一難去って、又一難 松本清張『繁盛するメス』
★松本清張短編小説シリーズ
・題名 『繁盛するメス』
・双葉社 双葉文庫
・発行 2016年12月 松本清張ジャンル別作品集『社会派ミステリー』内
目次
登場人物
◆大宮博(戸村重雄)
元軍隊の衛生兵。終戦後、外科医となりすまし、都心の郊外で開業。
大宮は外科医の腕が優れていると評判になり、医院は繁盛する。
大宮は繁盛して、幸せな家庭を持つ。医院も開業当初に比べ、立派な建物に変わった。
まさに幸せの絶頂期、大宮の軍隊時代の過去を知る元軍曹が現れる。
元軍曹が出現した事で、今迄幸せだった大宮の生活が一変する。
◆望月志郎
軍隊時代、大宮博の元上官(軍曹)。大宮が繁盛していた或る日、突如大宮の許に現れる。
大宮(戸村)の軍隊時代の過去を知り、それをネタに大宮を強請る。
2年程、大宮宅に居候した後、女をつくり大宮宅を出て、一人住まいをする。
◆望月志郎の女
望月志郎が一人暮らしをする際、同伴した女。元バーのホステスと思われる。
望月にはあまり深い愛情はなく、ただ金蔓としかみていない様子。女には望月に内緒にしているヒモがいた。
◆望月志郎の女のヒモ
望月と同居していた女のヒモ。望月志郎が死亡後、望月の女に呼び出され、大宮医院にやってくる。
大宮に望月死亡を経緯を聞かされ、望月の死体を確認する。
確認した後、男は意外な事に気づく。男は昔軍隊では、衛生班の伍長だった。
あらすじ
大宮博は元軍隊の衛生兵だった。終戦後、無免許だが外科医になりすまし、都心郊外で開業医を営んだ。
大宮は外科医の手術が上手いと評判が立ち、医院は忽ち繁盛。更に新興住宅地で、人口も増え、商売は益々繁盛した。
繁盛した大宮は、土地の名家から娘を貰い、結婚。二人の子宝にも恵まれた。
開業当初、藁ぶき屋根だった医院も、いまではすっかり近代的な建物に変わった。大宮はまさに、人生の幸せの絶頂にいた。
幸せの絶頂にいた大宮だったが、或る日バーで酒を飲んでいた時、一人の初老の人物に出会った。
大宮は面会当初、なかなか相手の顔を思い出せなかったが、相手の何か横柄な言動に触発され、漸く相手を思い出す事ができた。
相手の人物は大宮にとり、思い出したくもない記憶だった。
それは大宮が軍隊時代に衛生兵の一兵卒として過ごしていた時、大宮の上官だった元軍曹の望月志郎だった。
何が忌まわしいかと言えば、望月元軍曹は昔からよく言われる、軍隊いじめの典型的な人物だった。
望月は軍隊時代、多分に漏れず制裁との名目で、下級兵士を虐めていた。大宮博も、望月に虐められた兵の一人だった。
望月は軍解体後、色々な商売に手を出したが、実らず現在は落魄れた身だった。
その落魄れた望月が大宮の前に現れたのだから、たまらない。
当然の如く大宮は、望月に絞られる。望月は、腹違いの兄という触れ込みで、二年近く大宮宅に居候した。
当然居候に加え、医院の利益をごっそり望月に集られたのは、言うまでもない。
大宮は日増しにやせ細り、精神にも支障を来すようになった。
望月が大宮宅に二年近く居候した挙句、望月は大宮宅をでると言い出した。
望月が家を出て、一人暮らしを始めたいと言い出した理由は勿論、女の為。
望月は大宮から搾り取った金で、女を囲っていた。望月は女と一緒に暮らすのが目的で、家をでると大宮に告げた。
当然望月のアパート代は、大宮が出す算段。
家をでた望月だが、毎月決まった時期になれば大宮宅を訪れ、大宮から大金を搾り取った。
こんな状態が続いた為、大宮はとうとう望月をどうやって殺そうかと、考えを巡らした。
いろいろ逡巡した末、ある妙案が大宮の頭に浮かんだ。
それは虫垂炎(盲腸)にみせかけ、手術をしたと見せかけ、望月を殺す計画だった。
大宮は計画を実行に移した。望月にいい酒があると呼び出し、望月に睡眠薬入りの酒を飲ませた。
昏睡状態になった処で手術を行い、手術を誤り死亡したようにみせかけた。
望月が死亡した為、大宮は同伴の女を呼び寄せ、事の次第を説明した。
女はあまり望月の死に関心がないように思われた。
女はあまり品・教養がある女とも言えず、ただ金の為、望月についた女と思われた。
女は望月に死後の処理に戸惑い、相談するとの名目で誰かに電話をかけた。
電話をかけた相手は、なんのことはない、只の女のヒモだった。
ヒモは女の呼び出しで、医院にやってきた。大宮は大まかな経緯をヒモに話した。
ヒモは何を思ったのか、望月の死体をみたいと願い出た。大宮はヒモの望み通り、死体を見せた。
ヒモは暫く望月の死体を眺めていたが、やがて何か悟ったか如く、意味ありげに大宮に話し掛けた。
ヒモは嘗て軍隊で衛生班で伍長を務めていた。その為、虫垂炎の手術で切る処を理解している。
今回の手術の後は、虫垂炎で手術する場所とは違うと述べた。
ヒモの言葉を聞き、大宮は辺りが薄暗くなるのを覚えた。
要点
大宮は軍隊時代は、たんなる衛生班所属の徴収された一兵卒に過ぎなかった。
大宮は軍隊時代の名は、戸村重雄。戸村は軍隊時代、軍医の手術をよく手伝わされた。
元来手先が器用だった事もあり、見様見真似で戸村は外科医の手術方法を習得した。
戸村は戦後、無免許であるが医者と名乗り、開業。手術が上手いと評判が立つ。
又時代の波にのり、商売を繁盛させた。
商売繁盛で家庭を持ち、病院も大きくなり、まさに戸村は幸せの絶頂であった。
その幸せの絶頂期に、戸村の過去をしる人物が現れた。
軍隊時代にさんざん虐められた、質の悪い望月元軍曹だった。
望月は戸村の羽振りの良さに託け、当然の如く金を搾り取る。
そんな生活が二年程続き、戸村の利益は全て望月に吸い取られ、戸村は精神も異常をきたすまでに至った。
望月は考え抜いた末、思いついた計画を実行。望月を殺害する。
殺された望月には、女がいた。望月が殺害された為、戸村は女に事後処理の説明をした。
女は自分一人では手に負えないと述べ、自分の兄と名乗る男(実はヒモ)に連絡した。
連絡を受けたヒモがやったきた。戸村は女と同じ説明を、ヒモにした。
ヒモは暫く考えた後、何を思ったのか、望月に死体をみせてくれと戸村に告げた。
戸村はたんなる素人の好奇心と思い、ヒモに死体を見せた。
ヒモはしげしげ死体を見た後、何かを悟ったかのように、戸村に話し掛けた。
ヒモは昔軍隊では、衛生班で伍長を務めていた。
その為、今回虫垂炎として手術した患者の切開部分を心得ていた。
今回の手術部分は、元来虫垂炎の切開場所とは異なっていた。ヒモは鋭く、その事を見破った。
戸村は折角目の上のたん瘤であった、望月を殺害したが、それが基で又新たな災いを招いてしまった。
一難去って、又一難。
今度は、女とヒモの二人である。戸村は自分の将来が、遠くにかすんでいくのを感じた。
追記
実際戦後のどさくさ紛れに、今回の作品の事例が多々起きたと云われている。
ニセ医者もそうだが、主人公の名前が、軍隊時代は戸村重雄であったが、戦後は何故か大宮博に変わっている。
これも不思議な事。おそらく戦後、だれかの戸籍を拝借。
ニセ医者に成りすます為、まんまと或る人物になり替わったのではないかと思われる。
これは清張の名作、『砂の器』でも使われたパターン。
砂の器では、親にハンセン病をもつ子供が、過去を隠す為、戦後他人に成りすます。
他人に成りすました後、音楽家として名声を得る。
名声を得た後、自分の過去をしる人物が目の前に現れ、自分の過去を隠す為、犯罪を犯す物語。
或る意味、今回も同じパターンではないかと思われた。
昔の軍隊によくある悪習とも云うべきものが、新兵虐め。
しばし軍隊では制裁との名目で、理不尽な鉄拳が加えられていた。
おそらく今回の戸村重雄も軍隊時代、こっぴどく望月元軍曹にいびられていたと想像される。
ある種のトラウマとでもいうのであろうか。これは日本特有の悪習と云える。
何も軍隊に限らず、会社でも同じ。新しく入社した人間は、初めは理不尽な扱いを受ける。
理不尽な扱いをする上司の言い分は、必ず嘗て自分も同じ目に逢わされたと言い訳する。
学生時代の部活動も同じ。
学年が一つでも違えば、先輩の命令は絶対服従。逆らう事は赦されない。
そんな歪んだ状態が、日本社会には往々にして存在する。
今回の作品も、何か理不尽な服従関係を戦後もひきずっていた。
尤も、大宮博(戸村重雄)は確かに優秀な外科医だったが、無免許の医師であった為、災いの端を発していたが。
(文中敬称略)