今でも意味不明、『浦島太郎』の主旨は

幼少期、誰もが見聞した物語の一つに『浦島太郎』がある。
今回は子供のころ見聞きした時の疑問と、大人になり感じたことを述べたい。
目次
物語のあらすじ
簡単に物語の概要を述べれば、童たちにいじめられていた亀を助けた浦島太郎が、亀に連れられ竜宮城に招待された。
招待された浦島太郎は綺麗な乙姫様に手厚いもてなしを受ける。浦島太郎は御馳走や、楽しい宴会に我を忘れ時を過ごす。
そのうち里心がつき、元の世界に帰ろうとした際、乙姫様からお土産に玉手箱を貰う。
再び亀に連れられ元の世界に戻ったが、周囲の様子が全く変わっていた。
途方に暮れた浦島太郎がお土産に貰った玉手箱を何気に開ける。
すると中から煙が出てきて、その煙に包まれた浦島太郎は、みるみるうちに老人となってしまう話だった。
多少の違いはあるかもしれないが、大体このような内容だったと思われる。
今回話題にしたいのは、子供の頃からも感じていたが、大人になってからも何か腑に落ちない点がある為。
明確に述べれば、矛盾点とも言えるかもしれない。その矛盾とは何か。
更に元の世界に戻る際、何故乙姫は開けてはいけない玉手箱をお土産に渡したのか。
思いつく限り、この2点に集約されると思う。
この2点が子供の頃から現在に至るまで、自分なりの納得した回答がない為、心の何処かでひっかかっていた。
今回の浦島太郎に限らず皆様も昔から心の中でずっと引きずっていて、まだ解決されていない出来事が、一つや二つある筈。
今回のブログは、そのような動機で書いてみた。
御伽草子の浦島太郎は
浦島太郎の元となった作品を調べてみれば、どうやら室町時代につくられた「御伽草子」の説話と判明した。
その又もとを辿れば、「日本書記」「万葉集」にもあるとされているが、ここは話を分かりやすくする為、御伽草子を中心として話を進めたい。
御伽草子では、浦島太郎は年齢約24~25歳、丹後国の話。
童に虐められていたのではなく、太郎が亀を釣ったが可哀そうと思い逃がした。
助けた亀は実は乙姫様であり、お礼として乙姫は竜宮城につれていった。
そのまま太郎と乙姫は夫婦になり、3年の月日を過ごす。
約3年の月日が流れたが、太郎は地上に残した両親が気になり地上に戻ることにした。
乙姫は引き止めたが太郎がどうしても帰るという為、太郎に開けてはならない玉手箱を手渡した。
地上に戻った太郎は、既に数百年の歳月が流れていることを知り途方に暮れた。
しょげかえった太郎が思わず玉手箱を開けた。すると中から煙が出てきて、太郎は瞬く間に鶴に変身した。
鶴に変わった太郎は蓬来山に飛んでいき、亀となった乙姫と再会。その後、末永く暮らしたという。
この最後は、「鶴は千年、亀は万年」を題材にしたとも言われている。
長々と説明したが、実はこれが浦島太郎の原作と言われている。
次にどこが変わったのか見てみたい。
御伽草子と現代版の違い
先ず1点目、亀は童たちに虐められていたのではなく、太郎が釣ったこと。太郎自身が逃がしたこと。
2点目、亀は乙姫様の化身だったこと。
3点目、竜宮城にいき太郎と乙姫は夫婦になる。現在版では、夫婦になっていない。
4点目、太郎と乙姫は夫婦となり、3年の月日を竜宮城で過ごす。しかし現代版では、月日は不明。
5点目、玉手箱を開け、鶴になる。現代版では、老人になる。
大体、こんなところだろうか。
では何故、御伽草子と現代版とに違いが生じたのか。
調べていくうちに、意外なことが分かった。
現在伝えられている浦島太郎の話は、 どうやら明治時代に国定教科書に載せる為、書き換えられた ようだ。
何故書き換えられたのか。
色々理由はあろうが、おそらくそのまま教科書に載せれば、教育上に支障があった為と思われる。
どんな支障があったのか。
それはやはり明治という時代を考えれば、江戸時代が終わり西洋に追いつく為には急速な近代化が必要だった。
その為当時の為政者は、政府に都合の良い様に書き換えたとしても想像に難くない。
つまり、如何に国民が政府に都合よく機能(働く)してもらうのかが鍵だったと思う。
物語が政府に都合よく書き換えられてしまったと言えよう。その都合よく書き換えられた箇所とは。
政府に都合よく書き換えられた箇所とは
政府に都合よく書き換えられた箇所とは、前述した御伽草子と異なる点に注目すれば、その主旨が分かると思われる。
その異なる点とは。
先ず太郎が虐められた亀を助けるという行為。
これは苛め防止と善行の勧めと思われる。
御伽草子は太郎が亀を釣るが、可哀そうと思い逃がしてやる。
次に太郎は亀を助けたお礼として亀を介在し、竜宮城に連れていってもらう。
御伽草子では亀は乙姫の化身だったが、現代版はそうでない。単なる竜宮城に導く媒体のような役目。
次に亀は乙姫様だった為、惚れ相思相愛となり夫婦となる。しかし現代版では夫婦にならない。
もし夫婦になればハッピーエンドで終焉する為、時の政府はそのような結末にせず、改竄したと思われる。
ここのいつの時代でもそうだが、政府のあざとさが透けて見える。
つまり国民には楽して幸せに終わるという結末にはさせないという魂胆が分かる。
要するに苦労して働けということ。
太郎が働きもせず只幸せになれば、政府とすれば甚だ都合が悪かったと見える。
似たような話が西洋にも存在する。そうイソップ物語で有名な「アリとキリギリス」。
あれも夏に遊んでいたキリギリスが冬になり蓄えもなく困り果て、アリに救済を求めるという話。
全く同じ。おそらく政府もそれが念頭にあり、似たシチュエーションにしたと思われる。
因みにイソップ物語ではキリギリスだが、他の作品で似た話ではセミ。アリに救済を求めたセミはアリにすげなく断られた。
次がこの物語の最大の矛盾であり謎が、乙姫は何故開けてはいけない玉手箱をお土産に渡したのか。
私の想像だが御伽草子では折角夫婦になった二人だが、太郎が帰ると言い出し嫉妬した。或いは恨んだ。
しかし一度は愛し合った身であり、乙姫は太郎が必ず玉手箱を開けるでろあうと予測。
玉手箱を開けた時、再び夫婦になる為には太郎を鶴にしなければならず、乙姫は罠をしかけた。
地上に戻った太郎は竜宮城に居る間(約3年間)に、世の中がすっかり変わったことを知る。
太郎は自暴自棄となり玉手箱を開けた。
玉手箱を開けた後に煙に巻かれ、太郎は鶴に変身した(実際は神鶴となる)。
鶴に変身した太郎は蓬来山に飛んで行き、亀の乙姫と再会。
再び夫婦となり、幸せに何年も過ごしましたという結末。実にめでたい話で終了する。
処が現代版では「太郎が開けてはいけない」と云われた玉手箱を開けた為、老人になってしまった。
これが子供の頃感じた、最大の矛盾。繰り返すが、
乙姫は何故、開けてはいけない玉手箱をお土産として太郎に渡したのか。
この部分が子供の頃から、ずっとひっかかっていた。
亀を助け善行をした太郎が、最後に老人にならなければならなかったのか。
これも時の政府が都合よく改竄した結果。
開けてはならない玉手箱、つまり約束を破った太郎が罰を受け、結果老人となってしまう。
これはあくまで、乙姫側の一歩的な約束。
太郎側にすれば、開けてはいけない玉手箱など欲しくなかったかもしれない。
もし私が浦島太郎であれば、要らないと思い、途中で捨てたかもしれない。
実際大人になった今であれば、おそらく途中で捨てた。
開けてはいけない玉手箱など、所詮何の役にも立たない為。帰る道中にお腹が空き、小腹を満たす食べ物であれば別だが。
これが今回ブログを書くに至った、最大の理由。
太郎は乙姫との一方的な約束を破った為、その罰として報復を受けた。
これは国と個人に譬えれば、極めて分かり易い。つまり国が国民に対し、一方的な契約を強いる。
一方的な契約の為、中には反抗する者もいる。その反抗した者を政府はどうするか。
それは見せしめの為、報いをうけさせる。それも強制的に。今回は国が乙姫で、太郎は国民。
そう考えれば現代版の浦島太郎は、何故老人になってしまったのか理解できるだろう。
要するに、 国に歯向かったことによる報復 。
国が決めたことに対し、守らなかった者に対する戒めとも言えるのかもしれない。
約束を守らなかったことで老人となってしまった話のほうが、時の政府としては至極都合が良かったのだろう。
教科書に載せるということは、子供の教育に繋がる。つまり幼い子供に対する、訓示のような役目もあったと充分想像できる。
そう考えれば、何故原作の御伽草子から現代版に替えられたのかが納得がいく。
つまり物語は「時の権力者により、都合よく変えられる」ということ。
これは以前「歴史は常に強者のモノであり、強者により都合よく変えられる」と述べたことに等しい。
全く同じと言っていいだろう。
他にも色々な解釈があるが、私としては上記に述べたことが、一番しっくりきた。
こうして改めて文字にすることにより、頭で考えていたモヤモヤが晴れた。
長年なにか心の中にひっかかっていたモノが取れたような気がした。
今回は浦島太郎だったが、今考えれば子供の頃読んだ昔話にも、無いか腑に落ちない内容が存在した。
そのような作品もきっと途中で何かの都合で書き換えられたのかもしれない。
そうでなければ理解しがたいものがある。今はパッと浮かばないが、もし思い出した時、又ブログにしたいと思う。
更に進んだ話では
大人になり今では昔話など全く読まないが、現在では更に私が読んだ頃とは内容が違っている模様。
その違いを挙げれば、先ず太郎は30過ぎの独身ということ。
両親がいるのではなく、母しかいない。父がない理由は不明。
次に子供に虐められていた亀を助ける際、子供に幾らかお金をやり、買い取るようだ。
これが実に現代的とも言える。
独身の設定はおそらく、30才を超えても家庭を持たずぶらぶらしている、だらしない太郎を描きたかったのではないかと想像する。
つまり太郎のいい加減さを際立たせる演出とも言える。
後は、ほぼ似たような内容。
竜宮城にいき、地上にいる以上のぐうたらな生活をして何日も過ごす。
処がある日、里心がつき地上に戻る。
地上に戻ったが、既に母はいなくなり、家もすっかりなくなっていた。
破れかぶれになった太郎は、乙姫から貰った玉手箱を海に投げ捨てる。
海に投げ捨てた玉手箱だったが、何故か太郎の足許に戻って来る。そして勝手に玉手箱が開く。
開いた玉手箱から煙が吹きだし、太郎が煙に包まれる。その後太郎は老人となり、どこかに立ち去ってしまう。
私がSNSで観たアニメの浦島太郎は自らの意思で玉手箱を開けたのではなく、勝手に開いた煙を太郎が浴び老人となってしまう結末だった。
どちらかと云えば、こちらのほうが残酷かもしれない。何故なら強制的に玉手箱が開き、老人になった為。
避ける余地がなかったということ。何か原作の主旨が、益々遠のいているような気がした。
浦島太郎がどうしょうもないダメな人間に描かれているようにも見えた。
さて皆様は、どう思われたでしょうか。
今回はあくまでも私見ですので、ご了承下さい。
(文中敬称略)