トカゲの尻尾切り 松本清張『ある小官僚の抹殺』
★松本清張 短編小説シリーズ
・題名 『ある小官僚の抹殺』
・新潮社 新潮文庫
・昭和40年 7月発行 『駅路』内
目次
登場人物
◆唐津淳平
今回の砂糖汚職事件で、鍵を握る人物。唐津は関西出張後、帰京する予定だった。
しかし何故が出張を早めに切り上げ、熱海の旅館に宿泊。そのまま、謎の死を遂げる。
地元警察の所見では、一応自殺として処理された。
尚、砂糖を管轄する省庁とすれば、唐津はおそらく農林水産省の課長と思われる。
◆篠田正彦
政官財を股に掛ける、フィクサー(黒幕)的存在。闇のブローカーの様なものであろうか。
今回の汚職事件に関連、唐津と同じく鍵を握る人物。唐津課長の死体の第一発見者となる。
◆瀬川幸雄
熱海で死体で発見された唐津課長の部下。役職は係長。
事情に詳しい外部からの人間のタレコミ電話で、砂糖業界にまつわる贈収賄容疑が浮上する。
警視庁捜査二課(汚職専門)が調べた結果、事件が発覚する。疑惑の中心人物唐津課長の部下の為、警察に参考人として召喚される。
◆沖村喜六
砂糖を管轄する省庁に勤める唐津課長の斡旋で、砂糖の割り当てに手心を加えて貰う為、複数の政治家に賄賂を贈る。
警察に召喚され当初は否認していたが、後に事実を認める。
◆岡村亮三
唐津課長の仲介で今回、沖村が理事長を務める日本△△共同連合会から賄賂を受けた政治家の一人。
総選挙が近い為、資金集めの一環だった。
しかし何故か同じ利権集団のボス白川建策迄、献金が行き届かなかった。
その腹いせで、白川に近い人間から警察に売られる(タレコミ電話)。
◆白川建策
長い間、砂糖業界のドン的存在であったが、今回の総選挙で落選。政界を引退する羽目になる。
今回、子分的存在だった岡村亮三らの利権集団に裏切られ、献金も届かずら落選。
その為白川に近い一派の誰かが、腹いせに警察にタレコミ電話を掛ける。
疑惑の発端は、白川に近い一派のタレコミ電話によるもの。
◆山内
唐津課長が旅館で自殺する前日、唐津・篠田と一緒に麻雀卓を囲んでいた人物。
篠田正彦は地元(熱海)の人間と説明していたが、旅館の人間は山内を、地元の者と認識できなかった。
あらすじ
警視庁二課(汚職・経済犯を主に捜査)に外線にて、密告(タレコミ)があった。
タレコミの内容は、砂糖にまつわる政官財の汚職事件。
電話に出た捜査官は毎度の事と思いつつ、電話主が話す具体的な内容・数字に興味を持ち、モノ(事件)になると睨み捜査に乗り出した。
捜査の末、砂糖の差配を廻り、政治家・企業間に官公庁の斡旋(仲介)で贈収賄が行われた事実を突き止めた。
「本丸を攻めるには、まず外堀から」との理由で、所管(おそらく農林水産省)の係長が参考人として呼ばれた。
係長は最初は否認していたが、参考人から被疑者に変更後、今回の汚職をあっさり自供した。
自供で、「今回の汚職中心人物は省の上役である、唐津課長だ」と証言した。
一方、賄賂を贈った日本△△共同連合会の沖村喜六理事長も初めは否認していたが、後にあっさり認めた。
警察は中心人物である、唐津課長の身柄確保を決める。
警察は唐津のガラをとる(身柄拘束)為、唐津の関西出張を終え、帰京するのを待った。
警察が疑惑の本丸に攻め込む寸前、肝心の唐津課長が熱海の旅館で縊死を遂げたという一報を受けた。
捜査員は地団駄を踏んだ。大方の目途がついた為、後は唐津課長を拘束。
自白に追い込むと言う手筈だった。その為、油断していたと言う事もあろう。
唐津課長は警察に身柄確保される寸前、捜査陣の前から永遠に姿を消した。
唐津が死んだ事で、疑惑は雲散霧消。疑惑は立件される事のないまま、闇に葬られた。
要点
清張の作品には、政財官を中心とした汚職事件を題材とした作品が多い。
以前紹介した清張の代表作とされた『点と線』等も同じ。
同じく此れも以前紹介した『歪んだ複写』は、役人と財界にまつわる汚職といってよいだろう。
結局いつになっても、この構造は決して変わらない。
古くを遡れば、議会政治が始まった(第一回帝国議会1890年)から、この構造は一向に変わらない。
それ程、政官財は「一連托生」。「同じ穴の貉」とでも謂おうか。
この3者がお互いの利益受持者であり、互いが仕事の成果を上げ、互いに出世を遂げる仕組み。
官界の唐津課長は既に、出世の道を絶たれようとする年齢に達し、本人はもう一花咲かせようともがいた。
その心の隙を突かれ、今回政財界を巧みに遊泳する「篠田正彦」なる人物に上手く利用された。
篠田は過去に何度も同じ手口で、役人をうまく利用していたのであろう。
篠田は死体(唐津)の第一発見であるが、事件の概要は本人の証言のみで甚だ疑わしい。
唐津課長は昨日まで自殺する気配など、全く見られなかった。
篠田はいつ加害者の立場に落ちても、おかしくない。
逆に言えば、篠田は過去に何度も同じ死線を潜ってきたと推測される。
その為、政治家・財界・官界からも一目置かれる人物にのし上がった。
日本の過去には、似た怪しげな人物が大勢いた。
その様な人物は何時しか黒幕(フィクサー)と呼ばれ、崇められて行く。
噂が噂を呼び、更に本人の名声(悪名?)が高まると言う仕組み。
唐津が自殺と判断された場所(熱海)は、自殺・心中が珍しくない土地柄。
地元警察は旅館で縊死したとされる人物が、東京で疑惑事件の中心的人物であるのを露しらず、いつもの事件として処理した。
その為、大した検視もせず、事件性がないと判断。因って、解剖も行われなかった。
死体はその場で荼毘にふされた。荼毘にふされた為、再捜査の検視・解剖は不可能。
事後報告を聞いた警視庁としては、手の施しようもない。
もし唐津を抹殺する目的の組織が存在するとすれば、自殺として処理される可能性も充分考慮に入れていた考えも成り立つ。
東京で殺害するより、自殺・心中が多い土地では、つい先入観に駆られ事件を見てしまうおそれがある。
もし犯人グループが先入観を利用しようとしたのであれば、犯人グループが一枚も二枚も上手。
当に計算ずく。それ程、慣れていると云える。
慣れていると言う事は、今回も所詮、「氷山の一角」なのかもしれない。
文中にて作者は、なかなか面白い表現をしている。
今回の汚職事件を、「まさに砂糖という甘い蜜に群がる、アリ」のように譬えているのが愉快。
砂糖は昔から、利権の温床と言われている。
何故なら、日本では砂糖があまりとれず、外国からの輸入が主体。
その為、管轄する省庁の匙加減ひとつで、業者に差配が決まる。
差配に口出しをするのが、各製糖業界の意向を含んだ政治家。
当然政治家は、タダでは動かない。政治献金を要求する。
実に分かり易い構造。他の業界も似たり、よったりではかろうか。
追記
清張の官界がらみの汚職事件を題材にした作品を毎回みれば、実に役人の特徴を上手く捉えているといつも感心する。
作品中でも明記されているが、官僚というものは元来「小心」。
業者・政治家の前では図太く構え、なかなか降参しないが、一旦引っ張れば(警察の身柄確保)、案外容易に落ちるもの。
官僚は官公庁、ひいては日本の国家を後ろ盾にしている時は強いが、一旦権威を外され一人の個人となれば、案外脆い。
此れは何も官僚に限らず、他の役人にも云える。そして彼等はなかなか責任を認めない。
責任をなすり付けるのが常。
何故なら、責任の所在を認めれば処罰され、出世の道が閉ざされる為。
今回の作品も疑惑の主人公は、出世が既に頭打ち。出世から外れ、先が見えたと思われた。
そんな主流でない人物が主流にのし上がろうとして、誰かに上手く利用された汚職事件と言える。
利用した人物とは。
それは作品を読み進める上で、大方の想像がつくと思う。
尚、疑惑の渦中で疑惑の中心的人物にいた役人が死亡。
省庁の上役以下、政治家、企業側の人間の多くが助かる流れは、黒澤明監督『悪い奴ほど、よく眠る』と同じ流れ。
繰り返すが、議会政治が始まった大昔から現在に至る迄、この構造は変わらない。
今後も決して変わる事はないだろう。
最後の清張の言葉が、役人の本質を物語っている。
彼らは、いつも風に吹かれてそよいでいる弱い草である。
(文中敬称略)