を売り暮らしている事を知った。

 

女の所業を知った太郎だったが、惚れた弱味かどうかは知らないが、一向に沙金を軽蔑するような事はなく、寧ろ太郎には魅惑的に見えた。

女は太郎に仲間に加われと唆した。

太郎はその都度、断っていたが、或る時、元国司の小舎人だった弟次郎が盗みの科で獄に繋がれた事を知った。

 

太郎は次郎を助けたい一心で、沙金に相談した。沙金の返事は、簡単だった。

獄を破れば良いとの事。

太郎は弟次郎を助けたい一心で、遂に盗賊団に加わる事となった。

 

次郎を助ける為、沙金の仲間達と獄を破った太郎は、其の後、火付はするは人殺しをするは、数数々の悪事を重ねた。

放免をしていた人間が、真逆の悪党への変換である。

人間、一度悪道を踏み外すせば、自制心はなくなり、既に罪悪感も麻痺していた。

 

それも偏に、沙金に対する恋心からであろう。

太郎に助けられた次郎も、行く当てもなく、太郎と供に沙金の家に住み着き、そのまま盗賊団の一味に加わった。

 

それから太郎と次郎、そして沙金との間に微妙な状態が続いた。所謂、三角関係と云えば的確かもしれない。

その三角関係の縺れは、太郎と次郎との仲を次第に蝕む形となり現れる。

 

尚、前述したが沙金は太郎・次郎を誑かすのみでなく、他の男も平気で誑かし、あろうことか、養父ともまで関係を持つようなふしだらな女だった。

 

文中の次郎の言葉を借りれば、

あのように、醜い魂と、美しい肉身を持った人間は、外にいない。

まさに此の言葉通りの女だった。

 

太郎は以前、養父と沙金との関係を知った時、刃傷沙汰になりかけた。

その時は沙金は養父に関係を迫られ、断り切れず沙金が受け入れたしたと、無理やり自分(太郎の事)を納得させた。

しかし今度は、血を分けた実の弟が相手。今迄の他人とは、訳が違う。

その太郎の心情は仲が良かった兄弟との間に、微妙な隙間風が吹いていた。

 

太郎と次郎のギクシャクした関係は、軈て現実的なものとなる。

沙金はあろうことか盗みを働くに見せかけ、太郎を罠にかけ、抹殺する企みを次郎に持ち掛けた。

 

次郎は躊躇った。

しかし沙金の魅力に負け、しぶしぶ了承してしまう。

 

沙金の残酷な処は、太郎を見殺しにするばかりでなく、自分の両親(養父と実母)・盗賊仲間すら、見殺しにする計画だった。

 

沙金の邪な計画とは、検非違使庁に盗みに入ると見せかけ、計画を検非違使の役人に密告。

襲撃先に待ち伏せさせ、検非違使の役人達に太郎を抹殺させる目論見だった。

 

太郎と次郎、沙金と猪熊の婆、外の盗賊団は、それぞれの思惑を胸に秘め、藤判官(検非違使庁に押し入った。

押し入ったのは良いが、盗賊団は当然の如く、待ち伏せを喰らった。

正面から押し入つた太郎たちは、大勢の侍に囲まれた。

一方、裏から押し入った次郎と沙金たちも、思わぬ苦戦を強いられた。

 

味方が戦況不利と見るや否や、次郎は皆に退却の口笛を吹いた。

しかし皆は防戦に追われ、口笛を聞く処ではなかった。

 

その中次郎も数名の侍に囲まれ、侍相手に火花を散らした。

数名の侍を蹴散らした次郎だったが、今度は夥しい数の犬に囲まれ、苦戦を強いられた。

犬は斬っても斬っても、次郎めがけて襲ってきた。

 

次郎は戦う最中、

もしや沙金は兄太郎ばかりでなく、自分(次郎)までも抹殺する算段ではないか

との疑惑に捕らわれた。沙金はそれ位は、やりかねない女だった。

 

しかし次郎の疑惑とは関係なく、犬は次郎を襲撃した。

犬と戦っている中に、次郎はいつの間にか沙金とはぐれてしまった。

 

次郎は猟犬と野犬に次々と襲われれ、まさに危機一髪の状態。

一方、太郎は生きているか、死んでいるかも分からない。

 

戦いの最中、盗賊団の一味は其々に深手を負い、猪熊の婆は、爺を助ける為、命を落とした。

その時、駿馬に跨った太郎が死にかけた婆の側をすり抜けた。

 

太郎は数名の侍と格闘後、厩に行き、目的の駿馬を搔っ浚った。そのまま一目散に検非違使庁を後にした。

太郎は馬で逃げる途中、まだ沙金が次郎から再び自分に靡く日を夢見た。

その時、多くの犬に囲まれ苦戦している次郎の姿が見えた。

 

太郎は次郎が苦戦している姿を見たが、心の中で何か叫ぶものを感じた。

それは、「次郎を見捨て、次郎を見殺しにしてしまえ」であろう。

 

太郎は一瞬、次郎を見捨てた。しかし太郎の胸に懐かしい言葉が去来した。

「弟」という言葉である。

 

弟という言葉が太郎に意識された時、太郎は弟の窮地を救うべく、手綱を返し、元来た道を引き返した。

太郎は次郎を救うべく次郎に近づくや否や、次郎を馬の背に乗せ、その場を脱した。

 

ほんの一瞬だったが、次郎は太郎の優しさと逞しさに、安らぎを覚えた。

二人は無言のまま、改めて互いが兄弟である事を認識した。

 

戦いを終え、生き残った盗賊達が羅生門に集まった。

皆が傷を負い、五体満足な者は殆ど居なかった。

 

中でも酷かったのは、猪熊の爺だった。爺は助けてもらった婆を置き去りにし、這う這うの体で戻って来た。

猪熊の爺は今迄、「瀕死の状態だった仲間を苦しまず、早く死なせてやりたい」との意向で、いつも自らその役を買って出た。

 

しかしそれは敵には臆病な爺が、ただ人を殺す興味と、自らの虚勢を他人に示す意味で引き受けたに過ぎなかった。

遂にその番が、自分に回ってきた。

爺は自分が死ぬ間際になり、漸く感傷的になった。聊か自分の死を実感したからと思われる。

 

しかし爺は死ぬ間際になりながらも、太郎に対する悪態をついた。

何処までも、性根が腐っていたのであろう。

 

その時、留守番をしていた阿濃の姿が見えないのに気づいた。

平六は阿濃を探しに、羅生門の楼を上がった。平六が羅生門を上がれば、阿濃は子供を産んでいた。

 

平六は生れた赤子を抱き、楼下の盗賊達に赤子を見せた。

今迄、手傷を負い、しょげかえっていた連中も、我を忘れ、赤子の誕生を我が事の様に喜んだ。

 

死に行くもの、生まれ来るもの。当に人間の生死の綾とも云え様。

赤子の誕生を一番喜んだのは、意外にも死にかけた猪熊の爺だった。

 

爺は赤子に触れようと最後の力を振り絞った。その時の爺は、何か厳かなに感じられた。

爺は行き絶え絶えに成り乍、絶命寸前に言葉を発した。

 

「この子は、この子は、わしの子じゃ」と。

 

周りの人間は爺の言葉を聞いたが、誰も爺の言葉を聞かないようにしていた。

聞かない方が良かったと云う状況だろうか。寧ろ聞かない方が、幸せだったのかもしれない。

 

皆は暗黙の了解で、押し黙ったままの状態。聞かない振りをしたと云った方が、正解かもしれない。

その時沙金が皆に向かって

「痰がつまり音じゃ」と呟いたのが、全てを物語っている。

誰もが爺の言葉を信じたくなく、咄嗟にその場を繕ったとも云える。

 

爺の言葉が本当であれば、日中堕ろし薬を飲ませ、阿濃の子を殺そうとした爺も、自らが死ぬ間際になり、自分の生きた証を残そうとして、阿濃の子の父は自分である事を暴露したのかもしれない。

 

それとも阿濃が信じているように、本当は爺の子でなく、次郎の子なのかもしれない。

それは永遠に「藪の中」。

爺の今迄の所業を鑑みれば、決して嘘を付いていないとは、云いかねない為。

 

翌日、猪熊の家で、女の惨殺死体が発見された。

殺されたのは勿論、沙金である。

 

検非違使の調べによれば、家に同居。事件を目撃した女(阿濃)によれば、同じく家に同居していた太郎と次郎と名乗る二人の若者が、女のと口論の末、次郎が太刀を好き、沙金を斬った。

沙金は助けを求め、その場を立ち去ろうとするが、次に太郎が沙金に刃を向けた。

沙金は暫く蠢いていたが、やがて息が途絶え、死に至った。

 

沙金を斬った二人は長い間、泣きながら互いに抱き合っていた。

軈て二人は阿濃に向かって、達者に暮らせの意味を含め笑顔で立ち去ったとの事。

 

先天性の知能疾患を持った阿濃から、検非違使は漸くこの様な証言を聞き出す事に成功した。

尚、殺された女(沙金)は、今世間を騒がせている偸盗(強盗団)の頭だった人物と思われた。

 

事件はそのまま、未解決で終了した。残された阿濃は尼となり、生んだ子を育てた。

後に阿濃は丹後守某に仕える随身が、太郎と似ていると述べたが、真偽の程は定かでない。

しかしその侍には、同じ主人に仕える弟がいたと伝えられている。

 

追記

作品の冒頭で猪熊の婆と太郎が街中で話している時、牛車か何かに轢かれた蛇が登場する。

その蛇の死に行く姿は、此れから起こる盗賊団の行く末を暗示するものとして描かれている。

つまり、伏線と云う事。

 

他にも荒れた洛中、流行りの病でなくなり処々に捨てられた数々の死体、病で死にかけた女性の等も、強盗団の未来を暗示させるモノとして描かれている。

 

それだけ当時、世相・人情が荒れていたと云う事だろうか。

以前紹介した『羅生門』も、似た世相だったと思われる。

その事を鑑みれば、作中で登場する高市の多襄丸とは、『藪の中』の多襄丸と同一人物なのかもしれない。

 

作中では沙金は太郎と次郎、そして養父など不特定多数の人間と関係していた。

おそらく盗賊仲間の真木島の十郎、高市の多襄丸、関山の平八との関係があったと思われる。

 

つまり沙金に関わる男すべてが、沙金と関係があったのではなかろうか。

その為沙金は女の身であるが、盗賊団の頭になっていた節がある。

 

(文中敬称略)